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	<title>眉　　唾　　物　　語</title>
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	<description>2022.06/02　（6)夢幻の一毫「思慕の桜」　完了しました</description>
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		<title>「思慕の桜」</title>

		<description>穏やかな春の空は薄く霞をかけたように広…</description>
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			<![CDATA[ 穏やかな春の空は薄く霞をかけたように広がっている。
温かな風が仄かに吹き渡りその風の中を桜の花びらが舞い踊っていた。
花びらの行方を追うように視線を巡らしたのは時の帝　村上帝である。
その口元には有るか無しか・・・笑みが僅かに刻まれているのを見る人はいなかった。

遥か昔　桓武の帝が平らかなれと願って開いた平の都も長い時が過ぎた。
時が過ぎれば変わる物も多かれ少なかれ有るのは致し方のない事。
村上帝が今立っている場所にある桜の木も元々は無かったものである。
内裏の中心的建物である紫宸殿の前庭には西側に橘の木・東側に梅の木が植えられていた。
長い年付きの間に何度か焼失した内裏であるが新しくなってもこれは変わらず季節を愛でる貴族たちの目を楽しませて来たのである。
そして
村上帝も何度目かの火災に遭って紫宸殿が新しく建ったのは二年ほど前の事であった。
その時にも西に橘・東に梅
これは変わらなかったのである。
ところが
橘の木は根を広げ前庭で成長をして行ったのであるが梅の木は根を広げる事が出来ずとうとう枯れてしまった。
これでは行かぬと帝の側近は新たな梅の木を探し求め見事な枝ぶりの梅の木をこの前庭に植える事が出来たのであるが・・・


「此度の梅は晩生なのかのぅ。」
「ほんになぁ。まだ蕾も堅いままのようだの。」
春の気配が感じられるとは言え夜になればまだ冷える。
宿直の者たちは揺れる灯の傍で手火櫃を抱え込むように輪になって囁き合っていた。
帝はとうに奥へと退座されているので気兼ねは無い。
眠気を振り払うように白湯を飲み唐菓子などを齧って取り留めのない話題に終始していた。
「清涼殿の方の紅梅はもう花開いておったわ。」
顎髭が立派な男がそこに有るように言う。
「おぅ！確かにな。典薬寮の脇の白梅も良き香りを広げて居った。」
細い目をさらに細くして歳高の男が鼻をヒクヒクさせる。
そうよなぁ・・・
一同は頷くとそっと階の向こう側に見える梅の木を見やった。
紫宸殿の東に植えられた梅の木は固く蕾を閉じたまま開く気配も見せていない。
他の梅が散ったころに咲く気なのだろうか等と他愛も無い事を考えている分には何も被害が起きないのだが事はこれで終わらなかった。


ザッザッザッザ

建物の脇を進む足音が進む。
内裏を警護する近衛の見回りである。
先頭を行く者の手に掲げられた松明の炎が闇の中に影を作っていた。
夜も更ければ寒さも増して蔀は閉じられ宿直の男たちの声も聞こえては来ない。
「なにも変わりは無いようだな。」
松明を持つ男の後ろにいた者から声がかけられた。
「当たり前だ。そうそう変事が起きたら堪らんわ。」
振り向きもせず応えた男はチラッと松明に目を向けた。
共に紫宸殿が燃え上がった日ををこの目で見ていたのであるから松明の火の粉が遠くに飛ぶようではいけないと思っている。
幸いにもこの夜は風もなく松明の炎も大きな揺れを作る事は無かった。
「ん？」
先頭の男の足が止まった。
「如何した？何かいるのか？」
後に続く男は立ち止まった男の脇に足を運ぶ。
松明を持っていた男は黙って松明を持つ手を伸ばして先を照らそうとしている。
「誰ぞ。」
声に緊張が含まれていた。
その声に釣られるように後の男も視線を先に向けてみた。
二人の先に有るのは階。
その向こう側には梅の木。
宿直の元たちが晩生だと囁いていた梅だ。
その木の下にほっそりとした姿の女人の影を見た・・・ような気がする。
「このような刻限に如何致したのか。」
松明を掲げながら男は一歩梅の木に近づいた。
見間違いでは無かった。
豊かな黒髪に合わせを着た若い女人が袂をで顔を隠してさめざめと泣いていたのである。
「主に叱られて戻れぬのか？」
「ならば我らが誘ってやっても良いぞ。」
二人の男はホッとしたように女人に近づこうと足を進めた。
その刹那
スーッと影を薄くして女人の姿は見えなくなってしまったのである。
「わぁ！！」
男の手から松明が落ちる。
「怪異じゃ！」
もう一人の男は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。
暫し動けないまま震える男たちの間を微かな風が吹き抜け甘い梅の香りが僅かに漂って・・・
消えた。


近衛の者は誰にもその話はしなかった。
警護の者が怪異に恐れを成したと知れたらお笑い種である。
にも拘わらず一夜が明けた朝議の席では殆どの者は知っているらしく口元を扇で隠しながらも互いに囁き合って意味ありげに頷いたりしているのだ。
「見間違えたと言う事では無いのであろうかの。」
おっとりと一人が言えば
「見目の良い女人であったと言うではないか。」
「話はそっちへ曲がるか。」
別の二人がそっと言い合ってひっそりと笑う。
朝議の後はこの話で持ちきりである。
収まりがつかなくなった所で
「今日の宿直の者に確認をさせてみては如何か」と声をあげた者がいた。
「それは良きお考え。」
「真に女人が現れるや否や。」
やんやとその場にいた者たちは手を打った。
「どうだ。その場に一人陰陽寮の者を呼び寄せてみては。」
思案深げに声をあげたのは今まで口を挟まなかった細身の男。
「怪異であろ？宿直の者だけではちと心許ないではないか。」
「おぉ！たしかに。」
「たしかに。」
皆　自分がその場にいる事は無いと分かっているだけに同意を示した。

こうしてその日の夜の闇が辺りを包む頃
宿直の者は幾分引き気味に恐る恐ると固まって位置について腰を下ろす。
階の下には陰陽寮から呼び出された陰陽師が一人。
どうやら寮での宿直だったようである。　些か不満げであった。
「のう　まだ出ぬのかのう。」
一人が肩を竦めて前庭へと視線を送る。
「な～に。近衛の見回りが来るまでにはまだ間があるに。」
豪胆そうに応えた男は庭を見ようともしない。
やがて会話も尽き寒さが身に染みてきた。
蔀を閉める刻限ではあったが今宵は怪異とやらを見定めると言う役目も有る。
早く夜が明けてくれぬ物か
思いは同じなれど口には出来ぬ。


すぃ・・・
何かが動く気配を感じた。
「ひっ！」
宿直の一人が息を飲む。
「あれは陰陽寮の者であろ？よく見ぃや。」
諫められて一同が庭へ視線を向ければ階の端に浄衣を纏った者が一人立っていた。
小石を踏む足音も立てずにスッと梅に近づいた時うっすらと女人の影が浮かび上がっているのが見える。
ざわっと宿直の者たちが動いたのを見逃さず浄衣の男は一言。
「お声を出しませんように。」
宿直の者は我に返って殿上人であると思い出したか鷹揚に顎を引いて了承の意を示した。
「さて・・・」
浄衣の男は梅の木の下に立つ女人に声をかける。
「何故に泣かれるか。」
袖で目の端を拭っている女人は暫し声も無くさめざめと泣き続けた。
「訳がお有りなのであろうほどに。」
浄衣の男の声に女人はふっと袖を下ろして男に視線を向ける。
「主の・・」細い声が応えた。
「主の？」
「主の元へ・・・」
「主の元へ？」
浄衣の男は焦るでもなくゆっくりと女人の言葉を待っている。
「主の元へ・・・も・・」

ザッザッザッザ
忙しなく響いて来たのは近衛の夜回りの足音であった。
一歩毎に近づき音は大きくなってくる。
「チッ！」
浄衣の男は軽く舌打ちをすると近衛の者がやって来る方へと身体を向けた。
「お静かに。」
わぁー！！！
浄衣の男の声と近衛の者の声が重なる。
腰の太刀に手をかけている気の早い物までいるのに浄衣の男は眉を顰めた。
「怪異じゃ！」
近衛の者たちは声を上げその騒ぎに宿直の者たちも浮足立っている。
「主に・・・」
細い声に浄衣の男は再び梅の木を見やった。
「主に・・・」
袂で目の端から流れる涙を拭いながら女人は闇の中へと消えて行った。
やれやれ・・・
浄衣の男は肩を落として周りを見回し一言。
「今宵はこれで仕舞いにございます。」


何とも収まりのつかない騒動から幾日かが過ぎた。
その間も
確かに見たと言う者や自分が行った時には何事も無かったと言う者。
様々であったがこの騒ぎはやがて村上帝の耳にも届き近臣の者を慌てさせた。
落ち着かない心持で皆が過ごしている時に陰陽寮の頭から奏上書が朝廷へとあげられて来たのである。

梅の木の下に現れる女人は悪しき者では無い事がまず綴られていた。
人に思いを伝えたく梅が化身して姿を現したに過ぎぬのだと。
そして
西側の橘とは違い若木であった梅はただただ悲しいと訴えているだけである。
何故ならばこの梅の木を慈しみ育ててくれていた主がいるからだ。
主の優しき心がひたすら愛おしく、この身は主の元へと戻りたいと語る。
若木故に思うに任せず姿を現して訴える事が儘ならぬ事に焦れてしまうのだ。
よって姿も薄く声も小さく、人に届く事も思うようには行かない。
祟る気も無ければ恨む心も無いが主の元へと帰りたい。

面々と綴られた奏上書を朝議の席で読み交わし
さて・・・如何したものか
その場にいた者たちは首を傾げた。
仮にも帝の元へと献上した梅の木である。
差し出した者とて返して欲しいと言って来ている訳ではあるまい。
そのやり取りを御簾の中で村上帝はじっと聞いていた。



「哀れではないか。」
御簾の向こう側から声がかかり側近の者たちは一斉に御簾の向こうの村上帝へと身体を向けた。
「この国に有る物は全て朕の庇護のもとに有る。　そうであったな。」
村上帝の言葉に一同は首を縦に振った。
たしかに・・そう言う事になっている。
「ならば悲しむものを見逃しには出来ぬ。　人ならぬ身で恩を忘れず慕うは政を成す者として褒めこそすれ蔑ろには出来ないであろ？」
側近は否定できなかった。
「返してやれば良い。」
村上帝の言葉に一同は黙って頭を下げた。
「それから・・・持ち主を咎めてはならぬぞ。」
村上帝は言葉を継いだ。
「その者とて国を思い政に思いを馳せ良かれと差し出して来たのであろ。」
村上帝は穏やかに側近に視線を向けて言葉を終えた。
こうして
東に植えられていた梅の木は良き日を選び、土公神の祀りを行った後に元の持ち主に帰された。
さて　この空いた所をどのようにしたら良いか。
これが側近の悩みであった。
梅を探さねばならないのか。
また泣くような事でも有ったら今度こそ自分たちの立場と言う者が無くなるではないか。
村上帝もまた考えていた。
紫宸殿の前庭に相応しいのはやっぱり梅の木なのであろうか。
前例を変える事が有っても良いのではないか。
では・・・何を植えれば良いのか。

臣は臣として帝は帝として為すべき事は何か。

村上帝の意識の中に忘れる事の出来ない男の姿がふっと思い起こされる。
己が天皇になる以前、まだ東宮にさえ成る前の数多い親王の一人であった頃
大路で出会った年上の男・・・
あまり口数は多くは無かったがその眼差しは柔らかであった。



村上帝には数多の兄弟がいた。
兄とは言っても歳が離れていれば同じ空間を過ごす事は殆ど無い。
また歳が近しくても母が違えば自ずと環境は異なる。
天皇の子供だからと言って即親王宣下が行われると決まっている訳でもない。
村上帝は幼くして親王となったが東宮になった訳では無かった。
その為にやんごとなき生まれであるのに不自由はなく供はついてはいたが屋敷の外へ出向く事が多かった。
村上帝にとって玉座は遠いと言うより縁なき物として存在しているに過ぎなかったのである。
しかし
天皇の子供として生まれれば玉座を望む者がいるのは致し方のない事で、そうした者は密かに策を練っていたりする。
己の考えを元に東宮に選ばれそうなものを排除しようと考える者もまた居たのであった。
母親の違う兄弟は其々の後ろ盾を頼りとして玉座にたどり着こうとしている。
後ろ盾になった者は元々その心算で娘を後宮に差し出しているのだ。
後の戦国の世のように表立った争いは起こさぬが目に見えぬ所でその策は暗躍していたのである。

どの兄が村上帝を亡き者としようとしたのか・・・これを村上帝は知らなかった。
「ただ・・・きっとあの男は知っているはずだ。」村上帝は一人胸の中で呟く。
それは、まだ世の仕組みも淡く朧げにしか理解できない頃の事。
陽気に誘われて村上帝は何時ものように屋敷から出かけた。
のんびりと大路を牛車で下っていたのだが、突然狂ったように牛が暴走を始めた。
牛についていた供の者は振り払われ大路に倒れながらも声をあげている。
後についていた臣も慌てて走り牛車を追った。
常日頃は、歩いた方が早いではないかと思うほどゆったりとした歩みの牛が別の生き物のように車を引いて駆け続ける。
このままの状態が続けば車は外れる。
大きく倒れれば村上帝は下敷きとなってこの世と別れなければならなかったかも知れない。
運が良くても大怪我だ。
何よりガタガタと揺れる車の中で御簾越しにみる風景が常と違う事に村上帝は恐怖を覚えたが、どうする事も出来ずに車の窓にしがみ付いていた。
供の声が後ろから聞こえているが何を言っているのかさえ理解できなかった。
もう駄目だ
観念した時に現れたのがあの声だった。
穏やかでありながら緊張を含む声が前から聞こえたと思った途端に牛の歩みが緩やかに変わったのだ。
やがて牛は歩みを止め、それと共に車も大路の端へ止まったのである。
ほぅッ
肩の力を抜いた村上帝の目の前の御簾があげられ一人の男が覗き込んできた。
一瞬「無礼な！」と思ったが車が止まった事の方が嬉しかった。
わらわらと牛引きの供や家臣が駆けてくる。
「牛が何かに驚いたのでしょう。」
男は薄く笑って家臣に伝えるとその場を去って行った。
村上帝の求めに応じて名乗りをしてくれたその男の名は安倍晴明。
あの時はまだ白身であった。

その後、村上帝は皇太弟になるのだがそれまでの間に何度か交流を重ねた。
そして・・知ったのである。
あれは決して牛が何かに驚いたのではなく何者かが仕掛けた呪術であった・・・と。


風が春めいてきた午後の事。
村上帝は文机に肘をついてホッと小さく息を吐いた。
帝の居室である。
私的な空間とは言っても室の向こう側には近臣の者が侍っているのは常の事。
さて・・・どうしたものかと思案している所へ几帳越しに見える御簾に影が映った。
些か丸みを帯びたその影はゆっくりと平伏をして村上帝からの声を待っている。
「・・た・・忠行・・・どの。」
裏返った声に村上帝は思わず苦笑った。
やれ・・このような事では腹に企みを持つ事も叶わぬ。
大きく息を吸って村上帝は陰を誘った。
御簾が僅かに上げられ歳高の男が音もなく室内に入ってくる。
「良ぅ来てくれた。」
村上帝は男の手を取らんばかりにして歓迎の意を伝えれば
「時の帝からお召の命が有れば来ない者は有りますまい。」
口元に穏やかな笑みを刻んだ男はおっとりと応えた。

男の名前は賀茂忠行
賀茂家の当主である。
朝廷に仕える陰陽寮の陰陽師を束ね、より体系化した男である。
今は寮を退いて若者の育成に余念がない。
悠々自適な毎日を送っているようだがその影響力は侮れない物が有った。
「忠行殿。」
村上帝は上目遣いに忠行を見詰めると
「今は・・この時は玉座にいるものでは無く昔のように保明として思ってはくれぬか？」
甘えるような言い方に忠行は声を立てずに笑うと頷いた。
「皆は少し座をはずしてはくれぬか。」
室の向こうへと声をかけると人が立ちあがりざわざわと衣擦れの音を残して遠ざかっていく気配がした。
それでも全く去ってしまう訳は有るまい。
忠行は音を追うように気配を探った。
「忠行殿。」
村上帝は焦れたように忠行に視線を定める。
「あの者は・・晴明はどうしているのでしょうか。」
村上帝の問いに忠行はしばし沈黙を守った。
「何故のお訊ねなのかはお聞きしないでおきましょう。」
ゆっくりと忠行は応える。
「晴明は陰陽寮におりまする。」
パッと村上帝の表情が明るくなった。
「ならば忠行殿。呼び出しても良いという事であるな。」
村上帝の言葉に忠行がゆっくりと首を横に振った。
「それは政の上から考えてあまり良くはありませぬ。」
「何故だ。」
「あなた様が保明親王では無く帝として玉座にいらっしゃるからでございますよ。」
忠行の応えに伸ばしかけていた手をそっと引いた村上帝は頭を垂れた。
「あれはまだ寮では下仕事の身です。公の祓いにも出ておりませぬ。
そのような地下の者を帝が政の祓いに関わる用でも無いのに召し上げる。
これが如何なる事か。　お判りになられますか？」
村上帝は下を向いたままコクリ・・と頷いた。
「晴明は能力が無いのではありませぬ。それでも下仕事の身なのです。
政と言うのはそうした物です。」
諭すように忠行が言葉を継ぐ。
「有って欲しくはありませぬが・・
あなた様が帝として真に必要だと思われて晴明を召し上げる時
あれは誰よりも働く事でしょう。」
村上帝が忠行の顔を見上げた。
まぁ・・・忠行が苦笑う。
「あれが本気で寮の中の位置を確保する気が有るのなら・・・ですが。」
「怠け者なのか？」
呆けたように村上帝は問うた。
「怠けたいのではありませぬ。他の者たちのような出世欲がないのです。
これはこれで困った事なのですが。」
二人は思わず視線を絡ませて声をあげて笑った。
「よい。よいのだ。この都の為に必要な時には嫌だと言っても召し上げて見せる。」
村上帝は御簾の向こうに陰陽寮があるかのように睨みつけた。
「帝が召し上げて拒める者はおりませぬ。だからこそしっかりと見極める事が出来る様ご精進頂きたい。」
忠行は言い放ってからそっと室の向こう側へと視線を送った。
息を飲んで控えて居る者の気配がする。
やはり案じて近くまで来ておったか・・・
「やれ　玉座と言うのは窮屈な物よ。」
村上帝は小さく呟いた。
「確かに・・」
忠行も囁くように同意を示し二人はもう一度声をあげて笑った。



