賀茂忠行は緊張を隠しきれないまま平伏をしていた。
正庁では無い。 内裏の奥・・・
御簾の向こう側に坐している男の顔を確認出来ぬほど薄暗い。
「東国が大分剣呑であるようだが・・存じておろう?」 男の声が響く。
「是。」 忠行は短く応えた。
「以前から小競り合いは有った様だが此処へ来て国司に刃向かう物共の話が増えておる。」
「比叡等の高僧の方々が安寧の読経をされていると聞き及んでおります。」
「ふむ・・・」 男が僅かに肯いたように見える。
「陰陽寮からも術を施すよう手配を致した方が宜しいのでございましょうか?」
「いや・・・」 男は忠行の言葉を遮って言葉を繋げる。
「まだ大事にはなっておらぬようだ。この先は解らぬが・・な。 胆沢の柵の向こう側も今の所動く気配は無い。」
男の言葉に忠行は僅かに眉を顰めた。
「しかし・・な。 忠行・・・東国と胆沢の先が動くようであればこちらも手を打たねばならぬ。」
「是。」
都を護るのが仕事の陰陽寮である。 「否」と言える立場には無い。
「あれは息災であるか?」 男が繋がりも無く言う。
「是。」 忠行も ・・・誰の事か?・・・とは訊ねない。
「東国がこれ程逆らう姿勢を見せ始めているに北の国は何故に動かぬか・・・不思議とは思わぬのか?忠行。」
「そのように難しい事は解りかねますが・・・」
忠行の応えに男はふっと笑った。
「真に・・ 噂通りに忠行は狸よの。」
男の声に忠行は無言のまま片頬に笑みを刻んだ。
「北の国には動けぬ訳があるのよ・・それさえ解消すれば・・・北は必ず動く。その時には・・・」
「それは・・・沙汰が下されると・・・言う事でございましょうか。」
忠行の問いに男は暫しの沈黙を保った。
「北の地は東国に益して兵の力も強い。何やら不思議な才を持つものもいると聞く。 動けぬ理由をそのままに動く事あれば・・・。」
「沙汰が・・下ると・・」
ふふん・・男が鼻を鳴らした。
「消せばよいと言うものではない・・それくらいは解るであろうが。」 男が言い放つ。
「都に刃向かうとどの様な事になるかを知らしめねば・・な。」 男の怜悧な笑みが深くなった。
「良いか・・忠行。 賀茂の家を潰す事など容易い事なのだぞ・・元を糺せば賀茂の遠祖は帝に刃向かった者。 努々 情に流されて逃すような事を考えるではないぞ。」
「・・・・御意。」 忠行は深く頭を垂れた。
・・・・・・・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ・・・・・・・
大きな荷を積んだ馬を連れた一団が都の大路を進んでいた。
夏の陽射しが強いこの時期になるとやって来る北の国からの一行である。
日頃都では見かけない衣装の隊列は大路を行きかう人の目をひきつけ夏の到来を告げる風物詩とも言える光景であった。
今年の一行は何故か例年に比べて煌びやかで若い女人の姿が目立ち護るように進む男たちの数も例年より多い。
「今年は何か特別な事でもあるのでしょうか?」 「然様 然様・・・蝦夷の者たちとは思えぬほど煌いておるのう。」
袂で口を隠してひそひそと話を交わす都人を気にかける風も無く一行は大路の西へと歩を進めて荷を解くために用意した屋敷の中へと入って行った。
都にいる間はこの屋敷に滞在し北の国からの献上品を奏上し長旅の疲れを癒す・・・
都人の会話も遠のいて行く一団の姿も興味も無いと言う態で大路の端に身を寄せ忠行はじっと空へ眼を向けていた。
・・・情に流される?俺はそれほど愚かでは無いわ。操り人形でいるのが嫌なのよ。・・・・
良くぞ今日まで我慢した物よのぅ・・・忠行は誰にとも無くふっと笑った。
・・・・あれがどう言う出自かはこれで決まったような物・・・さて・・狸の腹のうち見抜けるや否や・・・・
ひょいっと肩を竦めて忠行は踵を返した。
自邸へと戻った忠行は書庫でいくつかの巻物と書物を選び出して自室へと運び込んだ。
さらさら・・・・紙の擦れる音がして瞬く間に辺りへ広げられた巻物を両の目が素早く動き回っている。
