静かだな・・
晴明は濡縁の柱に身を任せて見るとも無く庭を眺めていた。
あの騒動から幾許かの時間が過ぎている。
羅城門の瓦礫で受けた傷は癒えた筈なのだが何をする気にもなれないのは本復していないからだろうか・・・
珍しく忠行も保憲も訪れない。
日頃は騒がしいほど聞こえてくる都の音も届かず晴明の耳に入ってくるのは庭を吹き渡る風の音だけであった。

「晴明殿 おるか?」
姿を現したのは天河で別れたままの法師であった。
晴明の返事も待たずに庭にいるまま濡縁に腰を下ろした。
「これは お久しゅうございます。」
晴明は柱に背を凭れさせたまま少し頭を下げた。
「ふむ・・気だるそうだの。どこか具合でも悪いのではないか?」
「いえ・・そのような事も無いとは思うのでございますが・・。」
晴明の視線が庭の奥で揺れている木の葉に向けられる。
「珍しくあのお二人もいらっしゃいませんので静かな時を過ごしております。」
晴明が複雑な表情を浮かべながら微笑んだ。
「お二人はお忙しいのであろう。今 都は大変な時だからの。」法師がさりげなく言う。
「大変?なのでございますか。」晴明が法師の顔に眼を向けた。
「なんだ 知らぬのか?珍しい事もあるものだ。」
法師は晴明の言葉の裏を探るように見返してきた。

この時期 都には菅公が雷となって建物は壊す・殿上人は焼き殺す・・とうとう帝は体調を崩されて床に臥す・・・
忠行と保憲としては「晴明 手を貸せ!」と言う所なのであろうが・・・。

「法師殿 都は穏やかなのだと思っておりました。」
晴明の声が少々小さい。
「ふむ・・・。」
法師は射貫くような眼差しで晴明を見つめる。
何故かニヤッと笑みを浮かべた法師は晴明の手をとると勢いよく引き付けた。
「何をなさいます!。」
法師の腕に抱え込まれた晴明は抗議の目を向けた。
「晴明殿 我のこの腕から抜け出て見せよ。」
晴明の眼が驚愕で見開かれている。
「ぬしなら容易い事であろが・・遠慮は要らぬ。」
法師の腕の力が更に強くなる。晴明は無言のまま動かない。
「どうした?これでは女人を抱いているのと変わりない。」
笑いを含んだような声で法師が晴明を急き立てる。
キッと険しい目付きになった晴明の視線が法師に向けられた。
「そのような顔をすると益々女人だぞ 晴明殿。」
法師は余裕たっぷりに晴明の視線を跳ね返した。
暫し無言の時が流れる・・・・

「そうか。」
ボソッと呟くと法師の手の力が抜かれた。
投げ出された形になった晴明。
「私は 私はいったいどのような事になっているのでございましょう。」
「それを我に聞くのか?晴明殿。」
憐憫とも嘲りとも思える笑いを浮かべながら法師は晴明を見下ろしていた。
「もっとも・・・都が静かだっとぬしが言った事自体が異常なのだがな。
ぬしが都で何事も起きていないと考えてそれを不思議とも思わぬ・・・これが異常でなくて何なのだ。」

