「すまなかった。」 若者はぽつりと声を発した。
 
茜色の空が徐々に藍色の染まる頃の事。
視線の先には晒されている首が一つ・・・
都に謀反を起し、藤原秀郷によって都へと運ばれた平将門の首である。
大き目の瞳は閉じられ載せられている台の周りが黒ずんで見える。
清められている筈なのだが固まった血の痕に見えるのは何故なのであろうか。

「あなた様には何の怨みもなかったに・・・あなた様は縋り来た者を護ろうとされただけ・・・・」
ぽとり 若者の目から雫が落ちる。
 ぽとり ・・・・ ぽとり
落ちた雫が首の額に落ちて広がる。・・・・・と
ピクッ
命無き筈の首の瞼が動き静かに開かれた。
「我がぬしを怨むなど思いもせぬ事ぞ。」 首が口を開いて言葉を紡いだ。
「将門様。 私はあなたの望みを絶ったのですよ。」 
言いながらその白い掌でそっと将門の髪を梳いた。
「晴明殿。・・・とお呼びすれば良いか?それとも神子様と?」 将門がうっすらと笑う。
「なんと・・・・」 涙に濡れた瞳を揺らして若者はじっと将門を見詰めた。
「北の国では輝くように美しい赤子が生まれたそうな。男児だそうだな。 あれはぬしの・・・」
「将門様。 何も仰いますな。 私はもうあの里へは戻れないようでございますよ。」
泣き笑いの表情を浮かべながら若者・・・晴明はつぃっと目尻を拭いた。
「北の国には新しい芽吹きが起きた。 民は喜んで受け入れておるようではないか。
ぬしが忘れずにこの都から見守ってやれば良いとは思わぬか。」 将門の瞳に力が籠る。
「将門様・・・」
「それになぁ。時の流れは何人たりとて止めることは出来まいて。」
「過ぎた過去は儚い幻・・・と言う事でしょうか。」
「あぁ 滅びる時には滅びる。 そういう事だ。だから・・な。」 将門が一つ息を継ぐ。
「ぬしが我を撃ったとて恨みになど思わぬのだ。」
カッカッカ・・・・将門は声を立てて笑った。
「あなた様は東の国へ戻りたくは無いのでございますか?」 
晴明は将門の頬にかかる髪をそっと撫で付けながら尋ねた。
「そうよなぁ。 生身は消えたが思いは消えぬ。 戻って新しき世の護りとなろうか。」
ふっと将門が晴明を見上げた。
「ぬしともこうして話すことができた。 我は心置きなく東へ向かえるわ。
先の世がどのように成るのか・・・・ ぬしも都から見届ければ良かろうて。」
「行かれますか?ご武運を・・・」 晴明が反射的に口にした言葉に
ふふん!  将門が笑う。
「ぬしに言われると何とのう面映いがな。」
己の発した言葉の矛盾に気がつき僅かに頬を朱に染めた晴明に将門が言葉を継いだ。
「北の大国で崇められる神子様の言上げは頼もしい事よ。」
将門の首が俄に燐光に包まれる。
「お気をつけていらせられませ。」
「おう!達者でな。晴明殿。」
初めて晴明と名を呼んだ将門の首は宙に浮き闇の迫る空へと飛び去る。
見上げる晴明の耳に将門の高笑いが何時までも響いていた。


将門の首が消えた。
 祟りだ!と都が騒ぎ出した頃 巨勢の家で遠い昔を知る一人の男がこの世を去った。
巨勢では重い物忌に入ったらしいと一部の殿上人の間で噂になったが所詮は役を降りた隠居人の事。
知らぬものも多いうちに口に上る事も無くなり都は百花繚乱の春が過ぎて行く。

春の叙位で晴明が初位を得て陰陽寮へ入ったのは桜の花が散り始め青い空を真っ白に覆った日の事である。
萌黄袍も初々しくその姿が美しいと噂に上り始め保憲はまた違う憂いに胸を痛めることと成った。