ふむ・・・胆沢の向こうと言うのは確かであろうが・・・恐れるほどの実力ある蝦夷と・・な ・・・・・・
忠行は眼の動きを止めずに書物を開き巻物を広げる。
やがてその視線がぴたりと止まった。 ・・・これか! ・・・・・
「まさか怨霊になったとか案じている訳ではあるまいな。」 忠行が一人言ちた時 御簾の外から声が掛かった。
「父様。 お戻りでございましたか。」 保憲である。
「おぅ!保憲か。 先ほど戻った。」 忠行は書物に視線を向けたまま応えた。
「今日は久しぶりに煌びやかな一行に出会いまして・・・」 御簾を潜って保憲が入ってくる。
「ほう・・・」 応えながら保憲に向けた忠行の瞳が一瞬大きく開かれた。
「父様。 いかがなされました?」 保憲が訝しげに問う。
「いや・・何でもない。 」 忠行の言葉を受けて軽く頭を下げると「では・・」と保憲は御簾を潜って出て行った。
・・・・・・ まったく ・・・ 何を学んでおるのやら。・・・・
暫くの間御簾の外へ視線を向けていた忠行が再び書物に向かい 誰に言うでもないように
「どちらからいらした。」 と言葉を紡ぐ。
その言葉に応える様に朧げに霧のような物が浮かび上がりやがて人の形を成していく。
「このような訪いを致しまして・・・」 深々と頭を下げるそれは都人とは違う装束の女人であった。
「人・・・でございますな。} 忠行が苦笑を浮かべながら穏かに声を掛ける。
「現の身ではございませぬが妖物でもございません。」 女人は視線を伏したままで言葉を継いだ。
「私は・・ァペの里から参りました。 ご無礼を致しますがぜひともにお尋ねしたい事がございまして・・・」
「ァペの里・・・・」 忠行の瞳が宙を彷徨った。
「都の方々はご存知無いかと存じますが遠く海を越えてやって来た神を奉る里にございます。」
「それは遠つ国からやって来たと言う事でしょうか。」
「遠い昔はもっと遥かな国であったのですが今は都より北にて奉っております。」 女人が静かに応える。
・・・・・・遠い 遠い遥かな昔・・・
海は凍り北の果てかと思われる所から違う姿の人が下ってきたと言う。
豊かな海の獲物を求めて下ってきた人はやがて居を定める。
人々は暖を授け獲物を調理する「火」(OroHb)を神として祀った。
長い年月の間にこの人は元からいた人々と交わり神を「アペ」と呼ぶようになったと伝えられる。
やがて人は更に南下をして狭いが流れの厳しい海を渡り新たに居を求めて行く。
人が新たに居を定めた所には己とは違う姿の別の人がいた。
遥か西の欧羅巴と呼ばれる地で最高神として名高い荒覇吐神の血筋の者を王として豊かな生活を績んでいたのである。
聡明な王は南下してきた人を疎む事無く引き入れ更なる豊かさを慈しみ育てたのだと言う。 ・・・・
「して・・・そのような遠くから何故にこの私のところへ参られた?」 忠行は穏かに問う。
「我等が神子様がこちらにいらっしゃるのでが無いかと・・・」
「そなた達の神子? はて? そのようなお方が此処におられると?」
「はい。 詳しい事は申し上げられませんが先ほどのお方の気が・・・」 女人は保憲の去っていった方向へ視線を向けた。
「あやつは生まれる前から都におりましたよ。」 忠行は笑みを浮かべながら言う。
「然様でございますか。 あのお方に近い所に神子はいらっしゃると思ったのでございますが・・。違えてしまったのかも知れませぬ。 大変に失礼をいたしました。」
女人が深々と頭を下げたとき忠行の眉がふっと顰められた。
軽快な足音が近づいて来る。 ピクッと女人の肩が跳ねる。
近づいて来た足音はピタッと止まると沓石から庭へ降りたようであった。
「こちらだ、晴明。」 保憲の声がする。
「はい。今参ります。」 呼ばれた者が爽やかな声で応えた。
忠行と女人の間に暫くの間沈黙が流れていた。
「あの方は?」 女人が小さな声で言いながら忠行を見上げる。
「幼き頃より我が家で修行をしている者ですよ。」 視線が慈しむように御簾の向こうに向けられた。
「お会いする事は叶いませぬか?」
「会ってどうします?」 忠行は視線を戻すと問うた。