「桜の木を植えたいと思う。」
村上帝は声を発した時薄水色の空に白い花が花びらを広げるのを見た気がした。
朝議の席で紫宸殿の前庭にあった梅の木が無くなり如何様に今後対処するかが思案されていた。
「梅の木では？」
近臣の者がそっと問いかけて来た。
「桜だ。」
村上帝は応える。
怪訝そうに朝議の者たちが小首を傾げたが、面と向かって反論する訳にもいかず視線だけを御簾の向こうの玉座に向けていた。
「畏れながら・・・。」一人が声をあげた。
「何故に桜にござりましょうや。」
「不満か？」
「そうではござりませぬ。何故に梅の木では成らないのでしょうや。」
ふむ
村上帝は顎に指を添えて暫し言葉を探した。
・・・さぁ！ここからが正念場ぞ。政に相応しく・・・な。
「この国は隋や唐の新しき知識を取り込んできたな。」
「是。」
「その事を否定しようとは思わぬ。また　ありがたい事とも思う。
梅が南都の昔から愛でられてきたのはその為だと朕は思う。」
村上帝は腹に力を込めた。
政が政として滞りなく進むには理が必要である。
「仰せの如くに存じておりまする。ならば梅で宜しいのではありませぬか。」
他の者も曖昧に頷く。
「二位の右大臣が申しておったの。」
村上帝の言葉に場の空気が凍り付いた。
誰とは言わぬ。
言わぬが二位の右大臣と言えば彼の菅原道真だと誰でもが知っていた。
怨霊となって祟りを成したという状況を知らぬ者はない。
皆の気持ちの中に逆らいたくはないと言う思いが生まれた。
「唐は一時の興隆は無く衰えていて得るものは少なくなったと。」
村上帝は少々人の悪い笑みを刻んで言った。
「確かに・・そう聞き及んでおりまする。」
「しかし。」
別の者が声をあげた。
「彼のお方は梅を愛でておりました。」
恐ろしいのか道真の名は口には出来ぬようだ。
「それは二位の右大臣が唐が繁栄していた頃を慈しんでの事だと朕は思う。」
本当のところは解らない。
解らないが本人はこの世のものでは無いので尋ねる事も出来ぬ。
戸惑うように平伏する者を見て村上帝は小さく息を吐いた。
先ほど感じた水色の空に桜は咲き競っているが待ち人は現れてはくれない。
・・・もそっと進めねばならぬか。玉座は窮屈な物だのう。・・・
「歴史は・・。」
村上帝は声を改めた。
「継いで行かねばならぬと朕は思う。しかし築いても行かねば成らぬのではないか。
皆は如何に？」
「真　仰せの如くにございます。」
朝議に集まっていた者は同意を示した。
「唐が衰えて行こうとも、この国は共に衰えてはならぬ。
この国が独自で生んだものは数多ある。
この国でなければ出来ぬ事も有る。
政をする者は良く鑑みて更なる繁栄を模索しなければならないと朕は思うのだ。」
村上帝は一気に畳み込んでみた。
「真に仰せの如くでございます。」
再び一同は同意を示し頭を垂れた。
しかし・・なぜに桜なのだ。とも思う。
「嵯峨帝が見惚れた花ぞ。」
村上帝は見越したように声を発した。
「桜は遥か昔からこの国に有った。
この国は独自の道を進むのだと自らを戒めるためにも政を行う建物の前庭に桜を植える。
これにおかしな所は無いと思うが・・・な。」
最後は少々声が小さくなったが押し切れるはずだと村上帝は思う。
何しろ根底に帝の言葉だと言うのがある。
政と言うのはそういう物だ。
案の定、それ以上の問いかけは誰の口からも出て来なかった。


それから数日
村上帝は桜の話を一切口にしなかった。
・・・緩くして置くところはゆるゆる・・とな。
あまり堅苦しく道を作っては却って反感も買う。
政に携わる者が自ら思案して決めたと言う思いを抱くように進めねばならない。
・・ここが忍耐よのぅ。　真に窮屈であると考える吾はまだ未熟と言う事であろうな。
村上帝は一人苦笑った。

その頃
参議を初めとする朝議の面々は其々に行動を起こしていた。
桜の木にすると言うのは解ったが
さて
どのような木を何処から召し上げれば良い物か。
先般のように泣くような木では困る。
何やら悪しき謂れが有るなどとなるのは論外だ。
心は其々に千々に乱れる。
試行錯誤を繰り返し、朝議の意見は一致した。
「吉方を占わせその地の桜を召し上げる。」
これに村上帝は異論を挟まず首を縦に振った。
早々に陰陽寮へと使いの者が走る。
事の結果は陰陽の頭から奏上が来てからという事になった。

ここまで来れば・・・
陰陽の頭と賀茂忠行はきっと上手くやってくれるだろう。
村上帝はそっと口元を隠して笑った。


あの語らいが最後であったか・・・
村上帝は奥の居室で独り言ちた。
「桜が散り始めておったなぁ。」
小さく呟いてみる。

先帝の御世の政が不穏に動き始め先帝は身も心も患われてしまわれた。
数多の親王の後ろ盾が其々に思惑を抱いて動き出す。
村上帝は先帝の弟ではある。
母方の者たちが何やら落ち着かない事は感じていたがそれほど深刻に考えはしていなかった。
そのような時期に賀茂の薬草園で村上帝は白身のままでいる晴明と桜を愛でていたのである。
陽が中点を過ぎ西に傾くころ二人は別れを告げた。
「次は何時の頃になろうかの。」
甘えるように村上帝が晴明に問うた。
「そうでございますなぁ。」
応えた晴明が刻んだ笑みに明るさだけでは無いものを感じて村上帝は思わず晴明の袖を掴んだ。
「決めては貰えぬのか。」

心地良い風の中を舞い飛ぶ桜の花びらに視線を向けて晴明が言った。
「私は、あの空にある雲のように生きたいのです。」
村上帝の視線の先を桜の花びらが舞う。
「あなた様はきっと上られます。」
「どこへ上がると言うのだ。晴明。吾はこのままで良いと思っている。」
村上帝は納得できず晴明の肩を掴んだ。
振り払うような事はさすがに無かったがそっと距離を置いた晴明はぽつりと言ったものだ。
「先見の力は時に疎ましくもありますが・・その私が言うのです。」
村上帝は晴明を見上げた。
「あなた様は上られるのです。」
村上帝は声を出せなかった。
・・そうか。上らなければならないのか。

はらはらと桜は散り
花びらは薄水色の空を舞い踊る。
ゆっくりと陽が陰っていく中で晴明は深々と頭を垂れて去って行き振り向く事は無かった。


やがて・・・保明親王だった若者は村上帝となった。
あの空に舞う桜の花びらは即、晴明の哀しみを含んだ笑顔と重なる。
あの哀しみは己の身では無く村上帝の身を哀しんでの事だと今なら解る。
玉座と言えども思うままになる事ばかりではない。
いや。思うにまかせない事の方が多いのだ。
「だからこそ此度は色々と考えたのだぞ。」
今のところ上手く事は進んでいると村上帝は思う。
・・・あとは陰陽寮の頭からの奏上だな。
村上帝は袖の中で固く拳を作った。


「吉方位は巽。」
奏上書が届いた。
事は動き始めるのだ。
階の下で陰陽頭が畏れながら・・・と声を発した。
村上帝の御簾近くに侍る者が直答許可の所作をする。
「この巽は実に目出度い方位にございます。」
頭は視線を地に向けたまま言葉を継いだ。
巽とは南東に事である。
季節にすれば春から夏に向かい、時刻にすれば陽が中点へと向かう頃という事。
まさに勢いが満々と満ちて行く事を指し示す方位でもあった。
「そのような次第にございます。」
言い終えて頭はもう一度頭を垂れた。
こうして内裏から巽に当たる場所に桜を求める事となった。

村上帝は声も堪えて笑みを浮かべる。
事は成ったのだ。・・・と思う。
内裏から巽
その方向にこそ賀茂家の薬草園が有ったのだ。
数日を経ずして賀茂家から桜の木献上の書が朝廷へとあげられた。
畏れ多くも・・・っと当主らしからぬ慇懃な書き出しで始まる書に村上帝はいかにも・・っと
難し気な表情を保つのに苦労したものだ。
・・・此度の梅の騒動のような事で再び朝堂を騒がせるような事態が起きてはならない。
よって土地に執着もなく、育てる世話をした者との交わりも少ない若木を選び出した。
この若木が内裏の庭で見事に成長して行く事は御世が弥栄に続く事となる。
　　　賀茂家当主忠行の書に一同は大きく頷く事となった。
良き事は早々に進めるのは必定と植え替えの日時の吉凶を陰陽頭は求められ、頭は寮へと急ぎ戻って行った。

程なく
紫宸殿の前庭の東に桜の若木が植えられた。
西側の橘と比べるまでもなくその若木は細く背も低かった。
村上帝の近臣は
「ちと貧弱ではないか。」
「これで花が咲くのかのう。」
ひそ・・・と扇の陰で言い交す者もいたが村上帝は満足であった。
「この若木は背を伸ばし次の春にはきっと花をつけようぞ。若木に負けぬよう都を護るのが皆の務めぞ。」
皆が平伏するのを見ながら村上帝はそっと呟く。
「そして・・この吾もな。」
桜の若木が音もなく枝を揺らした。



穏やかな春の空は薄く霞をかけたように広がっている。
温かな風が仄かに吹き渡りその風の中を桜の花びらが舞い踊っていた。
花びらの行方を追うように視線を巡らしたのは紛れもなく村上帝である。
その口元に浮かぶ僅かな笑みは満足げであった。

同じ時を生き、同じ都に住む
吾は、晴明お前が言ったように上がったぞ。
吾は先見の才は無いが・・・晴明　お前も上がって来よ
そして
その時にはまた共に桜を愛でようぞ。

はらり　はらり
まだ細い桜の若木は精一杯花びらを散らす。
その行方を村上帝は飽きもせず眺めていた。



　　　　　　　　　　　　　　　　　－　完　-























 ]]>
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		<dc:date>2022-05-15T14:52:19+09:00</dc:date>
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		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
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	<item rdf:about="https://ihoujin.novel.wox.cc/entry113.html">
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		<title>◆「委付」</title>

		<description>         あぁ良い陽射しだ。
桜翁は枝の…</description>
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			<![CDATA[          あぁ良い陽射しだ。
桜翁は枝の間を吹き抜ける風を全身に受けてその見事な桜の花びらを風に舞わせた。

春の空は朧
霞がかかったような青空は刷いたように薄く白みを帯びている。
山の春は平野より遅くやって来るが人里から遠く離れたこの山の斜面にも温かな風は吹きわたって久しい。
幾重にも折曲がって続く小道はめったに人が通る事も無いがこの地に咲く桜の美しさは都人の口の端に上る事も多いのであった。
折り重なるように続く小道は里から途切れずに上がりいくつかの峠を越えてやがて都へとたどり着く。
穏やかで暖かな風の中、重なるように咲き競う桜の枝を振るわせて木々は応えるように柔らかな白い花びらを空へと舞わせた。
その中でも小道より一段低い所に根を張った一本の桜樹は見事な桜を身につけるようになってもう随分と長くこの地に生きている。
周りの木々はこの桜樹を桜翁と呼んで敬い慕っていたのである。
たまにこの小道を進む人々は目の下に見える桜翁の見事な桜を愛でまた次の年も・・・と思いを馳せて四季を巡るのだった。

枝を大きく広げて桜翁は今日も花を風に遊ばせていたのだが霞がかったような空の一点から落下してくるものを枝の先で感じたと同時に

パキパキッ　パキッ
衝撃と共に細い枝が折られて花びらが舞い散った。

　　なんと！途方もない事が起きる事よ。

桜翁がその太い枝で支えたものは幼童であった。
桜翁の上を通っている小道から足を滑らしたのであろうか、衝撃からか意識を手放していた。
桜翁に抱かれて地面に落下を免れた幼童の頬に微かな擦り傷を作ったが他に大きな怪我を負う事も無かったようである。
桜翁は溢れるほどに咲いた花でそっと幼童を抱きかかえた時に幼童の心の内が染み伝わってくるのを感じてそっと頬擦りをした。

　　　　この歳で抱えるにはあまりに辛い事であろう。
　　　　吾が預かっておこうぞ。必要と思うた時には受け取りに来ればよい。

桜翁は一頻り強く抱きしめ幼童を根元に降ろした。

はらり　はらり

花びらが幼童の小さな身体を褥のように覆い始めた時遠くから人の声が近づいてくる。
「わこさまぁ～」
「若様ぁ～～」

桜翁は何事も無かったような姿で春の空を見上げていた。


　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★


「吉野に行きたいだと！」
賀茂の屋敷に保憲の声が響いた。
強い声に申し訳なさそうに身体を竦める少年のはそれでも臆する事も無く真直ぐに保憲を見上げている。

庭を抜ける風はまだ冷たいが春が遠くない事を感じさせる柔らかさを含んでいた。
保憲は帝のいる内裏を護る陰陽寮に出仕する陰陽師である。
父の忠行は陰陽寮を充実させた事で帝の覚えも目出度い人物で保憲は後継者として確固たる地位を確立しつつあった。
その保憲に大声を上げさせた少年は「はるあきら」と呼ばれこの年の間に髪を結い揚げ一人前の男として帝に仕えるようになろうかとは周りの噂である。

コホン

己の声に照れたのを隠すためか保憲は一つ空咳をしてはるあきらと視線を合わせた
「晴明。」
出来るだけ穏やかにと心遣う。
「はるあきら」は幼少の頃からの少年の呼び名で有り大人と認められれば「せいめい」と呼ばれる事になる。
所謂　職名であった。保憲は敢えて「せいめい」と呼んだのだ。
「俺は怒っているのではない。吉野に行こうとする訳を聞かせよ。」
保憲の問いに声明は一言応えた。
「呼ばれたような気が致しています。」
「呼ばれた？それは夢では無いのか？」
保憲が思わず問い返してしまったのには訳がある。
この所夢を見るのだ。
確かに夢と認識しているのだがあまりに鮮明なのでつい夢を追った保憲であった。

キャッキャッと朗らかな笑い声が耳元で聞こえる。
一人では無い。
複数の童が楽しそうに走り回り声をあげて笑っているらしい。
保憲は己が立っている所を確認すると辺りを見回せば髪を一つに纏めただけの童が数人楽しそうに遊んでいるのが見えた。
「はるあきら？」
その中に見覚えのある顔を見出して思わず呼びかけたみたが疑念は晴れない。
その童はまるで屋敷に来た時のままに幼い姿であった。

はらり　はらはら　はらり

桜の花びらが宙を舞う。
童たちは舞い踊る花びらを追いかけ、飛び上がり　駆けながら声をあげて笑う。
保憲も後を追うのだがどうしても追いつけない己に苛立った。
「はるあきら！」
己の声で保憲は目を覚ます。
空が薄らと明るくなり始めていた。
「さて・・・」
保憲は夢を判じようと心を落ち着かせるように目を閉じた。

そのような事が有ったので晴明が呼ばれたと話すのに己の夢を重ねてしまったのである。

「夢ではいけませぬか。」　晴明がぽつりと呟いた。
「いや・・・駄目だと言っている訳では無い。夢占と言うのが有るのだからな。それを判じるのも我らが役目。」
保憲の言葉に晴明の瞳が輝いた。
「では・・行っても宜しゅうございますね。」
「ただし今では無い。」
保憲は首を横に振る。
「考えても見よ。まだ山には雪が残っておろう。もう少し風が温かみを持ってからだ。」
それに・・・っと保憲は少しだけ含んだ笑みを浮かべた。
「一人では遣らぬ。」
保憲の言葉に不満そうな顔を見せる晴明に保憲は断じた。
「まだ童形であろう。童を一人では出せぬのは人として道の理。俺が指導しているのだから俺も行く。」

　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★


時の流れは止まる事無く変化を続け都の大路の木々も若い緑の葉を広げるようになった。
何処ぞの屋敷の桜の蕾が開いた。
あの川の畔の桜は花の色が良い。
殿上人の口の端に花の便りが上る頃、保憲と晴明は屋敷を発って吉野へと向かったのである。
お互いに口数が多い方ではない。
じっと先を見詰めて歩を進める声明の背を眺めながら
そう言えば・・・
保憲は晴明が屋敷にやって来たころの事を思い出していた。
あの頃の己はちょうど今の晴明くらいの歳であったと。
保憲は髪を上げ冠をつけて今は陰陽寮の中でも一目置かれる存在になっている。
大きゅうなった筈であるなっと保憲は童の頃の姿を瞼に浮かべて一人で笑った。

「安倍童子だ。」
父である忠行から告げられ保憲が視線を向ければ巻き上げられた御簾の下に幼童が平伏していた。
同時期に屋敷に入って来た者たちより一際幼く見える。
ついて来られるのだろうか・・・と不安を覚えた保憲の心の内を図ったように童は顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「到らぬ所もあるかとは思いまするが精進させて頂きたいと。」
声変わり前の声は少し甲高く舌の廻りも滑らかとは言い難い。
それでも童子は言葉に違えず保憲や年上の弟子たちに後れを取るまいと常に小走りで学んで行った。
その幼かった童がいつの間にか背も伸びて術も身につけ髪を上げようとしている。

「吉野か・・・」
髪上げの儀式の前にと願った晴明の心の中に何があるのか。
まぁ成るようになるだろうっと保憲は晴明と歩を合わせて前へと進んでいる。


　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★　　　　　★


「はるあきら。」
保憲は小さく名を呼びながら傍らで寝息を立てている少年の髪を梳いた。
吉野の地に足を踏み入れたのは陽が大きく西に傾いていたので小さな庵に一夜を頼んだのである。
時の流れから忘れ去られているかのような庵には眉毛も白い老僧が若い修行僧らしき者と二人だけで住んでいるようで陽が落ちれば聞こえてくるのは風の音ばかりであった。
保憲は一人太い息を吐いた。
「吉野とは言っても広いのだぞ。」
誰に言うともなく呟くと全ては明日と決めて静かに瞳を閉じた。

　　ねぇ・・

夢現の中で保憲は幼い声を聞いたように思ったが眠気に負けてまた夢路へと意識を落とした。

　　　あれは　あの時の童よね・・・そうよね

　　　　　大きくなったわよね・・・よくここまで来れたと思うわ

　　　それは翁様が呼ばれたのでしょうよ・・・　あの童が欲しいと望んだ訳じゃないわよね

　　　　　翁様が返そうと思われたのよね・・・そうね。きっとそうだわ

この庵に若い娘でもいたのか
朧げなる意識の中で保憲は身体を反転させる。

　　　　　翁様のご意思に任せるしかないわよね・・・・

その声を最後に保憲の意識は完全に途切れた。

庵の中に差し込む陽射しに保憲は目覚め傍らの少年を揺り起こし身支度をさせた。
老僧らの心尽くしの粥を食した後に二人は丁寧に礼を述べて細い道を歩き始める。
都では花見宴も開かれようと言う季節ではあったが吉野の桜はまだ咲き始めと言う所である。
それでも気の早い桜は穏やかな風に誘われて花びらを散り舞わせている物もあった。
「なぁ晴明。」
保憲は薄水色の空を見上げながら声をかけた。
「はい？」
応えながらも少年は迷う様子もなく道を進む。
「吉野の何処へ行けば良いのだ？」
「解りませぬ。」
何だそれは！と保憲は首を傾げた。
解らぬと言うには足元は確かではないか。
「呼ばれているのですからその方の所へ行けば宜しいかと。」
少年の応えに保憲は昨夜遅くに夢とも現とも思える中で聞いた声を思い出していた。

