大路の木々を錦に飾っていた葉もその役目を終えてはらはらと舞い落ちてから久しい。
気がつけば木の葉の無い枝ばかりが目立ち 吹きすぎる風もその冷たさで身を切るようになっている。

間もなく冬至を迎えようと言う時期の事。
西の都に鬼が出る・・・・その噂は人々の口を通して瞬く間に広がった。
桂の河の畔に忘れられたように建っている荒れ寺の中で頸を喰らわれている者が何人も出始めている。
男であったり女であったり様々で幼い童は稚児であろうか・・・皆一様に頸元を食い千切られていた。
正面からの傷であるからその鬼を見ながら命を奪われた事と成るのだが・・・・
事切れている者たちの表情は皆、嬉しそうであり時に悦に浸っているのかのように微笑を浮かべていた。

「不思議な事も有るものでございますね。保憲様。」 晴明が見上げながら保憲に問う。
「真になぁ。 しかし人を殺めている事に変わりは無い。此処は滅しておかないと後々まで面倒だ。」
二人が会話を交わしているのは賀茂の屋敷の奥である。
先日殿上人の一人が件の鬼に喰らわれた。
これを憂いた主上から陰陽寮へ勅が下ったのであった。

寮からは保憲が向かう事と成ったのだが保憲はこの仕事に晴明を同行させる事にした。
まだ寮生ではないが術を操る能力は充分に有る。 必要なのは経験である・・・・
保憲は師匠でもある忠行に許可を取り付け二人で西の京にある荒れ寺へと向かう事と相成った訳である。
望月が過ぎたばかりの夜の事。 
荒れ寺の中にも青白い光が差し込み辺りを朧に浮かび上がらせている。
じっと息を凝らして気配を消し保憲と晴明は鬼の来るのを待った。
やがて・・・・獣のような息遣いが寺の外から近づいて来る。
・・・・ 来たぞ 晴明 ・・・・  保憲が唇だけで伝えて来たのと寺の扉が軋む音を発して開くの略同時であった。
見上げるように大きな影が寺の中に入ってくるとその太い腕から何かが投げ出された。
青白い光に照らされたそれは幼い童・・・何処かの寺の稚児であろうか。
僅かに身動ぎをした後その童はふっと瞳を開いた瞬間に恐怖にその表情が固まって行くのを保憲と晴明はじっと見ていた。

素早く印を結ぼうとする晴明の指先を制止するように保憲の掌が包んだ。
訝しげに見上げてくる晴明に穏かな笑みを浮かべた保憲が見下ろしていた。
「まだ・・・早いぞ晴明。 あの稚児を見よ。 とても幸せそうには見えぬではないか。」
そう・・・鬼に喰らわれた者は皆一様に幸せそうな笑みを浮かべているのであった筈。 
「保憲様。 あの幼童が鬼に喰らわれては遅ぅございますが・・・・。」
晴明の言い様に保憲は思わず笑みを深くした。
・・・・・ 幼童って ・・・お前とあまり変わらぬ歳頃では無いか ・・・・
二人が表情を引き締めて見つめる前で稚児の瞳が大きく見開かれその瞳に鬼の姿が映し出されている。
ニッ・・・・鬼の口がぱっくりと割れて笑ったように見えた。
その瞬間 稚児の表情は一変した。 嬉しそうな 幸せそうな 笑みを浮かべて鬼の胸に頭を摺り寄せ細い腕を鬼の背中へ回していく。
「なるほど・・な。」 保憲が呟いた。  「 は? 」 その呟きを聞いて問う様に晴明が視線を保憲へと向けた。
「解らぬか? 夢に魅せられたのよ。 あの稚児の心のうちで望んでいる物を見せる事があの鬼には出来るのであろう。」
「それは・・・・」 「ふふん。 さて・・・何の夢を見ているのであろうか。」