「我らの神子か否か・・・。」
女人の言葉に忠行がふっと笑った。
「もしも・・あなたの仰っているお方だとしたらどうする心算なのですか? 連れて帰りますか? 今このように都と東国が危うい時に・・。」
「我等が里がどの様な位置にあるか・・それは良く解っております。 ですが・・・神子は我等が里には必要なお方なのです。」 女人は忠行を見上げて僅かに首を振った。
「ならば・・・如何いたす所存なのでしょうか?」
「我等が都にいるのはあと十日程でございます。 その間だけ神子を僅かな時だけお貸し下さいませ。」
「貸す?」 忠行訝しげに問うた。
「我らは毎年 都へ献上品をお届けに参ります。 その間の数日だけ僅かな時を我らに与えて頂きたいのです。」
「かなり危ない話ではあるな。 そもそも・・・あやつが神子かどうか解らんぞ。」
「ですから・・・ぜひお目にかからせて頂きたいとお願いしております。」
・・・ ふむ ・・・・忠行は頷くと御簾を巻き上げて庭にいる二人を呼び寄せた。
「父様。 なにかご用ですか?」 「師匠様。 」 忠行の前に坐している女人へ不思議そうに二人の視線が向く。
二人の問いに忠行は応えずに静かに女人を見下ろした。
ふわ・・・・っと女人の衣が揺れてその指先が晴明の頬に触れる。 ビクッと晴明が退いた。
「失礼をいたしました。」
驚いたように眼を見開いている晴明から静かに距離をとると女人は指を収めて元の場所へ坐した。
・・・・ 気が済まれましたかな ・・・・・ 忠行が薄く笑った。
「あぁ もう戻っても良いぞ。」 忠行は何事も無かったように二人へ声を掛けた。
何とも訝しげな表情を浮かべたまま二人は庭へと降りて行く。
「それでは・・・・お貸しいただく事を了承して頂いたものと ・・・・」
女人は静かに頭を垂れると次第に朧になりやがて忠行の前から消え去った。
・・・・ 俺も動かねばならぬか ・・・・ さぁて。何が起きるか楽しみな事よ ・・・・
忠行は一人言ちて女人の消えた後を見つめていた。
正庁では無い。 内裏の奥・・・
御簾の向こう側に坐している男の顔を確認出来ぬほど薄暗い。
「東国が大分剣呑であるようだが・・存じておろう?」 男の声が響く。
「是。」 忠行は短く応えた。
「以前から小競り合いは有った様だが此処へ来て国司に刃向かう物共の話が増えておる。」
「比叡等の高僧の方々が安寧の読経をされていると聞き及んでおります。」
「ふむ・・・」 男が僅かに肯いたように見える。
「陰陽寮からも術を施すよう手配を致した方が宜しいのでございましょうか?」
「いや・・・」 男は忠行の言葉を遮って言葉を繋げる。
「まだ大事にはなっておらぬようだ。この先は解らぬが・・な。 胆沢の柵の向こう側も今の所動く気配は無い。」
男の言葉に忠行は僅かに眉を顰めた。
「しかし・・な。 忠行・・・東国と胆沢の先が動くようであればこちらも手を打たねばならぬ。」
「是。」
都を護るのが仕事の陰陽寮である。 「否」と言える立場には無い。
「あれは息災であるか?」 男が繋がりも無く言う。
「是。」 忠行も ・・・誰の事か?・・・とは訊ねない。
「東国がこれ程逆らう姿勢を見せ始めているに北の国は何故に動かぬか・・・不思議とは思わぬのか?忠行。」
「そのように難しい事は解りかねますが・・・」
忠行の応えに男はふっと笑った。
「真に・・ 噂通りに忠行は狸よの。」
男の声に忠行は無言のまま片頬に笑みを刻んだ。
「北の国には動けぬ訳があるのよ・・それさえ解消すれば・・・北は必ず動く。その時には・・・」
「それは・・・沙汰が下されると・・・言う事でございましょうか。」
忠行の問いに男は暫しの沈黙を保った。
「北の地は東国に益して兵の力も強い。何やら不思議な才を持つものもいると聞く。 動けぬ理由をそのままに動く事あれば・・・。」
「沙汰が・・下ると・・」
ふふん・・男が鼻を鳴らした。
「消せばよいと言うものではない・・それくらいは解るであろうが。」 男が言い放つ。
「都に刃向かうとどの様な事になるかを知らしめねば・・な。」 男の怜悧な笑みが深くなった。
