何度目かの春が過ぎ幾つかの冬が通り過ぎて行ったのでございます。
当初 忠行様は桔梗が置いていった童に陰陽道を伝える気持ちは無かったのでございます。
忠行様には後を伝えるべき御子がいらっしゃったからでございました。
幼なき頃から鬼や妖かしを見る事ができる才能溢れる御子でございました。
桔梗が「都を守る者」と言ったのは遠い未来に備えての事で忠行の年齢を危惧しての事だと考えていたのでございます。
その為 童は忠行様が牛車で出仕するときに共として同道するくらいであったのでございます。
ところが・・
ある晩の出来事からこの方針は一変したのでございました。
それがあの百鬼夜行との遭遇でございます。
忠行様が感じられない程の微かな妖しの気配を逸早く察知して忠行様に申し上げたのでございました。
忠行様の御子に勝るとも劣らないこの能力に忠行様はただならぬ物を感じられて以後陰陽道を伝えて行く事になったのでございます。


桔梗が置いて行った童も流れる年月の中で大人に変わろうとしておりました。
賀茂の屋敷から殆ど出かけないで過ごしていたのでございますがいつの頃からか殿上人の噂に上るようになっていたのでございます。

内裏では毎晩宿直(とのい)が行われております
所謂 不寝番なのでございますが特に何をする訳でもないので長い夜をいかに過ごすかが課題でございました。
或る宿直の夜のことでございます
一人が噂の口火を切りました。

「そなた達 賀茂の屋敷の姫を見た事があるか?」
退屈をしていた者たちがその話に乗りました。
「賀茂のと言う事は忠行様の屋敷のことか?」
「さよう!何でも抜けるように白い肌を持ち輝くような黒髪を持った見目麗しい姫だそうなのだが・・」
「ほう そのような姫が忠行様の屋敷に居られるとは初耳ですなぁ」
この二人の会話に少し離れていたところに居た一人が輪に入ってきました。
「いやいや 私が聞いたのは男童と言う事ででございましたが」
「それは不思議なことですな。もっとも物の怪や妖しに関わる陰陽師風情の屋敷内のこと。
どちらでも構わぬといえば構わぬ話でございますな」
「男童とか姫とか・・忠行様は狐にでも化かされているのかも知れません」
「陰陽寮の頭が妖怪に化かされていると申すか?」
「まさか そのような事も無いと思いますが」
「確かに 確かに」
後は笑いで収まる他愛も無い会話で時間をやり過ごしていたのでした。

このような噂話と言うのは面白いに越したことは無いのでございます。
それは都に住む下々の者とて代わりは無いのでございます。

「聞いたか?狐が化けて出たそうだ」
「なんでも美しい女人の姿で忠行様を化かしたそうだ」
「青白い光が東の空へ飛んで行ったそうだ」
「化かした狐が忠行様のお屋敷を乗っ取ったそうだ」

広がりは止まることを知らず更に尾鰭がついて際限なく人々の口に上って行ったのでございます。


秋の短い陽射しが消えかかる夕刻の事
父である忠行から見習いとして陰陽寮に出仕を命じられていた保憲は務めから戻った屋敷で濡れ縁に座して庭を眺めている明将の姿を見つけた。
弱い陽射しでさえ突き抜けてしまいそうな白い肌の明将を見つめながら「噂と言うのは侮れないものだな」と一人呟いたのだが明将の足元で蠢く物をみて驚愕したのであった。
「何故この屋敷内にあのような物が居るのだ」
明将の足元で蠢いていたのは数知れない妖しや物の怪達であった。
保憲に気がつかないのか明将は柔らかな微笑を浮かべながら空に向かって右手を差し伸べた。
その指先に向かって飛んでくる真っ黒な鳥の姿。
大きな羽を広げて一直線に飛んでくる。
「明将!」
反射的に保憲は飛んでくる鳥に呪を打った。
明将の指先で鳥は木端微塵に砕け散った。
それと同時に明将の足元に居た数々の物の怪達も姿を消した。
「明将 大丈夫か?」
保憲は明将の右手を掴んで問いかけた。
「何と儚げな・・・このような体で今日まで父上の教えを受け止めてきたのか」
陰陽道の教えを学ぶと言うのは精神的にも体力的にもかなり過酷である。
その事は保憲自身が良く解っていた。
賀茂の家を継ぐべき者として明将よりも早くから忠行によって伝え教えられて来ていたからである。
「よくもまぁ 持ちこたえているものよ」
保憲は労わるようにそっと明将の腕を袖で包み込んだ。
ふと明将の視線を感じる・・・
自分を見上げるその瞳の中にたとえ様の無い悲しみをを見つけた保憲は柄にも無く狼狽したのであった。
「なぜ そのような悲しい目をする」
「私の友が・・」消え入るような声で明将が答える。
「あれが友だと言うのか!」
明将はあの物の怪が友だと言うことなのか。
保憲の頭は少々混乱をきたしていた。
---そもそも賀茂の屋敷の中に何故妖しや物の怪が入ってこられるのだ----
「いつもこのように物の怪達はそなたの元へやってくるのか?」
保憲は出来るだけ落ち着こうと努力しながら言葉をかけた。
「はい 他に友もおりませぬゆえ・・」
明将の声は相変わらず小さい。
「そなたが呼び寄せたのであろうが物の怪達はなぜこの屋敷に入ってこられるのだ。
そなたの呪が父上より強いとも思われぬ」
これは保憲にとっては大問題である。
万が一にでも明将の呪力が上となったら今まで自分がやってきた修行はなんであったのか?
己の無能を証明される事となる。
「保憲様」
明将はそんな保憲の気持ちを知ってか知らずか穏やかに声を発する。
「ここへきている者たちは都に害をなす物ではありませぬ」
「妖しや物の怪は皆害を為すのではないか?」
「保憲様 中にはそのような者もおりましょうが数多くの者たちはそのような事は致しませぬ。
皆この都に住む人々と同じなのです」
「しかし・・妖し恐ろしいと感じ気分が悪くなって臥せる者も有る」
「保憲様 それは人の都合と言うものではありませぬか?あの者達だとて人から害を為される事は有りますゆえ・・どちらとも分け隔てがあってはならないのではございませぬか」
・・・・このような思いを持つものがここにいたのか・・・
保憲は明将を黙って見つめているしかなかった。

「ご覧くださいませ」
明将が空を指す
その先に目をやればいつの間にか月が顔を出していた。
「良い月でございますなぁ」
何事も無かったかのように明将が囁く。


池に落ちた小石が小さな波紋を作り丸く円く広がりを増して波濤となって幾重にも都へと押し寄せて来る僅かばかり前の秋の夕刻の事でございました





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