「どうして私がこのような物を着けねばならぬのです?」
切れ長の眼が切なげな表情を浮かべて見上げている。

季節は秋。
椛が紅く染まり時折ちらほらと風に舞い始めていた。

今にも涙で潤みそうな視線を受けて保憲は穏かに笑みを浮かべて言った。
「やる時にはきちんとする・・・これが大事だっと思わぬか?晴明。」
「ですから・・・何故この私が額櫛や簪を着けねばならぬのです?それに・・このような・・・」
晴明は如何にも嫌だっと言う態で二本の指で床に広がる唐衣を摘んだ。

事の起こりは賀茂家に持ち込まれた話であった。
左大臣の二の姫の寝所に妖物が出ると言うのだ。
二の姫は珠姫と言って左大臣としては入内させて外戚に成る事を狙っている。
陰陽寮を通さず直接賀茂家に来ると言う事は内々に収めろという事なのであろう。
そこで忠行は表には出ず嫡子の保憲が動く事となった。
左大臣の屋敷を訪れ話を詳しく聞いた保憲は手っ取り早く依代でも作ってさっさと祓ってしまおうと考えたのだが・・・
「決して仕損じるな。」 左大臣の言葉に苛立った自分を見たのである。
・・・・ ならば依代など使わず確実に手早く祓って見せようでは無いか ・・・・
保憲の頭の中にはしっかりと筋書きが立てられた。

「だから・・・おまえが二の姫の代わりに成るのだよ。」 保憲は人差し指を真直ぐに晴明仁向けて言った。
「私が・・姫様の代わりに・・・・」 晴明の眉が嫌そうに顰められる。
「二の姫のお髪は頂いておる。 それを懐に納めて姫の代わりに御簾の向こうで坐していれば良い。 簡単な事ではないか。」
「お髪がございますれば依代で充分ではございませぬか。」
尚も情けない表情を浮かべる晴明を無視して保憲は家人を呼ぶと唐衣の着付けを始める。
「保憲様・・・」
身に着けていた単衣を剥がされ新たに緋色の単衣・袿・唐衣・裳まで着けられて行く我が身を見ながら晴明が息を吐いた。
「装束が終わったら・・これを着けろ。」 額櫛と簪が家人に渡されるのを呆然と見ている晴明。
「なにか・・・楽しんでいませんか? 保憲様。」
「何を言う。 左大臣様からの内々とお話だぞ。 失態は許されぬ。」 保憲は毅然と応えた。
・・・・ ふん。 仕事は楽しまないとな。 やってられぬよ。 ・・・・・・
勿論 腹の中で保憲がそんな事を考えているなど晴明は知らない。
「ほれ!」 保憲から扇が放られて来た。
「こんな物まで・・・・」 ハッシと受け取って晴明が溜息をついた。
「ふん 眉を抜かれぬを幸いと思え。」
保憲は意に介すぬ風に言う。
「まっ・・眉を抜くなど有り得ませぬ。」
滅多に動揺する表情を浮かべる事のない弟弟子の慌てる態に保憲は秘かにほくそ笑む。



陽が西へ傾く頃 保憲は見目にも美しい女人を連れて左大臣の屋敷に入って行った。
退下の車であろうか。 どこぞの貴族が乗っているのであろう牛車が通り過ぎて行く。
ふわっと一陣の風が吹いて一瞬だけ女人の面が晒された。
「これ!」 保憲が諌めるように女人を見つめる。 
ツンッと空を仰いだ女人は何事も無かったように扇で面を覆うと扉の中へと消えて行った。



ジジッと高灯の炎が揺れる。
御簾の中で一人 晴明はいい加減に飽きて来ていた。
何しろ装束が重たい。 動きにくい。 
・・・何時まで此処にこうして坐していなければ成らぬのか。 あぁ屋敷で書物でも読みたい。・・・・
保憲の姿は見えないが何処かで妖物が来るのを待っているのだろうと考えた。
やがて・・・
御簾を上げた訳でもないのに朧な影がゆらゆらと浮かび始めた。
・・・来たのか ・・・・
晴明が目を凝らすと朧な影はゆっくりと人の姿を成して行く。
「! 」 声も出す間もなく喉に鋭い爪が食い込んできた。
耐え切れず床へ崩れ落ちながら見上げれば豊かな黒髪を乱して己を睨み付けて来る女人の視線と絡み合った。
・・・話が違ってやしないか?・・・・・来るのは男の妖物では無かったか ・・・・・
締め付けてくる爪の痛みに僅かに首を振りながら晴明は保憲の話を思い返してみるが出てきてしまったのだから対処をしなければ命が危ない。
『よくも・・・この私の背の君を・・・』
女人の形を成した物はまさに鬼になろうかと言う態で髪を振り乱し逃れようとする晴明の裳裾を掴んで離さず圧しかかってきた。
・・・ 保憲様 ・・・・・
常の事ならば素早く身を翻しているのだが今日はとにかく身動きがとれない。
晴明は保憲に念を送ってみるが姿が現れないのは如何した事か・・・
『そなたのような幼き者に背の君は渡せぬ。』
左手で晴明の裳裾を掴み右手で襟元を掴もうとする女人を晴明は辛うじて持っていた扇で思いっきり叩いた。
ハッとしたように身体が退くのを見て晴明は思い至る。
・・・ 生霊だな ・・・・・
冷静に判断した晴明は女人を見上げると穏かに声を掛けた。
「お鎮まれなさいませ。 このままでは鬼になられてしまいます。」
・・・ 鬼に ・・・・
宙を泳ぐ女人の視線がおずおずと晴明に向けられ検めるようにその面を凝視する。
「人の心は思うようには参らぬ物でございます。 どうぞ心をお鎮めになってくださいませ。」
畳み込むように言の葉を紡ぐ晴明の口元をじっと見つめていた女人の表情が少しずつ変化した。
「私は・・・なんと嘆かわしい事を・・・浅ましや・・」
女人はどこぞの姫なのであろうか。 逆立つようにいきり立っていた豊かな黒髪が床に落ちて広がった。
「どうぞ・・・お鎮まりになられてお戻り下さいませ。」
ようように身を起こした晴明は両の手をついて女人を見上げて引導を渡すと僅かに女人は頷いて朧になって行く。
・・・・ 浅ましい事を致しました。 心穏かに努めましょう ・・・・
声と共にその朧な影が消えて行く。 その姿をじっと見つめて晴明は一つ溜息をついた。

・・・さて・・っと ・・・・本来来るべき妖物はどうした事なのだろうな ・・・・
晴明は一人言ちながら動きにくい装束の袖を整えた。  ・・・ 真に重い物だな ・・・
ほんわりと苦笑する。

御簾が突然巻き上げられて保憲が入って来た。 
「保憲様。 今まで何処へ?」
「左大臣様からのお話にあった妖物を片付けていたのよ。」
食えない笑みを浮かべて保憲は応えながら晴明を見下ろしている。
「・・真にございますか?」 
他に妖気は感じられなかった。 何処に件の妖物が出たのか・・・晴明はかなり懐疑的な視線で保憲を見上げた。
「あまえ・・・この頸の傷はどうした。」 保憲が掌を晴明の首元に充てる。
「生霊が出たのでございますよ。」 途端に不機嫌な声になって晴明が応えた。
「生霊?」 「二の姫には通ってくるお方でもいらっしゃるのでございましょう。 そのお方の心変わりで焦がれた姫君が一人・・・」
だいたい姫を襲う妖物など出てきたのか?と晴明の瞳は暗に伝えてくる。
保憲は肩を竦めて晴明を見下ろすと
「出たさ。 今夜は妖物が出やすい日なのかも・・な」 揶揄するように言葉を発した。
「とにかく・・・」 晴明の機嫌は益々悪くなる。
「なんだ? 不満か。」 「不満です。」
「なかなかに麗しい姿では無いか。 姫を襲うた妖物をこちらへ回せば良かったか。」
 保憲は楽しそうに言うがその度に晴明の眉が顰められる。
「とにかく一刻も早くこの重たい装束を何とかして頂きたいものです。 これでは術も使えませぬ。」
「解った わかった・・・屋敷に戻ったらすぐに脱げば良かろうて。」
不機嫌なままの晴明を宥めるように牛車へ乗り込ませ尚も愚痴っぽく言葉を返す晴明と共に二人は賀茂の屋敷へ戻ったのである。
この話はこれで終わる筈だった。 しかし思わぬところで騒動が起きる。