「良いか・・忠行。 賀茂の家を潰す事など容易い事なのだぞ・・元を糺せば賀茂の遠祖は帝に刃向かった者。 努々 情に流されて逃すような事を考えるではないぞ。」
「・・・・御意。」 忠行は深く頭を垂れた。
・・・・・・・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ・・・・・・・
大きな荷を積んだ馬を連れた一団が都の大路を進んでいた。
夏の陽射しが強いこの時期になるとやって来る北の国からの一行である。
日頃都では見かけない衣装の隊列は大路を行きかう人の目をひきつけ夏の到来を告げる風物詩とも言える光景であった。
今年の一行は何故か例年に比べて煌びやかで若い女人の姿が目立ち護るように進む男たちの数も例年より多い。
「今年は何か特別な事でもあるのでしょうか?」 「然様 然様・・・蝦夷の者たちとは思えぬほど煌いておるのう。」
袂で口を隠してひそひそと話を交わす都人を気にかける風も無く一行は大路の西へと歩を進めて荷を解くために用意した屋敷の中へと入って行った。
都にいる間はこの屋敷に滞在し北の国からの献上品を奏上し長旅の疲れを癒す・・・
都人の会話も遠のいて行く一団の姿も興味も無いと言う態で大路の端に身を寄せ忠行はじっと空へ眼を向けていた。
・・・情に流される?俺はそれほど愚かでは無いわ。操り人形でいるのが嫌なのよ。・・・・
良くぞ今日まで我慢した物よのぅ・・・忠行は誰にとも無くふっと笑った。
・・・・あれがどう言う出自かはこれで決まったような物・・・さて・・狸の腹のうち見抜けるや否や・・・・
ひょいっと肩を竦めて忠行は踵を返した。
自邸へと戻った忠行は書庫でいくつかの巻物と書物を選び出して自室へと運び込んだ。
さらさら・・・・紙の擦れる音がして瞬く間に辺りへ広げられた巻物を両の目が素早く動き回っている。
ふむ・・・胆沢の向こうと言うのは確かであろうが・・・恐れるほどの実力ある蝦夷と・・な ・・・・・・
忠行は眼の動きを止めずに書物を開き巻物を広げる。
やがてその視線がぴたりと止まった。 ・・・これか! ・・・・・
「まさか怨霊になったとか案じている訳ではあるまいな。」 忠行が一人言ちた時 御簾の外から声が掛かった。
「父様。 お戻りでございましたか。」 保憲である。
「おぅ!保憲か。 先ほど戻った。」 忠行は書物に視線を向けたまま応えた。
「今日は久しぶりに煌びやかな一行に出会いまして・・・」 御簾を潜って保憲が入ってくる。
「ほう・・・」 応えながら保憲に向けた忠行の瞳が一瞬大きく開かれた。
「父様。 いかがなされました?」 保憲が訝しげに問う。
「いや・・何でもない。 」 忠行の言葉を受けて軽く頭を下げると「では・・」と保憲は御簾を潜って出て行った。
・・・・・・ まったく ・・・ 何を学んでおるのやら。・・・・
暫くの間御簾の外へ視線を向けていた忠行が再び書物に向かい 誰に言うでもないように
「どちらからいらした。」 と言葉を紡ぐ。
その言葉に応える様に朧げに霧のような物が浮かび上がりやがて人の形を成していく。
「このような訪いを致しまして・・・」 深々と頭を下げるそれは都人とは違う装束の女人であった。
「人・・・でございますな。} 忠行が苦笑を浮かべながら穏かに声を掛ける。
「現の身ではございませぬが妖物でもございません。」 女人は視線を伏したままで言葉を継いだ。
「私は・・ァペの里から参りました。 ご無礼を致しますがぜひともにお尋ねしたい事がございまして・・・」
「ァペの里・・・・」 忠行の瞳が宙を彷徨った。
「都の方々はご存知無いかと存じますが遠く海を越えてやって来た神を奉る里にございます。」
「それは遠つ国からやって来たと言う事でしょうか。」
「遠い昔はもっと遥かな国であったのですが今は都より北にて奉っております。」 女人が静かに応える。
・・・・・・遠い 遠い遥かな昔・・・
海は凍り北の果てかと思われる所から違う姿の人が下ってきたと言う。
豊かな海の獲物を求めて下ってきた人はやがて居を定める。
