都の西の端・・・人が住んでいるとも思えぬ荒れ寺の中で道満は複雑な表情を顔に刻んでじっと坐していた。
目の前には意識の戻らぬまま浅い呼吸を繰り返す人物が横たわっている。
・・・・さて・・・どうしたものか・・・・
毎日を戯言と言って憚らぬ道満には珍しい事である。

伏せられていた睫が揺れてうっすらと瞳が開かれた。焦点が合わない眼差しは儚く何度か瞬きを繰り返す。
道満は訝しげにその人物を見つめながら声を掛ける。
「どうした? 俺が解らぬのか?」 
声を掛けられた人物は道満を見るでもなく小首を傾げた。
「解りませぬ・・・何も見えませぬ。」 
在らぬ方向へ視線を向けたまま人物は小さく応えた。
「真か!!この声を聞いても解らぬのか。」
 道満はズイッと膝を進めて人物の顔の前で手を振ってみるが人物の顔に表情が浮かぶことは無かった。
「名は何と言うのだ?」 道満は疑うような声で問いかけた。
「名・・でございますか? 解りません。 無いと言うのはおかしいでしょうから・・思い出せないようです。」 
人物はさして慌てる風でもなく応える。
その答を聞いて道満の顔に質のよくない笑みが浮かんだ。
「盲の身では難儀であろうよ。まして・・・女人であるのだからな。」 道満は上目遣いで独り言のように言った。
「私が・・・お・な・ご・・・・・・」 人物は戸惑うように呟いた。
「違うのか? まぁ俺もその身を見た訳ではないが・・」 質のよくない笑みを刻んだまま道満は言った。
女人だと言われて疑問があるのなら盲と言えど確かめる術は有ると思うがそこへ考えが行かないのか人物はふっと貌を上げただけであった。
道満の笑みは更に深くなる。 ・・・・・思わぬところで楽しい戯れの時が過ごせそうだ・・・・

「まぁ 盲では一人で出かける訳にも行くまい。 暫くここで身体を休めればよい。 俺は夕刻まで出かけて来るでな。」
「お出かけに成られるのでしょうか?」 人物は不安そうに問いかけてきた。
「ここは俺一人しかおらん。 こんな荒れ寺を訪れる者もなかろうて。ゆるりと身体を休めよ。」
道満は言い置いてガタガタと建付けの悪い扉を開けて外へでると派手な音を立てて扉を閉めると出かけて行った。
一人取り残された人物の耳に聞こえていた道満の足音が段々と小さくなって行く。


ポツッ・・・雨が降ってきたと思う間もなく黒雲が広がり始め辺りが一気に薄暗くなった。
天が壊れたかと思うほど強い雨が都の空を覆った。
地を叩く雨音が人々の足音もかき消し飛沫が煙のように舞い上がる。
見る見る増えて行く水溜りを物ともせずバシャッバシャッと水を蹴って二人の男が駆けていた。
細身だが筋肉質の男とがっしりとした体格の二人は日に焼けて赤銅色の肌をしている。

この二人 都で縦横に暴れまわっている盗賊「葛城童鬼」の仲間で兄貴の方は「茨」もう一人は「熊」と呼ばれている。
「兄貴・・・どこかで雨をやり過ごしたほうが良くないですか?」 熊が前を行く茨に声を掛けた。
二人の前方に横たわる川の水も一気に水量を増しているのが見えた。
「そうだな。」 兄貴と呼ばれる茨は川岸に立つ巨木の下へ駆け込んだ。
二人は木の下で空を見上げ周りを見回す。
「あそこに・・・寺らしき建物が見えますが・・・暫し休ませてもらえないでしょうか。」
「おう!!大分荒れているようだが・・・人がいてもこの雨だ。否とは言うまい。」
二人は荒れ寺の廂に向かって駆けこむ。

