何時か長編に使おうと考えている挿話です。
三題ほどありますが其々が別の話になるのか同じ話になるのかはまだ不明です


          ・・・・・・・・(一)或る冬の日・・・・・・・


春の気配はまだ遠き
二・三日前に積もった雪がまだ南庭のそこここに残っている。
時折強くなる風は厳しく下ろした蔀戸の間から入ってきて身体を冷やした。

火桶に両の手をかざしながら保憲は廊を渡り近づく足音に耳を澄ます。
「保憲様。 ここでございましたか。」
声変わり前の少し不安定な声が己を呼ぶのに笑みを刻みながら保憲は声の主を見上げた。
「晴明か。 寒いであろう。ここへ来て手を翳せば良かろう。」
「ありがとうございます。保憲様。」
応えた声と共に緩く結んだ黒髪が風に煽られてふわぁっと乱れ宙に舞った。
「失礼いたします。」
すっきりと背を伸ばし深々と礼をとった晴明の袂が折からの風に煽られて翼のように翻る。
ふっ・・・
保憲が思わず吹き出したのを見て晴明が眉を顰めた。
「保憲様。何がそのようにおかしゅうございますのか。」
その生真面目な物言いがおかしいと保憲が肩を震わせて笑う。
「保憲様! そのようにお笑いになりますのならこれで失礼させていただきますゆえ。」
本当に機嫌を損なったか晴明が座していた場所から立ち上がる気配を見せれば保憲は微苦笑しながらその手を捉えて引きとめた。
「まぁ待て晴明。 お前の袂が翻るを見てちと思い出した事が有っただけさ。」
「はっ?」 晴明は小首を傾げながら腰を戻した。
「あの節会は楽しかったな。」
保憲の言葉に晴明の眉がピクッと上がる。
「どの節会でございますか。晴明はとんと解りませぬ。」
機嫌は悪い方向へ振れて行くようだ。
「豊明節会の事よ。 なぁ晴明、あれは楽しかったなぁ。」
「楽しかったのは保憲様だけでございましょう。私は思い出したくも有りませぬ。」
「そうかぁ? 愛らしくも美しく真の天女のようであったぞ。」
保憲の言葉に晴明の眉は寄せられ益々機嫌の悪さは募って行く。
「殿上の方々を騙したのでございますよ。」
「気付いた者など一人もおらんよ。」
保憲は今更と言う風に手を擦り火桶を手元に引き寄せた。
それに・・・と保憲は言う。
「所詮は新嘗祭の後の宴ではないか。舞姫の献上は見目麗しければそれで良いのだよ。」
「そのような不敬を保憲様はおっしゃる・・・」


それはまだ 霜月の頃
宮中祭祀の一つ新嘗祭が執り行われた。
五穀豊穣の為の祭祀であり今上帝ももちろん臨まれる大事な祭祀である。
この祭りの翌日に行なわれるのが豊明節会である。
有態に言えば宴会である。
この席で舞姫による五節舞の献上があるのが通例になっている。
遠く天武帝を天女が祝福して五度袖を翻す舞が起こりとされている。
この年も舞姫がこの節会で舞う事は決まっていたのだが直前になって体調を崩した。
緊張の為かどうかは解らぬが悪しき気は感じられぬと陰陽寮は判じた。
しかしこのままでは舞は舞えぬし舞わねばならぬ時は迫り来る。
えぇい!ままよっと保憲が考えたのが代替であった。
まだ髪を切っていない晴明を舞姫として殿上へ押し上げ舞わせて事なきを得た。
この事を知っている者は寮の中のほんの一部だけである。


「ほんに保憲様は無謀な事をいたしましたな。見破られたらただでは済みませなんだ。」
いじっ・・・・・と晴明が保憲に視線を投げる。
「そのような敏い者がいると思うか?」 保憲は口角を上げて笑みを刻みながら応えた。
まぁ・・良いではないか
今こうして火桶を前にして共に手を翳していられると言うのが何よりの幸いよ・・・
保憲は赤く燃える火を見詰めて独り言ちた。

春の風が吹けば晴明は髪を上げ寮の一員として働く事となる。
それまでの短い楽しい冬の一時・・・


               ・・・・・・(二)或る夜の出来事・・・・・・



はぁ~・・・・・・・
保憲は深く息を吐くと手にしていた筆を机に置く。
ことりと軽やかな音を立てた筆は墨箱の横まで転がり動きを止める。

凍て付くような風も時を過ぎればいつしか暖かさを含み 春の近いことを感じさせてくれる夜の事であった。
陰陽寮の一員となった保憲は能力は買われても寮の中では新参者で事務的な事など学ぶべきは多い。
負けぬ気が人一倍強い保憲は己の室に戻ってからも自習に余念がない。
しかし頬を撫でて行く風の中の暖かさが吉野へと修行に出かけている弟弟子を思い出させてつい溜息をついてしまったのであった。

「まだ帰路にはつかぬのであろうか。」 保憲は一人呟くと暗くなった庭へと視線を流す。
「早ぅ戻って来い 晴明。」 暗い庭の片隅に植えられた梅の蕾はまだ固い。
ふぅ~っともう一度大きく息を吐くと筆を手にとった。
「まったく・・・式も飛ばさぬか。愛想無しの事よ。」 筆を持ったまま頬杖をつく。

ふと目の隅に何やら白い物が入ったのを感じ保憲は視線を動かした。
真っ白な猫が音も立てずに庭から庇へと飛び乗った。

にゃぁぁ

蒼みを帯びた瞳をまっすぐに保憲に向けて一声鳴いた。

ふん!