鬼が稚児の身体を抱き上げて首元へ牙を当てようとするのを見て保憲と晴明は期せずして同時に印を結すぶ。
鬼の右手側と左手側・・・・静かに呪が紡ぎ出されて辺りの空気がグンッと重力を増したように感じられ鬼の動きがピタッと止まった。
耳を塞ぎたくなる不気味な呻り声が鬼の口から絶え間なく吐き出されている。
保憲の右手 二本の指で呪符が挿まれて何時でも飛ばせる体勢に入った。
ドサッと音がして鬼の腕から稚児の身体が床へ落ちたのを晴明は確認して視線は鬼に向けたまま稚児の身体を引き寄せる。
獲物を奪われた事に気づいた鬼が苦しそうに首を振りながら顔を晴明に向けて来た。
その禍々しい両の目に晴明の姿が映っている。 
稚児の手を掴んだ左手を下げたまま右手で印を結んだ状態でじっと鬼を見つめる晴明の瞳にも鬼の苦しむ姿が映っていた。
保憲の手にある呪符が鬼に向かって飛びピタッと張り付いたのと鬼の口が開いて笑みを浮かべたのとどちらが早かったのだろうか・・・
張り付いた呪符から火の手が上がり鬼は見る見る炎に包まれ獣の焼ける臭いと共に崩れ落ちサラサラと形が壊れ・・・
やがて微塵も残さず消え去った。

「終わったぞ。 晴明。」 保憲が身体を回して晴明を見やる。 
視線の先には稚児を保護して立っている晴明がいる・・筈であった。
「・・・・ 晴明?」 保憲は訝しげに晴明に近寄る。 途端 晴明の身体が保憲に凭れ掛かるように崩れ落ちた。
驚いて支えた保憲は晴明が笑っているのを見た。 何とも幸せそうに 穏かで嬉しそうに・・・
「クッ! 魅せられたか。 一体どの様な夢を・・・・・」 保憲は呆然としてその場に立ち竦んだ。



・・・・・何故 目覚めぬ ・・・・・
昏々と眠り続ける晴明の幸せそうな寝顔を見下ろして保憲は一人思う。
鬼は滅した。 掛かった術は融けた筈。 現にあの時の稚児は無事に戻って行った。
なのに何故 ・・・・
保憲は苛立つ心を持て余していた。
日頃から何かに執着をする素振等見せる事がなかった晴明を捉えた夢とは何なのだろうか。
滅多に見る事がない幸せそうな表情を浮かべているのが恨めしかった。
前庭を冬の凍てつく風が吹き抜けて行く。

「戻る気が無いのだろうて。」 音も無く庭先に立った男が言う。
「道満・・・・。」 保憲は視線を向けて瞠目した。
「保憲よ。 ぬしも気がついているのであろう。 こいつは戻ろうとしていない。」
道満と呼ばれた男はずかずかと庭先から保憲の前へと上がって来ると顎で晴明を指し示した。
「戻らないと晴明が思っていると言うのか?」 己の心の隙を撞かれたようで苛立ちが更に募る。
「信じぬか?ならば・・・こいつの心の中に入って確かめてみれば良いではないか。 ぬしに出来ぬ事はなかろうて。」
道満の言葉に保憲の心が揺らぐ。
「ふふん。怖いか?こいつの心を見るのが・・・。」 道満が嘲るように笑った。
道満の言っている事は解る。 しかし晴明のこの幸せそうな表情が何かを語っているようで保憲は思い切れないままに時が過ぎていたのである。
「俺が行っても良いぞ。」 道満の声に保憲はハッと顔を上げて道満を見て言った。
「おまえになど・・・行かせぬ。」
「このまま放って置けばやがて死ぬる。」道満の声は容赦が無かった。
「解っております。 行くのなら誰にも任せず私が入ります。」 保憲は腹を括った。
「そうか。 ぬしが行くと言うのなら去ぬるとするか。 無事に二人で戻れよ。」 
道満が珍しく真摯な眼差しを保憲に向ける。
「無論です。 置いたままに戻るなど出来よう筈もない。」 保憲は己に言い聞かせるように言った。
ふふん・・・道満は鼻先で笑い、スッとその場に立ち上がると道満は来た時と同じように音もなく去って行った。