　　　あれはあの時の童よね・・・

晴明は吉野と何らかの関りがあるのだろうか。
保憲が思いを巡らしながら歩を進めていると辺りの風が変わったように思われた。
如何した事かと辺りを見回しても特に何が変わった訳でもなさそうである。
それでも保憲は身に感じる風が異なっている事を感じた。

　　　　　　来たのね・・・翁様がお待ちよ

　　　隣の若者は誰かしら・・・あなたは呼ばれてはいないわよ

「誰ぞ！」
保憲は声を上げて辺りを見回した。

あははは・・・キャッキャ・・・ふふ

木々の間から笑い声が響く。
保憲は思わず傍らを進む少年の手を掴んだ。
何となく繋いで置かねば少年だけがこの場所から消えるような気がした。


ザザザァ！・・・・・

風が強くなり渦を巻いて木々の葉を巻き上げて柱を作る。
空も見えぬほどの風に捲かれた木々の枝が擦られて声を上げた。

ハタハタ・・・

保憲と晴明の袖が靡き音を立てる。
二人は風に流されまいと足を踏ん張り袖で顔を覆った。

　　これ！悪戯をするでない

声が空から降ったように聞こえた瞬間
風の柱も騒めきも消えた。

シ・・・・・・ン

時が止まったような静けさが訪れた。
ようよう肩の力を抜いた二人の前に一人の翁が立っていた。
「よう来られたな。」
翁の声は穏やかな響きを持って二人の耳をくすぐる。
　　　人ではない
二人は瞬時に感じ取った。
「晴明を呼んだのはあなたか？」
保憲は晴明を庇うように後ろに下げるとじっと翁を見詰めて問う。
「ぬしは？」
翁は瞳の色を濃くして暫し保憲を見詰めてふ・・っと笑みを浮かべた。
「すまんな。呼ぶつもりはなかったのだがな。」
翁は穏やかに応えた。

さわさわ・・

風が少し騒ぐ。

　　　桜翁様・・・

優しい響きの声が聞こえ、何処から現れたのか翁の傍に若者が跪く。
翁は若者を見下ろして優しく微笑を浮かべると視線を保憲たち二人に戻した。
「その少年が童の頃であった。吾は預かりものをしたのだ。」
翁の声に保憲は眉を顰めて考える。・・・・いつの頃の話だ・・・
「その童が大きゅうなって必要と思えば取りに来ればよいと考えて居った。」
しかし・・翁は言葉を止めて晴明に視線を投げる。
「吾の命数が危うくなったのでな。このままでは預かりものを持ったまま逝く事になりかねぬ。」
そこで呼んで質そうとしたのだと翁は言う。

アハハハ・・・
朗らかな笑い声が上がった。声の主は晴明。
「翁様。何を預かって頂いたのかも解らぬ。解らぬ物を要るか要らぬか・・・私に解るはずもありません。」
翁はゆっくりと首肯した。
「たしかにな。ぬしは賢く育ったものよ。」
「今日この時まで無くても障りが無かったものです。返して頂いても益になるとも思えません。」
「それでも問わねばならぬ。吾が逝けば二度と戻す事は出来ぬゆえにな。」
翁の応えに声明は口を閉じて暫し思案に入った。

さわさわ・・・
穏やかな葉擦れの音だけが辺りに聞こえている中
晴明はふっと眉を上げて翁を見た。
「翁様。」　晴明が口を開いた。
「私がお預けしたと言う物は・・」
「返してもらえ。」
保憲の声が声明を遮った。
「そこの翁に悪しき気は感じられぬ。」
保憲の言葉に声明は小さく頷いて同意を示した。
「その翁が返すと言う物が悪しきものでは無い筈。もしも・・もし悪しきものであったとしてもだ。」
保憲は言うと唇の端を上げて含み笑いを浮かべて更に言う。
「それもおまえの一部という事であろうぞ。どうしても障りになるとなれば俺が忘れさせてやる。」
保憲の言葉に眉を開いた晴明は翁に向かって言った。
「お返しいただきまする。」
晴明の応えに翁は小さく頷くと傍らに跪く若者の肩に手を添えて静かに語り始めた。


まだ足元も覚束ない幼子であったよ。
只管先の一点を見て走っておったのだが足元の小石に気が付かなんだ。
小さな足が小石に乗って・・のう
体勢を崩して道を外して、忽ちまろび落ちたのだ。
その時支えたのが・・・ほれ
ここにいる若者よ。
しかし当時は本当に若木だったので支えきれず根から倒れそうになってな。
我が身を守る為に幼子を投げ上げたのよ。その投げ上げられた幼子が落ちたのが・・・

「あなた様の上であったと・・」
保憲が口をはさむ。
翁は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「吾の枝木もいくつか折れたがの。どうにか地面に敲き付ける事はしないで済んだと言う訳だ。」

・・さて・・・晴明であったか・・・
翁は晴明をしっかりと見据えた。
「預かりものを返そうと思う。受け取りたくば吾の手を。」
翁は両の手を晴明に広げて招く。
　　　トン・・・
保憲にそっと肩を押されて晴明は翁の掌に己の手を乗せた。
翁は軟らかく握った後に慈しむように背中を抱く。
晴明は目を閉じて頬を翁の胸に預ければ辺りを風が覆い包む。

ザァァァァ・・・・・

葉擦れの音が大きくなり風巻きが起きて翁と晴明を包み込んだ。
保憲はぐっと足を踏ん張り、目を逸らさずに視線を定める。


・・・・幼い頃であった。まだ母の温もりが欲しい頃であった。・・・・
共に暮らしていた屋敷から母が去って行く。
名を呼びながら走った。　姿が見える限り走った。　なれど・・・
　　　　　母は振り返らない。　名を呼んだ。　目尻から涙が零れた。
走った。　足が痛かった。　先ばかり見ていたので足元の小石に気が付かず踏み誤った。

気が付けば崖をまろび何かに落ちた。　ふわっと空を飛んだ。
見えるものは水色の空と舞い飛ぶ桜の花びら。
視線の端を母の姿が遠ざかる。　母は振り向かなかった。

バキバキッ・・・
枝を折る音と衝撃
晴明が一声漏らしたのは痛みではなく疑問であった。
何故・・・


翁の胸の中で閉じた瞳の端から涙が一筋の道を記した。
その髪を翁の手が優しく撫でる。
「辛かったであろうなぁ。吾も思えば胸が痛む。」
翁の声が晴明の耳元で囁く。
こくり・・声明は頷いてから緩やかに左右に首を振った。
「お返し頂いて良ぅございました。」
「強ぅ育ったのだな。その身を慈しみ育ててくれた者が傍にいたのはありがたい事ぞ。」
晴明の言葉に翁は応える。
こくり
晴明は大きく頷いた。
「ならば晴明よ。」
翁は晴明の身体から量の手を離した。
「間に合うて良かった。　これで別れとなろう。」
声とともに翁は姿を消し年を経た桜の老木が満開の花をつけている。

　　　さらば・・だ

声と共に桜は空へ舞い上がり水色の空を薄桃色に染め風が渦を巻いた。

ドドォォッ！
地を揺るがす音を立てて老木は大地に倒れた。
はらはら・・はらはら・・・・
辺りに花びらが舞う

微動だにしない晴明の肩に保憲の手が添えられる。
「翁殿の命数が尽きたのだろうな。」
保憲の声に声明は思う。
その尽きる命を懸けて己が預けたものを返してくれたのだ・・と

「消すか？」　保憲が土風の中でぽつりと口にした。
「いいいえ。暫くはこのまま・・。」
晴明の応えに保憲は穏やかに視線を戻した。

「戻るぞ。」保憲が言う。
「はい。」晴明が応える。

花びらは舞っている。
風は吹いている。

生い茂る木々の間から温かい眼差しを感じながら二人は都への道を歩み始めた。


倒れた老木の脇にポツンと若芽が出ていた事を二人は知る由もなかった。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　完

 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2020-08-03T20:42:36+09:00</dc:date>
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		<title>《if》君の笑声</title>

		<description>透けるように薄い闇の帳が重ね重なり合っ…</description>
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			<![CDATA[ 透けるように薄い闇の帳が重ね重なり合って気が付けば都は深い夜の暗がりに覆われていた。
吹き抜ける風の流れは身を切るような冷たさで枝ばかりとなった木々を揺らして過ぎて行く。
大路・小路を示し照らすのは瞬く星々と満月のは少し欠けた月の青い光だけである。
人々が行き交う姿も見えず聞こえてくるのは遠く山狗の長鳴きくらいのもの。
都と言えども夜の闇には抗う術もないのだが・・・

夜には相応しくない明るい笑い声が大路に響き何やら声高に会話をしながらの快活な足音が続いていた。
「今宵も上手い事行きましたね。」
少し甲高い声が聞こえる。
「ましてや殿上人と出会うなど。」
若いがしわがれた声が言うと、くつくつ・・・笑いで肩を震わせる。
「さすがは保憲様。整えに抜かりは無い物ですね。」
澄んだ若い声の持ち主がわずかに年上と見える若者を見上げながら言った。
保憲と呼ばれた若者は顎を引いて応えたが照れているのか曖昧な表情を浮かべている。
「今宵は上々と言う所で良いのではないか。」
保憲は言うと足を速めた。
若者四人が向かうは保憲の父賀茂忠行が陰陽師を育てるべく多くの若者を住まわせている屋敷である。
当時
帝が住まいこの国の政務を執り行う大内裏には陰陽寮が設けられていた。
中務省に属するこの寮には数多の人が出仕していたが陰陽師はまだ神祇官より低く見られているのが保憲は気に入らない。
賀茂忠行の能力は認められながらもまだまだ不安定な位置であった。
その為多くの若者を屋敷に留め才ある者の研鑽に勤しんでいた。
この朗らかな笑いを放つ若者も屋敷内で学ぶ者たちであり保憲は忠行の嫡男である。

なおも声高に会話を交わし豪快に笑いながら四人の若者は屋敷の門を潜って行った。


賀茂邸に入った若者たちは厨へと入り込み椀に酒を注ぎ先ほどからの興奮を収める様子もなく盛り上がっている。
そんな三人の若者たちに背を向けて保憲は己の室がある対へと足を向けた。
右の手には酒の入った椀。
左の手には白湯が入った椀
懐には昨秋に作った干し柿が入っている。
季節とともに残り少なくなった干し柿が落ちないように懐の奥にしっかりと抜かりなく仕舞ってきた。
保憲も機嫌が良い風で何やら催馬楽らしきものを口ずさんでいる。
軽やかな足音を立てながら保憲は渡廊を過ぎ対の庇を進む。
蔀戸の隙間から揺ら揺らと灯が見えているのを確認すると口の端に笑みを刻んで保憲は室の奥へと声をかける。
「晴明　起きておるか。」
中からの応答も待たず保憲は右肩をスッと差し入れて室の中へと入り込んだ。
ゆらゆらと灯が揺れともなって影も床を移動する。
小さな手炙り用の火桶の傍に幼童がちょこんと足を投げ出して座しているのを認めると保憲は満足そうに笑みを刻んでどっかりと童の前に腰を下ろした。
「ほれ。」
言いながら白湯の入った椀を童の前に置く。
自分の前には一緒に持ってきている酒の椀。
ごそごそと懐に手を入れてその手を童の前に伸ばせば干し柿がしっかりとのせられていた。
「案ずるな。祓い物の柿ではないぞ。」
保憲の言葉に童の表情は一転嬉しそうに変わり小さな手を伸ばして干し柿を受け取ると
はくり・・・
干し柿に齧り付いた童を見ながら保憲は酒を口に含み満足そうに唇の端をあげた。
「今宵は如何でございましたか？」
幼童は干し柿を咀嚼した後で保憲を見上げる。
「おうっ！晴明の言うた通りよ。間違いなく出たぞ。」
童の瞳が一段と煌めき保憲を見上げてきた。
言葉にせずとも先を促し早く話せと伝えてくるその視線に保憲は
ことり・・・
椀を置くと静かに話し始めた。
「今宵は思わぬ付与もついた。」

保憲が晴明のその能力に気が付いたのは何時の頃であったか。
賀茂の屋敷にやって来たのはまだ保憲が冠を被る前であったことだけは確かである。
修行の為に集っている中にもこれほど幼い童は居なかった。
為に晴明はあまり口を開かず役目上関わっていた保憲に必要最低限の事を告げるくらいであったのだが・・・
或る日の事である。
保憲が何気なく覗いた晴明の室の奥で何やら広げて楽しそうな表情を浮かべている晴明を認めたのである。
これが始まりであったと保憲は思い返す。
何をしているのかと尋ねる保憲に晴明が見せたのは大内裏を中心とした絵図であった。
「都の絵が楽しいか？」
問うた保憲を見上げて声明はその小さな指で一点を指示した。
「ここがどうした？」
指示されたところを見ても取り立てて何もない辻であった。
「宵待月に出ます。」
晴明は子供らしい声でポツリと応えた。
「出る？」
「はい。」
「何が出るのだ？」
保憲の問いに
「何やら妖物が出てきます。」
事も無げに晴明が応えたのを戯言ではないかと保憲は訝しく思いながらも無駄足覚悟でその夜に辻へと一人で向かってみたのであった。
童の戯言でも妄想でもなく辻を割って妖物は現れ、保憲は瞬時に滅して戻ってきたのである。
それ以後、保憲は、これは賀茂の力を見せつける良い機会ではないかと考えを巡らせ晴明の言を聞くようにしたのである。
そして妖物退治に出かける時には賀茂家にいる弟子たちを同道させ派手に事を起こすようにしたのであった。
そして今宵の事である。

「今宵は四人で出かけたのだよ。」
くいっと椀の中の酒を一口含んだ後に保憲は穏やかに口を開いた。


夜の闇の中に地が動く気配がする。
「宜しゅうございますか。」甲高い声が囁くように保憲に問うた。
「まだだ。暫し待て。」
保憲の声に他の三人は顎を引くと辻を見つめる。
もろもろもろ・・・・
重なり合った夜の闇の中を辻の地を割って出てくる気配は次第に大きくなってきていた。
ビチャッ
湿り気を帯びた音が聞こえ地を割って出てこようとしていた物の姿が月の光を受けて青白く浮かんでいる。
そろそろだ・・・保憲が声を掛けようとした瞬間
ぎしりぎしり　ギシッ
背後の道を近づいてくる車の軋る音が耳に入った。
「今ぞ！」
保憲は声を発し四人の指先から倒魔の札が舞いあがった。
ぐぅ！！
不気味な呻き声と共に地から出てきたものはブシュブシュと溶け出し・・・消えた。
後には燃え滓のような黒い塊
さぁっと風がそれさえも祓っていった。

モゥゥゥウ

暢気な牛の声があたりに響く。
保憲はその啼き声の方へ踵を返すと走り寄り車の横に膝をついた。
「大納言様。」
保憲は頭を垂れて伏した。
「賀茂忠行が嫡男　保憲にございます。
お出かけの道先を汚しましたる妖物は滅しましてございます。
心安らかにお進みくださいませ。」
保憲の言上に御簾の中の影が頷いたように見えた。
ぎしり　ギシッ
車はゆっくりと動き出し辻を越えて行った。

「・・・っと　こんなところであったなぁ。」
語り終えたとばかりに保憲は椀を手に取って酒を含んだ。
「・・・・・」
何の応えも無いのに保憲は訝し気に視線を晴明にむける。

はくり
もぐもぐ
はくり

保憲の物問いた気な視線をものともせず童の干し柿を咀嚼する音だけが聞こえる。
「晴明？」
もぐもぐ
はくり
「不満か？」
保憲は晴明の顔を覗き込んだ。
「保憲様。」
「おっおぅ！何が知りたい？」
軽い衣擦れの音と共に晴明が一膝乗り出して保憲をじっと見上げる。
「その地から出てきたものは大きゅうございましたか？」
問いかけてきた瞳が煌めくのを見て保憲はふっと微笑んだ。
「それが・・・よく解らないのだ。」
保憲は頬を指先で掻きながら応える。
「何故でございます。保憲様は見たのでございましょう。」
ズイッ
衣擦れがして晴明の顔が少し近づく。
「その・・何だ。大納言様がいらしたのでな。」
「手早く滅してしまったと。」
「そう言う事だ。」
こういう時の保憲は或る意味潔い。
取り繕う事も無く否しもせずに応えるのが常であった。
悪戯を思いついたような笑みを浮かべて晴明は立ち上がり保憲に向かって足を進めた。
「あっ！」
小さく声をあげて晴明の身体がゆらりと傾き、まろびそうになったのを保憲の両の手が賺さず支えて胡座を組んだ己の足の中に抱え込む。
「晴明。おまえは足弱なのだから気をつけよといつも言っているであろう。」
保憲は愛しそうに晴明の髪を梳きながら耳元で声をかけた。
不満気に頬を幾分赤らめながら晴明は保憲の胸に顔を寄せて声をあげて笑う。

「すまんな。晴明。」
保憲は胸の内で独り言ちた。

俺は賀茂の家を盛り立てて行かねばならぬ。
この先どのような事があろうとも賀茂家で都を護る。
その為にも賀茂の力を示して都の中に確固たる位置を示さねばならぬのだ。
晴明の持っている力を利用しているようで気が引けるのだが、お前を粗雑には扱わぬ。

「だから・・・許せよ。」
保憲の声に訝しげな表情で晴明は見上げてくる。
「保憲様？何かいけない事でもなさったのですか？」
晴明の問いかけに保憲は狼狽えながらも穏やかに応えた。
「いや。せっかく出てきた妖物を確かめずもせずに滅してしまった。」
保憲の応えに晴明は朗らかに笑うと次はよく見てきてほしいと強請った。
「あぁ・・そのようにしよう。」
保憲がホッと応えれば朗らかな笑い声が晴明の口から零れ出た。


この笑い声を守る為にも賀茂は大きくなられねばならぬ。強くなければならぬ。
今しばらく晴明、おまえの持つその力を貸してくれ。
保憲は声に出さずそっと晴明を抱き寄せた。
擽ったそうに晴明がくつくつと笑う。


トクトク・・・・
晴明は保憲の胸の音を聞いていた。

何と心地良い
この穏やかな心の蔵の音を聞いていると心が安らぐ
賀茂の家に預けられても足の弱い自分には何も出来ぬと思い肩身も狭く落ち着かぬ毎日を過ごしていた。
いっそ賀茂の家を出て出家でもした方が良かったのかも知れぬが仏を崇める心も無い。
己が一つだけ持ったらしい能力が保憲の喜ぶものなら何よりだ。