確かに都では毎日何かしらの騒ぎが起きていた筈・・・
都へ向かって気を集中してみるのだが・・・
「聞こえませぬ。何も 何も聞こえませぬ法師殿。」
晴明は今更ながら己の身に何かが起きている事を知ったのである。
ふっ・・と法師は片頬に笑みを浮かべると誰に言うでもなく語り始めた。
「ぬしの持っている物を欲しいと考えた者がいるのであろうな。」
「そのような事を・・・私は帝にお仕えする師匠様や保憲様のように名を馳せた陰陽師ではございませぬ。 そもそも陰陽師にもなっていないのですよ。」
「帝に仕える陰陽師と言う名が何の足しになる?欲しいのは能力であって名ではないのだからな。」
「私は賀茂の屋敷以外にはほとんど出向きません。どこに私の事を知る者がいるのでございますか。」
「真にそれ以外には出向いた所は無い・・と言われるか。」
法師の目が晴明の眼を覗き込む。
「それは・・」晴明の一瞬の躊躇を法師は見逃さなかった。
「そら見よ 穿り出せば他にも有るのではないか。」
鼻先でうっすらと笑いながら法師が一人頷く。
「まさか 法師殿 あなたがそのような・・」
「馬鹿を申すな。我にはそのような欲は無いわ。もっとも・・日銭を稼ぐ野の者であるからかなり魅力的な力ではあるがな。」
「法師様はその者をご存知であられる?」
こうなったら失った物を取り返すしか身の復活は有り得ない・・・
「知っている・・と言ったらどうする 晴明殿。」
「お連れ下さいませ。」
言ってしまってから保憲の言葉が脳裏をよぎる。
~詰めが甘いぞ 晴明 ~

「良かろう 我から離れないように用心せよ。」
晴明の言葉を待っていたようないないような・・・

やがて二人が辿り着いたのは都大路から西に大きく外れた場所にある荒れた果てた一軒の屋敷であった。
都の西側は土地の湿地化が進んでおり東側に比べて寂れていた。
住む人々も殆ど居なくなり妖しや物の怪の住処となっているともっぱらの噂であった。

「ここは?」
晴明が目を凝らす。
「昔は殿上人の持ち物だったのであろうが今は誰も住んでいないようだ。」
法師は晴明の手を引いて荒れ果てた建物の中へと歩を進める。
建物の奥は深い・・現代のように電灯など無い時代である。
まさに漆黒の闇の中を進む二人の視線の先にボゥッと朱の輝きを放つ陽炎のような物が見えてきた。

「あれは・・・」
それが何であるかを確認した晴明は静かに法師を見上げた。

「これは・・・あなたのなされた事でございますね。」

責めている声ではなかったが法師はその言葉に吾身が震えるのを感じた。

「試したかったのだ」法師は晴明から顔を背けて言った。
「試す?この私を贄にしてですか。」
チラッと朱の輝きに視線を投げると呆れたように晴明が尋ねる。
「いや違う それだけは違うぞ。」
大きく何度も頭を振って否定する法師である。
「播磨で聞いたのだ。月氏国の秘術だそうだ。
掛けた相手の力を取り込む事ができる・・そうだ。
しかし・・秘術を使えるようにする為にはいくつもの難関があった。
我は不可能であると思っていたのだ。」
「それでも・・できた?と言う事ですね。」
悩ましげな視線を法師に返して晴明が尋ねる。
「まず取り込むべき相手の身に着けている物を手に入れねばならん。
次にその者の名前を知らなければならん。
これだけでもかなりの難関だ。と我は思った。
術を掛けられる側の者はそれなりの力を持っているもの・・・たやすく手には入らん。
例えこれらを揃えてもそれで終わりという訳ではない。
術を射ち込まなければ何にもならん。
射ち込めるのはその者の気が全く己を守っていない時だけだ。
力ある者にそのような空間があるとも思えぬ。
しかし・・試してみたかった。
試せる相手なら誰でも良かったのだ。」
ホゥ~と晴明は溜息をついた。
「誰でも良い筈でございましたのに何故それが私になったのでございます?」
「うん。」
法師はなんとも申し訳なさそうに晴明を見返す。
「ぬしの力を欲した者がおったのよ。野の者の我は日銭を稼ぐ・・しかし銭が目当てではなかった。
その者は最初の二つは手元に有ると言ったのだ。
後は射抜くだけ・・この魅力的な誘惑に我は負けたのだ。」

「身に着けた物と名前でございますか・・。」
晴明は記憶を探るように視線を遠くに飛ばす。
・・・あの時・・・
チラッと朱の輝きを見てから法師に視線を戻した。
「して・・私を射抜いたのは何時でございます?」
「ふん あの時だ。羅城門が揺れて屋根の瓦礫が落ちた時 成明にぬしの気が全て行っていたぞ。滅多にない幸運に我はめぐり合ったと言う事だ。」
「あの時でございましたか・・・。」
「まぁ無理も無いこと。猶予は無かったのだからな。」
「それで・・・法師殿 この秘術とやらは達せられているのでございますか?。」
実はこれが一番肝心な事である。
全て押さえなければ解決の方法も無い・・・
「解らぬ。何しろ過去に執った事が無いのだからな。」
「なんと仰る・・では何故私をここへ運ばれたのでしょうか。放って置けば良かったものを・・
さすれば何時の日か私の全てはあれに取り込まれたやも知れませぬ。」
晴明の指が朱の輝きを指し示す。輝きの中にスッと背を伸ばた姿は紛れも無く晴明である。
「それは・・」
「時間が無くなったのよ」
法師の声を遮るように背後で声がした。
その声のした方向には一人の男が立っていた。
「章明様!あなた様がこの私を取り込みたいとお考えになられたのですか。」
晴明の瞳が大きく開く。

章明・・醍醐天皇の御子であり今上天皇の兄弟である。
「あなた様のような高貴なお方がなぜ私のような者に関わろうとなさいます。」
「ふん 下人などには解らぬ。私は帝になるのだ。いや 帝になるべきなのだ。」
「そのような天上の事に私などは考えも及びませぬが・・その事に私がどのように関わっているのでございましょう。」
「そなた・・悉く私の邪魔をしているではないか。」
「まったく身に覚えがございませぬが・・。」
「成明の事よ。覚えが無いとは言わせぬ。」
章明の顔が険しくなっている。
自分の考えに凝り固まっている為か話の筋通って行かない事に苛立っているようにも見える。
「そこに居る野の法師に大枚をやって掛けた呪 それをその方は悉く邪魔をしたではないか。」
足を踏み鳴らしそうな剣幕である。
「法師殿 あなたはそのような事まで成されていたのですか。」
晴明の瞳に怒りの色が浮かぶ。
「父上である醍醐帝が次の帝に私を選ぶことは無かった・・何故なのだ。」章明は火を吐く様に話を続ける。
今の帝は章明の兄弟である朱雀帝だ。
「体調の優れぬ帝は位を譲る気になっている・・次こそは私の筈だ 違うか?」
「そのようなことは私には解りませぬ。」
冷たく言い放つ晴明。
「ところが・・。」
晴明の言葉など無視して話し続ける章明。
「帝は成明を皇太弟に指名しようと考えているのだ。
私の方が年上なのに・・。」
「親王になられたのは成明様のほうが先でございましたな。」横槍くらいは入れてみたくなる晴明。
「それも癪に障る・・父上は何故に・・」
「それで・・だ」と章明は続ける。
「邪魔者は消せ・・これは昔から行われているではないかと思い立ったのだ。それを次から次へとそのほうが邪魔をする。」やっと話が繋がってきた。

「ならば邪魔をする事のできるその方を我が手に収めれば・・・」
「まぁ なんと面倒な事をお考えになられる。」呆れる晴明・・しかしここは我が身の復活が第一。

「法師殿 お尋ねしたい。」
くるっと身を翻して法師の後ろに回る。
「なんだ?こうなったら何でも聞け「」
じっと見上げる晴明の瞳に法師もたじろがないではいられなかった。
「この秘術 最後はどうなるのでございます?全て取り込まれたらこの私は消えるのでございますか?。」
法師の顔が苦悶に歪む。
「晴明殿 それは解らぬ。」
「試し・・だからでございますか?」
「うむ その通りだ。」
「まったく・・・どなたも詰めが甘い事ですね。」
苦笑いを浮かべると晴明が言う。
「それなら 私も試してみる事にいたします。」
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