ガタガタッ・・・扉を乱暴に開けて中に飛び込んで大きく一呼吸置いた途端耳を劈くような雷鳴と地を引き裂くような閃光が走った。
「あんなのに直撃されなくて良かったな。」 茨が皮肉っぽく笑う。
「まったくです。 丁度良い所に寺があったものですね。」
二人は腰を下ろそうとしてふと人の気配を感じて奥に視線を向けた。
「こりゃぁ・・・まいったね。」 茨は口角を上げて笑みを刻む。
奥の隅にじっと座している一人の人物を見据えて茨はズイッと近づいた。
「ここは・・もしかして遊行宿か何かかい?」 茨の問いに応えぬ人物の顎を片手で掴むとフイッと眉を顰めた。
「おまえ・・目が見えないのか?」  こくり・・と相手は小さく肯いた。
「この見目なのにな。」 茨は相手の手をとるとスッと掌を滑らせる。
「江口あたりに売り飛ばせば盲でも高値で引き取ってもらえそうだな。 滅多にお目にかからない上玉だ。」
茨は値踏みをするように相手の腕から首筋へと掌を滑らせながら一人呟く。
思わず身を捻って後ずさる相手の肩を押し倒して床に縫いつけ襟元に滑り込ませた茨の手がぴたっと止まった。
「おっ・・・おまえ・・男か。」 茨の呆然とした声が響く。
「兄貴!!そいつ 女人ではないのですか?まさか・・・」 熊も確かめるように近づいて来て繁々と見つめた。
「私は・・・私は男なのでしょうか。」 問いかけてくる相手の声も呆然としている。
「おいおい 自分の事が解らないのか?」 茨が呆れたように言う。  こくり・・と首が縦に振られた。
「名も思い出せず・・・何処から来たのかも解らず・・・お世話になっている方も呆れておりました。」 
相手は見えないと言う瞳を遠くに向けて小さな声で応えた。

「兄貴こんなに見目が良い男なんている物なのですね。でも・・男では江口にって訳には行かないですよ。」
熊が茨に言う。 暗に関わりにならないで出て行こうと伝えているようだ。
「あぁ 確かに江口には売れないかもな。 だけどな熊。 売れない訳では無いぞ。」 茨が質の良くない笑みを浮かべる。
「へっ? こんな細身なのだから力仕事なんか出来そうにもないですよ。 おまけに盲なのだから足手纏いになるだけだと俺は思いますけど・・」
「安心しろ。 きっと江口より高値で売れるぞ。 こういう趣味のある貴族の所ならな。」 茨の笑みが冷酷な物に変わる。
「さすがは兄貴だ。 俺と考えることが違う。」 熊は感心したように一人納得している。
「そうと決まったら熊。 こいつを連れて行くぞ。 面倒だからお前が担いで運べ。」 
「へい。」 熊はそのがっしりとした腕で軽々と相手を抱え上げた。
腕の中で身を捩ったのを見て茨が声を掛けた。
「俺達は盗賊よ。 押し入った家で一番高値の物を奪うは当たり前のことだ。 お前も運が無かったと諦めて大人しくしていれば手荒な真似はせぬよ。」
浚って行く段階で充分に手荒だとは思うが盗人の理は違うらしい。
ガタガタと音を立てて茨は荒れ寺を出て空を見上げた。 雨は大分小降りになっている。

