忠行は参内の為に内裏に向かっていた。
少々機嫌が悪い。
この日は久しぶりに晴明が屋敷にやって来る日であった。
しかし帝からの呼び出しとなれば行かなければならないのが国家公務員の勤めというものである。
~親王の乗った牛車の牛が暴走したと言うがそれがどうしたのだ~と忠行は思う。
牛だって気の向かぬ時くらいあるのではないか・・
親王の方も怪我をしたと言う事も無かったようだ・・
「適当に穢れの一つも祓って早々に屋敷に戻りたいものだ。」
日ごろ実直な忠行にしては珍しい事を考えている。
~何しろ保憲ときたら・・・・~と考えた所で内裏に到着した。

まずは暴走したという牛を近づいて様子を見る。
先に当事者である親王の話を聞くべきなのが忠行自身今回はあまり気が乗らない仕事である。
ここは手っ取り早く片付けたいのである。
「ふむ」
特に変わった所も見受けられない。やはり機嫌が悪かったのであろうか。
忠行の手が牛の体の上を滑っていく。
その掌が牛の首に来た時にぴたっと止まった。
~何故だ。晴明の気が感じられる~
まさかそのような事があるはずもない。
思い直して忠行は小首を傾げる。
とにかくその時の様子だけは聞いておかないと話が進まぬな。
忠行は近くで控えている車副と牛飼童に声を掛けた。
おずおずと忠行の前に進み出てきた車副と牛飼童はまだ興奮が冷めていないようである。
「はい 忠行様 道の脇にいらっしゃったお方が牛を止めて下さったのでございます」
「身に着けていらっしゃるお袖を牛の顔を覆って・・それは見事でございました。」
口々に様子を語る。
「ほう 疾駆して来る牛に対峙するとはなかなかの者よな。」と忠行。
「はい 真にお美しいお方で・・。」
「美しい?対峙したのは女人だったのか?」
忠行の頭の中に何かが引っかかった。
「私も最初はどこぞの姫君かと思ったのでございます。
よく考えればそのような事がある筈もないのでございますが・・・まだお若い男の方でございます。」
ピンッと忠行の中の神経が張る・・・
「ただの下人よ。」
背後から声がかかる。親王の共をしていた者のようだ。
守られるように当事者の親王が立っている。
「これ!またそのように」親王は共の者の言葉を遮る。
「これは・・親王様 ご挨拶が遅れました。」
忠行は深々と頭を垂れて礼をする。
「お忙しいでしょうにわざわざいらして下さってありがたく思います。」
親王の爽やかな声が心地よく忠行の耳に響いた。
「そのようなお気遣いは無用に存じます。このような時にこそお呼び頂かなければ・・・
お怪我は無かったと聞き及んでおりますがいかがでございましょうか。」
「心配は要らぬ。何処にも怪我は無いぞ。」
忠行の問いに親王はにっこりと笑みを浮かべて答えた。
「それは何よりでございます。・・で どこぞの下人が親王様をお助けになったとか。」
忠行が本当に訊ねたかったのはこちらであった。
「おぉ!当人も下人と言っていたが真に美しいお姿であったぞ。
あのような者が都のどこかにいるのだな。」
親王はその時の事を思い出したのかうっとりとした表情を浮かべて空を見つめている。

~間違いない 晴明だ。 
だとすると・・・この一件は牛の暴走では済まぬ事かも知れぬな。~
忠行はそう考えるに至ったのだが何が起きたかを知る手立てはそこには残っていなかった。
さて・・どうしたものかと思案している忠行。

「成明殿」またまた奥のほうから声がかかる。
成明と呼ばれた親王より年上のようだが・・実はこちらも親王の一人。
「お怪我も無く無事に居られるのですから忠行殿にはお引取り願っても宜しいのではないか。」
~この男 私が長居をしてはまずい事があるのか。~
忠行は何か不穏なものを感じたのであるがその原因が一体なんであるのか。
「そのようでございますね。」
成明と呼ばれた親王は反対するでもなく忠行に礼を述べ始めたのであった。
「たいした騒ぎでもなかったのにお手間を取らせたようです。」
「いいえ親王様 それでは私はこれで下がらせて頂きますが一つだけお尋ねしても宜しゅうございますか?」
「何なりと・・私に解る事であればいくらでも答えるぞ。」
成明親王は思ったより気安い性格のようである。
「それではお尋ねいたします。先程の下人の事でございますが。」
忠行の言葉を最後まで聞かずに親王の口が開いた。
「おぉ あの者のことか。私たちは名乗り合ったのだ。」どうだ!言いたげな雰囲気が言外に満々である。
「時を見て礼を述べにお訪ねするつもりなのだ。」少年の面影が残る若き親王にとっては大冒険なのであろう。
「さようでございますか。それはそれは・・。」
一寸目を離した隙にこのような事に関わっているとは・・凝りもせず都大路の真ん中で名乗りをしたのか。
これは一刻も早く屋敷に戻って晴明から話を聞かなくてはならんな。
忠行は頭を抱えたい気持ちであった。

「成明殿」先程の親王が声を掛けてくる。
「「下人の所に礼を述べに行くなど愚かしい事ですぞ。」
年下の親王に分別臭く教え諭すように言った。
「確かにそうではございましょうが・・
あなた様はあの者を存じていらっしゃらないからそのように仰るのです。
あの切れ長の目の瞳に輝く光の深いこと・あの透けるように白い肌 とても下人とは思えませぬ。
もう一度会ってぜひ眺めたいものでございます。」
成明親王はまたまたウットリと目を閉じた。

「ふん 確かにな」
反論された親王は憮然としてうなずく。これに驚いたのは忠行である。
「その者をご存知なのでございますか?」つい早口になって畳み込む様に訊ねてしまった。
「そのような者は知らん!」
ハッとしたように親王は声を荒げた。
その瞬間強力な負の気が溢れ出て来るのを忠行は感じ取った。
~このお方は晴明を知っている。
いつ見たと言うのだ。知ってるのに何故それを隠そうとするのか。~
忠行の疑問が広がるばかりだがここで問い質しても埒が明かないことは確かである。
一度知らないと言ったからには今更知っているとは答えないであろう。
とにかく屋敷だ。晴明が屋敷にいてくれると話は早いのであるが・・帰ってしまったりしていないだろうな。
珍しく忠行の心が乱れる。

かなりややこしい事が見えない所で進んでいる事だけは確かであった。

「それでは これで下がらせて頂きます。」
何事も無かったかのように挨拶を済ますと屋敷へと向かって一目散・・の忠行であった。


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