今こうして穏やかな心持でいられる瞬間があると言うだけで晴明は満足であった。

保憲が晴明の頬を撫でて声高に笑い声をあげた。

あぁ！良い笑い声でです。保憲様

晴明は保憲の顔を見上げて明るい笑い声を立てた。

あぁ！好もしい笑い声ぞ。晴明


厨の宴は続いているようで若者たちの賑やかな声が遠く聞こえてくる。
賀茂家の夜は穏やかに更けて行く。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　完


 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2020-06-24T15:02:45+09:00</dc:date>
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		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
	</item>
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		<title>◎「平安京殺人事件」</title>

		<description>「それで・・犯人は解らないままなのです…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 「それで・・犯人は解らないままなのですか？」
「容疑者は山のようにいた。」
「遺留品とか見つからなかったのですか？」
「あった。」

窓の外を黄金色に染まった公孫樹が音もたてずに舞い降りていく。
どっしりとした机の上に広げられているのは京都御所を中心として描かれたデッサン画であった。
まさに芸術の秋を彷彿とさせる穏やかな午後の陽射しの中で穏やかならざる会話をしていたのは探偵長とペンギンである。
ペンギンは某星からやって来てこの星の様々なことを調べたり体験したりして母星に情報を送っているようなのだ。
探偵長もどうやらどこかの星から来たようなのだがこの星での記憶が長いので前の代にやって来てこの星で生まれたのかも知れない。

「あらぁ！何の話？」
香り立つ珈琲を運んできて二人の前に置きながら話に入ってきたのは節子さんと呼ばれる女性で一応この事務所の秘書という事になっている。
しかし彼女もまたこの星で生まれた訳ではなく某星からやってきた旅行者である。
今のところ京都が気に入っているらしく長期滞在をしているが他に気に入った場所があれば旅立つとも口にしていた。
そんな三人が事務所を設けて京都に腰を据えているのは偏に京都人の気質によるところが多い。
京都の人々は新しいものや珍しいものが好きではあるが必要以上に入り込まない。
一応この国の人間に見える探偵長と節子さんはともかくペンギンがすたすた歩いていても新しくやってきた他所さんなのだと納得すれば取り立てて騒ぐこともないのがありがたい。
そんなこんなでこの三人はこの事務所でそこそこ仕事を引き受けながら日々を過ごしているのであった。

「それで？その推理小説の中の台詞が聞こえたようだけど・・・」
節子さんが珈琲を飲みながら二人に尋ねた。
「あぁここの・・この場所。」
言いながら探偵長が指をさしたのは猿ヶ辻であった。
現在は辻という名前が残っているだけだが天皇がここにお住まいだったころはたくさんの公家屋敷が立ち並んでいて貴族たちは建物の横の道を進んで勤務場所である内裏へと向かっていた。
勤住接近の誠に羨ましい状態であったのだが今はそれらの建物はなく名前だけが残っていて変わりがないのは辻だった場所をじっと見つめる猿の像だけだ。
「ここで人が殺された。」
探偵長がぽつりと言う。
「まぁ。ここは位置が悪いわよね。それで何時の事かしら。」
節子さんが長い髪をかき上げながら問い返した。
「幕末の事なんですけどね。」
ペンギンがぼそぼそと応える。
「いやだぁ！そんな政情が不安定な時なら何人でも死んでいるんじゃない？」
事も無げに節子さんが言えば探偵長もペンギンも肩を竦めた。

確かにこの事件が起きた時代はあちこちで人の命が奪われた。
それでも今回二人が話題にしていた人物はとうとう犯人が挙がらなかったと言うこと以外にもいろいろと不思議が絡まっていたからなのだ。
「殺されたのは若い公卿さんだったのね。イケメンだった訳？」
殺された人物の名前が姉小路公知だと知らされて節子さんは言った。
彼女の興味は詰まる所そこへ行きつくらしい。
「美男子だったかは解りませんがその頃の時代の寵児であったことは確かです。」
ペンギンがさも重々しい事のように応えた。
しかし何時までもこのような話を続けていてはちっとも先へ進まないので少しテンポを上げて当時の状況を説明しよう。

姉小路公知が殺されたのは安政の大獄と呼ばれた事件が起きた後の事である。
彼が幕府側の人間であったなら尊王攘夷派からの報復であったろうと一件落着となるところだが生憎と彼は第一級の尊攘派であった。
それでは幕府からの闇討ちかとも考えられたが事はそう単純ではなかったようだ。
一口に尊王攘夷と言うが決して一枚岩ではなかったし土佐も薩摩も自分に有利な状態を展開したいと考えていた。
その為に天皇に近しくなるために種々のパイプを作ろうと画策していたようなのだ。
姉小路公知は長州と繋がっており時の天皇もこの事を苦々しく感じていたと言うのだから土佐や薩摩が不利だと感じても不思議はない。
その彼が殺されたのが猿ヶ辻・・・その場所であった。
共は四人、襲撃者は三人である。
いきなりの襲撃に姉小路公知の太刀を持っていた者が逃げ出したことが大きかった。
想定外の出来事の上に対応するべき武器である太刀を失った姉小路公知は手にしていた杓で立ち向かったが全身に傷を負い翌日屋敷内でこの世を去った。

「容疑者がいたと言ったわよね。」
節子さんが顔を上げた。
「確かに容疑者はいたのですが犯行を自白はしませんでした。」
ペンギンが事も無げに応えた。
「じゃぁ容疑の証拠はなんだったの？」
「現場に落ちていた抜身の太刀さ。」
探偵長が皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。
たしかに襲撃者が逃げ去った後に一振りの太刀が残されていたのだった。
個の太刀を調べて行くうちに一人の男が浮かび上がったである。
田中新兵衛と言って薩摩の人間であったが藩士ではなかった。
「それじゃぁ　その人が犯人って事・・・って訳はないわね。」
節子さんが頬に指をあてて二人を見返した。
「さっきも言いましたが自白は無かったんですよ。おまけにそのまま死んじゃったんです。」
ペンギンが肩らしき所をわずかに竦めて答えた。
「ねぇ！藩士ではなかったって事は仕事人だったって訳？」
トンッ！
節子さんが探偵長の机に両手をついて顔を寄せてきた。
「人を斬る事は好きだったようですね。そこに主義主張はあまり感じられないようです。」
探偵長が穏やかに応えると節子さんの瞳が輝いた。
「ゴルゴサーティンみたいなものね。」
いや！それは違うだろうっとペンギンは思ったが声には出さなかった。
「今更検証のしようもないのだけどね。」探偵長も苦笑う。
「姉小路公知に付いていた人がいたんだけどね。何しろ暗い中だから顔も見えなかったらしい。」
探偵長は言ってじっと節子さんを見つめた。
ただね・・・・探偵長が言葉を継いだ。
「そんな必殺仕事人みたいな男が武器を置いて逃げるだろうか。」
確かに田中某は刀一つで生き残ってきているような人物だったようなのだから謎は謎である。
「彼がいた薩摩側は祇園で遊んでいて盗まれた。犯人はその盗んだ者の仕業だと弁明したんだ。」
「それもおかしいわよね。そんな強い人が多少酔っぱらったってみすみす盗まれるような無様は考えられないわよね。」
「そこです！」　ペンギンが勢い込んだ。
「どこ？」すかさず節子さんが突っ込むのを聞いて探偵長が声をあげて笑う。

「これ見よがしに犯行現場に凶器が落ちていたと言うのも落ち着かないよね。」
探偵長の言葉に二人は頷いた。
「もっと不思議な事がある。」
探偵長が思わせぶりに言えば二人はグイッと顔を寄せる。
「凶器とされた刀を本人が確認している時に刀が動いた。」
「刀は勝手に動かないでしょう？」　節子さん言うのも最もな事だ。
「いや動いた。そしてあっという間に田中の喉を突いたんだ。」
探偵長が厳かに言い切った。
ゴクリと節子さんが喉を鳴らして息を飲み込んだのがペンギンにも解った。
「田中は背の刀を見せてほしいと言ったんだ。」
探偵長が急に説明口調になったのを受けて二人はシラッと笑いを浮かべてみる。
「斬る事が好きな男がその武器を手放して平気でいられると思うかい？
いくら祇園の中では刀はご法度と言われて預けていても盗まれたと知って暢気にしているのはおかしいよね。」
確かに　たしかにっと二人は同意の意味を込めて首を縦に振った。
「現場に刀を捨てて行かなければならない理由もありませんね。」
ペンギンが思案顔で言った。
「じゃぁさっ！田中はなんで刀を見せてくれとか言ったのかしら。」
「心底不思議だったのではないかな。」
探偵長が断言するように言う。

刀は決して安いものでは無い。
ましてや人を斬る事を或る意味生業にしていた男が持っていたものだ。
安価なものとは考えにくいではないか。
「きっと田中は騒動が起きる寸前まで刀が自分の元にあった事を確認しているのだと思うよ。」
「その刀がなぜが現場に落ちていた・・不審に思っても当たり前ね。」
「そうだ。だから確認してみたくなったんだ。」
探偵長は改めて二人を見回した。
「刀が動いたのはその時だ。田中が刀を受け取った瞬間に刀は刃を田中の首に向けて突き出したんだ。」
「へっ！」「いやぁだっ！」
二人が同時に声を上げた。
「刀は強力な武器だと言うのは確かだが自分の意志を持っていないと言うのも確かな事だよね。」
「そりゃぁそうよ。生き物ではないんだから。」
節子さんが肩を落として言った。
「その刀が意志を持ったように向きを変えて襲い掛かったんだ。」
「なせ？」
「それは解らないさ。証人はみんなこの世のものでは無いんだからね。」
探偵長が苦笑った。
「そうよね。遠い昔の事になってしまったんですものね。」
「ただね。」
落胆してしまった節子さんを見ながら探偵長が悪戯っ子のような表情を浮かべる。
「天皇が京都から江戸・・のちに東京となった土地へ遊びに出かけて時代は明治になったころの事だけど。」
何の話なのかっと言う風に節子さんが探偵長を見上げた。
「天皇は陰陽寮を廃止したんだ。あまりに恐ろしい能力を持っているから今後の為には良くないとか言う理由でね。」

なんやかやと維新を超えて陰陽寮が無くなり明治の理に伴って陰陽道は宗教法人となり細々と命脈をつないでいく事となる。

「天武天皇の時代から続いてきた陰陽師の活躍は基本的に天皇の為にあったって事になっているよね。
今更天皇が恐れる理由もないはずだ。江戸へ連れて行っても一向にかまわなかったとも思う。それなのに・・・
さて。天皇が恐れたのは陰陽寮のどの力だったのだろうね。」
「それも不明って事よね。」
節子さんがため息交じりに言った。
「証人がみんな亡くなっていますから。」
間髪入れずにペンギンが応える。

事務所の中には三人の笑い声が溢れ窓の外を心地よい風が通り過ぎていく。
「見ていたのはこのお猿さんだけって事なのさ」
探偵長の言葉に事務所の中はもう一度笑いに包まれた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　完

 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2019-12-07T11:43:58+09:00</dc:date>
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		<title>◆「都に咲く」</title>

		<description>「それで父上。」
南殿の廂の内で声がす…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 「それで父上。」
南殿の廂の内で声がする。

心地良い風が吹き渡り庭の木々の葉がさわさわ・・・密やかな声を上げていた。
声の主は賀茂保憲。
まだ童姿では有ったが数多くの陰陽師を排出している賀茂家の嫡男である。
「ふむ・・」
保憲の声に顎を引いたのは加茂家の主である忠行であった。
「父上がどの様なお気持ちで引き取られたかは存じませぬが如何なさるお積りなのかは知りとうございます。」
ずいっと膝を進めて保憲は忠行を見上げる。

事の起こりは十日前の出来事であった。
忠行は一人の幼い童を向かい入れたのである。
陰陽師としての修行をさせるにはあまりに幼い幼童を見て保憲は小首を傾げたものであった。
「なに・・・ちと断れぬ筋からの頼みでな。」
忠行は微苦笑をして保憲の疑問に応え幼童を賀茂家の別邸に落ち着かせていた。
しかし・・・いつまでもそこへ置いておくわけには行かないだろうと言うのが保憲の考えである。
「それほど心に繋るのであれば見に往けば良かろう。」
忠行は事も無げに言った。
拾ってきた子猫でもあるまいに・・・保憲は不満げに忠行を見詰めた。
「どの様な者かを保憲が判断してみれば良かろうて。」
忠行の言葉で二人は別邸と向かう事になった。



賀茂家の別邸は本屋敷とは異なりこじんまりとした質素な建物である。
帝から賜る位は低い。
雲上人のような豪奢な建物は望むべきも無いが優秀な陰陽師を育てる為に本屋敷には修行中の者が数多く寝起きをしていた。
私邸でありながら常に人の出入りがある。
別邸は或る意味賀茂家の避難場所の意味合いもあった。
その為に通常はひっそりとしており屋敷の世話をする家人が僅かばかり起居しているだけである。

いつもながら軽やかに足を進める忠行の背中を追いながら保憲は別邸にいる幼童と初めて対面した時の面差しを思い返していた。
・・・・・幼いと言う事も有ろうが華奢で手足は弱骨のようであった・・・・・
「ふむ。」
保憲は歳に似合わぬ声を漏らして父の背を見た。
・・・陰陽師は体力が無ければ勤まらぬ。・・・・・そもそもあの齢では修行は無理であろう。・・・
独りごちながらも足を弛める事も無く忠行の後を歩んでいた。

「痛！。」
鼻を打って思わず声を上げた保憲は眼の前にある忠行の背にぶつかったのだと理解した。
「まったく・・いきなり止まらないでくださいよ。」
辺りに気を配る事を疎かにしていた事を無い物にしようと少々甘えを含んだ声音で呟いた保憲は息を呑んだ。
ふっと忠行が微笑すると「やっと気付いたか。」
言うと間近に逼った別邸に視線を投げた。
木々に隠れたように建てられている屋敷の上に黒雲がかかり徐々に広がっているのが臨まれる。
辺りは青空で眩しいくらいの陽射しであるにもかかわらず黒雲は確実に濃さを増して屋敷を覆う勢いであった。
「あれは！」
保憲は忠行を見上げれば頼もしい父の眉が顰められている。
「瑞々しい気を欲する悪鬼であるか。」　忠行の唇が僅かに動いたと見るや保憲は地を蹴って走り出した。
　　　・・・あの屋敷で瑞々しい気と言えばあの幼童しか居らぬでは無いか・・・
きっと唇をかみ締めて保憲は走った。


ドーンッ！！

保憲が門を潜ろうとしたまさにその時であった。
轟音と共に我が身に衝撃が伝わり空の果てへと煌きが立ち上っていくのが眼に映る。
大地が揺れたようにも思えたが保憲は直ぐに我に立ち戻り庭から南殿へと走って向かった。

「これはどうした事か。」　保憲はその場の在り様を見て立ち竦んだ。
南殿へと上がる階は焦げつき庭には黒い塊がブスブスと不気味な音を立てて滅しようとしている。
ほう・・
感に堪えぬと言うよなため息を耳にして振り向けば忠行が複雑な笑みを浮かべていた。
「まだ加減は知らぬか。」
忠行の言葉に保憲は思い至る。
「そうだ！あの幼童は何処に。」
保憲は廂に上がり巻き上げられた御簾の奥を見渡して几帳の陰に倒れている幼童の姿を見つけた。
臥した幼童の下には屋敷の世話をしていた女人が固く目を閉じて幼童の袂で覆われている。
その様は女人を庇っているように保憲には思えた。
「しっかり致せ。」
保憲は駆け寄ると幼童の首の裏側に手を差し入れると抱え起こして呼びかけるも幼童の意識は戻ってこない。
「暫しの間、休ませておくが良かろう。」
ゆったりと忠行が保憲の傍らに腰を下ろすと幼童を引き剥がすように保憲から受け取ると薄縁の上に横たえて腰の帯を解いて呼吸を楽にさせるとニンマリと笑みを浮かべた。
「父上？」
訝しげな面持ちで保憲は忠行を見上げた。
「つまり・・こう言う事だ。」
忠行はちょいと肩を竦めて幼童へと視線を戻す。
「先ほどの悪鬼はこの幼い者が祓ったと・・」
「祓ったかどうかわ解らぬ。見てはおらぬからな。」
忠行は女人の方へ視線を移しながら保憲に応えた。
「しかしだ。悪鬼が滅したのは事実であろう。この者はただ屋敷の世話をする役目。そのような力は持ち合わせていない・・となれば。」
忠行の言葉に保憲は改めて女人を見、視線を幼童へと移す。
「たしかに・・この幼い者しかおりませぬな。」
　　　この年頃でこのように強い気を放つことが出来るのか
保憲の背中がぞくりと震えた。
「ただし・・だ。」
保憲の表情に僅かばかりの怯えが走ったを見て取って忠行が苦笑しながら言葉を継ぐ。
「加減を知らぬは無理ならぬ事では有るな。」
言われて保憲はこの状況を寸時に理解した。
　　己の能力を操る技は持ち合わせておらぬと言う事か
ならば
「この私がこの幼童にその技を教えようほどに。」
保憲の言葉に忠行の面に笑みが広がって行った。



はらはら　はらり
　さわさわ　さわさわ

色付いた気の葉が穏かな風に誘われて枝を離れて宙に舞い静かに庭の端へと身を横たえていく。
「保憲様。」
深く響きの有る声に呼ばれて保憲は視線を庭から廂の中へと向けた。
「杯が乾いておりまする。」
衣擦れの音と共に近寄って保憲の杯に酒を満たしているのは都で名高い陰陽師、安倍晴明である。
「移ろうて行きますね。」
晴明の言葉に曖昧な応えを返し満たされた杯を口に運ぶ。
「なにか？」　晴明が小首を傾げた。
ふっと息を吐いて保憲が応える。
「そんな事もあった・・・とな。」
保憲の言葉に晴明の眉が僅かに上がった。
「何のお話でございますか。」
晴明の声に保憲は身体を回して晴明に向かい合う。
「あの頃は好もしい童であったと思うておった。」
「遠い昔の話でございますな。」
晴明の応えに保憲はわざとらしく驚いた体を示した。
「さすがだな。俺の話が見えるか。」
「今更でございますよ。」
「それもそうか。」
二人は声を上げて笑いあった。

忠行がこの世を去り保憲が賀茂家を継ぎ、晴明は陰陽寮の得業生と成った。
随分と遅いとも言われた物だが名前だけは早くから知れ渡りその深い知識は帝の寵愛と信頼は強かった。
その事によって多くの雲上人に好ましく受け止められて行ったのは当然の理である。
保憲が陰陽寮の職を離れた後を晴明は踏襲した。
今やその名は都だけではなく近隣にまで名を馳せるようになって久しい。

「蕾の硬い花は咲くのに時がかかると言われるが・・。」
保憲は誰に言うでも無く呟いた。
「やっと咲いたのだなぁ。」
言うと保憲は晴明を見詰めた。
「もう初老を過ぎた者に何を仰る事やら。」
晴明が苦笑って杯を満たす。
「時のかかる花は美しいと聞くぞ。」
保憲の言葉を聞こえなかったと言う風情で晴明は視線を庭に向けた。

はらはら　はらり
　さわさわ　さわさわ

色付いた葉は風に舞っている。
二人は暫らく言葉を交わす事無く手にした杯の中の酒を飲み交わしていた。

・・・おまえは都に咲いた大輪の花よ・・・
保憲が腹の中で呟いたことを晴明はしらぬ。

厳しい冬の季節を迎える前の穏かな秋の夕暮れでの事であった。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　完






 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2019-09-22T13:25:29+09:00</dc:date>
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		<title>◎「涼風や」</title>

		<description>「なんか大陸っぽくない？」
節子さんが…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 「なんか大陸っぽくない？」
節子さんが呟きながらじっと視線を送る先には入口を示す二つの縦長の石。
そこに刻まれている姿の服装が日本人らしくないと言うのだ。
「大陸風ですよね。」
ペンギンも繁々と見る。
下膨れの面立ちは平安時代には一時期持て囃された事もあるが刻まれた表情は日本人と言うより大陸の賢人と呼んだほうが近しいようにも感じられた。
「まぁまぁ・・・入口で立ち止まっていてもしょうがないだろう。先は長いぞ。」
探偵長は言うと先に進むべく歩を進めた。

このところ連日暑い日が続き、事務所の中のエアコンも悲鳴を上げている。
京都の夏は油を敷いたフライパンの底だと誰かが言っていたが確かにこのところの暑さは常軌を逸していた。
そこでちょいと涼みに出かけようと言う事になり三人はここへやって来たのである。
周山方面へのバスに乗り北へと進み静かなバスにで三人は降り立った。
この道をずっと先まで行けば日本海の小浜へ辿りつく。

さて
大陸風だと言われた入口を越えて三人が進んで行けば道の所々に石像が現れ始めた。
不動明王のように怒りの表情を表した石像や穏かな表情の仏像・・・稲荷の祠も現れた。
「完全に神仏習合の名残だわね。」
節子さんが一つ一つを珍しそうに眺めながら言った。
「仏と神が分けられるのは明治以降だからね。それでもまだそうした場所は残っているよ。」
探偵長が楽しそうに応える。
「ここって避難場所だったんですよね。」
ペンギンがパタパタと手を振って風を起こしながら言えば節子さんが「誰の？」と振り返った。
「十界因果居士ですよ・・ね？」
ペンギンも確信は持てないらしく探偵長を見上げて念を押した。
「誰よ、それ。」
節子さんには思い当たる人物は居ないようである。
「信長の子供でしたかね。あれ？兄弟だったかなぁ。」
ペンギンの言葉に探偵長が笑った。
「本能寺関連だな。」
探偵長の言葉に節子さんが小首を傾げた。

当時京都の豪商の間では法華講が幅を利かせていた。
信長はこれを良しとせず他宗との法論の場を設けたのである。
この法論は法華宗が敗北をしたのだがこれには裏があって信長は最初から法華宗が負けるように仕組んでいたと言われる。
その一端を担ったのが、勝敗を見届けるメンバーの中にいた十界因果居士であった。
後になって法華講はこれに気付き十界因果居士を襲おうとしたのを彼も察して逃げ込んだのがこの地であったと伝わる。
本能寺は法論に破れた後に寺に蓄えていた鉄砲などの武器を全て信長に取り上げられて丸裸の状態になったのだが懲りずにまた集め直していたようであった。

「そんな寺になぜ信長が泊まったのかと言えば定宿だったからだと言われている。」
探偵長の言葉に節子さんは首を振って一個と言い捨てた。
「ばっかじゃないの。」
苦笑いを浮かべた探偵長は止めていた足を動かし始め、他の二人もその後に続く。
「あぁ！そうそう。」　探偵長が声を上げた。
「彼は甥っ子だよ。」
「誰が？」
「十界因果居士は信長の甥だ。子供でも兄弟でも無い。」
「どんな関係でもいいわよ。結局信長の意に沿うように動いたって事でしょ。」
「まぁ・・・そう言う事だ。」
探偵長が応えながらも足を進める・
ふと気がつくとペンギンが足を止めてじっ・・・顔を上げて何かを聞いているのか顔を上げていた。
「どうしたの？」
節子さんの問い掛けに手をひらひらとさせてシッと言葉を遮る。
「何も聞こえませんね。」
ペンギンの囁くような声に二人も耳を欹ててみる。

さわさわさわ・・・
　
耳に入ってくるのは木々の梢を渡って行く風に擦られる葉の音。
「風の音かしらね。」
節子さんがポツリと言った。

街中は音が溢れている物だ。
交差点の信号機も青になった、赤になったと知らせる音が出ている。
歩道を歩けば商店の中の音楽が外に漏れ聞こえる。
そもそも人が多いからちょっとした会話でさえ重なって途切れることも無い。
ところが今三人が居るこの道には音楽も流れず信号機も無い。
耳に入ってくるのは風が巻き起こす葉の音だけだった。
三人が口を閉ざせばシン・・・として時が止まったような錯覚に陥りそうだ。

「静かよねぇ。恐いくらいだわ。」
節子さんが声を潜めて言った。
「声を出すのが憚れるようだね。」
探偵長も小さく応える。

それから三人は黙々と道を進んでいく。
やがて葉の音とは違う音が耳に入ってきた。
「ほらっあれが滝又の滝だよ。」
探偵長が指し示す先に陽を受けてキラキラと飛沫を飛ばす滝が見えていた。
二つの滝が合わさって一つの姿になるその滝は緑の木々に囲まれて豊かに流れている。

「たしか・・・伊豆の方にもこういう形の滝があったような・・・」
節子さんは視線を滝に向けたまま小首を傾げた。
「出合の滝でしたっけ？」
ペンギンが言う。
「雰囲気は大分違うけどね。」
探偵長が頷いた。

キラキラ・・・
滝と陽が織り成す美しさを三人は黙って眺めていた。

・・・マイナスイオンが　・・・・

頭の中をそんな事が過ぎった。
・・・　いやいや　ここは黙って楽しむのが粋って物よね。・・・

節子さんは声に出さずに考えた。

長い夏も何時か移り過ぎてこの場所にも紅葉の便りが届くようになるのだろう。
ならばこの一瞬を愛でる事

節子さんは大きく息を吸った。


　　　　　　　　　　　　　　　　完






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		<dc:date>2019-08-11T14:45:03+09:00</dc:date>
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		<title>◆「星の縁」（献上品）</title>

		<description>大内裏の南に開く朱雀門を潜って若い文官…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 大内裏の南に開く朱雀門を潜って若い文官が姿を現した。
特に急ぐ風でもなくゆっくりと進めるその歩みに寄り添うように穏やかな風が通り過ぎていく。
桜はとうに散り終え、辺りには藤の甘い香りが漂い、長雨の季節まではまだ間があった。

ほう・・・小さく息を吐きながら空を見上げた文官にはまだ幼さが残っている。
西の空が茜色に染まるまでは今しばらくの時が必要な刻限であった。
若い文官はまっすぐに南へと下る大路を歩き始めると、なんとも意味深長な笑みを片頬に刻んだ。

「なかなかに凛々しい姿ではないか。」
どこからとも無く声が聞こえる。
「何をおっしゃいますやら・・・。」
さらに笑みを深くした文官は大路の端にある大樹を見上げた。
「安倍晴明。後盾は見つけたか。」
大樹の陰から笑いを含んだ声が返ってくる。
「そのような者は地下の私にある筈もございませぬよ。朱呑童子殿。」
晴明と呼ばれた若い文官は肩を竦めて見せた。
「あなたのように雅な方こそ後盾がお有りなのではございませぬか。」
晴明と呼ばれた若い文官の問い掛けに朱呑童子の眉が顰められる。
「何の事だ？我は鬼ぞ。それこそ雲上人との繋がりはない。」
朱呑童子の応えに文官は声を出さずに笑った。
「笛を・・・渡されましたな。」
朱呑童子は小首を傾げて暫し思案をするようであったが
「業平の事か？また随分と前の事を・・・ぬしが生まれる前の事ではないか。」「真の事であったのですね。」
晴明が応えながらさり気なく背後を窺がうと
「参りましょうか。」小さく囁き歩を進めた。
背後の朱雀門から何人かの官人が姿を見せこちらを窺がっている。
樹上にいたのであろう朱呑童子は緋の水干姿を現し何事もなかったかのように晴明の傍らに立って歩を揃えて歩み始めた。
この通りに屋敷をを構える人々はなぜか大路に面して門を造らなかった。
その為いつの頃からか庶民は勝手気ままに耕し始め作物を得るようになり、今も大路の端に植えられている丈の低い木が花を咲かせようとしている様が見受けられ、それは秋に豆か何かが収穫できる事を告げていた。
穏やかに揺れる葉を見るともなく視線を送っている晴明の袂を朱呑童子がついっ・・と引き寄せて大路と屋敷の間へと歩を進めていく。
以外そうに表情を動かした晴明であったが何も言葉を発する事もなく大路を背にして同じように進めば眼前に西の堀川が見えてきた。


川を臨む草叢の上に軽い音を立てて晴明は腰を下ろして大きく伸びをした後でごろりと横になって目を閉じた。
目蓋を通してゆらゆらと揺れる川面が陽の光を反射させて煌いているのが感じられてなんとも心地良い。
白い指先に風で揺られた草の葉が時折絡んでくるのを楽しんでいた晴明は脈絡もなく何かが心の隅に引っ掛かった。
あれは・・・・
過ぎ去った時を掘り起こすように記憶を弄っていると獣の匂いが鼻を擽るのを感じた。
不審に思いながら晴明が目蓋を上げると朱呑童子の含みを帯びた笑みが間近にある。
「晴明。」
朱呑童子が問い掛けるように名を呼び
「まだ死を望んでおるのか？」と言葉を継いだ。
莞爾と笑顔になった晴明は事も無げに応えた。
「生きる事に執着はございませんが死ぬる事を望んではおりませぬよ。」
・・・そうであった。あれは・・・・


何時死んでも良いと思っていた。
母が浮かべるのは恐怖と忌み嫌う眼差し
父が向けるのは疎ましいと思う心
そこに吾子を好ましいと思う気など微塵もなかった。
不要になった小箱を運び込むように己が届けられた先が賀茂忠行の屋敷である。
平の都を護る陰陽師を数多く排出し、その身の位は低いが菅原家の後盾を持つ家である。
人ならぬ物を見る才を持つ者も多く、晴明に対する恐怖を持つ気配はさすがになかったが代わりに向けられたのは嫉みと妬みであった。
居場所がない。
生きる意味を見つけられぬ。
生きる意味がなく、いる所が無いのであれば何故に生きねばならぬのか。
幼い晴明は死ぬ切掛けを求めた。
それが・・・

あぁ・・・この場所であったな・・・晴明は穏やかな風を受けながら呟いた。
「聴こえたのであろ？」
何を？とも何処で？とも言わず朱呑童子の声の問い掛けに晴明は暫し瞬きを繰り返した。
「聴いた。」
晴明も何を・・・と言わずに応えて幼かった時期に思いを馳せればそれは昨日の事のように鮮明に目蓋の裏に浮かんでくる。

賀茂の屋敷での修行は嫌ではなかったが嫉みと妬みの視線に、幼かった晴明は陰陽の技の修行にも意味を見出せなかった。
或る日の事　修行を抜け出してこの堀川の淵へやって来たのも目的があったわけではない。
投げ出すように草叢に身体を転がして、何故生きている必要があるのかと己に問うた。
そこへ数頭の山狗が現れたのである。
餓えているのか気配は剣呑であった。
ふっ・・・・と晴明は唇の端に笑みを刻んで山狗に目線を合わせた。
「喰らえば良い。それで終わりだ。」
言うと晴明は目蓋を閉じてその時を待った。
警戒しているのか山狗は近づいては来るが噛み付く気配は訪れぬ。
「お前たちは腹が膨れる。おれはこの世から消える事ができる。どちらにとっても良いではないか。」
晴明はじっと眉間に力をこめてその時を待った。
獣の匂いが強くなる。頬に山狗の息がかかる。
・	・・これで終わる・・・・
晴明が息を止めてその時を待っていたが山狗の気配が突然退いた。
死ねると覚悟を決めていた晴明は不審に思い薄く眼を開くと己から立去って行く山狗の尾が見えた。
小さくなって行く山狗は何かを求めるように空を見上げている。
わずかに尾を振るその姿を晴明は身体を起こして呆然と見送る形となった時・・・聴いたのだ。
己よりは幾つか上ではあるがまだ童の手と思われる笛の音であった。
低い雲を薙ぎ払うような強い音色ではなく手もそれほど上手とは感じられぬ。
それでもその笛の音は何処までも清んでいた。
晴明は心の臓を掴まれたように思わず身震いをしたものだ。
やがて笛の音が風に紛れるように消え去ったとき、晴明は己の身のうちにあった死を望む思いが消えている事を知った。

「あれは何であったのか。」
幼かった晴明は今こうして初冠を終えて陰陽寮に出仕しているが、あの時の出来事はいまだに良くわからない。
ただ・・・死に対する執着は無くなったが、生に対する執着も持てぬまま飄々と日々を送っていたのだ。
「あれは・・な。」　朱呑童子の声が穏やかだ。
「知っているのか！」　晴明は問うた。
「あれは醍醐帝と呼ばれる男の初めての内孫よ。名を博雅王と言ったな。」
晴明の笑い声に朱呑童子は訝しげに見返してくる。
「やはり朱呑童子殿は雅なお方だ。雲上のやんごとなき童の名前もご存知だ。」
笑いを堪えながら晴明が応えた。
「我は都の鬼、妖物を統べる鬼ぞ。都の行く末くらいは楽しんでも良かろうが・・」
朱呑童子は憮然とした声で言葉を継いだ。
「まぁ　とにかく・・・」　
言いながらパンパンッと掌についた土を払いながら晴明が朱呑童子を見上げた。
「あの時の笛の音は博雅王であったと言う事ですね。」
「そうだ。ぬしが死に拘らなくなったのはその時からであろ？」
・	・・そうなのだ。何故かは判らぬ。しかしあれ以来敢えて死の淵へ己から向かおうと言う気は失せていたのだ。・・・・
「その帝に慈しまれている博雅王の音にしては何やら憂いがありましたが・・。」
晴明の声に
ふん
朱呑童子は鼻先で笑う。
「親がのう・・・病に臥せておった。幼いながらも先は短いことを感じておったのだろうよ。」
「そのような時期でありましたか。」
応えながら晴明は思った。
・	・・それでも親の慈しみは有っただろうさ。・・・
今の晴明には失いたく無いと執着する物など一つとして無い。
「それで・・・その童は如何しているのでしょうな。わたしより年長でありますれば今頃は殿上でございましょう？」
「この春に無位から四位に上がったそうだ。」
朱呑童子が事も無げに言った。
「それはそれは・・・やはりわたしのような地下の者とは関わりはございませぬな。」

二人の間を穏やかな風が吹きぬけ、鳥の囀りが耳を掠めて行く。

「所詮はあの男の血筋という事。下々の身分と交わる事もありますまい。」
さして興味も示さずに呟く晴明に朱呑童子は一言応えた。
「それは判らぬ。」
小首を傾げて訝しげに見上げる晴明に朱呑童子は尚も言葉を継いだ。
「人と言う生き物は予想もつかぬ事をするものだ。時として己の想いとは反対の事も平気でする。」
「鬼はせぬ・・と申されますか。」
晴明が揶揄するように言った。
「せぬ。・そういう意味では鬼より人のほうが御しがたいものぞ。」
朱呑童子は、これだけは譲れぬと応える。
僅かに顎を引いて晴明は頷く。
「それで？その四位に上がられた親王にも匹敵する血筋の方が如何いたしたと言うのです？心持とは反対に地下に交わるとでも仰せか。」
この世の中は官位が全て、血筋が全て・・・
もっとも官位を上げようとも思わぬし内裏の権力を掌握している藤家との関わりもごめんだと晴明は考えていた。
己の命数が尽きるまで寮の仕事をこなしていればそれで良い。
そんな晴明の心内を読んだか朱呑童子が言った。
「臣下に下った。」
ハッとしたように晴明が顔を上げると皮肉の表情を浮かべた朱呑童子の目が己を見ていた。
「慈しんでいたであろうにな。今の帝になった男は博雅王に源の姓を授けたのよ。博雅王と呼ばれていた童は源博雅と言う男になったのだ。」
「何時の事です？」
訝しげに晴明は問うた。
「つい先ほどの事よ。」
「それでわたしの前に現れた・・・と言う訳ではございますまいな。」
晴明の目が薄く閉じられ視線が険しくなった。
「それ以外に何がある？」
朱呑童子の応えに晴明は小さく鼻を鳴らした。
「神の末裔ではあるが人の世に降りてきたと言うことだ。ぬしと交わらぬとも限らぬ。」
「殿上人です。それも上達部だ。陰陽師などその辺りに落ちている石のような物ですよ。」
「随分と卑下するではないか。」
朱呑童子が呆れたように言いながら晴明を見た。
「事実を言ったまでです。」
晴明は憮然とした表情で応える。
「人は解らぬ。先の世の事など尚わからぬ。」
朱呑童子は空を見上げて呟いた。
「それほど人の世が気になるのでしたらこちらへおいでませ。」
晴明が揶揄するように言う。
「知らぬのか？」
「何を？」
「人は鬼には成れるが鬼は人には成れぬのだ。共にと言うのなら、ぬしがこちらへ来るしかないぞ。」
ぷっ！
とうとう晴明が笑いを吹いた。
「鬼も人も生きるはこの都。」
「そういう事だ。」
頷く朱呑童子に晴明は緩やかに首を左右に振った。
「わたしは都に拘りはありませぬ。」
「それもまた一つの生き方よの。」
二人の傍らを穏やかに風が吹きぬけ、西の空が僅かに染まり始めている。

「良い風だな。」
「良い風でございます。」
「楽しい世であるかな。」
「先の事は解りませぬよ。」
互いに相手の顔を見つめ視線を絡めた後僅かに笑みを刻んだ。
「では・・な。」
「はい。」
そのまま二人は背を向け合って堀川を立ち去る。
染まり始めた空を鳥が舞い鳴声が木霊のように響きわたった。
後に平安京一の大陰陽師と賞賛される事となる安倍晴明　十四の春深き日のことである。


交わる事の無いと思われた源博雅と安倍晴明の二人が星の定めによって強く絆を結び、都を滅びから護ることになったあの事件はこの時より二十年以上後の事となる。
この戦いに朱呑童子が関与したかどうかは、当時記されたどの記録に残っていない。






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		<title>◎「跳んで駆けて跳ねて扱ける」</title>

		<description>京都の四条通から少しだけ北側に入った細…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 京都の四条通から少しだけ北側に入った細い小路に煉瓦風の落ち着いた建物がある。
建てられたのはかなり古いのが見て取れるが京都では新参者と呼ばれるかも知れない。
年月を経た外壁はしっとりと落ち着きを見せ、四条通の喧騒を感じさせないくらい静かに風景に馴染んでいた。
この建物の中に探偵事務所と看板を掲げた一室はあるのだ。