川沿いに北へと足を進めている二人の後ろから呼び止める声がする。
・・・おい ・・・・・ 待て ・・・ おい ・・・・・
すぐ傍を流れる川の水は増えており流れはまだ荒れていた。 その水音にかき消されて呼びかける声は二人には届き難いようだ。
・・・・おい ・・・・待てっと言っている ・・・・・
その声と同時に熊の襟首が強い力で掴まれた。
「何をするんだ!!」 熊は襟首を掴む腕を払って勢い良く振り返った。
目の前には品の良い公達が立っている。
「これは・・・殿様。」 茨が熊を押しのけて笑顔を作った。
「こいつがご所望でございますか? さすがにお目が高い。」 もう揉み手をしそうな勢いである。
「これは・・・元々 俺の物だ。 返して貰おうか。」 公達はにこりともしないで応えた。
「殿様の物? そんな訳はございませんでしょう。 こいつは・・・」
茨の言葉は途中で遮られ見た目よりずっと強い力で地面に叩きつけられた。
呆気にとられて呆然としている熊の手の中にあった人物を引っ手繰るように自分の袖の中に包み込む。
「こいつは俺の物と言うた。 命が惜しければさっさと失せろ。」 公達とは思えぬぞんざいな言葉。
ここで引き下がっては都を騒がせている盗賊の名が廃る。
「殿様。 そいつが殿様の物だと仰るのは勝手ですがね。 その証を見せて頂けないとこちらもお渡しする訳には行きませんな。」
茨はゆっくりと立ち上がりながら言った。
「だいたい・・・そいつは盲ですから殿様の事も見えちゃいませんよ。 おまけに名前も忘れているようですからね。 殿様がどの様に証を見せられるか・・」
茨は片頬にげ揶揄するような笑みを浮かべて見返してくる。
「ほう・・そう言えば・・・今日はいつもより少し重たいな。 気が滞っている所為なのかも知れぬ。」 公達は一人言ごちた。
「さぁ殿様 証を見せて頂けないのならそいつを返して頂きましょうか。」 茨が嵩に掛かって言い募る。
「煩い奴だな・・・さっさと去れと言ったはずだ。 行かぬのなら・・喰らうぞ。」
公達の口がカッと開かれると鋭い牙が二本・・・
・・・人ではないのか・・・鬼・・鬼・・・・
茨と熊は返す言葉も見つけられず立ち尽くしている。
「去れ!!」 公達の声に弾かれたよう一目散に北へと走り出した。
その後姿を見送るとふっと公達は笑った。

「おい 晴明・・・本当に解らぬのか?」 問いかける声の主は公達ではなく緋色の水干を纏った若者になっていた。
「それは・・私の名なのでしょうか?」
戸惑いがちに問いかける漢を見下ろして水干姿の若者は微笑んだ。
「先ほども言ったが・・・些か気が滞っているようだな。 それさえ元に戻せば目も見えるであろうし名が正しいかも判断できるようになる。」
「それはどの様にしたら宜しいのでしょうか。」 漢の見えない瞳が揺らいだ。
「なに それほど難しい事ではない。 しかし・・・な。」 若者が笑いを含んだ声で応えるがふと言いよどむ。
「不都合なことでもございましょうか?」 漢の見えない貌に不安げな表情が浮かんだ。
「今のままのおまえでも俺は構わぬのだがな。 なかなかに素直で愛らしゅうて童のようだ。」
若者は言うと漢の身体を衣で包むとグイッと引き寄せた。
「俺の所へ来るが良い。 そのままで良いではないか。 不自由はさせぬぞ。」
若者の言葉を遮るように駆け寄る足音が聞こえた。

「そのような事はさせられませぬ。 酒呑童子殿。」 聞こえた声に酒呑童子と呼ばれた若者がチッと舌を鳴らした。
「保憲・・・おまえは本当に無粋な奴よのう。」 
「無粋でも宜しゅうございます。 大事な弟弟子を鬼に持って行かれて堪るものですか。」 保憲と呼ばれた男は正面から酒呑童子の視線を捉えて応える。
「ふん! このような時だけそのように言うか。 この原因を作ったのはおまえであろう。」 
酒呑童子は冷たく言い放つと晴明の腕を強い力で引き寄せた。
・・・ あっ! ・・・・
いきなりの事に晴明の足が小石を踏んでよろめいた。
「行かせる訳にはまいりませぬ。」 保憲が晴明のもう一つの腕を掴んで引き戻す。
・・・ あっ! ・・・
反対側に強く引かれて晴明の足はついて行く事ができずに保憲に凭れ掛かるように倒れた。
「わっ!わぁ!!」 
動転した保憲の叫び声と共に二人は川の中へと転がり落ちて行く。
伸びている木の枝に引っかかり草の上を滑り・・・・ザバァッと大きな音を立てて二人は川に沈んだ。
雨は止んでいたが水嵩は増えていて流れは早い。 二人は下流へ向かって流され始めた。
「晴明!!」 酒呑童子の身体が宙に浮き流されて行く晴明の細い腕をしっかりと掴み上げて引き上げる。

