煌びやかな絵巻を繰り広げている平安の都はそれと呼応するように怨霊や妖怪が力を蓄えている時代でも有った。
贅を極めた貴族達の生活は毎日が暦と共に有り「物忌み」 「方違え」と余念が無く「穢れ」に触れぬよう恐々としていたのである。
そんな貴族にとって欠かせなかったのが陰陽師であった。
大内裏にある中務省に属する陰陽寮にいる陰陽師は定員制のため数に限りがあるが市井に法師陰陽師が跋扈している。
需要と供給が追いついていない状態は慢性化していた。
陰陽寮に属する陰陽師は本来は帝の為だけに存在する筈であったのだが何時の世からか一握りの殿上人が家臣のように使い始めて久しい。
陰陽師の第一人者であった賀茂忠行の嫡男でありその能力は父親も超えると言われる賀茂保憲は足りぬ供給に応えるべく祓え・除封・・・忙しい毎日を過ごしていた。
若く凛々しいその姿は殿上人の口に上り後宮に仕える女房達からの文が贈られてくる事も少なくない。
そんな毎日が続くうちに殿上人の会話に変化が生じてきた。

「保憲殿の後にいつも坐しているあの童は誰なのか?」 「然様 然様 たんなる供の者とも思えぬ。」 
「祓の儀式にも参しているのであるから多少の心得はある者なのであろう。」
とうの保憲とその傍にいる童は気にする風も無く「 仕事が終わりました。」 とばかりに早々に退出して行く。

さて・・・今日は中納言の屋敷で改築修理が終わった為の鎮めの儀である。
土を掘り起こすような改築修理は「犯土」となる。
大掛りな物であれば隣近所までも巻き込む大事となり家人も主人も屋敷から退去しなければならない。
こうした大仰な手順を踏んでやっと修理が終わり土を鎮める事と成る。
屋敷の主である中納言は殿上人から聞いていた童が気になり己の権力を使ってこの儀を執り行う陰陽師に賀茂保憲を指名したのであった。


「無事に鎮めが終わりました。 これにてお暇を頂きまして・・・・」  保憲の穏やかな声が屋敷の中に響く。
保憲が平伏する場から遠く離れて御簾の向こう側に中納言が座しているのは陽の加減か見る事はかなわない。
「そうか。 いつもながら見事な手腕よのぅ。」 鷹揚な声が応えた。
「畏れ多いお言葉・・・それではこれにて・・・」 保憲が退出しようと腰を上げかけた。
保憲の背後に影のように坐していた童も倣って腰を上げかける。
「賀茂保憲。」 御簾の向こう側から声が掛かった。
「おん前に・・・」 保憲は再び頭を垂れた。
「その童はどのような者なのだ?」 「賀茂忠行の弟子にございます。」
「おぉ!忠行の弟子であったか。」 中納言は納得したように声を上げた。
「まだ修行中の未熟者でございますれば私に付き従って学んでおります。」 保憲は頭を垂れたまま応える。
「ぜひ・・その者の貌を見たいものだ。 顔を上げて見せよ。」  未だ殿上人からしっかりとこの童の顔を見たものがあるとは聞いていない中納言。
誰よりも先に見たと言える優越感に頬が緩んだ。
保憲が小声で童に声を掛けたようで童はゆっくりと身体を起こして視線を御簾の奥へと向けた。
項の後で緩く結われた黒髪がさらっと揺れて肩にかかる。 桜の花のように淡く色づく唇が僅かに笑みを刻んだように見える。
思わず息を呑んだ中納言とその近臣の面々・・・
「保憲。」 中納言は思わず声を掛けていた。
「その方は退出して構わぬ。 その者は今暫くこの場に残して行け。」
中納言の言葉に戸惑うように童の瞳が宙を泳いだ。
「この者はまだ修行中でございます。 私と共に退出させて頂きたく・・・」 保憲は頭を垂れたまま言った。
「保憲・・何を憂いておるのだ。別に殺めようとか害するとか言う話では無いぞ。」 中納言が質の良くない笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
この中納言の趣味については保憲はしっかり把握している。
この時代としては特に珍しい趣味でもないが対象が己の弟弟子に向かうのは我慢が成らない。
・・・さて・・・どの様にして避わすか ・・・・