一夜に妖しを二つも片付けた日から幾日かが過ぎていた。
二人にとってあの話は過去の物となりつつある。
特に晴明にとっては悪夢でしかなかった。 忘れてしまえ!とひたすらに己に言い聞かせる毎日であった。
大内裏の陰陽寮に出仕していた保憲は思いもしない人物の訪問を受けた。
己より遥かに高位の頭中将である。
「保憲殿。」 頭中将は何となく切羽詰ったような表情で声を掛けてきた。
「これは・・・頭中将様。 此度はどの様な御用でございましょう。」
保憲は慇懃に頭を垂れて訊ねる。
「人を探して居るのだ。」 「想うお方でございますか?。」
保憲は遠慮なく問いかける。 頭中将の全身から何とも艶やかな気配が溢れている。
これでは特別な能力が無い者でも一目瞭然。
「解りますか? 一目見てぜひに通ってみたいと思わせる姫でございました。」
「ほう・・・それ程の姫君であればこの私にお尋ね頂かなくとも頭中将様ならご存知の家の方なのではございませぬか?」
それが・・・・と頭中将の表情が一気に曇る。
「私の存じている姫の中にはいらっしゃらないようなのです。」
「あまり高貴なところの姫では無いと?」 保憲はやんわりと探りを入れる。
「保憲殿ならばご存知だと思いましてこうしてお尋ねしているのですよ。」
・・そうか ・・・どうしても知りたいからこのように丁重なのだな ・・・・
保憲は腹の中で笑った。 ・・・ 日頃は官位の違いを否応無しに表面に出してくるのにな ・・・・
「何故この私がその姫君を存じていると?」
思い当たる所が全く無い保憲は不思議そうに訊ねた。
「それは・・・保憲殿がその姫の手をとっていたからです。」 
衝撃的な一言であった。 ・・・俺が手をとっていた姫君など ・・・・
「そっそれは何時の事でございます?」 幾日か前の光景が脳裏に浮かぶ。
「少し前の事・・・左大臣様のお屋敷の門前で・・」 頭中将が確信的に応えた。
・・・そう言えば・・・風が吹いた時牛車が通り過ぎたような ・・・・・ 保憲の脳裏に浮かぶは不機嫌そうな弟弟子の表情。
「あっあれは・・・・」 保憲は言い澱む。
「やはりご存知なのであろう? ぜひにお教え頂きたい。」
「いや・・・あの者は・・・お止めになられた方が・・・・」
「何故です? 保憲殿の想い人という訳ではないのでしょう。」
「もちろんです!!」 保憲は即答した。 ・・・脳裏に浮かぶ弟弟子の表情が益々険しくなる。
「では何故に教えてくださらぬ。」 頭中将としては我が身分は決して低くは無いのだからと言う自負がある。
「仏門に入られました。」・・・ 許せ晴明 ・・・・
保憲の応えに呆然とした表情の頭中将は力なく肩を落とした。
「何か辛い事でも有ったのであろうな。 もっと早くに出会えておれば・・・」
・・・ いえいえ・・・如何に早くとも駄目でございましたとも ・・・・
「お力に成れずに申し訳有りませぬ。」 これで話は終わったと保憲は礼をとると頭中将の下を去るべく寮へと足を向けた。


・・・ あいつ耳が早いからなぁ ・・・・
腹の中で呟く保憲の耳に 「この私が何時仏門に入ったのでございますか。」 と不機嫌な声が聞こえたのは気のせいか。








 


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