長かった冬の寒さが去って京都にも穏かに春がやってきていた弥生三月。
事務所の中に何とも気だるそうなため息が溢れていた。

「それにしてもさぁ。」
声に出したのはこの事務所で秘書と言う事になっている節子さんだ。
「あぁ・・・もう言うなよって。」
探偵長がひらひらと右手を振った。
その横でなぜかペンギンが首を竦めていた。
「それにしても・・・。」
言うなっと言った本人が言葉を継いだ。
「あの本屋の親父・・・。」
探偵長は忌々しそうに呟いた。
再び事務所の中に気だるそうなため息が溢れた。


事の起こりは前年の１２月の事であった。
事務所の有る建物の近くに小さな本屋がる。
ヨーロッパから洋書を取り寄せ・・・それも童話ばかりなのだが・・・普通に販売している書店であった。
それ程繁盛しているとも見えないが潰れないでいるところを見るとそこそこの利益は上げているようだ。
この店の主が１２月の初旬に何の前触れも無く事務所へやってきたのであった。
彼は確かに依頼人ではあった。
しかしその依頼が事務所の利益になるとは探偵長だけではなくそこにいた誰もが感じたのであったが探偵長はとうとう断れなかった。
これが全ての原因だと節子さんは言う。
何を依頼されたのか・・それは階段を駆け上るというイヴェントに参加する事であった。
「参加したければ自分だけでやれば良い。」
探偵長はやんわりと断ったのだがこのイヴェントは４人一組なのだと言う。
「店に来る客にでも頼んだらどうか。」
探偵長も簡単には引き下がらなかったのだが本屋の主もこの事務所の３人がぴったりだと引き下がらなかった。
４人一組と言ったが誰でも良いと言うわけではない。
一人は４５歳以上でもう一人は女性がいなくてはならないと本屋の主は言い募る。
主は今年４８歳になったので条件には当てはまり、節子さんは確かに女性である事に疑いは無い。
他の二人は条件が無いので事務所の探偵長とペンギンが加わればチームが完成するのだ。
本屋の主はここを先途と熱く語った。
「それで・・・何処の階段を・・・。」
引き受ける気持は更々無かったのだがつい聞いたのが間違えであった。
本屋の主は承諾を得たと確信したらしく嬉しそうにこう言った。
「いやぁ！ありがたい！なに・・直ぐそこの階段ですよ。京都駅。」
事務所の三人が絶句したのは言うまでも無い。


建設された当時は景観を損ねるだとか京都の街に相応しくないとか悪評が高かった京都駅だが年を経ると共にいつの間にか街に馴染んでしまった。
この駅は色々と特徴があるのだがなんと言っても大階段が目に留まる。
通常はまるでベンチと化していて観光客や地元の若者達が腰をかけている姿を見受けるのだが毎年二月にこの階段を駆け上るイヴェントが開かれるのだ。
一直線に伸びたこの階段は全部で171段あり高低差は30メートルある。
ここをとにかく一気に駆け上ってタイムを競うのだが優勝すれば最上段に名前が刻まれるたプレートが設置されるという。
本屋の主はここに名前を刻まれたい・・・らしい。
バトンを渡すリレー形式ではなく４人が一斉に駆け上り全員がゴールしたタイムが記録となる。
ただただ駆け上るだけだと本屋の主は言うのだがそんなに簡単な事では有るまいと事務所の三人は考えているが本屋の主は気にも留めていないようで何とも明るい声でスケジュールなどを話していった。

こうしてとうとう駆け上るその日がやってきた。
２月の半ばを過ぎた週末のその日は曇り空で、これでは最上段の広場からの眺めもあまり期待できないと事務所の三人はテンションが上がらない。
意気揚々としているのは本屋の主だけで彼は運動に支障がないスタイルをキッチリと決め込み手足を動かしながら準備万端であった。
「おい。」探偵長がボソッと囁きながらペンギンの脇腹を突いた。
「どう見ても俺達が勝てるわけ無いと思わないか。」
探偵長は首を左右に振りながら小さくぼやく。
「勝つ気だったんですか？」
ペンギンは驚いたように探偵長を見返した。
他のチームを見渡せば確かに勝てそうなチームも有るが自衛隊からやってきたらしい筋骨逞しいチームや競輪選手なのか立派な太腿のメンバーの姿もちらほらしている。
日頃から運動を日常としているらしい学生のチームもいるのだから寄せ集めのメンバーである自分達が勝てるわけは無いと言うのは自明の理だとペンギンは思ったが口に出すのは憚られた。
節子さんは何処で購入したのか妙に艶やかなファッションで固めている。
長い髪は一つに束ねられてこちらもそこそこ意欲はあるようだ。
チームの合計タイムで決めるのだが個人記録を狙うという手もあるようなのでチームは仲間であると共にライバルでも有る。

いよいよイヴェントが始まり最初のチームが会談に取り付いて駆け上っていく。
走法や衣装に決まりはないので二段おきに駆け上る者や何やらコスプレのような衣装を見につけた者・・・
各チームを見ている分には充分に楽しい。
やがて事務所の面々の順番がやって来て階段の下へと進み合図と共に階段に足をかけた。
本屋の主は言い出しただけは有ってスタートダッシュは見ものであった。
ただ・・・掛け声が何とも親父っぽい。
エッサ！ホイサッ！
駕籠屋じゃぁ無かろうに・・・ペンギンは思ったがその傍らを探偵長がすり抜けて駆け上っていく。
節子さんは一段ずつを左右の足を忙しなく動かして上がっていく。
あちこちみながらのペンギンはジャンプするように階段を上がって行ったのだが気がつけば本屋の主が息切れを起こしてスピードが急激に衰えていてペンギンがあっという間に追い抜いた。
それを目の端に捕らえたのか本屋の主は
よっしゃぁ！
声を張り上げると両手を大きく振って駆け上がる速度を上げようと試みた。
目の前には階段しか見えない。
辺りの風景は全く見る余裕も無くひたすら駆け上る。
どうやら探偵長がゴールしたようだ。
ペンギンの直ぐ前を節子さんが駆け上っている。
ふいっと節子さんはペンギンを見た。
「あらぁ！！駄目よぉ！。」
節子さんが叫んだ。
ペンギンは両手を一段上にかけると懸垂の要領で駆け上がり節子さんを追い抜いた。
節子さんは急激に負けん気を刺激されたようで跳ねるようにゴールへ飛び込んだ。
その足元に転がるようにペンギンがゴールに達した。
さて・・・本屋の主は何処だ？
三人は辺りを見回すが姿が見えない。
まさか
ゴールから見下ろせばゴールまで２０段ほど残したところで座り込んでいた。
肩が大きく上下しているのを見れば完全に息が上がってしまっているのは明らかだ。
「ほらぁ！言いだしっぺ！がんばれぇ。」
節子さんが大声を上げた。
這いずるように階段を上がってきてゴールした途端に本屋の主は大の字に寝転がる。
探偵長がやれやれと言う風に肩を竦めた。

優勝どころではなく入賞も出来ずすごすごと戻ってきたメンバーは事務所のある建物の前で別れた。
本屋の主はぺこりと頭を下げたがその落ち込み様は半端ではなかったので探偵長を始めとした三人は慰める言葉も出なかった。


「だから最初から無理だと思ったのよねぇ。」
「もう言うなって。」
実りの無い会話が思い出したように続く。

あれから半月ほど経ったが事務所の中はまだ春の気配は無かった。







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		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2019-05-03T17:08:37+09:00</dc:date>
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		<title>◎「色鮮やかに」</title>

		<description>大通りより一本入った小路にある古風な建…</description>
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			<![CDATA[ 大通りより一本入った小路にある古風な建物の一室にいつもと少しだけ違う空気が漂っていた。
廊下に繋がるドアには「洛北探偵事務所」のプレートが重々しく掲げられているのは常と変わらない。
しかし中の空気はいつもの和気が感じられなかった。

大きなテーブルの上には先ほど帰った依頼人が満足げな笑顔と伴に置いていった手土産らしきものが置いてある。
それをじっと見つめる６つの目・・・
「お・・・おはぎですよね。」
ストレートヘアを掻揚げながら節子さんが呟いた。
「・・・でしょうね。」
ワタワタと手を振りながらペンギンが小首を傾げながら応えたが視線はテーブルの上から離れない。

おはぎ、または牡丹餅とも呼ばれる事もあるがもち米を小判型に丸めて小豆餡を纏わせた食べ物である。
しかし今　三人の前にあるのは色鮮やかな色を帯びていた。
「最近は色々と工夫がされているようで・・・こういったものも売られているのだろうな。」
探偵長が一人頷きながらも視線はテーブルの上に釘付けだ。
淡いピンクや真っ白い物・・・明らかに小豆ではない。
「これもおはぎと呼んじゃって良い訳ね。」
思い切ったかのように節子さんが手を伸ばして・・・一番オーソドックスな小豆色のものを手に取った。
「結局それを食べるのですね。」
ペンギンが恨めしげに見上げてきたが節子さんは見なかったことにして齧り付いた。
「美味しいわよ。味は確かなようだわ。」
節子さんの声におずおず・・・ペンギンが白いものに手を伸ばす。
ペチッと探偵長が叩き横取りをして口に運んで「美味い。」と。
しぶしぶ・・とペンギンは淡いピンクのものを口に入れた。
「これはサッパリとして美味しいです。」
ぱちぱちと瞬きをしながらペンギンが興奮気味に言えば他の二人も其々に美味しいと頷いた。
節子さんは急に大胆になって緑色のものに手を伸ばす。
「う～ん！！これは創意工夫と言う事で良いのかしらね。」
いたく満足そうにため息をついた。
「そう言えば・・・。」
ペンギンが何を思い出したのか窓の外へ視線を向ける。
「何か有ったかね。」
探偵長がその視線の先へ目を向けてみるが見慣れた街の風景が見えるだけだ。
「いえ・・前にこの星に来る時に少し資料を見直してきたんですけどね。」
「今回ではなくて前に来たときの事かい？」
探偵長が訝しげに訊ねた。
「京都のお土産と言ったら八橋って憶えてきたのですよね。」
「あらぁ！それは確かにそうだわね。」
節子さんが当たり前だというように応える。
「その時に調べましたら私の星の資料にはマカロニを半分に切ったようなお菓子が載っていました。」
「それだけ？」
「はい　それだけでした。」
「それは古すぎるだろう。」　探偵長が呆れたように言った。
「ですから・・・慌てて一度戻ったのです。」
「あぁ！なるほどね。」
探偵長が納得したように頷いた。
「急だったものねぇ。」
節子さんも感慨深げに相槌を打つ。
「今ではもっと色々出来ちゃったわよ。」
「そのようですね。一応画像だけは送っておきました。」
ペンギンが憮然としたように小首を傾げながら応えた。
「あのねぇ。」　探偵長が割って入った。
「君達が言っているのは餡入り八橋の事だよね。」
「あの三角形で真ん中に・・確かに餡が入っていますね。」
頭の中で形を想像しているのか宙に視線を彷徨わせながら節子さんが言う。
「それに・・・本来の八橋はマカロニを切った形じゃぁ形ではなく琴だ。」
「聞いた事があります。星の資料にもそのように載せました。」
ペンギンが何やら手を動かしているのは想像しながら餡入り生八橋を作っているのかも知れない。
「緑とか黒とか色付けされてカラフルになっているわよね。」
「それだけではありません。」
珍しくペンギンが言った。
「クリスマス用とかお正月用など季節に合わせて形も様々ですし彩りも多彩になっています。」
ペンギンの言葉を肯定するように探偵長が何度も頷いている。
「もはや八橋の形は・・・って言えなくなっちゃったわよねぇ。」
ボスッ！！
音を立てて節子さんがソファの背に身体をぶつけて伸びをする。
「まぁ資料はいつも後手に回りますから仕方が無いのですが・・」
ペンギンは短い尾に見える羽を振った。
「ところで知っているかい？」
探偵長が愉快そうに笑いながら言う。
「何をです？」
節子さんとペンギンが期せずして声を合わせた。
「八橋は京都のお土産として名高い。これは二人とも知っているよね。」
「もちろんです。」
「その八橋なんだけどね。」
ここで探偵長は言葉を切って人の悪そうな笑みを浮かべた。
「なんです？」
「実はその八橋・・・・京都人はあまり食べない。」
どうだ！っと言う風に探偵長が言い切った。
「それ資料に残していいものなんですか。」
「地元民に食べられない名物って・・・」
「さぁ？どうなんだろうねぇ。」
探偵長は青海苔の掛かった緑のおはぎに手を伸ばしながら答を濁した。
「京都のイメージを勝手に作ってさもありなんみたいなお土産を買って帰ればクレームは出ないよね。」
探偵長の言葉に節子さんが言った。
「まぁお土産は届けるだけで自分では食べないしね。」
「あぁ！確かに。」
ペンギンは頷き探偵長は笑った。

いつも間にか室内には和気が満ちていた。
穏かな秋の陽射しが窓から室内を照らしている或る日の事であった。

 ]]>
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		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2019-01-06T15:00:24+09:00</dc:date>
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		<title>◆時を超えて（沙門外伝）</title>

		<description>ぽつり・・・乾いた土に一滴
忽ちのうち…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ぽつり・・・乾いた土に一滴
忽ちのうちに激しい雨となり土の道には水溜りを作り始め慌てて走る人の足を捉え始めた。
急激に暗くなった空をちらりと見上げた若者は首を竦めて土手を下って少し先にある橋の下を目指して走り出す。

ザッザ　ザッ

若者は過たずに橋の下へその身を押し込んで足を止めた。
橋の下は外の景色よりも猶暗く若者は何度か瞬きをした後に一点を定める。
「こりゃぁ！すまんこったな。先客かい？」
若者の視線の先には疎らに雑草が生えておりその一つに全身が黒い猫が瞼を閉じて座り込んでいた。
「まぁこの雨だ。邪魔はしないからちょいと雨が止むまでここにいさせてもらうぜ。」
若者は黒猫に声をかけ少し離れた場所の雑草の叢に腰を下ろして一つ息を吐き出した。

外の雨はいっそう激しさを増し止む気配も無い。
「なぁ。」　若者は顔も動かさず声だけで黒猫を呼ぶ。
「なんだか住みにくい世の中になっちまったよなぁ。おまえも野良だろ。」
雨に濡れて冷えたのかブルッと身を震わせた若者は誰にいうでも無く話す。
「まぁ　猫じゃぁ返事もできないだろうけれど・・・いやなら聞き流してくれて構わないぜ。」
若者の声にも黒猫は我関せずとばかりに身じろぎもせず目を閉じている。


徳川の時代が終わっちまってさ。江戸は東京って呼ぶようになったのはお前だって知っているだろ？
猫には関係無いかも知れないけどよ。
だけど江戸に住んでいた人間だってまだ大勢いる。名前が代わっても江戸と東京は地続きなんだから仕方がないよな。
確かに江戸の頃より明るくなっちまって・・・闇の数は減ったけどその分濃くなったとは思わないかい？
江戸に住んでいた妖しはこの少なくなった闇の中で息を潜めている事を知らない奴も増えた。

若者は一気にまくし立てると大きく伸びをしてチラリと黒猫に視線を送る。
何に反応したのか黒猫の耳がピクリ・・・と動いた。

まぁ　それでもさ。
ちゃんと知っている奴らもいない訳じゃぁねぇ。
妖しもお互い様ってぇ感じで毎日を過ごしているのさ。
だからさ
若者は顔を動かすと黒猫を真正面から見詰める。
「おまえもそうなんだろ？普通の猫じゃぁ無いよな。おれには解るんだ。」
黒猫の目が開いてキラリと光った。
にゃぁ～～
一声啼くと関係ないというように後ろ足で首筋をかいている。
ふっと若者は笑うと黒猫に向かって身体を入れ替えるとポンッと黒猫の頭を軽く叩いた。

「おれは本所に住んでいた伝次ってぇんだ。七不思議とか言われていた中の一つさ。長続きのしない屋台の蕎麦屋だった。」
若者・・・伝次の言葉に黒猫が丸めていた尾を伸ばすとシュッと一振りする。
「あぁ面倒くさい奴と一緒になってしまったものだ。」
黒猫の口から人の言葉があふれ出てきた。
「たかだか三百年やそこらで偉そうに言うんじゃないぜ。」
「おっとぉ！！」
伝次は嬉しそうに黒猫を見詰めると繁々と見詰め返してきた。

「おれは沙門と呼ばれていた。」ぼそりと黒猫が言った。
「へぇ！！随分と洒落た名前じゃぁないか。寺の坊主にでも飼われていたのか。」
伝次の問いに沙門は鼻先で笑う。
「名をつけてくれた主は坊主は嫌いだったな。」
もっとも・・・沙門は暗くて桁も見えない橋を見上げた。
「沙門　おめぇは一体どれくらい生きているんだ。」　伝次が興味も露に声をかけてくる。
「しっかり数えたわけではないが千年ほどかなぁ。」
「そいつはすごいや。兄貴だね。いやご先祖様ってぇところかな。」
「妖しに先祖なんかいるのかよ。」
沙門が不満げに髭を動かした。

沙門は猫又と呼ばれる妖しだった。
もう長い間生きてきており幾つもの時の流れを肌で触れ目で見てきたのである。
それでも永遠の命を持っているわけではない。
普通の人間より長く生きると言うだけの事だ。

「まぁ雨も止まないようだし聞かせてやるからそこで静かにしていろ。」
沙門の言葉に伝次はへぇっと畏まって頷いた。


沙門と名乗った黒猫だったが今その名で呼ばれているわけではないっと語りだした。
不思議そうな顔で首を傾げる伝次を見やると髭をピクリと跳ね上げたのは笑ったつもりなのかも知れぬ。
猫又として生きていたころは名など無かった。
それに名をつけてくれたのは都の帝に仕える陰陽師の家に産まれた少年で保憲と呼ばれていた。
幼かった彼は非常に聡明で猫又と言う妖しを見ても脅えもせず騒ぎもせず式になれと誘ってきたのだ。
この契約は保憲が死んだ段階で解消される。と言うと伝次は半信半疑の表情でじっと黒猫を見ていた。
「人の方が先に死ぬだろうが。」
黒猫の言われて納得したように伝次は何度も首を縦に振った。

「沙門と名付けてもらったのはその時のことだ。」
「それじゃぁ今は沙門さんでは無いんで？」
「まぁ正式にはそうかも知れぬ。だがな。おれはこの名が気に入っている。
時と共に添うた人は何人もいたし勝手に名もつけてくれていたがな。」
黒猫は寄り添った人々を思い出しているのか目を細めて首を振る。

