平将門が藤原秀郷様の矢によって討ち取られこの世を去ったのは間もなくの事でございました。
さすが矢の名手とお思いになられますか?
そのような単純なお話ではなかったようなのでございます。

南風を味方につけた将門の兵は鬨の声も高く都の陣へと押し寄せ次々に柵は破られて行ったのでございます。
すっかり腰が引けてしまった都の兵は逃げ出す者まで出てくる始末・・情けないことでございます。
ところが一転して風の向きが変わったのでございます。
冷たい北風が強く吹き始め将門の兵は苦戦を強いられる事となりました。
今こそ好機!っと秀郷様は馬上の将門に向かって矢を向けたのでございました。
ヒュッっと鋭い音をたてて矢は将門に向かって飛んで行きます。
けれどもこの矢は将門の頭上を通り抜けてしまうはずだったのでございます。
「ぬかったわ!」外れたことは誰より秀郷様ご自身が解っておりました。
矢を放った瞬間に秀郷様は次の矢を番えていたのでございます。
ところが矢が頭上に迫ったと同時に将門の馬が何かに驚いたように後足で立ち上がったのでございました。
振り落とされまいと手綱を絞る将門・・
頭上を飛び越えるはずだった矢は将門の額を貫いたのでございます。
馬は何に驚いたのでございましょうか。
なぜこの瞬間だったのでございましょうか。
誰も答を出すことは出来なかったのでございます。
唯一つ 将門の兵も都の兵も辺りに響く幼い子供の笑い声を聞いたと語っている事だけは確かなのでございます。

こうして討ち取られた将門の首は都へと運ばれて獄舎の門に晒される事となったのでございます。


「母様が・・」
明将が濡れ縁で空を見上げて小さく呟いた。
隣で東の空を見上げていた忠行はじっと明将を見つめながら
「ん」と顎を引くのであった。
「逝ったか」忠行は誰に言うでもなく呟いた。



獄舎の門の将門の首が晒されてからというもの都は不安の雲に覆われておりました。
何しろ三月もの長い間首は腐ることも無く訳の解らない事を叫び続けているのでございます。
将門は遠いとは言え仮にも帝と血の繋がりのある尊い血筋でございます。
その将門の首を切ったのでございますから祟りが有るかも知れぬと人々は噂しあっていたのでございます。
そのような日々が過ぎて行き季節は春から夏に差し掛かっておりました。
将門の首の前に女人が立っているのを見たと言う者が現れたのでございます。
「我も見た」と言う者は日を追う毎に増えてまいりました。


「やって来ているな」
忠行は側にいる保憲を見る事もなく言った。
「はい 近づいて来ております」と保憲
「近いな」
その声と同じくして「お頼み申します」と女人の声が・・・
「来たな」忠行は保憲を伴って部屋の奥に座した。
「師匠様」
明将が忠行の後ろに座した。
「お願いがあってまいりました。これが最後になろうかと・・」
濡れ縁に陽炎のように立ち昇って姿を現したのは桔梗であった。
「ふん そなたはいつもそればかりであるな」
忠行は少々皮肉めいて言う。
「私の愛しい想い人を頂いて行きたくお願いに参りました」
-----そうであったか。
たしかにそこへお考えが及ばなかった我も未熟であった-----
しかし忠行は都を護らねばならぬ立場である。
「都に刃を向けた者を開放する訳にも行かぬ」
冷たく忠行は答えたのであった。
「兄様 このまま都で晒され続ければ愛しい想い人は妖しか怨霊となって今度こそ都に仇為すようになります。
それは望む事では有りませぬ」
「たしかにな」
「それでは連れて参って宜しいのですね」
桔梗の顔に笑顔が浮かぶ。
「ふん 桔梗よ
この度こそ刻が無かろう。いつまでもその形を成していられるとは思われぬな」
「さすがは兄様 確かに桔梗の念に残されているのは後僅かでございます」
「この世に残すべきものが有るのなら急ぐ事だ」
忠行の言葉に桔梗は忠行の背後に座している明将に手を差し伸べた。
「明将 こちらへ・・私の持っているもの全てをそなたへ伝えると決めたのです」
音も無く近寄った桔梗と明将の手が触れた瞬間屋敷内の刻が止まった。
吉野の深山の木々が嵐の中のようにざわめき深海の異形の生き物が蠢いた。
伊勢の海は荒れ 怒涛は岩を砕き飛び散った飛沫は珠となって宙を舞う・・・
「わが屋敷内でこのような事があって良い物なのか」
忠行は呆れてしまった。
目の前に広がる光景を確かにこの目で見ている。
それは疑いの無いことであった。
やがて・・・
天空から静かに舞い降りてくる金の花弁が床を覆い隠しそして・・・消えた
ホーッと忠行の口からため息がこぼれる。