道満の気配が完全に消えたのを確認した保憲は改めて晴明を見下ろす。
大きく一つ息を吐くと静かに呪が保憲の口から紡ぎ出され保憲の額が晴明の額へピッタリと押し付けられた。
そのまま保憲の身体から力が抜ける。 辺りに聞こえるのは冬の冷たい風の音。


ふわっと身体が浮いたように保憲は感じた。 上っているのか下がっているのか・・・
やがて足の裏に何かが触った。 保憲は辺りを見回す。
音もなく風も吹いていない。 道に咲く花さえも見えない空間であった。
想像より遥かに穏やかな辺りの様子に保憲は肩の力が抜けるような気がする。
一歩足を踏み出した瞬間 その考えは間違っていた事を保憲は思い知らされた。
凍えるほどに寒いのである。 足元から凍っていくような、吸う息さえも氷のようであった。
忽ちのうちに全身が冷たくなって衣の袖が硬く凍っていくように保憲は感じる。
・・・・・・ 晴明 ・・・・・・
保憲は思わず零れそうになる涙をじっと堪え足を進めた。
この場所に長く留まれる訳ではない。 時が経てば保憲自身が戻れなくなってしまうのである。
刻一刻と指先は冷え足も感覚が無くなり呼吸も苦しくなってくる。
・・・ このような冷たい所で晴明は幸せなのか ・・・・
失われて行く感覚の中で保憲の脳裏に浮かぶのは晴明の幸せそうな笑顔であった。

何処からか小さく歌声が聞こえてくる。 保憲の知らない歌であった。
細く高い歌声は穏かで慈しみに満ちていた。
保憲の視線の先に一人の女人が坐して歌っているのが見えてくる。
身に着けているのは決して上物の装束ではない。 髪も緩く束ねられているだけである。
しかしその眼差しは優しく衣の中にいる小さな者の髪を撫でながら途切れる事無く歌を紡いでいた。
女人の衣に包まれて幸せそうに眼を閉じているのは・・・・晴明。
「母様。」 晴明の幸せそうな声が聞こえる。
・・・違う! あれは晴明の母親では無い ・・・・ 保憲は叫びそうになって思わず掌で己の口を塞いだ。

