時は流れ 村上天皇の御世となった。
若く瑞々しい感性をお持ちであった皇は民への心がけも忘れない聡明な方であった。

晴明はこの時に屋敷を構える事となる。
内裏の北東に位置する上東門の先にある屋敷であった。
上東門はこの都が出来だ時には無かった門である。
桓武の帝が幾重にも張った結界をいとも容易く崩した形で作られたこの門はただ殿上人の都合で開けられた為に土で固められただけであり人々は土御門と呼んだ。
この土御門大路に面したこじんまりとした質素な屋敷が晴明の住居となった。
質素とは言えこの辺りは上達部の貴族が多く住む場所でもあり晴明の屋敷はそれらと比べれば小さいが車溜りも誂られている屋敷である。
ここに居住するようになって晴明の引篭りが顕著になってきた。
寮に勤める者は現在の国家公務員であるから出欠はきちんと取られている。 これが足りねば禄も貰えぬ。


「おい晴明。おまえ出仕の数は足りて居るのか?」
保憲は様子を窺いに晴明の屋敷を訪れるなり声をかけた。
「過不足無くしておりまする。」
廂と簀子の間の柱に背を預けていた晴明はゆったりと袂を払い保憲に礼をとる。
保憲は晴明の礼を解かせると傍らへ腰を下ろした。
「ならば良い。しかし あまり姿を見かけぬようだが・・・」
 すっと顔を近づけて晴明の瞳を覗き込む。
「そのように気にかかるのでございましたら札をちょいっと保憲様が反して頂ければ・・・」 
保憲が手にしている杯に酒を注ぎながら晴明が事も無げに言う。
「馬鹿な事を申すでない。」 クイッと酒を飲み干して保憲は眉を顰めた。
「いけませぬか?ならばちょいと式でも飛ばしてくるりと反しておきましょう。」 
晴明が唇の端に笑みを浮かべて応えれば今度こそ保憲は目を剥いて晴明を睨みつけた。

ふぁっふぁっふぁ・・・・・・
何処からとも無く笑い声が響いて道満が庭から入ってくる。
「これは道満様。 良うのお越し。」 
晴明が頭を垂れて声をかければ勝手知ったる何とやら・・・道満は庭から上がって来るとストンと腰を下ろした。
「保憲。 兄のお前が晴明に負かされてどうする。」 責める口調では無く道満は楽しそうに言葉を継ぐ。
「師匠である忠行様はこの私の思うようにせよと仰ってくださいましたよし・・・」
晴明は道満の杯に、とくとく・・・っと酒を注ぐ。
「まぁ慌てて賀茂の水にどっぷりと浸からずとも良かろうて。」 道満は舐めるように酒を空けている。

どれ程陰陽の能力が有ろうとも官位はあくまでも低く地下人である。
殿上人から見れば石木となんら変わりはしない。
「ここに居ります事が私の務めのような物でございますよ。」 晴明が杯に酒を注ぐ。 
ほおぅ・・・・・期せずして三人の口から息が吐き出された。

親政を行っていた今上帝が売官を禁じた詔を出さねば成らぬほど都のなかは乱れている。
それは時の変化であり流であり・・・誰人にも止める事は出来ない。
この国は錐の先を挿す隙間も無いほど藤原の物と言って良い。
藤原氏に連ならない者たちは皆 怠惰に流れその日を面白おかしく過ごす事に費やす事で胸を収めていた。
都の熟れた空気の中 遠い昔を知る最後の男の命数が尽きようとしていた。


