真夏の陽射しが辺りを照らしている。
殆ど人の入った気配など無いような山道を晴明は歩いていた。
賀茂の屋敷を出てから何日が経った事であろうか。
天河にたどり着いたのは太陽が真上に来る少し前の事。
さすがにここまで来ると風が涼しく感じられる。
「気の流れがなんとも言えず見事に調和を保っている・・・
このような場所がまだ有るのだな」
晴明は青空に向けて顔を上げると後ろで束ねていた布紐を外して髪を風に梳かした。
無位無官の身である。
七面倒な烏帽子も要らぬ。
直衣も必要と思わぬ。
動きやすい単衣があればそれで良かった。
梳かれた髪は風の中で心地よく靡く。

--------陽は陰を生じ陰は陽を活かす。
二つなれども離れる事叶わず。
互いに交わりて陰となり陽となる。-------
晴明は己の身体の中の陰と陽が次第に交じり合っていくのを感じていた。

「こんなにも穏やかに気が交わる事ができる場所が良くも残っていたものだな。」
晴明は時の過ぎるままにそこへ座していた。聞こえてくるのは風の通り過ぎる音だけ小鳥の鳴き声も聞こえぬ。

「おぅ これはまた」
背後から野太い声が聞こえた。
「このような所にも人が居るのか」
いつの間にか閉じていた目を開き晴明は声のした方へ面を向けた。
腰に毛皮らしきものを巻きつけた法師らしき男が立っていた。
「見事な黒髪が見えたので姫かと思ってよって見たのだが・・おぬしであったか」
法師らしき男は親しそうに声をかけながら近寄ってくる。
「あなた様でございましたか。随分と久しゅうございますな」
晴明は言葉を返した
「覚えてお出でなのか。さすがでございますな」
男は嬉しそうに更に近寄ってくる。

----あれはもう何年前の事であったろうか。------
晴明がまだ忠行の雑事をこなしていた頃だ。
尊きお方からお預かりした文箱を抱えて都大路を賀茂の屋敷へと急いでいた時のことであった。
「おいおい」唐突に声をかけてきたのが確かにこの法師であった。
「妖しや物の怪がいくつもぬしに纏わりついているのだが・・気がつかないのであろうな」
法師は晴明の耳元で囁いたものだった。
「宜しければ祓ってやるがいかがなものか」
たしかに法師はそう言った。----

「あの時のぬしが忘れられなくてな」
法師は言葉を継いで晴明の顔を見つめる。
「あの時 確かにお断りしたはずでございますが・・いけませんでしたか」
「いや・・少しもいけない事は無い。
俺が勝手に声をかけ、ぬしは全く無用だと言い置いたのだからな。
あの時俺はぬしには妖しが見えないのだろうと思ったのだがどうやらそうではなかったようだ」
「はい」晴明の唇の端に僅かばかりの笑みが浮かんだ。
「あれは妖しではございますが私の友でもございました」

なぜこのような事をここで話さなければならないのか・・この場所の気の流れがあまりに清々しい為なのか・・

「まぁ良いわ ぬしはこの先まだ行くべき場所があるのであろう。
用心して行くが良いと言いたい所だがそれこそ無用の心配と言うものであろうな」
法師は腰を上げながら晴明に言った。
「この場所は来たいと考えた者が誰でも来られる場所ではない。
どんなに望んでも縁無き者は決してたどり着けない場所なのだ」
法師の言葉に晴明は笑った
「もしお言葉通りであるのならあなたと私は縁があるのでしょうな」
「いや正直に言うと俺は途中でぬしを見つけてついて来ただけなのだがな。
つまり縁があるのはぬしだけと言う事かも知れぬ」
法師は笑って答えたがその響には寂しさが感じられる。
「それでは」晴明も腰を上げて歩き出そうとした。
「うむ また会える事もあるだろう」
法師は後姿のまま手を上げると足早に歩き去って行く。
晴明も反対の方向へ歩き出した。

ズキッと胸に痛みを覚えて晴明は胸を押さえた。
思わず法師が立ち去った方向に視線を送る。
そこに法師の姿を捉えることは出来なかった。

人が恋しいと思ったか
晴明は己の心に驚愕を覚えた。
人を恋しいなどと思う心が私の身に残っていたのか・・・
晴明の視線の先を風が穏やかに吹き抜けて行く。

Sponsored link


This advertisement is displayed when there is no update for a certain period of time.
It will return to non-display when content update is done.
Also, it will always be hidden when becoming a premium user.