「母様。 母様。」 晴明は頭を女人の胸に押し付けて背中に回している腕に力をこめて行く。
穏かな笑みを浮かべて女人は晴明を見下ろしていた。
「愛おしい我が子よ。 何時までもこのまま二人でここに・・・・」 女人が美しい声で応える。
これ以上無いほど極上の笑みを浮かべて晴明が女人を見上げるの目の当たりにして保憲は堪えきれずに声を上げた。
「晴明! 何時までこのような所に居るつもりだ。」
不機嫌そうに眉を顰めた晴明の視線がゆっくりと保憲に向けられたがそれは留まる事無く再び女人へと視線は戻された。
「晴明! 俺と共に戻ろう。 何時までも此処へ留まれば俺もおまえも戻る事が出来なくなるぞ。」
強い調子で言いながら保憲は晴明の腕を掴んだ。
バシッと手荒くその手を弾いて晴明が退く。
「嫌です! あなた様が一人で戻れば宜しいのではございませんか? 」
応える晴明には表情が無かった。 修行の時にしている顔。
元々持っていた見鬼の才に加え教えられる事を誰より早く深く理解して行く晴明に忠行の弟子は自然と距離を置き始めていた。
まだ母親の腕の中で慈しまれている年頃だと言う事を誰もが思い至らなくなっていた事に保憲は気がついたのであった。
「寂しかったのか?。」 保憲は晴明の顔を覗き込んだ。
フィッと顔を叛けて晴明が言う。 「誰が・・・寂しいなどと。 私はここに居たいだけです。」
「おまえも解っているのだろう? その者がおまえの母親では無いことを・・・」 保憲晴明の掌をそっと包むように己の両の手に収めると努めて穏かに声を掛けた。
ビクッと晴明の肩が跳ねたと同時に傍にいる女人の姿が僅かに朧げになる。
「やめて下さい。 この人は・・・・」 スッと晴明が退いて女人の衣の裾を掴んだ。
「おまえは解っているはずだ。 眼を背けるのはおまえらしくない。」
「あなたに・・・あなたに何が解ると言うのです。」 
再び女人の胸に飛び込もうとする晴明を抱きとめて保憲はその髪を梳く。
「この俺では駄目なのか? 真に弟と想うている。 晴明 俺では支えにならぬのか?」
「私は誰の支えも望んでいません。 お戻り下さい。」
「晴明! 戻ろう。傍にいてくれ。共に戻ろう。」 
「保憲様。 戻れなくなりますよ。」 晴明がくるりと踵を返した。
「晴明!!」 保憲が晴明の腕を掴んだ。
先程のように手荒く弾かれる事は無かったが握り返して来る事も無かった。
掴んでいる己の腕が薄くなって行くのを保憲は見た。 掴んでいる筈の晴明の腕が透けて見えている。
「せっ・・・め・・・・・・・」

閉じていた眼を開くとそこは屋敷の中であった。
保憲は大きく息を吐くと間近に寝息を立てたままで晴明の顔がある。
・・・・ 戻って来いよ。 ・・・・・ 誰に言うとも無く一人呟く。
保憲には兄弟が何人かいる。 しかし誰よりも身近にいるのは血の繋がりも無い晴明であると思っていた。
・・・それでも・・・・伝わっていなかったのだよなぁ。 ・・・・・
なんだか保憲はどうしようもないほど切なかった。 胸がズキッと痛む。
じっ・・・・・と眠る晴明を見下ろした。
「俺はこうやっておまえを眺めている事しか出来ないのか。」 ひんやりと冷たい晴明の掌を撫でた。
閉じられている晴明の眦からツ・・・・と涙が一滴流れ落ちた。
「晴明?」 あれ程幸せそうだった表情が消えている。
伏せられていた睫が僅かに振るえゆっくりと眼が開かれた。
「晴明!! 戻ってきたのだな。 本当に 本当に・・・良く・・・」
保憲は晴明の身体に覆い被さって抱きしめた。

「何ですか。 騒々しい事。 これではゆっくり寝てもいられません。」
右手で髪を掻き揚げながら悩ましげな視線を保憲に向けた。
「ははっ!! 眼が覚めれば相変わらず憎まれ口か。」
保憲は晴明の髪を乱暴に撫でながら気づかれないように己の眼を拭った。
「まったく・・・・寂しいのは保憲様の方ではなかったのですか?」 
「あぁ そうかも知れぬ。 このように遠慮なく憎まれ口を叩く奴はこの屋敷には他におらん。」
「ふん。何とでも仰ってください。」
言いながら握っていた晴明の手が少しだけ握り返してきたのを感じて保憲はホッと安堵の息を小さく吐いた。


二人の容赦ない遣り取りを聞いていたのは庭を渡っていく冬の冷たい風だけ。
・・・・晴明の心の庭咲く花に・・・とは行かぬな。まぁ一本の草でも良いからなりたいものよ ・・・・
保憲は腹の底からそのように考えている。

「何を考えておられます?」 ジロッと睨みつけられて保憲はまた一つ溜息。
「ほんに聡い弟よなぁ。」 保憲の顔に笑みが深く刻まれたのを見上げる晴明の瞳はどこか幼げであった。




















 



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