昇ったばかりの太陽の陽射しが心地よかった。
保憲と晴明は大内裏の中にある陰陽寮から図書寮へ向かおうとしていた。
後幾日も待たずに晴明の初冠を迎える。
その日が過ぎれば装束を調えて訪れねば成らなくなる・・・
今はまだ童と呼ばれ晴明は保憲に庇護下にあると言う微妙で穏やかな時期である。

参内の殿上人をやり過ごすため保憲と晴明は脇に避けて頭を垂れて礼をとる。
位の低いものは高位の者に道を譲り礼をとるのは毎日のことで特に珍しいことでもない。
もちろん低い位の者から声をかけることも出来ない。ただ高位の者が通り過ぎるのを待つだけである。

・・・見られている・・・・
保憲は内裏の渡廊の方から飛んでくる視線を感じていた。
自分だけに留まる視線ではない。 自分と晴明の間を行き来する強い視線・・・
面を向けるわけにも行かず目の前を歩いていく貴族然とした一団が去ってくれないものかと胸の中で独り言ちた。


・・・・あれは・・・・
内裏の渡廊を歩んでいた男の視線が見下ろした視線の先には通り過ぎる貴族を避けて頭を垂れている若い男の姿とその背後にいる初冠も終えていない若者の姿。
渡廊の男の目が険しくなった。
・・・あの者が官人となってからでは遅いかも知れぬ・・・

「賀茂保憲。」 男は声を発した。
呼ばれて保憲は視線を声の方へと向けた。
声の主を確認すると迷わずに保憲がその場に平伏する。
声の主が誰だか解らない晴明ではあったが保憲に倣ってその後ろで平伏をした。

「賀茂保憲。」 男は言葉を継いだ。
「その者は賀茂の屋敷のものか?」 「はい。 忠行の弟子にございます。」
「忠行の弟子と言う事は陰陽師に進むのであろうな。」 男の目がスッと細くなった。
「程なく初冠を迎えます故 更に研鑽をいたしまして都のため帝のために働く者と成りましょう。」
「そうか・・・。」
男は暫く思案をしているように空を見上げる。
「名はなんと言う?」 取り付けたように男は訪ねる。
「官人と成りますれば安倍晴明・・・と。今はまだ「はるあきら」と我屋敷では呼んでおります。」 保憲は平伏したままで答えた。
「良き名であるな・・・。」 男は視線を晴明にむけて扇で呼び寄せる。
緊張からか戸惑う晴明に保憲が肯いて見せれば晴明は男の元へ近づき再び平伏した。
「はるあきら・・・ちと参れ。」
男は晴明を渡廊に上げようとする。
「畏れながら・・・・。」 保憲は思わず声をかけた。
「賀茂保憲・・いかがいたした?」
「「晴明は身分卑しき身分でございます。昇殿など許される者ではございません。」
「賀茂保憲・・この私が伴うと言っているのだ。何の不都合があると申すか。」
男の声に苛立ちが含まれた事を肌で感じながら保憲はただ平伏するしかなかった。

「はるあきら・・・付いて参れ。」

都は権力の縮図。 身分が全てである。
断ることも出来ず じっと下を向いたまま晴明は前を行く男の足だけを追った。
幾つ角を曲がったのか何処へたどり着いたのか・・全く解らないまま晴明は几帳の外で平伏した。
晴明と男の間には幾つもの几帳があり身分の差を否応無しに思い知らされる。

「はるあきら・・」 男の声が頭の上に響いた。
「はい。」 晴明は平伏したまま答えた。
「そなた・・・この私を知らぬのか?」
「身分卑しき身でございます。今日初めてお目通りが叶ったかと・・・」
「それは真か?」 ふっと男が笑ったように晴明は感じた。
「・・・是。」 
「そのように下を向いていてこの私の顔も見ていないではないか。」
男の声と衣擦れの音が晴明に近づいた。
いきなり扇で頤を持ち上げられた。 晴明の目の前に男の顔がある。
「恐れ多いことでございます。」 晴明は扇を避けて視線を床へ落とそうとした。
「良く見よと申しておる。」 男の扇が更に高く上げられて晴明はじっと男の顔を見上げた。

・・・この者は本当に覚えていないのだろうか・・・・
男の心が揺れる。

バシッっと音がして晴明の頬が扇で打たれた。
ハッと左手を床について晴明は身体を支えた。
見上げれば先ほどまでの穏やかな笑みは無く怜悧な表情の男が立っていた。
「まだ・・・これでもまだ 会った事はないと申すのだな。」
見下ろす男の視線と見上げる晴明の視線が絡まった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・さぁ ここから先は二択です。  ①思い出さぬままなのか②思い出すのか・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・結末や如何に・・・・皆様はどちらを選択されますか(笑)・・・・・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・①のお話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「申し訳ございません。」  晴明の視線が男から逸らされた。
深く平伏をしたまま言葉を継ぐ。
「あなた様のような高貴なお方とのお目通りを覚えていないとは・・・若輩の無作法をお許しくださいませ。」
男の視線がスッと和らいで肩の力が抜けたように見えた。

・・・・・真に覚えておらぬのか・・・・
一抹の不安が男の心に湧いて来る。

「今日のお目通りを生涯忘れぬよう精進に努める所存でございます。どうぞ・・お許し頂きますよう平に・・・」
晴明は平伏したまま男に言葉を繋いだ。

「然様であるか・・・手間を取らせたな。」
男は晴明を促して歩き出す。
「その方が独りで殿上を歩いて咎められては困るであろうが・・」
皮肉めいた笑みを刻んだ男は晴明を保憲の元へと届けた。
「賀茂保憲・・・・手間をかけさせた。 行くが良い。」

不安そうな表情を浮かべて立っていた保憲が慌てて平伏しようとするのを手で制して男は去れっと扇を振る。
・・・・・さて・・今暫くは目を離せぬようだな・・・誰をつけたら良いか・・・・
去っていく二人の後姿を見つめながら男は独り言ちた。

隣で歩を進める晴明に保憲はそっと視線を向けて気づかれぬように晴明の意識を探った。
・・・大丈夫だ。まだ封印は綻びてはいない・・・・
ホッと胸を撫で下ろす。

それはまだ晴明が十歳になったばかりの頃・・・保憲は初冠を終えたばかりであった。
朱雀門の脇の老木の下で待ち合わせた筈の晴明が行方知れずとなった。
一晩あちこちを探索したが見つける事が出来ず不安で迎えた朝方に晴明がふらっと賀茂の屋敷に戻ってきた。
「良かった!」と出迎えた保憲が見たのは焦点の合わぬ眼差しで漂うような足取りの晴明の姿だった。
身に着けている単があちこち擦り切れ襟元は乱れていた。
ギョッとして一歩退いた保憲であったが壊れそうな晴明の身体を見て思わず抱きしめた。
「良く・・・良くここへ戻ってきた・・」 保憲の瞳から涙が零れた。

晴明の手首についた縄の跡と両足の痣を見て忠行は全てを察知したらしく晴明に術を掛けたのである。
一夜の出来事を晴明自身の記憶の奥底に封印する術・・・
この術の為に晴明がその夜何処で誰にどのような仕打ちを受けたのかは解らぬままであった。
忠行も一言も触れる事はしない。
その後この術を習得した保憲の手でこの術は継続された。
記憶が浮き上がって来ないように・・・
・・・・晴明が成長してこの記憶を笑い飛ばせる様になるまで・・・・その日まで きっとあと少しの事・・・・
保憲は隣を歩む晴明の髪をそっと撫でた。


 ・・・・・・・・・・②のお話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

晴明の瞳が僅かに揺れたのを男は感じた。

・・・・やりすぎたか・・・
男の中に後悔の意識が芽生える。
元々深く思索した上での行動ではなかった。
二度と出会う事など無いと思っていた者を大内裏で見つけ今後も出会う可能性が多いと思った瞬間に声をかけていたのだ。

