「保憲」
「なんだ?」
冬の儚げな朝陽の中 円座に腰を下ろしているのは蛍と保憲である。
「やはり このままと言う訳には行かぬだろうな。」
脇息に身を預けて気だるそうに蛍が言う。
「あぁ 神との約束だからな。おかげで今ここに蛍がいる。」
保憲も何処となく歯切れが悪い。
「私は・・・べつに望まなかったぞ。」
「またそのような・・いつ目覚めるとも解らぬままにして蛍をここにおけると思うか。」
庭に目を向けていた保憲が正面から蛍を見据える。
「・・・そうだな。 やはり今だけか。」
「あぁ今だけだ。」
「保憲・・・おまえが望むのであれば窮屈だが張袴も袿も着てやっても良いと思っていた。」
言いづらそうに蛍が保憲を見上げながら言う。
「蛍・・おいで。」
蛍は差し出された保憲の両の手を掴んで保憲の袖の中にすっぽりと納まり頭を保憲の胸に預けた。
肩が少し震えているのが感じられる。
長く美しい黒髪を撫ぜながら保憲がそっと囁いた。
「泣いても良いのだぞ。堪える事はない。今だけなのだからな・・」
蛍の肩の震えが大きくなった。

・・・二人がこうして居られる刻はいくらも残されていなかった・・・




それは昨日の夕刻の事である。
眠り続ける蛍に為す術も無く忠行と保憲は途方にくれていた。

ボゥッと黄金色の光が薄暗いままの庭に浮かび上がった。
何事か?と忠行と保憲は目を凝らす。
光は見る見るうちに形を成し何十匹とも解らぬほどの黄金色の狐に変化する。
その中央で凛とした姿でこちらを見つめているのは真っ白な毛並みの狐であった。
「忠行・・」深い響きの声が忠行の意識に入ってきた。
「あなたは どなたなのですか?」忠行は訊ねた。

「我は信太に住む里神である。愚かしき人間よ しかと聞け。」
「信太の・・・それは稀名と何か関係が有るのでございましょうか。」忠行がさらに訊ねた。

「忠行・・良く聞け。
古来より妖しは人との契りを持ちたがる。そこに己の子を孕ませる事を強く望むのだ。
しかし産まれて来る子の殆どがそのまま妖しとなりやがて・・消える。」
「はい。」
忠行は返事をして話の先を聞く体制に入った。
「しかし・・ごく稀にではあるが人の姿をして産まれる事も有るのだ。
この者は産まれながらに人知を超えた能力を持つ・・」
「お待ちください。里神殿。 それはまさか蛍の事ではありますまいな。」
「何故 違うと思うのだ。」
「それは蛍の両親を私が存じているからでございます。」
「ふん だから愚かだと言うのだ。」
真っ白な狐 里神はその尖った鼻先で笑う。
「母は私の妹 葛子でございます。父は私の弟子であった稀名・・共に妖し等ではございませぬ。」
ふふっと狐が目を細めた。
「何故そうだと言い切れる。愚かな事よの。」

「聞け 忠行 葛子が稀名と夫婦になった時葛子の腹には子が宿っていたのよ。」
「なんと!」
「さて・・その蛍であるが・・魂を探す事は不可能とは言わぬ。
だが見つけるまでにどれだけの時間がかかるのかは我にも言えぬ。
明日見つかるかも知れぬ。千年先まで見つからぬかも知れぬ。
その方等の命が尽きるまでに見つけられればそれで良し。しかし見つけられなければ・・蛍とやらはどうなるか。」
ゾクッと忠行の背中に寒気が走った。
「真の妖しになる・・・と。」
「さぁ・・そこだ。」
里神が言うと青く光を放つ珠が宙に現れた。
「これは稀名の魂だ。」里神が事も無げに言う。
「稀名は儚くなったのでございますか?」
「そうだ その時に我に託した願いが一つ・・その為に我はここに来た。」

「この魂を空いている蛍とやらに入れて欲しい・・とな。」
「なんと仰る!それでは蛍は・・」
「その身のままで男魂となる。。」
「それはあまりに酷い事ではございませぬか。」
「ならば・・その方等で抜け出ている魂を見つけてくるか。
見つけて戻せたとしてもこの者は半妖半人のままだ。」
「・・・」
忠行は黙して考え込んでしまった。


「解りました。里神殿。」
忠行は意を決して結論を出した。

「これ以後 蛍は男魂としてその方が育てよ。女人としての刻限は明日の日没・・良いな。」
里神の声が終わると同時に青い光を帯びた珠はフワァッと揺らめきながら蛍の胸の中へ消えていった。

「蛍」保憲と忠行の声に蛍の瞼が静かに開いた。

「良いな 忘れるでないぞ  刻限は明日の日没。」
声と共に黄金の光も真っ白な狐の姿も消えうせていた。

あたりには冬の冷たい風が吹き渡っていた。
時が動き始めたのであった。



「行くぞ保憲。」
思いを振り切るように蛍が立ち上がる。
陽は正天に輝いている。
「まぁ待ってくれ。蛍。」
保憲が引きとめた。
「俺の願いを一つだけ叶えてはくれぬか。」視線を空に向けたまま保憲は言いにくそうに声を掛けた。
「今でなくては成らぬのか?」
「あぁ 今でなくては成らぬ。」
保憲は強い視線で蛍を見つめた。
「蛍は俺が望めば張袴も袿も着てよいと言ったな。」
「う・・うん 言った。」
今度は蛍が下を向く。
「俺は蛍のその姿を脳裏の奥に止めておきたい。・・・駄目か?」
「どうせ今日だけの事を・・か。」
「そうだ 今日だけの事だから尚更止めて置きたいと思うのだ。」
「・・・解った。」
ボソッと呟くと蛍は保憲の式に手伝わせて着替えをする事と相成った。


「麗しいぞ 蛍。」
現れた蛍を見つめる保憲の瞳が大きく見開かれた。
「そうか? やはり窮屈なものだな。」
照れくさそうに答えて蛍は牛車の中の人と成った。
「今日は俺も車副の一人よ。」保憲も照れているのかそっぽを向く。
ゴトンッと牛車が動き始める。
都大路を下っていく牛車の外から保憲が声を掛ける。
「どうだ?揺れは気にならぬか?」
「大丈夫だぞ。思っていたより楽なものだな。」
ゴトゴトと都大路を下り羅城門が見えてきた。
「保憲・・。」「なんだ?」
「歩きたいぞ。」
「姫というのは歩かぬものだ。」
「私は姫ではないぞ。」
「まぁ屋敷までもう少しだ。良かろう。」
大路に降り立った蛍は蝙蝠(扇)で口元を隠して歩き始める。
横にはピッタリと保憲がいる。

やがて東に曲がる事となるのだが陽はまだ西の空に高く輝いていた。
冬には珍しい穏やかな一日もあと数刻・・・
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