何処までも続く青い空に刷毛で刷いたような雲が浮かんでいる。
大地に伸びた草葉を心地良い風が通り過ぎて行く。
その風に乗って笛の音が響いていた。
遠い昔の歌のような幼き頃に聞いていた母の声のような・・・懐かしいようで切ないようで・・・
何とも心を捉える音色であった。

小高くなった場所に一本の老木が天に向かって枝葉を伸ばしてる。
その太い枝に腰掛けて童形の若者が笛を吹いているのが見える。
音色はこの若者の吹く笛から流れ出ていた。
若者の視線は遠く空の向こうを見詰めているようであった。

「・・・・ん?」 若者は何かの視線を感じてふと大地を見下ろした。
すぐに己を見上げている幼童と視線が絡んだ。
「何か俺に用か?」 若者は幼童に声をかけると見上げているその瞳はキラキラと嬉しそうに輝いて幼童はコクッと頷く。
振り分け髪の幼童は抜けるように白い肌を幾分朱に染めて見惚れるような笑みを浮かべた。
「何とも好い音だと感じ入っていました。」
声変わり前の少し甲高い声で幼童は応える。
ふふっ・・・と若者は唇の端で笑うと改めて幼童を見た。
「あまり俺に近づかないほうが良いと思うのだが・・・怖くはないのか?」
若者は枝に腰掛けたまま幼童の貌を覗き込むように顔をかしげた。
「怖い? 何故ですか?この用に美しい笛の音を奏する方を怖いはずもありません。」
幼童は臆する様子も無く正面から視線を受け止めて応える。
「俺はおまえと同じ人ではないぞ。 まさか・・・人だと思っているわけではあるまいな。」
若者は言うとその赤い唇をニィッと吊り上げて笑う。その奥に牙が見えたのは気のせいか・・・
アハハッ・・・・ 幼童は声を上げて笑った。
「あなたが鬼でも妖しでも怖くはありません。 ほれ みんな私の友です。」
言われて幼童の足元を見れば三つ目の小鬼・一つ目の妖し・形も無く朧な黒霧・・・
猫のようなもの・犬のようなもの蛇のようなもの・・・
明らかに人ではないもの達が慈しむように嬉しげに幼童に纏わりついている。
「おいっ! 俺をこいつらと一緒にするでない。」 若者は幼童を睨んだ。
「違うのですか?。」 邪気の無い表情で幼童は小首を傾げる。
「こんな小鬼たちと同じと思われるのは些か癪ではあるな。」 
「この物たちは皆 心優しいものです。私には大事な友です。そのように邪険に扱わないで欲しい・・・」
幼童は寂しそうに言うと己の足元に視線を落とした。
「ならば・・・力の違いを見せてやろうか。」
 若者は揶揄するように言うと枝から飛び降りて音も無く幼童の前に立つとその顎を細い指先で捉えた。
パチッ!と音がして若者の腕に痛みが襲った。
驚いて腕の先を見れば三つ目の小鬼が喰らいついている。
「こやつ・・・雑鬼の分際で・・・」 若者がふっと息を吹きかけるだけで小鬼は弾き飛ばされた。
「お止めください。」 幼童は地面に転げた子鬼を抱き上げて若者を見上げて抗議の声を上げた。
・・・ かわいそうな事を ・・・・ 幼童が小鬼の頭を小さな掌で撫でてやる。

「俺をこいつらと同じと思うなよ。 何ならおまえを喰ろうてやろうか。」 若者は小鬼を抱く幼童の腕を掴みグイッと引き寄せた。
幼童の足元に居る小鬼・妖しが怒りも顕にして若者を睨みつけているのだが・・・その身が恐怖のためか震えているのは隠しようも無い。
見ようによっては何とも滑稽な小鬼たちの姿をじっと若者は見詰めていたが・・・
「やめた!」
言うと若者は突然幼童の腕を解き放った。
「喰らわぬのですか?」 幼童の声がする。
「その小さな身体では喰い足りぬわ。」 若者は片頬に僅かばかりの笑みを刻んでくるっと背を向けひらひらと手を振った。
幼童は何も言わず深々と頭を垂れて小さくなっていく若者を見送ったのである。



空が茜色に染まっている。
やがて漆黒の闇が支配する夜まではまだ少し・・・・
朱雀門を出てくる二つの人影があった。
先を歩くのは縹色・少し後から歩くのは浅葱色の装束を身につけている。 どちらもまだ若く瑞々しい雰囲気が遠くからも見て取れた。
先の男の方が幾分年上であるようで遅れがちな年下の男に振り向いては何度も声をかける。
声をかけられる度に年下の男は嬉しそうに視線を上げて応えている姿が何とも微笑ましい。

羅城門から朱雀門に向かって大路を上がってくる男が一人・・・凛とした雰囲気を漂わせ緋色の水干を纏っていた。

朱雀門から下ってきた二人と朱雀門へと上がっていく一人が次第に近づきお互いの姿がはっきりと見分けられる距離に来たとき年上の男はその歩を止める。
無意識なのか年下の男を庇うように左手を広げて年下の男を背後に置く形をとった。
一言も発する事無く二人の前を緋色の水干の男が通り過ぎて行く。

・・・・お久しゅうございます ・・・・
誰に言うとも無く年下の男が呟いて頭を垂れた。
・・・・ 恙無く育っておるようだな ・・・・
 緋色の水干の男が朱雀門へと視線を向けたまま継いだ。

・・・・ 喰らえますか ・・・・・
    ・・・・・・・・・ いや。もう少し楽しませてもらおうか ・・・・
そっと袂で口を覆って笑みを浮かべた二人は何事も無かったように北と南へと歩を進める。


「知っているのか?」 年上の男が問う。
「昔の話でございますよ。」 年下の男は事も無げに応えた。
「そうか。・・・・ あれは都の鬼を統べる酒呑童子ぞ。」 殊更声を荒げる訳でもなく年上の男が言った。
「あれが・・・。」
年下の男は振り返ってもう小さくなってしまった緋色の水干を見詰めた。
「きれいなお方なのですね。 保憲様。」 年下の男は瞳を輝かして年上の男を見上げた。
「きれい・・・・か。まぁ あの姿が真実ではないことをおまえは解っているとは思うがな 晴明。」
それにしても・・・っと年上の男は溜息混じりに年下の男を愛おしそうに眺める。


・・・暫くは面白き世になりそうだ ・・・・

緋色の水干姿の男 酒呑童子が独り言ちたのをこの二人が聞いたかどうか・・・

空は茜色から濃藍に変わりつつあった。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください