「これは・・・道満様。」 晴明が軽く頭を下げながら声を掛けてきた。

陽射しに柔らかさが溢れる午過ぎの事であった。
賀茂の屋敷に道満が久しぶりにやって来た所である。
「久しいな。晴明。 忠行はおるか?」 道満は薄笑いを浮かべて晴明を見やる。
少年の面影を残しながらも凛々しさを感じさせる青年へと変貌して行く晴明がそこにはいた。

「師匠様に御用でしたか。お部屋にいらっしゃると思います。」
「そうか・・・勝手に行かせて貰うぞ。」
道満はひらひらと手を振って渡廊を歩みだした。
「はい。」 晴明はまた頭を下げて一礼すると庭の向こうへと去って行く。
揺れる髪に陽が当たってキラッと輝いているのを眼の端に入れながら道満は忠行の下へと向かった。


「随分と都人らしくなって来たではないか。」 道満は揶揄するように笑みを刻んで忠行の前に坐した。
忠行の眉がぴくっと反応して道満を見る。
「誰の話だ・・」 忠行が応えた。
ふふん・・・と道満は肩を竦めるとどうと言う事もないように言葉を継ぐ。
「あの・・・白い晴明よ・・」 顎で庭の向こうを指し示す。
「何が言いたい・・・晴明に白も黒も無いわ。 あれ一人よ。」 忠行は苦虫を潰したような表情で言った。
「葛女の赤子の事を知らぬと思っておる訳でもあるまい。」 
「道満・・・ぬしは一体何を言いに来たのだ?」 忠行は訝しげに問うた。
「寮には推さぬのか?」 道満は問い返してくる。
「定員も有る故・・な。」 忠行は事も無げに言った。
ふっと道満の口の端に笑みが浮かんだ。
・・・・そもそも・・・忠行は言葉を継ぎながら道満を見やる。
「そのような面倒な事が嫌でぬしは野に下ったのであろう。あれは賀茂の家で預かっておる。」
忠行はこの話題を終わらせるように言い切った。
「入れ替えた訳ではないのだな。」 
「無い。」
忠行は即答で応える。
「解った。 去ぬる事にしよう。 邪魔をしたな。」
道満は次の言葉を待つ事も無く立ち上がると庭へと降りて立ち去るべく足を進めた。

「さて・・・あやつは何を仕入れたのか・・・」 忠行は一つ溜息をつくと肩を竦めた。




       ・・・・・・・・・・・・・ ☆    ☆    ☆    ☆    ☆ ・・・・・・・・・・・・・・・



「稀名様・・・」
声を掛けられて稀名は思考から我に返る。
「何だ?」 
声を掛けてきたのは西の都から戻ったばかりの者であった。
「神子様の消息が解るやも知れません。」
「なんと! ご無事でいらっしゃるのか?」
稀名は身体を向けると肩を掴みかからんばかりの勢いで訊ねた。
「はっきりと言える物ではありませんが・・・都へ伴った巫女様の血筋の方が追えるかも知れぬと。」
「あれから十年以上が過ぎているのだぞ。今まで駄目だった物が追えるのか?」
「髪を・・・受け取ったようです。」
「誰から?」
話が良く繋がらず稀名はもどかしく感じた。
「直接に話を聞く事とする。」 腰を上げると都から戻ったと言う巫女のもとへと向かったのである。


息せき切ってやって来た稀名に都から戻った巫女の血筋の女人は慌てる風もなく文筥を荷物の間から出して目の前に置いた。
・・・・これは?・・・・稀名の物問いげな視線に僅かな笑みを浮かべて静かに文筥を開き中にある薄紙を更に開いて行く。
現れたのは幾筋かの黒髪であった。 微風を受けても舞い上がってしまいそうな細い髪。

「都人では無いように見えました。」 女人が語り始める。

元より公には出来ぬこと・・・人目を引かぬように気を配りながら短い滞在期間の間の探索は毎回心許ない結果に終わっていた。
今年も消息は解らぬままか・・・っと一行が諦めかけていた時にその男と出会ったのだ。
「この話 いくらで買う?」 男はいきなり話しかけてきた。
何の事だ?と問い返せば揶揄するように一筋の髪を目の前に差し出したのである。
「これを判じてみる気は無いか?っと言う事よ。」 
女人が髪を手に取ろうとする間もなくそれは男の懐へと納められた。