「終わりました」
「兄様 それでは想い人と共に東国へ参ります」
桔梗の声に我を取り戻した忠行
「東国へ行ってどうしようと言うのだ」
「東の都を護る事が望みでございます」
いたずらっ子のような笑みを浮かべて桔梗が答えた。
「東に都があるのか?」
「ございます」きっぱりと桔梗は言った。
「もっとも・・・兄様はもちろん保憲様も明将も現世からは居なくなった世ではございますが」
「最後に尋ねる」
忠行が言う
「そなたの想い人の事を明将は知っておるのか」
「いいえ 兄様 知って恨みを持てば何時の世か東の都を倒そうと転生を繰り返すやも知れませぬ」
「そうか」
忠行は痛ましげに明将に視線をうつす。
「して・・・刻が無いのであろう?」
思い切ったように忠行は言った。
「はい 兄様 それでは参る事に致します」
「想い人をしっかりと抱いてゆけ」


忠行様の声と同時に桔梗の姿は消え跡に残されたのは忠行様 保憲様 そして明将の三人だけでございました。
やがて都の空に高らかな笑い声が響き渡って将門の首は飛び去って行ったのでございました。


「あやつは何か変わった」
保憲は明将を盗み見るように眺めては一人呟いた。
当の明将は濡れ縁に座して相変わらず妖し達と戯れている。

あれから暫くたった梅雨の晴れ間であった。
忠行が陰陽寮から戻ってきたようである。
保憲は見習いであり明将は出仕の資格も得ていない。
「師匠様」
明将が忠行に声をかけて対峙するように向きをかえた。
「何か用か」
「はい 師匠様。
先日来お話いたしましたようにこの時期に出かけたいと思います」
「吉野に行くのか」
「やはり一度行って来たいと思っております」
-----吉野だと!何時の間にそのような事を決めていたのだ------
蚊帳の外になっているような疎外感を保憲は感じた。
「ふむ それも良かろう。
まだ出仕はかなわぬのだから良い時期なのかも知れぬ」
忠行は視線を空へと向けて答えた。
その眼のおくには少しばかりの不安が浮かんでいる。
「どのような事になるやは解りませぬが訪れてみたいと思っているのでございます」
「そうか 決めて居るのなら行ってみるが良い。」
唯一つ・・っと忠行は言葉を続けた。
「名を替えてからの出立に致せ」
「名を・・でございますか?」
「そなたは陰の気が強すぎるのだ。重ねて水の気に支配されておる。
名によって陽を補う必要がある。」
「師匠様がそのようにお考えでございましたなら如何様にも・・」
「桔梗もおらぬ。桔梗の想い人も居らぬのだ。
そなたは呪から解放されて良いと私は思うのだ。」
幼くして二つの名を持っていた明将。
名に執着を感じることも無かった。
「師匠様 それでは」
「ふむ 二つの名からこの世に残らなかった者は消し去ろうではないか。
今日からそなたは晴明(はれあき)と名乗るが良かろう。
陽を二つ重ねれば陰の気も薄まろうと言うものだ」
「晴明でございますか?」
「そうだ晴明 陽の光のような名ではないか」

------晴明だと!なんという名をつけるのだ!あのくそ親父-------(このように思ったかどうかは解りませぬ。何しろ保憲様も陰陽師の端くれ 心の中などどなたにも見せはしないのでございます)

一方こちらは明将 全く動じる様子も無い
「ありがたく存じます。
師匠様 それでは早々に出立したいと思います。」
「ハッハッハ」
忠行は珍しく声を上げて笑った
「刻が無いか?母親譲りだのぅ」
忠行の言葉に明将・・いや晴明の白い肌がポッと赤らんだ。
「申し訳ありません。気が急いてしまうのでございます」
「良い良い 道中達者でな」



こうして晴明は吉野へ向かって旅立ったのでございます。
後に安倍晴明として世に出るまで二十年も前の事でございます。
晴明を「せいめい」と読むのは有職名でございます。
陰陽寮に宮廷陰陽師として出仕してからそのように呼ばれたのでございます。



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