     ★     ★     ★     ★     ★

「父上様。 何故語ってくださらぬ。」 臥せった忠行の傍らで保憲が声を荒げた。
幾分頬が痩せて面立ちが変わった忠行は瞳は閉じたまま口の端に笑みを浮かべ小さく応える。
「知らぬほうが良い・・・この儂がそう判断した。」
「弟のように想えと申しました。 常に傍らに置けと・・・ならば知りとうございます。」
保憲は細くなった忠行の掌を両の手で挟み込むように掴むと尚も言葉を継いだ。
「知らねば弟とは思えぬか?」
「そのような事はありませぬ。如何様に有ろうとも晴明は晴明です。」
「ならば良いではないか。 年老いた親の楽しみを奪ってくれるなよ。」
臥せてはいても意識は明瞭であるのは明々白々。
「のう・・・保憲。」 忠行が揺れる御簾に目をやりながら言う。
保憲はじっとその口元を見詰めて次の言葉を待った。

「賀茂の家は遠い昔から都を護る家柄よ。官位は低いがな。」 忠行の口の端に苦笑いが浮かぶ。
「だがな・・・それでも己一人の愉しみを持ちたいと言う欲があっても良かろう?」
忠行は視線を保憲に戻した。
「人として・・・愉しみが無ければ味気ないではないか。」
「父上様。それは・・・ 」
「公としては都を護る。これは譲れぬ。しかしな・・・この世に別れを言う身になれば愉しみの一つくらいは残して逝きたい物よ。」
「父上様。逝く等とは まだ・・」 保憲は思わず忠行の手を握った。
ゆるゆると忠行が僅かに首を振って保憲を見上げる。
「晴明をあの屋敷に置いたは都の為・・・鬼門から好からぬ物が来ないように・・と言うことになっておる。」
ふっと忠行が笑った。
「晴明は鬼門の護りとなる・・・賀茂としてですか?」
「そう言う事になっておる。 儂の愉しみは儂だけの物よ。」
「それを語っては下さらぬと・・・」
「語れば知らなくても良い事まで知る事となり晴明も穏やかではあるまい。何より儂の愉しみが減る。」
「父上様・・・・」 保憲は思わず絶句した。 ・・・・ ほんにこの父親は ・・・・・・
「狸であろう?」 忠行の声に保憲は笑うしかなかった。
「儂は愉しみなのだよ。 都を護る門を晴明が護り抜くか。開くか・・・そしてな。」 忠行が言葉を切った。
ごくりと喉を鳴らして保憲は忠行の次の言葉を待つ。
「都を我が物と思うておるあやつらは誰が鬼門を護っているのかを知らぬ。」
「護っているのは晴明ではありませぬか。」
「そうだ。確かに晴明よ。 それで良い。 あとは儂一人の愉しみぞ。」
忠行は嬉しそうに言うと疲れたのか瞳を閉じた。


     ★     ★     ★      ★     ★



それから季節が巡る頃
忠行は静かにこの世を去った。
入れ替わるかのように晴明は陰陽寮の天文得業生として歴史の表に飛び出してくる。
官位は七位と低いながらも豊富な知識と占いの正確さで帝の覚えも愛でたく召しだされる事も屡・・・・
陰陽寮の安倍晴明の名は一気に高まって行った。

「あのように方術に優れたものが鬼門に住むと言うのは理に適っておるのう。」
「さよう 然様・・・・都は比叡に護られておるがそこを超えても都に強固な防御があるのは心強いもの。」
殿上人は口々に囁きあい 時に縁を作ろうと土御門大路を行きかう。

・・・・・ ふっふっふ ・・・・・

保憲は忠行の笑い声を聞いたような気がした。

・・・ 父上様 ・・・・・ 真 あのように安堵して宜しい者なのでしょうか ・・・・・

保憲は忠行が何処からかこの様を見ているような気がしてならぬ。

・・・・・さぁて。 如何様な事になるか・・それが儂の愉しみよ ・・・・・
保憲は忠行の声を確かに聞いたようでどうにも腹が収まらぬ。

あの大狸が・・・まったく!
保憲はポンッと足元の小石を蹴り上げた。

ばさり
ばさり ばさり

何処から来たのか大きな鳥が保憲の頭上を越えて飛び去って行った。
鳥の先を見送りながら保憲は一人呟く。

「それでも晴明は晴明よ。如何様になろうとも俺の弟ぞ。」





 

 











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