「それにしましても・・・賀茂の家の方はほんに良く学ばれますな。」
保憲は寮にいる一人から声をかけられた。
「なにしろ数が多ございますからな。中には怠ける者も居りますよし・・」
穏やかに笑みを浮かべて保憲は応えた。
さりげなく視線を向ければ片隅の台に向かって晴明が一人黙々と反古紙を整えている。
「いや 戯言を・・・しかし あの者は口数が少ない。ほんに物静かで・・・・」
保憲に声を掛けて来た男は首を振りながら言葉を繋ぐ。
お年頃からしてかなり賀茂の家では学ばれたと思っておりますがあのように静かでここが勤まりますかな。」
ふふ・・・
珍しく保憲が声を出して笑った。
・・・・ 静かである事より強いものがあるか ・・・ 保憲は思ったが顔には出さぬ。
「まだ日も浅いゆえ。」 
「なるほど 慣れてくればもう少し・・・と言う事ですな。」
男は自分で納得すると軽く礼をとって保憲の前を去って行った。

保憲は改めて晴明を見やる。
相変わらず俯き加減で反古紙を整えている。
時折タンッと響く軽い音が仕事の捗りを教えてくれる。
保憲はあの日の事を思い返していた。

南庭から戻る間もその後も晴明とは殆ど会話を交わしていない。
眠り続ける事三日・・・
静かに意識を戻し開いた瞳は漆黒の輝きを佩びていた。
あの碧い色は欠片も見つからず傍らについていた保憲の心を揺るがせた物である。

ドーンッ 

響いた退下の知らせにふっと保憲は我に返った。
音もなく晴明が立ち上がるのが見える。
「晴明。」 保憲は思わず声をかければ、さらっと袂を返して跪き晴明が礼をとった。
「保憲様。 これにて退下いたしまする。」 晴明が跪いたままに言う。
「ならば 共に戻ろう。」 保憲は礼をとかせて傍らに立つ。
何を語らうでもなく小石を踏む音だけが聞こえる中大内裏の外へと出た。

「私は・・・」 突然晴明の声が保憲の耳元で囁く。
驚いて視線を上げれば晴明の目は保憲を見ているわけでは無く夏の気配の空を見ていた。
「なんだ?晴明。」 晴明が何を言おうとしているのかを考えながら保憲は声を返す。
「まだ・・・受け入れたのか解らないのですよ。」
何をとは言わない。 保憲も尋ねない。
「そうか なかなかに難儀な事だな。」
ポンッと足元の小石を蹴って保憲は呟いた。
「受け入れようと無理に急く必要は無いのではないか?」
保憲の言葉に晴明が小首を傾げた。
「どうであれ おまえはおまえだ晴明。」
保憲は俯いていた視線をしっかりと上げて晴明を見詰めた。
「そして・・・俺はこれまでもこれからも おまえの兄だと思うて居るよ。」
言って保憲は照れくさそうに笑った。

「保憲様。」 「なんだ?」
「子供の笑い声が・・・」 晴明が視線を宙に流しながら言った。
・・・ なんだ急に ・・・・
訝しく思いながらも保憲も辺りを窺う。
「子供など何処にもいないではないか。」 保憲は言った。
「確かに聞こえたのです。 楽しそうな明るい声でございました。」

ギシギシ ギシッ・・・・
車の軋む音をさせながら隊列を組んだ一行が大路を横切っていく。
「あれは貢物を運んでた北の国の一行だな。」 保憲は呟いた。
「さようでございますか。」 晴明は幾分瞳を細めながらも頷く。
「毎回 見事なものよなぁ。北の国はどれ程豊かなのであろうと考えるときがあるよ。」
「都にいては解らぬ事もございますれば・・・」
「あぁ そうだな。」

二人の視線の先を燕がツイーッと舞った。

「夏なのでございますね。」
「あぁ夏だな。」

隊列の音が遠く小さくなっていく。
 






 
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