晴明は賀茂の屋敷に向かう為に都大路を下っていた。
今日は狩衣姿である。
出仕する訳ではないが忠行から「都に出て来る時くらいは着ろ」と言われたのを守った形である。
遠くに羅城門が見える。
この手前を東へ曲がれば賀茂の屋敷はすぐそこであった。
羅城門は嵯峨天皇の御世に一度倒壊したのだがその後再建された。
今 晴明が目にしているのはその羅城門である。
数年前に都を大きな地震が襲った。
この時には幸か不幸か羅城門は倒壊から免れた。
しかしその被害の爪痕は門のあちらこちらにしっかりと残ったままである。

「お助け下さいませ」
晴明の後方から叫び声が聞こえた。
「お願いでございます。どなたかその牛を止めてくださいませ」
かなり悲壮な声が何度も響く。
「やれやれ 賑やかな事だ。」
晴明が振り向くと大路を狂ったように駆けてくる牛の姿が目に入った。
繋がれているのはかなり豪華な牛車である。
叫び声は車副のようだ。
その後ろから必死の形相で駆けて来るのは牛飼童であろうか。
大路に居るたくさんの人々がその声を耳にしているのだが牛の勢いに恐れを成して誰も手が出せないまま立ち尽くしている。
「このまま駆け続けたら羅城門から出るな。」
羅城門の向こう側は言わずと知れた物の怪たちの領域である。
「面倒だが・・・」
晴明は狩衣の袖を躊躇も無く手で切り離す。
「有・・式神」
左手で持った袖に右手を乗せると静かに呪を唱える。
「行け!」晴明の声と共に袖はフワッと牛に向かって飛んで行く。
「覆・・・縛」
袖は牛の前面にピタッと吸い付いた様に貼り付いて落ちない。
周りが見えない状態になり牛の足は次第にゆっくりとなりやがて晴明の目の前でとまった。
牛の体を撫でながら興奮を宥める晴明の目が一箇所に釘付けになる。
「これは・・・呪詛だな」
牛の耳の後ろに小さな呪符が剥がれる気配も無く存在していた。
「ふむ・・」
晴明は辺りに気づかれないよう埃でも払うように呪符を剥がすとクシャッと丸めて残っている方の狩衣の袖に忍ばせた。
「去・・・式神・・」
牛の顔にピッタリと貼り付いていた狩衣の袖は風に煽られたように舞い上がり羅城門の西の端まで飛んで行くと音もなく落ちた。

牛車の中に居る人物が動く気配がする。
御簾は牛の暴走によって外れかかっている。
軛が牛から外れなかった事は幸いであった。
あの暴走の中で外れていたら大怪我どころか命さえ危うい。
「いかがでございますか?」
晴明は声をかけながら御簾の中を覗き込む。
普段ならこのような事は真に無作法と叱責を受けそうであるが非常事態である。
中に居る人物が動く気配を感じる・・無事か?
手を差し伸べた晴明の目に中の人物の姿が映る。
「若い・・」
牛車に乗っていた人物は晴明より五つ程年下に見える。まだ幼ささえ残っている。
「大丈夫でございますか。お怪我等なさっておりませぬか。」
声をかけながら晴明はその若者を牛車の中から大路へと誘った。
榻はどこかへ行ってしまったらしく見えない。
「やむを得ないな」
晴明はその若者を抱きかかえるようにして牛車から降ろした。
そこへ車副がやっと追いついてきた。
ー やれやれ面倒な事との関わりはこれで終わる事ができる。 -
ホッとした晴明に掛けられた言葉・・
「卑しい身分を弁えずそなたはいつまでこの御方に触れている心算なのだ。無礼にも程があると言うものだ。」
ー おやおや 先程まで血相を変えて助けてくれと言っていたのはどこの誰だ -
ここで諍いを起こすほど晴明も子供ではない。
「大変に不躾な事をいたしました。どうぞご容赦を」
そう言い置いてその場を立ち去ろうとした。

「お待ち下さい」晴明の背後からなんとも魅力的な声が聞こえた。
先程抱きかかえた大路に下ろした人物であった。
まっすぐに晴明を見上げる瞳は僅かな恐れを残しているが濁りの無い澄んだ輝きを発していた。
「なにか?」
その純な輝きに晴明の方が押され気味である。
「危ないところをお助け頂いてありがたく思います。
それなのに・・私の共の者が失礼な事を申しました」
ー なんと 若いのにしっかりと成されたお方だ -
「私の方こそ不躾をいたしました」
あの牛車の装飾を見えればこの若者がどれだけ高貴な者なのかと言うのは年の行かない童でもわかると言うものだ。
「それでは・・」
面倒はごめんである。
晴明はそこを立ち去るべく背を向けた。
「お待ち下さい。私は成明と申します。命の恩人のお名前をお聞かせ頂けないものでしょうか」
ー 名前をこう真っ正直に問われると如何ともし難いものだな -
晴明は苦笑いを浮かべた。
「成明様でございますか。私はあなた様とは同じ場所に立つ事など許されない地下の者より卑しい下人でございます」
ー おい 名前は呪なのだぞ -

「たとえ下人であったとしても私の恩人には変わりはございません」
成明は何の躊躇も無く言う。

ーこのような純な若者を呪詛する奴がどこかにいるのだな -
「成明様 私は晴明と申します。」こうなったら答えるしかあるまい。
成明の顔にパッと満面の笑みが広がった。
「晴明殿でございますか。成明と晴明・・二つの名がが出会うなど真にめでたいものでございますね。」
さすがの晴明も笑うしかない。
「さぁ お供の方々が心配を成されております。」
「おぉ そうであった。それでは晴明殿 改めて礼に伺います。
それまで成明を忘れたりしないでくださいね」まるで子供が大人におねだりをしているような言い方であった。
「そのようなお気遣いは無用にございます」
深々と頭を下げると晴明は何事も無かったように都大路から東へと歩み去った。

牛車も北へと都大路を上って行き都はいつもの風景に戻って行った。
晴明の袖は誰が拾うでもなく羅城門の端で風に揺らいでいる・・・

やがてどこの誰とも分からぬ男が一人・・・
袖を拾い上げると唇の片端に笑みを浮かべた。
「天は我に味方しているのやも知れぬ」
その呟きを聞いたものは・・・誰も居ない
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