最初から人語が話せたわけではない。話せるようになったのは何時のころからか・・・

「陰陽師と言う仕事は知っているか？」黒猫が問うと伝次は曖昧に頷いた。
「江戸だった頃に胡散臭い形をした奴がいたな。たいした悪さをするでもない妖しを祓うとか言って消したりしていた。」
伝次の話に黒猫は　ふむ・・・と小首を傾げた。
「そいつが陰陽師かどうかは解らぬが鬼や妖物を祓ったり消したりはしたな。」
ヒェッ！！伝次は後に跳び退いた。
「安心しろ。おれは陰陽師ではない。陰陽師と契約をした妖しだ。」
「良く解らないけれどおれを消したりはしないんだな。」
恐々と近寄ってきて黒猫の顔を覗きこむ伝次を見て黒猫は言った。
今のところは・・な

保憲が大人の儀式を迎える少し前の事だった。
妙に生白い顔をした童子が保憲の家である賀茂家の屋敷にやってきた。
人の子では有ったが剣呑な雰囲気が全身から溢れていてな。
おれは近寄らない方が良いと考えて保憲の陰にずっと隠れていたものさ。
ところが保憲はその童子をいつも傍へ置くではないか。その眼差しから慈しんでいるのが良く解った。
やがて保憲は大人と認められ陰陽寮へと出仕する官人となったんだ。
それからおれは保憲と妖物と何度も対決した。強い奴もいたし取るに足りない奴もいた。
ん？あの剣呑な童子はどうしたかって言うのか？保憲の後を追うように寮へ入ったさ。
保憲は強い奴だったがこいつも負けず劣らず方術に優れていた。
晴明と言う名だったが最初の頃にはおれと係わる事はあまり無かったな。
時に命を懸けた事もあった。それでも・・・
楽しかったな
黒猫はその頃を思い出しているのか目を閉じると何度か鼻先に皺を寄せた。

「兄ぃは恐くはなかったのかい？いくら妖しだって死ぬんだぜ。」
伝次は小さな声で黒猫に問いかけた。
「恐れるという気持は大事だな。江戸の人の子だってお前を見て恐れていたのでは無いか？」
「そう言やぁその通りだ。さすがに兄ぃだ。」
ポンッと手を打つ伝次に黒猫はフンと鼻を鳴らす。
「なんだか江戸の妖物は随分といい加減な奴なのだな。おまえだけか？」
黒猫はぼそりとつぶやくと話を進める。

保憲と常に伴にあったがやがてそれも終わりの日が来た。
人には命数が定まっておるからな。
保憲は類稀なその才と引きかえになったのか命数は少なかったようだ。
五十の齢を越えた辺りから床に臥す事が多くなった。
「兄ぃ。」
ズズッと叢を擦りながら伝次が黒猫に近寄った。ぐすり・・・左の掌で鼻を撫でている。
「保憲ってぇ強い人は死んじまったのか。契約はどうなったんだ。」
「だから人は命数が尽きると死ぬんだと言っただろうが。契約はな。」
黒猫は首をスッと立てて伝次を見た。
「喰らうのよ。」　黒猫の言葉に伝次はヒェッと声を上げて仰け反る。
「式の契約とはそうしたものだ。式を使える術者の身体を残しておいて良い事はないのだ。悪事に使われても困るしな。」
だが・・・おれは喰らわなかった。
そうだ　おれが喰らう必要は無かったからだ。
「そうなんで？」　
ズリズリと近寄り伝次はまた黒猫の顔を見詰める。
晴明がな。片時も傍らを離れなかったのさ。どんな妖物でも近づく事はおろか髪の一筋も触れる事はできなかった。
常に僅かばかりの笑みを口端に載せて保憲が灰となって先の世に逝くのをじっと見送っておったわ。
それゆえな。おれは自由の身になった。ただの猫又に戻ったのさ。
「よござんしたね。」
伝次は曖昧な表情で言葉を挟んだ。
「良くはなかったさ。」

保憲がこの世にいないという現実がおれの前に突きつけられて身に沁みた時、おれは無性に寂しくなった。
胸の辺りが妙にちくちくと痛む。妖物を狩る気も失せた。
ただ毎日保憲の気配だけを追っていたように思うのだ。
晴明はまだこの世にあったのであいつの屋敷にも良く出かけた。あそこには他の何処よりも保憲の気配が濃く残っていた。
南庭や東の廂・・・なぜか奥の褥の間まで保憲の気配は残っていた。
おれが足繁く通うものだから晴明が笑ってな。
気の済むまでここに居れば良いと言ってくれた。
「おまえは寂しくは無いのか。」と訊ねたら
「おれは保憲様と先の世の約定を交わしている。」と言うでは無いか。
人と言うのは侮れんと思ったさ。

晴明もこの世を去り時代は大きく変化していったよ。
大きな戦が何度も起こり帝の権威も随分と軽んじられた。
それでもおれは死ねぬ。戦乱の炎の中で何人もの武将と戦いを伴にしながらも死ねなかった。
黒猫は不吉だとか言われてな。
「あっ！それは江戸の町でも言われていますぜ。」
伝次の声に
さもありなんと言う風に黒猫は耳を左右に動かした。

そのような中で面白がって傍らにおいてくれた武将もいた。
名も「くろ」だとか「ぬばたま」だとか色々と呼ばれたがおれは沙門だとしか思えなかったのだ。
「兄ぃは都の妖しなのに、なんでまた江戸にやって来たんで？」
ふっと気がついたように伝次が問いかけた。
外の雨は大分小降りになってきている。止むまで間もなくだろう。

「ここが都になるからだ。いや・・・なったのか。」
「そう言やぁ天子様がやって来たなぁ。」
「そうであろう？だからだ。」

おれは長い間ずっと考えていた。
保憲も晴明も人の子だった。
ならば転生を繰り返すはずだ・・・とな。
このおれは今日までずっと生きていたのだからあの二人が・・・保憲が転生をしてこの世に戻っていれば必ず解ると思った。
ずっと京の都にいたのだが巡りあえなんだ。
猫又は長く生きると言っても千年は長すぎるとは思わぬか？伝次。
あっあぁ・・・そうかも知れねぇ
ここは肯定すべきか否か
伝次は迷いながらも相槌を打った。

おれは保憲を看取った。
今度がおれが保憲に看取って欲しいのだ。これは妖しとしては贅沢な願いかも知れぬ。
それでもあいつの膝の中で消えて逝きたいのだ。

黒猫は伸ばした前足の上に顔を落とすと口を噤んだ。
真っ黒な身体が暗闇の中でも解るほど震えていた。

「兄ぃ・・・」
伝次は黒猫に手を伸ばすとそっと身体を擦った。
ピクリ・・
黒猫の身体が跳ねると四つの足でしゃっきりと立ち上がった。
「すまんな。つまらぬ話をしてしまった。雨も上がったようではあるし、おれは行く。」
「兄ぃ・・・・」
「すまんな。おれには時間があまり残っていない。」
「兄ぃ　おれはさ風来坊みたいなもんだけどよ。江戸からの稲荷がここにはたくさんある。おれは祈るさ。」
「妖しが神に祈るのか？」
黒猫は髭を震わせて確かに笑ったあとで小首を傾げた。
ふむ・・・稲荷神か。悪くはないな。
黒猫の呟きに伝次は改めて言う。
「悪くないんならおれは祈るさ。これしかできないんだもの。」
「あぁ！頼もう。狐ならまんざら縁が無いわけではないからな。」
「会えるといいな。兄ぃ」
「あぁ。」

ぬかるんでいる土手を上がり空を見上げる。
黒雲は遥か彼方に進んでいた。
未知に人々の姿が増えてくる
右と左に伝次と黒猫が分かれたとき風向きが変わった。

ヒクッ・・・黒猫の鼻が動く。
ピンッと耳が立ち上がり髭が方向を定めるように広がった。

バシャッ　バシャバシャッ
幾つもの水溜りを跳ね上げながら黒猫は走る。
こっちだ
この気配は・・・この気配は
転生ではない　覚醒したんだ。
そうでなければこんなに強く感じるはずはない。
黒猫は走った。
跳ね上がる泥水で背中まで泥に塗れたが気にもならない。
ここで離れたらあの膝の中で消える事は叶わぬ。
こっちだ
こっちだ

道を行く町人たちは老猫がよたよたと走るのを不思議そうに眺めている。
気にするものか
今を逃したら・・・おれは
気配が濃くなってくる
あの笑顔が脳裏に浮かぶ。
待っててくれ。抱き上げてくれ。
保憲　や・す・の・り

黒猫の足は止まらず、かつての江戸を駆ける。
道の端にはガス燈が仄かな明かりを灯し始めていた。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　完














　 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2018-11-24T15:30:31+09:00</dc:date>
		<dc:creator></dc:creator>
		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
	</item>
	<item rdf:about="https://ihoujin.novel.wox.cc/entry104.html">
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		<title>◆その面影も</title>

		<description>とすとす　とすとす・・・
軽やかな足音…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ とすとす　とすとす・・・
軽やかな足音が南庭に向く廊に響かせながら近づく。

摂津は阿倍野郷　安倍益材が構える屋敷である。
益材は平の都の内裏に仕える官人であった。
何かと忙しない役目の為に摂津の屋敷に訪れる事は稀であったが、屋敷を守る家人や女房達から文が届けられ、何とも不可思議な内容に、己の目で確かめるべく今日の帰宅となった。
歩を進めた益材の目が南庭を捉えたとき、足が止まった。
穏かな陽射しの中　階の下の庭に幼童が　じ・・・・っと空を見上げていたのである。
春も終わりを告げようとしている時期のこと。
いささか眩しさを増した陽射しに庭に植えられた木々の緑も煌いていた。
ふいっと童の手が動き、宙を掴むように指が袖の下から現れ、ひらひらと振られている。
とん！
軽やかに足が地を蹴り両の腕を広げて童自身が宙に舞った。
穏かな風に袂が翻り、くるりと童の体が捩られた。
パンッ！
音を立てて開かれていた両の手が合わせられる。
やっと満足したのか幼童の口元に僅かな笑みが浮かんだ。

「葛・・・」
益材は知らずに口にした言葉を、口に押し戻すかのように手にしていた扇で隠した。
「父様。」
気配を感じたのか幼童は声を上げ階を駆け上って益材の眼の前に掌を見せる。
小さな掌の中には田奈の綿毛が収まっていた。
「これを追っていたのか。」　益材は目を伏したまま呟いた。
「はい。」
幼童は応えると益材の眼の前に綿毛がぬけてしまった田奈の花の残骸を差し出して微笑む。
「童子丸。」　
益材の声に童は真っ直ぐに視線を向けた。
黒曜石のような瞳の奥が陽を受けて翡翠のような深緑が混じる。
引き込まれるような眼差しに益材は思わず後ずさって距離を置いた。
訝しげに小首を傾げた童の在り様に益材の手が無意識に伸びて細い首にかけられ、力が込められた。
「ち・・・父様。」
苦しげな童の声を聞きつけたか慌しい足音が廊を伝って近づいてきた。
「殿！　益材殿！！」
姿を見せた女房の声に益材は夢から覚めたように素早く手を引き繁々と掌を見詰める。
女房は童を袖の中に匿うように抱きしめると益材の言葉を待った。
「すまぬ。童子丸を奥へ連れて行ってくれぬか。」
益材は力なく指示を出すとその場に腰を下ろした。
「畏まりました。　さぁ若君　奥の室で唐菓子など召し上がりませ。」
女房はそっと童の肩を押し出すように身を翻した。

遠ざかる二人を見つめながら益材は誰に言うのでも無く一人呟いた。
「やはり・・・やはり・・・あやつは傍らには置いておけぬ。」




「七つまでは神の内と申しますよ。益材殿。」
実の年齢よりも落ち着いた言いようで益材を諭す男を益材は納得の行かない面持ちで見返した。
益材と同じく内裏に仕えるその男は、陰陽寮に多くの陰陽師を入れている賀茂家の当主・・賀茂忠行である。
「されど忠行殿。家人が怯えております。このままあの童を我が屋敷においておく事と言うのは・・・今に大きな障りになるかもしれませぬ。」
途惑うように言葉を選びながら益材は言葉を紡ぐ。
「その幼い童を当方に預けたいと言うのは妖しげなその力の為だけでございますか？」
「・・・・・それだけ・・・・」
言葉を呑んだ益材を穏かな眼差しで見返していた忠行がふっと表情を正した。
「益材殿。お預かりするからには、しかと話して頂かなければこちらも納得が行きませぬ。」
「実は・・・」
何度も言葉を探し、自分を追い立てるように顔を上げ・・また握った己の指先を見つめてようやく心を定めたか益材は話し始めた。

幼童「童子丸」の母親は都の外れでは飯縄と呼ばれる歩き巫女であった。
阿倍野郷の稲荷の祭に舞を舞ったのが益材と出会うきっかけとなり、その美貌に益材が心惹かれて屋敷に入れたのであった。
歩き巫女の名は葛葉と言い、同行していた他の巫女たちと別れ屋敷に落ち着くように見えた。
やがて二人の間に子が生まれた。それが童子丸である。
益材は乳母をつけようとしたが葛葉はそれを拒み自らの乳で子を育てた。
このまま妾として益材の元で暮らすかに見えた葛葉であったが童子丸が乳離れをして四つを数える齢になった春に以前の歩き巫女たちが阿倍野郷を訪れたのだと言う。
葛葉は昔の仲間とともに屋敷を去った。
童子丸一人が益材の屋敷に残されたのである。
益材の心の内に葛葉への思いと理不尽さがない交ぜになって渦巻いたが、ここに存在する残された童を如何にするかが当面の問題となった。
益材は目の前の問題を解決する為に、身の回りの世話をする女人を童子丸に付けて育てる事とした。
「しかし・・・」
益材が言葉を止めた。
合わせるように忠行は白湯の入った椀を手に取り一口含み、じっと益材の言葉を待った。
幾度か言葉を選ぶ素振りを見せていたが益材は言葉を継いだ。

母の姿を見なくなっても童子丸は泣いて探す素振りを見せない。
周りのものも最初のうちは幼いのに健気だと慈しんでいたのだがどうも様子がおかしいと言い出したのは身の回りをしている女人であった。
何かがいる・・・女人は肌で感じると益材に伝えてきたのである。
最初は気のせいでは無いかと相手にしなかった益材であったのだが他の家人達も同じような事を益材に言い募るようになると捨てては置かれないと益材は阿倍野の屋敷へ足を運び暫らく滞在したのである。
「月の光が殊更青い夜のことでした。」
益材は目を伏せたまま言葉を改める。
「なにやら不思議な気配を感じて童子丸の寝ている室へ足を向けました。」

そこで益材は見たと言う。
朧な姿の白狐が何匹も童子丸の周りに寄り添っていた。
寝ているはずの童子丸はパッチリと目を開き嬉しそうに白狐と戯れている。
闇の中にぼんやりと姿が見えるのは月が明るい為だけとが思えぬ。
童子丸と白狐を包むぼんやりとした明るさが益材は何とも気味が悪く思えた。

「それで・・・妖しの類と共にいる童は気味が悪いから屋敷には置けぬと？」
忠行は益材へ視線を向けると穏かに尋ねた。
「そうではありません。」
益材はふるふると首を左右に振って否定した。
「このままでは・・・」
益材はごくりと口の中に溜まった物を飲み込むように喉を鳴らすと言葉を継ぐ。
「このままでは・・・私は童子丸を殺めてしまうかも知れませぬ。」
ほう・・・・
忠行が息を吐くと話を促すように益材の口元へ視線を向けた。
「先日の事でした。」　益材は定めたように話し始める。

阿倍野の屋敷に置いている家人や女人から相次いで都に住まう益材の屋敷へ文が届けられた。
どれも妖しの気配に慄く内容であった為、主としての努めと益材は阿倍野へ向かい田奈の綿毛と戯れる童子丸を見た。
「その・・・その仕草が葛葉を映したようで・・・」
忠行は何も言わない。　益材は大きく息を吐いた後に言葉を進めた。
「駆け寄ってきた童子丸が私の目の前に田奈の・・・花が終わった田奈を差し出して微笑んだのですが。」
忠行が小首を傾げた。　益材は伏せていた面を上げて忠行を見返して一気に話を進める。
「葛葉に生き写しの表情で・・・その瞬間にずっと心に蟠っていた理不尽がこみ上げてきて、我に返った時には童子丸の首に手を掛けておりました。」
「このままでは私はいつか童子丸を殺めてしまいます。手元において育てるわけには参りませぬ。」
一気に語り終えると益材はがっくりと肩を落とした。
暫しの静寂が訪れ、初夏の風が庭先を渡って行く。

「益材殿。賀茂の家は帝に仕える家ではありますが身分は低い。」
忠行の声はどこまでも穏かである。
「陰陽師など何時　命を失うかも知れぬ危うき職種です。にも係わらず何故に我が家に預けようと思われるのか。」
忠行の問いに益財は僅かに笑みを刻んだ。
「何処にあろうとも人はいつか死ぬるものでございます。それに・・・童子丸が必ずその職種を修めるかどうかは未知数でございましょう。」
「たしかに・・まだその童を私は目にしておりませぬゆえ。しかし、ならばこそ地下の者として終わるやも知れませぬぞ。」
忠行は真っ直ぐに益材を見返して応える。心の奥を射抜くような響であった。
「忠行殿は・・。」
益財は何故か声を潜めて言った。
「忠行殿には文時殿の後ろ盾がございますれば・・。」
「それが頼みか。」
忠行は苦笑いを浮かべて大きくため息をついた。
菅原文時は菅原道真の孫に当たり文章博士を経て数々の実績を上げた後に従三位まで駆け上る人物である。
まだ陰陽師の位置が不安定で神祇官よりずっと卑賤の者と思われていたこの頃、忠行が確固たる位置を築いていく上で大きな後ろ盾になっていたのがこの文時であった。
「どちらにしても頑是無い幼童が理不尽に命を奪われる可能性は減らした方が良いのであろうな。」
忠行は独り言ちると益材に視線を落とした。
「こちらでお預かりして後にどのような道を歩む事になろうとも拘りをお持ちにならぬと言えますかな。」
忠行の声に益財ははっと面を上げて言葉の真意を確かめるように視線を落とし
「お任せいたしたのでございますから、如何様な事になろうとも決して・・・。」
益財は肩の力が一気に抜けたように振るわせた。


こうして童子丸と呼ばれる幼童は賀茂の家に移り住む事と成ったのである。








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		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2018-07-30T15:44:46+09:00</dc:date>
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		<title>◎「それでも・・」</title>

		<description>「ちょっ！・・・ちょっと！！」
「節子…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ 「ちょっ！・・・ちょっと！！」
「節子さん！放してください。放して・・」

時ならぬ声が響く、そこは背の丈ほどもある藪の中での事。
「ともかく・・早く此処から離れましょう。だから！！」

おろおろと声が何処と無く揺れて頼りなげな声音はペンギンであった。
「こっ腰が抜けちゃったみたい。」
こちらは先程ペンギンから節子さんと呼ばれた人物。
ストレートヘアーが乱れているのは風のせいばかりではなかった。

