秋の気配が濃くなって来ている。
濡縁を渡っていく風がひんやりと心地良い。

晴明が居を構えているのは都から南東に離れた如意ヶ峯である。
都ではないが他の国へ出た訳でもない。
まさに微妙な位置に有る。
「もっと外れでも良かったのだが・・・」晴明は思う。
「これより東に出向いたりしたらたちどころに師匠様の式が飛んできて騒動になってしまうからな」
ふっと一人笑いを浮かべた晴明・・・。

如意ヶ峯は都から眺めることは出来ない。
都の方角に前山がありその姿を隠しているからなのである。
この前山は後の世に京の人々が親しみをこめてこう呼ぶ「大文字山」。
この前山に「大」の文字が描かれるようになるのは晴明の時代よりずっと後の事となるのだがこの「大」は五行説その物なのだと言うことを気づく人は少ない。
お笑いになられるか?
ならばこの文字を書いて確かめよ
「水」から「火」へ一画
「木」から「金」へ二画・・・そして三角目は土で止まる。
其々がどのように関わってくるのか確かめて見るが良い。


「さて・・」
表情を引き締めた晴明は濡縁から僅かばかりの庭に向かう。
「そろそろ気が合う頃なのだがな」
静かに両の掌を合わせて目を閉じる。
長い睫が白い頬に翳りを作っている。夏の陽射しとは全く違う季節になった証左でも有る。
「・・・現」晴明の口から穏やかに声が流れる。
両の掌を開いた。
陽炎のような光が掌から上り始める。
「・・・開」
晴明の声に反応して陽炎は強い輝きを発し始めるが次の瞬間パッと消えてしまった。
「ふむ まだ気が熟さぬのか」
己の掌に視線を移すとグッと拳を作ると部屋へ戻ったのであった。

「晴明 おるか?」
忠行が声をかけながら濡縁に向かって来る。
「師匠様 このように辺鄙な所まで良くぞ参られました」
ー早々のお出ましかーと晴明が思ったかどうかは定かではない。
何しろ陰陽師たる者・・・

「また上手い所に決めたものよの」
忠行は勧められるままに座して晴明と向かい合う。
「はい 師匠様 あの前山は私にとりまして摩利支天の役目を果たしてくれます故に」
「なるほどな 好からぬ物は前山で防ぐと言う事か。
探すのに苦労するはずだ。」
忠行は少々皮肉っぽく笑みを浮かべた。

摩利支天は常に日天の前に立ち寄り添う女神とされるのだが男神とも変化する。
通常は人には見えぬのだがもし人が真に見たいと欲した時にはいつでもその姿を現すとされる不思議な天部である。
後の世には軍神として崇められ多くの武将が祀ったと言われている。

「お手数をおかけしたようでございます。
師匠様がこれほど早くにお訪ね下さるとは思いも致しませんでした」
「まぁ良い しかし晴明 このような所に住まずとも我が屋敷に戻って来て良いのだぞ。」
「師匠様のお気持ちはありがたく存じますが・・」
「我が屋敷では出来ない事がある・・・と」
忠行の顔に厳しさが浮かぶ。
「申し訳ございません」
「して・・事は上手く運んで居るのか」
「それが まだ気が熟さないようでございます」
晴明は先ほどの出来事を思い返すように遠くに視線を投げる。

「お出でいただきながら真に申し訳ないのですが一つお聞きしたい事がございます」
晴明の視線が真直ぐに忠行を捉える。
「なんだ?申してみよ」
「母様が最後にお屋敷に参られた時の事でございます。
師匠様は同じ場所に居られました。
あの時・・・母様は私が何になると仰せられたのか・・師匠様はお聞きになられた筈でございます」
「晴明 そなたはそれを知らぬのか」
「はい師匠様 何度思い返しましても聞き取ったと言うことは無いように思います」
「そうか 知らぬのか」
「師匠様はお聞きになられたと?」
晴明の膝が一歩忠行に擦り寄る。
「いや」両手を前に突き出して忠行が首を振った。
「確かのそなたと同じ所に居た。
しかしその言葉は全く耳にしておらぬのだ。」
「左様でございますか。 ならば師匠様」
晴明は忠行に顔を向けて言葉を継ぐ。
「私は妖しに成るのかも知れませぬ」
「それは無い それは無いぞ晴明」
忠行は強く否定をした。
母の血の中に妖しは流れていないのは誰よりも忠行が知っている。
「では師匠様 鬼になるやも知れませんが・・いかが?」
「そのような事も・・・ない」
そうなのだ 問題は父親の方の血である。
忠行の一瞬の躊躇を晴明は見逃さなかった。
「師匠様 宜しゅうございます。
もしも この晴明が鬼になったら少しの迷いも無くお討ちくださいますように」
「晴明 そのような事は」
「無いと言い切れますか?」

忠行を正面から見返す晴明の瞳はいつもと変わらず穏やかに感じられた。
ー晴明を護る事は出来ぬかも知れぬー
心の中に遣る瀬無いと言う芽が生じた事を一人寂しく思う忠行であった。
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