「大丈夫か?」 ずぶ濡れになっている晴明の髪を掻き揚げながら酒呑童子が貌を覗き込んだ。
「酒呑童子様・・これくらい何でもありませぬよ。」 晴明が涼しげな瞳を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「晴明? おまえ俺が解るのか?」  酒呑童子が驚いたように晴明を見下ろした。
「この私があなた様を見誤る事などある訳がございませんでしょう。」 晴明は穏かに応えながら右手を後頭部にあてている。
「頭が痛むのか?」
「少し・・この辺をどこかで打ったようでございますが・・何 大した事ではございませぬ。」

・・・・ いや・・大した事であったのだが ・・・・・

「久しぶりに会ったのだ。 少し我が屋敷に来ぬか。 そのままでは風邪をひいてしまう。」 酒呑童子がさり気なく誘った。
「然様でございますね。」 晴明が極上の笑みを浮かべて見上げてくる。
「では・・・早々に。」 ひょいと晴明を抱き上げる酒呑童子。
「ふむ。 確かにいつもの重さだ。」 「酒呑童子様。 また戯言を・・」 白皙の貌がうっすらと朱に染まった。
満面の笑みを頬に刻み酒呑童子は晴明を抱えたまま朧に消えて行った。


「いやいや すごい雨のおかげで遅くなってしまった。」 
一人言ちながら道満は川沿いの道を北へと上っていた。 荒れ寺へと戻るためである。 
手には買い込んだ酒と肴が少々・・
荒れ寺に残してきた漢の姿を思い出してつい頬が緩む。
ふと視線の墨に何かが触れた。
川岸に一人の男が倒れている。 道満は既視感に襲われた。 今朝方にもこんな光景が有ったような気が・・・
とりあえず倒れている男を抱え上げる。
「ゲッ!!保憲ではないか!!」  今度はこいつかっと思いながらも道満は保憲の頬を軽く叩いてみる。
・・ んん ・・・・保憲の口からうめき声が漏れて眉が顰められた。

・・・・血の繋がりも無いのに兄弟弟子とは同じような反応をする物だな ・・・
道満は妙なところで二人の共通点を見つけた気になり苦笑いを浮かべた。
ふっと保憲の瞳が開く。
「おぅっ!!気がついたか。」  嬉しそうに声を上げた後道満はふと言葉を続けた。
「俺が解るか?」 どこかで同じようなことが有ったような・・・
保憲の口が開く。
「解りませぬ。 あなた様はどなた様でございましょうか。」

そんな所まで似ていなくても良いではないか!・・・・っと道満。
厄払いでもするように保憲を川の中へと放り投げた・・・
木々にぶつかり草の上を滑り保憲の身体は浮き沈みしながら流されて行く。
・・やれやれ・・・ 今日は厄日か ・・・・・
荒れ寺に戻って見れば出かける時には不安げに己を見上げていた筈の盲いた漢の姿は無かった。
・・・・ チェッ 大人しく留まっている珠でもなかったか ・・・・・
道満は苦笑を浮かべて買い込んで来た酒を呷った。


その後保憲の記憶が戻る所まで似ていたかどうかは定かでは無いが晴明と二人で妖怪退治に出かけているようなので事は終止符を打ったと思われる。
さて・・・ 一番振り回されたのは一体誰なのか。



 


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