「それだけでは この髪が神子様の物だと判別は出来ないでは無いか。」
稀名は繁々と目の前にある髪を見つめながら言った。
「その髪がこれ・・と言う訳か。」
・・・対価はどうした?・・・・
稀名は女人を正面から見据えて問いかけた。
聞けば胡散臭そうな話である。 とても親切心で声を掛けてきたとは思われない。
何がしかの対価を払ってこの髪を貰い受けて来たのだろうっと稀名は考えた。
「荒覇吐様の事を少し・・・。」 女人の声が小さくなる。
「いきなりか!砂金でもなく毛皮でもなく・・いきなりそのような事を求められたのか。」
「はい・・・その方から申し出が有ったのです。」
稀名は大きく一つ溜息をついた。
・・あまり知られたくは無いが伝えてしまった物は仕方が無い・・・・・今更言葉を取り戻す訳にも行かぬ事・・・

「・・で? その髪で判じる事は出来るのか?」 稀名が声を掛けた。

「これから巫女様にお届けをして判じる事が出来るものかお尋ねしようと考えております。」
女人の声にそれならば今すぐにでも・・っと稀名は腰を上げた。

「稀名様。」 巫女の声は常と同じく穏かであった。
「神子様のお部屋に髪が残っていると言う事はございませぬか?」 巫女の声に稀名は首を傾げた。
神子が連れ去られてから十余年・・・何時戻って来ても良いようにと塵を払い床を拭き・・清いままにと片付けていたのが仇となるのか・・・
ふっと稀名の視線が遠くを見つめた。
もしかしたら・・・あの最後に髪を梳いて差し上げたときの櫛がそのままに・・・
常ならばきちんと手入れをしてしまう物であったが再び逢う事が出来ぬかも知れぬと思いながら梳いたので愛おしく切なく・・・当時のまま櫛筥に入れて置いた記憶がある。
「巫女様。 神子様のお髪が必要なのでございますね。」
「長い年月が過ぎております。無理な事かも知れませんが有ればより確実に判じられると思います。」
巫女の声を背後で聞きながら稀名は脱兎の如く走り出していた。


長い間開ける事も無かった櫛筥を震える手でそっと開く。
幼かった神子の姿が脳裏に蘇る・・・・ご無事なのであろうか。
・・・いや・・巫女様はご無事で生きておられると仰った。・・・ならば・・・都に居られるのであろうか・・・・
稀名の心は否応無しに乱れる。
震える手で取り出した蒔絵の美しい櫛を凝視して稀名は息を呑む。
・・有った・・・・櫛には柔らかな髪が留まっていた。


「神子様は都に居ります。」 巫女の声が告げる。
「ご無事であられたか。」
「それは以前から言っているでは有りませんか。」 巫女の声に微笑が含まれた。
「さぞご立派に成長された事でしょうな。」
あれから十余年・・・若かった稀名も初老を過ぎた。

「神子様がここへ戻るのは難しいやも知れません。」 巫女の声が続く。
「なんと!!それでは王の血筋が絶えてしまいます。」 稀名は声を上げた。
「都から齎せたこの髪は神子様と違う気が多く含まれております。 長い年月の間に浸みこんだ物が阻むやも・・・」
それに・・・っと巫女は言葉を継いだ。
「この所東国の空気が剣呑さを増しております。 都が神子様を戻すとも思われませぬ。」

世界を統べる最高神と言われる荒覇吐に繋がる血筋である。
長命で豊かな知識と深い慈しみの心を持った王の血筋によってこの大地は護られて来たのだ。
その王が不在のまま長い年月を過ごしてしまった。
ここで絶えたら・・・稀名は深く考え込んだ。 どうしたら王の血筋を継ぐことが出来るであろうか・・・


「あと二年後・・・都へ出向く時には我が血筋の者を七人お連れ下さいませ。」 巫女が稀名に告げる。
「若い女人? 長い旅で険しい道でございますが・・・」 稀名は頸を傾げながら巫女を見上げた。
「解りませぬか?」 巫女はじっと稀名を見返して言う。
ハッとしたように稀名は巫女の視線を受け止めた。
「都へ行けば・・あとは我が血筋の者が手段を施しましょう。」 巫女の声は何処までも穏やかである。
「奉りました・・・道中危険の無いよう手配をさせて頂きます。」
稀名は深く頭を垂れた。

・・・嗚呼 神子様。 あなたにはもうお会いできないのでございましょうか・・・
果ての見えぬ空から星が降ってくるような夜の事であった。



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