賀茂の屋敷の下人たちは先日来降り続いた雨の為汚れてしまった家具などを片付けていた。
濡れてこびり付いた土は容易には落ちない。
今日は雨も上って強い陽射しが降り注ぎ下人たちの作業は否応なしに緩慢になっていた。
「おい 聞いたか?」一人が近くで作業をしている下人に声をかけた。
「ん?何のことをだ?」
こちらも作業の手を止めて顔を上げる。
「今日にもあの者が戻ってくるそうな」
「おぉ!聞いた。逃げ出したのではなかったのだな」
「白狐が化けていると都では皆噂をしていたのだがな」
「確かに・・忠行様が見破って尻尾を掴んだとか聞いたぞ」
ふたりの下人の話は際限なく続く。
何しろ暑いのだ。
少し離れた場所で作業をしている者達も其々雑談をしているようにも見える。
「太い真っ白な尻尾だったそうだ」
「ほう」二人の背後から声がかかった。
離れていた場所に居た下人が寄ってきたのだろうか。
「そんなに見事な尻尾だったのですかな」
「あぁ さすがの忠行様も苦戦成されたそうだ」
下人は声の主の顔も見ないで答えた。
「それは大変な事でございましたな」
声に幾分の笑いが含まれている。
「おぬし笑って良い話ではなかろうが!」
下人は声の主に振り返ったのだがその瞬間に顔が強張って声を呑んだ。
「あっあっ・・・」
「如何なさいましたか」
声の主は満面の笑みを浮かべて立っていた。
「それは私の事でございましょうか?狐の尻尾でも出ておりますかな。」にっと笑いを含みながら
「逃げたつもりは全く無いのですが・・噂というのは面白ぅございますな」
それは先ほど吉野から戻り挨拶に訪れた晴明であった。
ふ・・・と笑う口元を隠しながら入り口へと向かう晴明。
その後姿をあっけに取られた様子で見送る下人たち・・。
「おい あれは確かに晴明だったよなぁ」
「あぁ確かに」
「随分と饒舌ではないか」
「まさか今度こそ狐と言う事は・・無いだろうな」

ふふ・・ハッハッハッ・・・
晴明の笑い声が高くなる。
とうとう顔を上げて大声で笑う晴明・・確かについ何ヶ月か前までこんな姿を見た者は誰もいなかった。
「随分と楽しそうではないか」
背後から声をかけてきた一人の男
保憲である。
「これは 保憲様 お久しゅうございます」
「父様がお待ちかねだ。奥へ参らんか」
「それは申し訳ない事を致しました。つい余計なことをしてしまいました。」

奥の部屋で久方ぶりに晴明は忠行と向かい合った。
「私もここにいて宜しいのでしょうね」
保憲は言ったと同時に腰を下ろした。
この家を継ぐのは何があっても自分であるとの自負がある。

「良き旅であったか」と忠行
「真に実りの多い旅でございました」
じっと晴明を見つめながら忠行は今更ながらに名と言う物の不思議を実感していた。
目の前に座している晴明は出かける前と同じように抜ける様に白い肌のままである。
透明感さえ感じられるその白さは夏の陽射しを浴びながら長い旅を終えたとは思えないほどであった。
相変わらず身体は華奢である。
しかし内側から滲み出て来るのは紛れも無く「陽」の気・・

「疲れたであろう 今日はゆるりと休むが良かろう」
忠行は満足そうに晴明に声をかけた。
「ありがたい事でございますが私はやはりこの家に戻るつもりはございませぬ」
晴明は深く頭を下げた後静かに立ち上がった。
「行くのか?それもまた流れであろうな」
忠行の声に僅かな笑みを返して晴明は背を向けた。
「おい!待て」
保憲が声を荒げた
「それは私に対する面当てか」
ゆっくりと振り向くと晴明は唇の端で僅かばかり笑った。
「保憲様 それ以上仰るのは御身の為にも宜しくないかと・・・」
改めて忠行に視線を移す晴明
「どこに住もうと師匠様なら追う事は容易だと解っております。
時折ご挨拶には参るように致します。」
言い置いて晴明は陽の落ち始めた都の大路を去って行った。
その影が長く大路に翳りを作りやがて・・姿と共に保憲の目からは見えなくなった。

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