「ともかく・・ともかく早く戻りましょう。だから！！そこは掴かんじゃ駄目ですってば！」
ペンギンはがっちりと足首を捉まれて身動きがとれない様である。
「だって・・一人で逃げないでよ。」
恨みがましく上目でこちらを見詰める節子さんの手を無理やり引き剥がしてペンギンは深く息を吐いた。
「だからやめようと言ったのですよ。あぁったく！」
ペンギンは短い首を二・三度左右に振りながらもう一度ため息をついた。
「だって見てみたかったんだもの。」
少し気持ちが落ち着いたのか節子さんはペンギンの足首から手を離して呟いた。


「暑さにでもやられたのかい？」
耳に馴染んだ声にも二人は肩を落としたまま俯いている。
ほぅっと深く息を吐くと、また床へと視線を落とす二人を見下ろしながら探偵長は苦笑った。
いつも賑やかな二人が此処まで落ち込んでいるとは・・な
いったい何をして来たのかっと探偵長は首を傾げながら自分の椅子に腰を下ろすと再び声をかけてみる。
「話せば楽になるって事もあるじゃぁないか。」
なんだか昔のお白州みたいな台詞だなっと探偵長は口にしてから肩を竦めた。
「節子さんが・・・」　ペンギンが小さな声で言った。
「見たかったのよね。」　後を追うように節子さんの赤い唇が動く。
よしよし・・・探偵長は話が進み始めた事に気をよくして、一人合点をする。


探偵長が依頼された仕事の関係で夕方まで戻ってこない。
事務所に残された形の二人は暇だったのだ。
「ねぇ。鎌倉幕府ってさぁ。」　節子さんが口を開いたのがそもそもの事の始まり。
源頼朝が開いたと言われる幕府の歴代将軍のうち頼朝の血を引いているのは僅かに三代で終止符を打った。
その後は都から送られてくる者を飾り将軍として実権は北条氏が一手に掴んでいた。
武士の武士による武士の為の政権だった筈が北条氏の為の政権へと変化するのにそれ程の時間がかからなかったのである。
なんやかやと都との争いにも勝利して安泰に見えた鎌倉であったが、後醍醐天皇と手を組んだ足利氏・新田氏の攻撃により遂に滅亡へと突き進んだのであった。
特に新田義貞が引き潮を狙い北条氏の拠り所へと乱入した事で鎌倉は地獄絵図へと変わった。

「だからね。」
節子さんは反応の薄いペンギンに焦れてポンッとテーブルを叩いた。
「負けちゃったら切腹って言うのをするんでしょ？」
「それは・・する武士もいたでしょうね。」
「しない人もいるの？」
「切り殺されちゃったら出来ませんよぉ」
「バッカじゃない？そんなの当たり前よ。死人が切腹したら幽霊じゃん。」
節子さんは長い髪を揺らしながらピッと人差し指を立てて言った。
「見に行こうよ。」　
ゲッ！！
ペンギンは目を見開いて節子さんを見詰める。
「切腹をですか？あまり良い趣味ではないと思いますが。」
「だって・・武士の嗜みって言うでしょ？」
嗜みで腹を切っては命がいくつあっても足りないとペンギンは思ったがここは口には出さなかった。
「ほら、忠臣蔵の義士が切腹するときだって死に装束の白い裃をつけてさ。」
「時代が違いますでしょ。それに・・あれは創作物ですから実際とはかなり違うのではないでしょうか。」
できれば見たくないオーラを全身から溢れさせてペンギンは首を振った。
「ちょっと。ちょっとだけ見て帰ってくるからぁ。」
「探偵長が戻るまでに絶対に帰ってきますよ。」
ペンギンの言葉に、うんうん・・・節子さんは安請け合いの肯定を示す。
「絶対にですよ。」
こうして二人は、鎌倉時代と呼ばれた時代の新田氏乱入直後へと飛んだのであった。


「それで？」
少々・・いや、かなり呆れた顔で探偵長が先を促す。
実のところ先は何となく見えているのだが、そこは知らぬ顔を決め込んだ。
「もう・・・悲惨でね。」　ペンギンがボソッと呟いた。
「なにが？」
探偵長はあえて冷淡に問いかけてみれば横で節子さんの目が泳いでいる。
「言わなくちゃ駄目？思い出すだけで気持ちが悪くなる。」
「だから行きたくないって言いましたよね。」
消えかかっていた火種が再び炎を上げて、二人は言い合う。
やれやれ・・・本当に向う見ずなんだから
探偵長は声に左出すに首を竦めた。大凡の想像はつく。

二人は身を隠すのに具合の良かった藪の中でそれを見たのだった。
討ち取られた武士は血に塗れ、ザンバラ髪のまま息絶えている。
カッと見開かれた眼は無念さを滲ませて虚空を睨んでいた。
何体もの死人の間を野犬がうろついている。
争いの中で腹を空かせた野犬は増える一方だったらしく一匹の野犬がガブリと死体の足に牙を立てて喰い千切れば、他の野犬も習うように唸りを上げた。
敗者の美しさなど微塵も無かった光景に、節子さんは声も出ない状態でペンギンの足首を掴んだ。


「ちょっ！・・・ちょっと！！」
ペンギンは狼狽しながら声を荒げた。
「節子さん！放して下さい。放して・・」


「それで逃げ帰ってきた・・と」
探偵長は微苦笑を浮かべながら二人を見た。
「食われたくは無いですからね。」
ペンギンがぼそりと呟いた。
確かにね・・・言いながら探偵長が差し出したのは包装紙に包まれている。
「これは？」
節子さんが包みと探偵長を交互に見ながら問いかけた。
「水無月さ。」
事も無げに探偵長は言う。
「鎌倉幕府の滅亡も興味深いけどね。身近にも色々と楽しめる事はあるんだよ。」
言いながら探偵長は包みを開いて二人に見せる。
三角形の其れは表面が小豆で覆われていた。
「水無月ってお菓子の名前なの？暦の呼び方かと思っていたけど。」
節子さんが興味深げに覗き込んだ。
「元々は六月のことさ。」　探偵長は当然と言うように応えた。
「氷を食べると言う・・・あれですか。」
ペンギンも、こくこく・・・首を振りながら面白そうに三角形の和菓子に目を向けた。
「そうだよ。昔々のことさ。貴族達は貴重な氷を食べたけど庶民は手に入らない。」
「冷蔵庫は無いですものね。」
節子さんが納得したように言うのを聞いてペンギンと探偵長は声を上げて笑った。
「それで削った氷に似せて三角形に作ったこの和菓子を水無月と名づけて食べるようになった。」と、探偵長。
「随分と大雑把な説明ですね。」　すかさずペンギンが突っ込んだ。
ふふん！
探偵長は鼻先で苦笑うと
「今は冷凍庫でいつでも氷は作れるしね。」と、言い放つ。
「それでも・・天然氷は貴重です。」
ペンギンが喰らい付いた。
「まぁ　いいじゃない。お茶でも入れましょう。」
何故か節子さんは、急に秘書の顔に戻って席を立つ。

やがて薫り高い緑茶が運ばれてきて三人は水無月を手にとった。
「美味しいですね。」
「あぁ　なかなかだろう。」
探偵長と節子さんは満足げに水無月を食べ、お茶を啜る。
もぐもぐ・・・口を動かしながらペンギンは思った。
ー　探偵長が完全に省いた、夏越の祓えの話は何処へ行った。ー
「まっ！いっかぁ！！」
突然のペンギンの大声に探偵長と節子さんは目を見開いてペンギンを見た。
当のペンギンは気にした様子も無くズズッとお茶を啜る。

「今度行こうじゃないか。」
何を・・とも、何処へ・・とも言わず探偵長が笑う。

そうそう
怖いこともある。解らないこともある。
それでも好奇心が減ることが無いのがこの三人なんだよなぁ
ペンギンは独り言ちながら
パクリッ
水無月を頬張った。

　　　　　　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　完了
　









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		<dc:date>2018-06-19T11:19:20+09:00</dc:date>
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		<title>◆「外来種」</title>

		<description>二十六夜の月には尊いお姿が見える・・・…</description>
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			<![CDATA[ 二十六夜の月には尊いお姿が見える・・・その姿を見ようと夜更かしをする者もいる。
深い闇の中に浮かぶ月が出るのはかなりの深夜になる為　殿上人は管弦の宴などを催し眠気を散らしたり、碁に勤しんで目を開いたりして月の出を待つ。
辺りは闇であるが空は晴れているらしく時折薄白く雲が見えた・・ような気もして皆の心は顔を出す月へと向いている。
そのような夜であったので朱雀門の上に音も無く蠢く物に気がつくはずも無く、黒い影は門の上から西の空を見上げているのだが誰に咎めだてをされるでもなかった。
黒い影が小さく肩を揺らして門の外へと姿を消そうとしたときであった。
あれほど静かであった空から雷鳴が轟きひんやりとした風が強く巻き出した。

「あなや。」
「何事ぞ！」
雅な風情は一転して慌しい物となりばたばた・・と人々の足音が辺りを覆う。
只ならぬ気配に陰陽寮に控えていた陰陽師が寮からわらわらと飛び出し風の吹いてくる空を見上げた。

ビィーン　ビビィーン　　ビィーン

鳴弦が響き渡り人々の心を更に不安に染め上げた。
陰陽師は其々起こりの原因を見極めようとじっと西の空を見つめる。
朱雀門の上の黒い影が肩を竦め係わらぬが幸いとばかりに音も無く門の外へ消えた。

バリバリバリッ！！

激しい落雷の音と共に建物の一部から火が上がる。
逃げ惑う者　腑抜けたようにその場に座り込む者。　健気にも貴人を庇って導く者・・・
先程までの暢気な気配は胡散して見つける事は出来ない。

騒ぎを他人事と大内裏の外に立った黒い影はゆったりと大路を歩みだした。

「お待ちを・・・」
背後から声がかかり、はて気配も感じなかったのだがっと訝しそうに影は足を止め首らしきものを捻った。
「酒呑童子様でございましょう？」
声の主はまだ冠を着けたばかりと思われる若き男であった。
ふふん・・・口の端に笑みを浮かべながら酒呑童子と呼ばれた影は正面から真っ直ぐに相手を見詰めた。
「晴明か。久しいな。」
揶揄するような言葉の裏に思いの他慈しみが滲んでいた。
「何をしてお出でであったか・・・と、お尋ねしたいのですが・・」
「ふん。気になるか？晴明。」
「この様な時でありますれば・・。」
晴明の目の端に笑みの為の皺が僅かに浮かぶ。
「それより・・良いのか？ほれ。」
酒呑童子は顎で朱雀門の向こう側を指し示した。
吹き来たった旋風の中に剣呑な気配が充満しているのが見て取れる。

ビィーン　ビビィーン！
響く鳴弦の音に重なるように陰陽寮の者達が呪を唱えるのが聞こえてくる。

バンッ！ドーンッ！！

大路が揺れるほどの振動が伝わり上がっていた火が高く舞い上がり炎の華となって辺りに舞い散る。
灰色の煙の中から姿を現したのは黄金に輝く狐であった。
尾は見事に九つに別れ其々が風を呼び、舞い上がる火花を更に広げて行く。

大内裏の中の混乱が輪をかけている様が手に取るように伝わってくる。
ふ・・
その状況の中で晴明が確かに笑ったのを酒呑童子は呆れたように見下ろした。
「おまえとて陰陽寮とやらに属しておるのであろうが。」
酒呑童子の声に晴明は片眉をあげて見返してくる。
「私のような見習い如きが口を出すことでもありませぬ。」
「そうか。」
酒呑童子は話は終わったとばかりに背を向けて大路を下ろうと歩を進めた。
「あなた様は拘らなくて良いのでございますか。」
晴明の問いに酒呑童子は首を捩って晴明の瞳を覗き込んだ。
「俺が？この俺が何故に拘らなくては成らぬのだ？人の世は人が統べれば良いことだ。」
「なれど・・」　晴明は酒呑童子を見返した。
瞳の中に己の姿が映りこんでいるのを見つけて酒呑童子は一歩後ずさった。

朱雀門の内側では左右衛府の者達が繰り出す矢が飛び、風を切り裂く音が絶えず、陰陽師の唱える呪の声が更に大きく重なって騒ぎは広まっていく一方であった。

ちら・・とそちらへ視線を投げた後に晴明は視線を酒呑童子に戻して言葉を継ぐ。
「あれは異国からの妖しでございましょう？」
「そのようだな。」
「ならば・・あれに都を滅ぼされたなら・・・」
「滅ぼされたなら？」
「あなた様も存在出来ぬのでは有りませぬか？」
晴明の言い様に酒呑童子は息をとめて言葉を探す。
「あなた様はこの都に有る鬼・妖しを統べるお方・・・その都が亡くなれば都に巣食う妖しも存在できませぬ。ならば・・・」
言葉の裏に揶揄するような艶が含まれているのを酒呑童子は感じ取った。
「どうせよと言いたいのだ。」
「指図をするなどと・・思いも致しませなんだ。」
ただ・・・と晴明は言葉を継ぐ。
「あなた様も都に住まうもので有る事は確かでございましょう。」
「ふむ・・其れは否めぬ。」
「そうでございましょう。」　晴明の笑みが深くなった。

「さて・・・あの化け狐であるがな。」
酒呑童子が語り始めたのは海の向こうの話であった。

遠い昔、唐の国よりも遠い外つ国で狐は生まれたと言う。
生まれた時から狐と呼ばれていたかどうかは定かではないが、雨も降らず辺りは石と砂で作られた建物が並ぶいくつもの国を渡って唐国に辿り着いた。
狐と呼ばれるようになったのはこの頃の事である。
この狐は尾が九つに割れており不思議な妖術を使って人に変化した。
色を好むは、この国も唐国も変わりは無く、狐は唐の女人に変化することを思いついたのだと言われる。
その美しさに皇帝は己を失い、やがて・・国土は荒れ人心は離れ・・やがて国は滅びてしまった。

「だがな・・・」
酒呑童子は改めて晴明を見下ろして言葉を継いだ。
「その狐だとて国を滅ぼそうと思っていた訳では無いのだ。」
ひょいと小首を傾げる晴明に視線を投げた酒呑童子は小さく息を吸った。
「恐ろしかったのよ。」ぽつりと酒呑童子は言う。
「人が・・・と言う事でございますか？」
「そうだ。人は己と異なるものを恐れ忌み嫌う。これは何処の国であろうとも変わらぬよ。」
「美しい女人に変化したのは己を守る為の手段であったと・・」
「そうは思わぬか？ぬしとて解っておろうに・・」
ずい・・酒呑童子が晴明に近づき顔を覗きこんだ。
「それも否めませんな。」
晴明は強い視線で酒呑童子を見返す。
それで・・・
「あれは如何したものか。」　晴明は首を振った。
例え恐怖の念から起こした事でも人はそうは考えぬ。内裏に火を出した。
この顛末を如何に収めれば人も妖しも穏かに過ごせるのか。
「晴明よ。あやつは異国のものぞ。この国で育った技が通用せぬとは考えぬのか。」
酒呑童子が肩を竦めて見せた。

陰陽道は確かに海の向こうからやって来た。
しかし長い年月を経てこの国で独自の変化を遂げ、今や伝えた側の物とは全く異なってしまっている。
無論　伝わったままの技も残ってはいるのだろうが今の陰陽寮でそれを知るものは僅かであろう事は相違ない。
「案じる事はございませぬ。」　
何の躊躇いも無く晴明は微笑んだ。
訝しげな酒呑童子に向かって晴明が応えた。
「忠行様がいらっしゃいます。それに・・保憲様も。まさかお忘れでは有りますまい。」
「たしかにな。」
酒呑童子も苦笑う。
ほれ・・
晴明が指差す先を見やれば舞い散る火の花は勢いを減じ始めており、九つの尾を持った狐は朧となり闇の中に消えようとしている。
「あれは消し去った訳ではあるまいて。退がしただけであろう。」
酒呑童子は唇を歪めて鼻を鳴らす。
「良いではありませぬか。恐怖の念から起こしたことであればまずはこの場から消えるのが最良だと存じますよ。」
「甘いな。」
酒呑童子が言い放った。
「それはこの国に潜むと言う事ぞ。いつ何時どのような形で現れるかも知れないと言う事ぞ。」
「構いませぬよ。その時はその時・・・あなた様がお覚悟を決めて下されば宜しいのです。」
「俺か？ぬしではなく。この俺が覚悟を決める事柄なのか。」
酒呑童子は楽しげに問う。
「あなた様でございましょう。あれは妖しなのでございますから。」
「それを祓うのが陰陽師の役目ではないのか？」
「あなた様に言われとうはございませぬな。」
賢しげな物言いに酒呑童子は声を上げて笑い出した。
「ほんに・・・暫らく見ぬ間に口が上手くなった事よの。」
悪戯を見つかった童のように晴明も笑う。
「さて・・・騒ぎも収まったようだな。去ぬぞ。」
酒呑童子は大路を南へと足を出した。
「お待ちを・・」
「まだ何か有るのか？」
「お答えを頂いておりませぬ。」
晴明の声に
はて？何を問われていたのだろうかと酒呑童子は首を傾げた。
「お忘れに成られたとは言わせませぬよ。朱雀門の上で何をなされてお出でだったのか。」
あぁ　そうであった・・・・
酒呑童子は遠くを思い返すように空を見上げた。
「何　たいした事がある訳でもないのだが・・な。」
ほう・・
晴明が業とらしく息を吐く。
「訳もなく朱雀門に上がっていたと。」
「月が・・」
「月はまだ昇ってもおりませぬよ。」
ピシャリと晴明が言葉を返す。
「ほんに・・・目敏い男よ。」
酒呑童子は何故か照れたように言葉を濁した。
「まさか見目麗しき姫に恋をしたとか・・」
揶揄する様に晴明が追い討ちをかけた。

ペシッ！

酒呑童子の右手が晴明の額を軽く打った。
「性もない男よな。その好奇心は童の時のままよ。」
「・・・で？何故に。」
今度こそ酒呑童子は大きく肩を落とした。
「笛がな。聞こえて来たのよ。それも極上のな。」
「笛？」

今日は二十六日の月であった。
殿上人は管弦の宴を催し眠気を散らしていた。
「それよ。」　酒呑童子が言う。
「際立ってよい音が聞こえてきてな。つい少しでも近くで聞きたくなって門に居たと言うことだ。」
「そのような者がおりましたか。」
取り澄ましたような殿上人の中にそのような名手がいただろうか？と晴明は管弦を奏していた者たちの顔を手繰ってみる。
地下人である晴明にとって殿上の人間を全て知っている訳ではないが今夜は警護も有った。
「まぁ　良いではないか。特に深い訳があったのではない。」
言い置くと酒呑童子はひらりと手を振ると南へと歩み始めた。
「お気をつけて。」
「この俺にそれを言うか。」
酒呑童子は苦笑いを浮かべながらも振り返ることはなかった。

酒呑童子が殿上人と笛を交換するのはこれより数年後のことである。
その殿上人が今宵の人物と同じかどうかは定かではない。

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