人々は暖を授け獲物を調理する「火」(OroHb)を神として祀った。
長い年月の間にこの人は元からいた人々と交わり神を「アペ」と呼ぶようになったと伝えられる。
やがて人は更に南下をして狭いが流れの厳しい海を渡り新たに居を求めて行く。
人が新たに居を定めた所には己とは違う姿の別の人がいた。
遥か西の欧羅巴と呼ばれる地で最高神として名高い荒覇吐神の血筋の者を王として豊かな生活を績んでいたのである。
聡明な王は南下してきた人を疎む事無く引き入れ更なる豊かさを慈しみ育てたのだと言う。 ・・・・
「して・・・そのような遠くから何故にこの私のところへ参られた?」 忠行は穏かに問う。
「我等が神子様がこちらにいらっしゃるのでが無いかと・・・」
「そなた達の神子? はて? そのようなお方が此処におられると?」
「はい。 詳しい事は申し上げられませんが先ほどのお方の気が・・・」 女人は保憲の去っていった方向へ視線を向けた。
「あやつは生まれる前から都におりましたよ。」 忠行は笑みを浮かべながら言う。
「然様でございますか。 あのお方に近い所に神子はいらっしゃると思ったのでございますが・・。違えてしまったのかも知れませぬ。 大変に失礼をいたしました。」
女人が深々と頭を下げたとき忠行の眉がふっと顰められた。
軽快な足音が近づいて来る。 ピクッと女人の肩が跳ねる。
近づいて来た足音はピタッと止まると沓石から庭へ降りたようであった。
「こちらだ、晴明。」 保憲の声がする。
「はい。今参ります。」 呼ばれた者が爽やかな声で応えた。
忠行と女人の間に暫くの間沈黙が流れていた。
「あの方は?」 女人が小さな声で言いながら忠行を見上げる。
「幼き頃より我が家で修行をしている者ですよ。」 視線が慈しむように御簾の向こうに向けられた。
「お会いする事は叶いませぬか?」
「会ってどうします?」 忠行は視線を戻すと問うた。
「我らの神子か否か・・・。」
女人の言葉に忠行がふっと笑った。
「もしも・・あなたの仰っているお方だとしたらどうする心算なのですか? 連れて帰りますか? 今このように都と東国が危うい時に・・。」
「我等が里がどの様な位置にあるか・・それは良く解っております。 ですが・・・神子は我等が里には必要なお方なのです。」 女人は忠行を見上げて僅かに首を振った。
「ならば・・・如何いたす所存なのでしょうか?」
「我等が都にいるのはあと十日程でございます。 その間だけ神子を僅かな時だけお貸し下さいませ。」
「貸す?」 忠行訝しげに問うた。
「我らは毎年 都へ献上品をお届けに参ります。 その間の数日だけ僅かな時を我らに与えて頂きたいのです。」
「かなり危ない話ではあるな。 そもそも・・・あやつが神子かどうか解らんぞ。」
「ですから・・・ぜひお目にかからせて頂きたいとお願いしております。」
・・・ ふむ ・・・・忠行は頷くと御簾を巻き上げて庭にいる二人を呼び寄せた。
「父様。 なにかご用ですか?」 「師匠様。 」 忠行の前に坐している女人へ不思議そうに二人の視線が向く。
二人の問いに忠行は応えずに静かに女人を見下ろした。
ふわ・・・・っと女人の衣が揺れてその指先が晴明の頬に触れる。 ビクッと晴明が退いた。
「失礼をいたしました。」
驚いたように眼を見開いている晴明から静かに距離をとると女人は指を収めて元の場所へ坐した。
・・・・ 気が済まれましたかな ・・・・・ 忠行が薄く笑った。
「あぁ もう戻っても良いぞ。」 忠行は何事も無かったように二人へ声を掛けた。
何とも訝しげな表情を浮かべたまま二人は庭へと降りて行く。
「それでは・・・・お貸しいただく事を了承して頂いたものと ・・・・」
女人は静かに頭を垂れると次第に朧になりやがて忠行の前から消え去った。
・・・・ 俺も動かねばならぬか ・・・・ さぁて。何が起きるか楽しみな事よ ・・・・
忠行は一人言ちて女人の消えた後を見つめていた。
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