「中納言様。」 意を決して保憲は面を上げた。
「何じゃ? その方は退出せよと申しておる。」 中納言の声に苛だちが感じられた。
「この者を置いていくのは構いませぬが・・・この者の母親は白狐にございます。」
「なっ!!妖物をこの屋敷に入れたと言うか!」
思いも拠らぬ保憲の言葉に中納言の身体が強張った。 言われた童も保憲を呆然として見上げていた。
「いいえ中納言様。 妖物ではございませぬ。白狐は天狐でございますればやがて社を持って依方様となり神となる狐にございまする。」
「すると・・・神の子と言う事なのか?」
「この者が神という訳ではございませぬが・・眷属と言ったところでしょうか。」 保憲が事も無げにとんでもないことを言う。
訝しげな視線を投げ掛けていた童の表情は「いったい何を言い出したのだ?呆れて物も言えぬ」と保憲に告げていた。
「中納言様。」 
すっかり固まって言葉も発しなくなった中納言に保憲は更に言い募る。
「この者の母親である白狐は中納言様もお縋りになられる伏見の社にも繋がっておりまする。」
「伏見の・・・」 小さな声と共にトンッと腰が落ちる音が聞こえた。
「稲荷の神はそれはそれは広い情報網を持っておりまする。 依方となられた天狐の子供に何かありましたならそれを知らぬなど有り得ません。」
チョイチョイッと裾を引っ張られた気がして見下ろせば童が呆れた顔で見上げていた。
・・・ とことん知らしめてやらねば何かと面倒な事が起きようよ ・・・・ 保憲は僅かに首を左右に振って言葉を繋いだ。
「中納言様。 稲荷神が本気で事を起こしましたら最早我ら陰陽師が束になっても敵う相手ではございませぬ。」
「わっ解った。良ぅ解ったからもう申すな。」 中納言の声が完全に震えていた。
「聡明な中納言様の事でございますから必ずやご理解頂けると信じておりました。」 保憲が心にも無いことを言う。
・・・ケッ!! この色惚けの狒爺が ・・・もう手ぇ出すんじゃねぇぞ ・・・・とは保憲の腹の中。
「それでは・・・」 恭しく頭を垂れて保憲は立ち上がった。
「この者も連れてまいりまするが・・・」 頸を御簾の向こうにいる中納言に向ける。
「あっ・・・あぁ 構わぬ。」
「ありがたきお言葉 痛み入ります。」 もう一度丁重に礼をすると保憲は童の手をしっかりと握ってその場から立ち去った。


「お聞きになりました? あの陰陽師。」
 「えぇ 聞きましたとも。 あの白い肌は母親譲りなのでございましょねぇ。」
「まぁ!!あなた そこではございませぬ。 あの者の母親は白狐だそうではございませぬか。」
「そうそう その様でございますね。 見目の良い貌と思うておりましたが言われて見れば何処と無く不気味な・・・・。」
「如何に美丈夫でも半妖ではねぇ。」 
殿上人の口に戸は建てられぬもの・・・賀茂の屋敷で修行する妖艶で見目の良い童は半妖であると言う噂が広がるのにそれ程の時間は掛からなかった。


「保憲様。」 「なんだ?」
ジト眼で見上げてくる弟弟子の童を見下ろして保憲は笑う。
「あの時 保憲様があの様なことを仰いましたから・・・このような噂が広まったではありませんか。」
「なんだ・・不満か?」
「私は・・・人の子でございます。」
「解っておるさ。」  「ならば何故あのように・・・」
「窮余の一策よ。 それとも・・あそこに一人で残ったほうが良かったか。」
「いいえ!!そのような事は思いませぬ。」
「それなら・・・これで良いではないか。」
「でも・・・私の母は狐では・・・・」
「解っておるよ。」 保憲は幼い童の肩を優しく抱きしめた。

雅な京の都で並ぶ者の無い類稀なる能力を持つ陰陽師 安倍晴明
この漢の母親が狐であったと言う風説の源は案外こんな所かも・・・知れない。




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