ズィッと膝を立てて晴明の身体が後ずさった。
男は晴明の腕を掴み寄せて引きずり几帳の奥へと放り出した。
「何を・・思い出したのか。申してみよ。」 男は圧し掛かるように言った。
「解りません。」 晴明は男を見上げて首を振る。
「ならば・・何故に退げようとした?」 男の両手が晴明の肩を押さえつけた。
「この身が・・私の意に添いません。」 晴明自身も自分の行動が理解できず迷っていた。

・・・思い出した訳では無さそうだが身が覚えていると言う事か・・・・さて・・どうする・・・
男は考えを巡らせる。
・・・この者が全てを思い出したら・・・・
無意識のうちに男の手は晴明の首へと伸びていた。

いきなり首を絞められ確実にその力が強くなって来る事に晴明は驚愕した。
・・何故・・何故初めて会った者に殺められる様な事になるのだろうか・・・・
飛びそうになる意識の中で何度も「何故?」と自分に問う・・何故

己の意識の奥・・・その遥か奥底に硬く閉じられた扉・・あの向こうに何故の答がある・・・
・・あの扉を開ければこの理不尽な有り様が解る・・・

     あの扉を開ければ・・・あの扉の向こうに・・・・・

知りたいと思う晴明の意識の中に「開いてはならない。」と警鐘が響く。
決して開いてはいけない・・・警鐘が大きくなって行く。
でも・・・知りたい・・このまま潰えるのはあまりに理不尽・・・・
遠退く意識の中で鬩ぎ合いが続いた。

「ここで殺めますか・・・」 
己の身の下から聞こえる声に男はハッと我に返った。
晴明の首に掛けていた指を引き剥がすように離す。
・・・いったい何をしようとしていたのか・・・

「死は穢れにございます。」
息を吸い込んで戻ってくる意識を掻き集め晴明が言葉を継いだ。
「あなた様ならば・・・」 半身を起こしながら晴明が言う。
「このような下人の骸くらいどこぞに捨て置くことも出来ますでしょう・・・なれど。」

・・・この者は何を言おうとしているのか・・・
 男は晴明から身を離すと言葉を紡ぐ晴明の口元を見つめた。

「殺めた骸を捨て去ったとて・・殺められた穢れはここに残ります。」 
男の顔にふっと苦笑が浮かぶ。
「さすがに忠行の弟子であるな。 上手い事を言いおる。」

晴明は床に両の手をついて男を見上げた。

「どうやら此度のこと・・・あなた様がこの私を災いを為すものとお考えになられているのだと理解いたしましたが・・いかが?」
「・・・・・」
男が肯定も否定もしないこと・・それは取りも直さず肯定なのだと晴明は考えた。
「災いは転じれば福となります。」
晴明の瞳の色が強くなったように男は感じて改めて見返す。
「毒は・・使いようで薬にもなります。 それが強い毒ならば尚更の事・・何よりの効果が得られる薬となりましょう。」

・・・あぁ そうであった。・・・この者は初冠前ではあるが確かに陰陽の道を進む者・・・

「その方がこの私にとって毒だと申すのか。」
「さぁて・・・それはあなた様のお心次第かと存じます。」
男の問いからスルリと抜け出す晴明に「何処にこのような強かさが潜んでいたのか。」と驚愕を隠しえなかった。
「使い方一つであると言う事よの。」
「仰せの通りでございます。」

「ならば・・・その毒の花 みごと大輪に咲かせてみせよ。」
「仰せのままに・・・」 晴明は深く頭を垂れた。



都は権力の縮図 一歩間違えば足元をすくわれる。
この男の血筋はその後も都に君臨しやがて絶頂期を迎える事となる。
権力を手中にしたその男が最も寵愛したのが年老いた晴明であった。

満面の笑みを浮かべてその男は歌を詠んだ・
 
           ・・・・・・・・・この世をば わが世とぞ思ふ 望月の・・・・・・・・・



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