時は延暦の事でございました
 桓武の帝の強い望みによって新しい都が造られたのでございました。
その都が「平安京」と名づけられてから百年以上が過ぎたのでございます。
都から遠く離れた西からも東からも何やら不穏な風が吹いて来るようになったのでございます。
新しい力が芽を出し次第に勢力を拡大し始めた・・
都人は華麗な毎日を送りながらも心のどこかに不安の雲が湧き出してくるのを止める事は出来なかったのでございます。
そんな都を守る為陰陽寮に出仕して活躍をされていたのが賀茂忠行様でございました。
神武帝の頃から皇と深く関わりを持つ血筋で不思議な能力を持つ者が数多くいらっしゃる一族でもございました。

或る日の夕方の事でございます。
陰陽寮からお戻りになられた忠行様は寛いだご様子で庭を眺めていらっしゃったのでございます。

「お師匠様 女人の訪ね人が来ております」
修行の為忠行様の家に寝起きし雑事をこなしている者の声がした所からこのお話は始まるのでございます。


忠行の前に音も無く座した女人の横には陰のように寄り添う小さな女童がいた。
「ふむ」
忠行はじっと女人を見つめながら心の中でつぶやいた。
「人と人で無い者の区別もつかんとは情けない
まったく・・あの者たちは毎日何を学んでおるのやら」
女人はその心の動きを察したように唇の片方で微笑んだ。
「兄様」
女人が忠行に声をかける。
「なに?」
忠行の心の動揺にあわせたように辺りに花の香が漂い始める。
「神草か?」
本来のこの花は香を殆ど持たない。
神に捧げられる花として多用され占いにも欠かせない時期が有った。
「そなたは桔梗か」
忠行は思い至ったように女人に語りかけた。
「思い出して頂けましたか」
桔梗と呼ばれた女人は涼やかに笑うと単衣の袖で口を押さえた。

十年以上も前のこと
忠行の妹であった桔梗は吉野の修験者について何処とも知れず賀茂の屋敷を出て行ったのである。

「随分と久しいではないか
しかし そなたが桔梗自身でないことは解っておる。
何が望みでここへやって来たと言うのだ」
更に濃くなる神草の香を感じながら忠行は問いかける。
「詳しき事は申し上げられませぬがこの者をこちらで育てていただきたいと」
女人は脇に座している女童を押し出すようにして答えたのである。
「むっ」
忠行はじっと女童を見つめる
「こちらは人のようだな。」と思う。
「兄様 どのような事が有りましょうとも桔梗は賀茂の家の者でございます。」
桔梗と名乗る人ならぬ女人は忠行に語る。
「この者の名はなんと言うのだ?」
「兄様 今の所はこはると申します」
「今の所?」
忠行は女人の言い方に疑問を感じ更に女童を凝視した。
「なるほど・・古の書物で読んだ事はあるが真に存在するのだな」
「兄様 お分かりいただけましたか」
今で言うところの「透視」が得意の忠行である。
衣服の下にある物を見通すくらい訳のない事だったようである。
「して・・そちらの名はなんと言うのだ」
「兄様 あきのぶと申します」
「ほう なかなか・・」
「兄様 この者は水の気が支配しております。
五行を備えさせて互いに活きるようにしておかないとなりませぬ」
「桔梗 名の事は解った。この屋敷では男童として育てて良いと言うことだな」
「兄様 こはるはいつか消えるかと思います」
その言葉に忠行は驚きを隠せなかった。
「桔梗 どこでそのような術を覚えたのだ。
今は何処にいるのだ」
女人は笑みを浮かべながら答える。
「信太に住んでおります」
「和泉の国か?」
「兄様 東にも信太はございますれば」
女人は忠行ににっこりと笑いかけた。
「兄様 この姿のままで居られる刻があまりございません。
この者をよろしく頼みます。
やがて都に大きな騒ぎが起きます。
その時に都を守るのはこの者でございます」
「私では駄目なのか?」
忠行は少々プライドを傷つけられたらしく機嫌悪そうに尋ねた。
「兄様がいつまでもお元気でこの世におられるはずもございません」
シャラッと女人は言ってのける。
「ふむ・・たしかに」
「兄様 くれぐれもお忘れなきようにお願いいたします。
桔梗はどのような事になろうとも賀茂の娘でございます」
言い終えると同時に姿が少しずつ薄くなって行く。
神草の香が一瞬濃くなったと感じられたがそれも消え女人の姿は忠行の前から消えていた。
「もっと聞かなければならない事があったのだが・・」
忠行は一人呟くとじっと自分を見上げている女童姿を見つめた。
「桔晴と明将・・か」

それはこの国が大きく変わっていく発端となるあの「乱」が起きる十年前の出来事でございました




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