顔も向けずに保憲は鼻を鳴らして唇の片側だけで苦笑う。
「何の戯れか?」 一声あげる。
「やはり解るか。」
白猫は照れ臭そうに前足で頭を掻きながら太い声で応えた。
「当たり前だ。晴明の式はそのように汚れては居らぬ。」
チェッ! 猫が舌打ちをした。
「まるで塵塗れではないか。疾く去ね。」
「おうおう 晴明以外には冷たいのう。」 猫は嘆くように応えるとひょいっと庭へ降りて行った。

「まったく・・・」 保憲は誰に言うでも無く毒づいた。
「まぁ おぬしも晴明の帰りを待っているのであろう?道満。」

にゃぁぁ

闇の中から猫が一声鳴いた。



        ・・・・・・・・・・(三)椛原にて狐を攫うの事・・・・・・・・

 

都を吹き渡る風が冷たさを含み始めた頃
椛の木々が色づく。
朱 紅 丹 ・・・
同じ色とて一つもなく其々が錦を纏い風の中を舞っていた。
「ほんに美しい風景ですね。」 幾分甘い声音が手を引いている年上の若者に声をかけた。
「来て良かったであろう?」 声に応えるべく若者は童を見下ろして微笑んだ。

くるくる くるり

椛が二人の辺りを舞う。

ついっと童の細い指が一枚の椛葉を摘み止めた。
「ほんに美しい。」
童は陽に翳して椛葉を見詰める。

二人は共に陰陽道の修行に励む兄弟弟子であった。
背の高い若者は賀茂保憲。春に陰陽寮に入ったばかりでは有るが陰陽の道を究める賀茂の家を継ぐ者である。
嬉しそうに目を細めて舞い散る椛を追う童は安倍童子と呼ばれ賀茂の家で養い子として育てられた。

「おや 珍しいものを見る。」
突然背後から声がかかった。
保憲が振り向けば見るからに戯け者と解る若者たちが三 四人 扇で顔を隠して立っていた。
「これは・・」
内裏では無いが見るからに身分が高そうな若者に保憲は童子を促して膝をついた。
・・・親の威光で殿上した戯け者がこの様な場所に来るとは・・・・ 保憲は心の中で舌を打った。
「地下の者でも雅を愛でるのかのぅ。」
「左様 左様 これは珍しき眺めでもありますな。」
地に手を着いた二人を嘲るように若者たちは声を上げて笑った。
見事な椛の木の傍らに随臣が手早く幕を張っているのが目の端に見えている。
・・・・・さっさと幕の中へ行け ・・・・
保憲は声に出さずに毒づいた。

笑った事で気が済んだのか戯けの若者たちは足を幕へと向けたのを見て保憲はほっと胸を撫で下ろす。
ふ・・・っと一人が足を止めて他の若者に声をかけた。
「のう 狐の尻尾を見とうはないか。」

・・・・・何を言いやる。 この戯け ・・・・
腹の中は煮えくり返っているがおくびにも出さず保憲はじっと地面の草が風に揺れるを見詰めていた。

「賀茂殿。 この童であろう?」
声をかけられても何の事やら解らぬと小首を傾げながら保憲は問いかけるように視線を上げた。
「忠行殿が養い子として家に入れた妖狐腹の童。 みな噂をしておるよ。」
保憲はこれ見よがしに眉を顰めて若者に応える。
「我が父である忠行が養い子として家に入れたは確かにこの者でございますが母親が人にございます。」

ほう・・・
若者たちは其々に息を吐くと人の悪い笑みを刻んだ。
「賀茂殿は確かめたと言われるのか。」
一人の若者がねめつけるように童へと視線を投げる。
これの・・・
恰幅の良い若者が力任せに童の腕を引き上げた。
「身に尻尾がないと我らも確かめてみたいものよ。」
言いながら片手は早くも袴の裾から奥へと進められている。
「この様なところで良いのか?」
若者の一人が扇で口を隠して問う。
「なんの・・・狐は野を駆けると言うではないか。」
「左様 しからばこの原が何より相応しい。」
若者たちは勝手なことを言いながら童を弄び始めた。

・・・こいつら! 親の威光を楯にしやがって ・・・・
保憲がぎゅっと唇を噛み握った両の手に力をこめた時であった。

ざく ざくざく・・・・
しっかりとした足音が近づいてきた。
今の今まで他の気配は感じなかった保憲は弾かれたように足音の主へと視線を向けた。

「その珍しい狐をこの私に譲っては貰えぬか。」
腹の奥底に響くような低い声でその主は若者たちに声をかけた。
突然の事にいささかうろたえた若者たちであったが自分たちの方が身分は上と判断した。
しかし一人の若者が脅えるように他の二人を肘で小突いた。
「天文博士殿・・・だ。」
覚えた声で若者が言えば他の若者もぎょっとしたように後ろへ引いた。
確かに身分は低いが今や上達部の者で知らぬ者は居ないほどの有名人であった。
その確固たる呪力と星占の確かさはこの都で並ぶ者は居ないといわれている。
気魄に押されたように若者たちは童の手を離し天文博士に押し付ける。
「なに・・特別に召し上げるほどの事もないのですからどうぞお持ち下さい。」
若者の一人が素っ気無い風を装い応えた。

「これはありがたき事。必ずこの狐 懐けてくれましょうぞ。」
天文博士と呼ばれた男は童を横抱きにすると踵を返して立ち去ろうとしたがついっと立ち止まり保憲を見下ろした。
「賀茂はこの狐を捨てたと思うて良いのであろうな。」
その声は霜月の氷よりも冷たく保憲の心に響いた。

はっと我に返った保憲が慌てて立ち上がり後を追おうとした時にはもう姿は何処にも見つけることは出来なかった。
ただ
当たりに冷たい風が吹き渡り鮮やかに彩られた椛葉が舞い踊っているだけである。








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