「それで父上。」
南殿の廂の内で声がする。

心地良い風が吹き渡り庭の木々の葉がさわさわ・・・密やかな声を上げていた。
声の主は賀茂保憲。
まだ童姿では有ったが数多くの陰陽師を排出している賀茂家の嫡男である。
「ふむ・・」
保憲の声に顎を引いたのは加茂家の主である忠行であった。
「父上がどの様なお気持ちで引き取られたかは存じませぬが如何なさるお積りなのかは知りとうございます。」
ずいっと膝を進めて保憲は忠行を見上げる。

事の起こりは十日前の出来事であった。
忠行は一人の幼い童を向かい入れたのである。
陰陽師としての修行をさせるにはあまりに幼い幼童を見て保憲は小首を傾げたものであった。
「なに・・・ちと断れぬ筋からの頼みでな。」
忠行は微苦笑をして保憲の疑問に応え幼童を賀茂家の別邸に落ち着かせていた。
しかし・・・いつまでもそこへ置いておくわけには行かないだろうと言うのが保憲の考えである。
「それほど心に繋るのであれば見に往けば良かろう。」
忠行は事も無げに言った。
拾ってきた子猫でもあるまいに・・・保憲は不満げに忠行を見詰めた。
「どの様な者かを保憲が判断してみれば良かろうて。」
忠行の言葉で二人は別邸と向かう事になった。



賀茂家の別邸は本屋敷とは異なりこじんまりとした質素な建物である。
帝から賜る位は低い。
雲上人のような豪奢な建物は望むべきも無いが優秀な陰陽師を育てる為に本屋敷には修行中の者が数多く寝起きをしていた。
私邸でありながら常に人の出入りがある。
別邸は或る意味賀茂家の避難場所の意味合いもあった。
その為に通常はひっそりとしており屋敷の世話をする家人が僅かばかり起居しているだけである。

いつもながら軽やかに足を進める忠行の背中を追いながら保憲は別邸にいる幼童と初めて対面した時の面差しを思い返していた。
・・・・・幼いと言う事も有ろうが華奢で手足は弱骨のようであった・・・・・
「ふむ。」
保憲は歳に似合わぬ声を漏らして父の背を見た。
・・・陰陽師は体力が無ければ勤まらぬ。・・・・・そもそもあの齢では修行は無理であろう。・・・
独りごちながらも足を弛める事も無く忠行の後を歩んでいた。

「痛!。」
鼻を打って思わず声を上げた保憲は眼の前にある忠行の背にぶつかったのだと理解した。
「まったく・・いきなり止まらないでくださいよ。」
辺りに気を配る事を疎かにしていた事を無い物にしようと少々甘えを含んだ声音で呟いた保憲は息を呑んだ。
ふっと忠行が微笑すると「やっと気付いたか。」
言うと間近に逼った別邸に視線を投げた。
木々に隠れたように建てられている屋敷の上に黒雲がかかり徐々に広がっているのが臨まれる。
辺りは青空で眩しいくらいの陽射しであるにもかかわらず黒雲は確実に濃さを増して屋敷を覆う勢いであった。
「あれは!」
保憲は忠行を見上げれば頼もしい父の眉が顰められている。
「瑞々しい気を欲する悪鬼であるか。」 忠行の唇が僅かに動いたと見るや保憲は地を蹴って走り出した。
   ・・・あの屋敷で瑞々しい気と言えばあの幼童しか居らぬでは無いか・・・
きっと唇をかみ締めて保憲は走った。


ドーンッ!!

保憲が門を潜ろうとしたまさにその時であった。
轟音と共に我が身に衝撃が伝わり空の果てへと煌きが立ち上っていくのが眼に映る。
大地が揺れたようにも思えたが保憲は直ぐに我に立ち戻り庭から南殿へと走って向かった。

「これはどうした事か。」 保憲はその場の在り様を見て立ち竦んだ。
南殿へと上がる階は焦げつき庭には黒い塊がブスブスと不気味な音を立てて滅しようとしている。
ほう・・
感に堪えぬと言うよなため息を耳にして振り向けば忠行が複雑な笑みを浮かべていた。
「まだ加減は知らぬか。」
忠行の言葉に保憲は思い至る。
「そうだ!あの幼童は何処に。」
保憲は廂に上がり巻き上げられた御簾の奥を見渡して几帳の陰に倒れている幼童の姿を見つけた。
臥した幼童の下には屋敷の世話をしていた女人が固く目を閉じて幼童の袂で覆われている。
その様は女人を庇っているように保憲には思えた。
「しっかり致せ。」
保憲は駆け寄ると幼童の首の裏側に手を差し入れると抱え起こして呼びかけるも幼童の意識は戻ってこない。
「暫しの間、休ませておくが良かろう。」
ゆったりと忠行が保憲の傍らに腰を下ろすと幼童を引き剥がすように保憲から受け取ると薄縁の上に横たえて腰の帯を解いて呼吸を楽にさせるとニンマリと笑みを浮かべた。
「父上?」
訝しげな面持ちで保憲は忠行を見上げた。
「つまり・・こう言う事だ。」
忠行はちょいと肩を竦めて幼童へと視線を戻す。
「先ほどの悪鬼はこの幼い者が祓ったと・・」
「祓ったかどうかわ解らぬ。見てはおらぬからな。」
忠行は女人の方へ視線を移しながら保憲に応えた。
「しかしだ。悪鬼が滅したのは事実であろう。この者はただ屋敷の世話をする役目。そのような力は持ち合わせていない・・となれば。」
忠行の言葉に保憲は改めて女人を見、視線を幼童へと移す。
「たしかに・・この幼い者しかおりませぬな。」
   この年頃でこのように強い気を放つことが出来るのか
保憲の背中がぞくりと震えた。
「ただし・・だ。」
保憲の表情に僅かばかりの怯えが走ったを見て取って忠行が苦笑しながら言葉を継ぐ。
「加減を知らぬは無理ならぬ事では有るな。」
言われて保憲はこの状況を寸時に理解した。
  己の能力を操る技は持ち合わせておらぬと言う事か
ならば
「この私がこの幼童にその技を教えようほどに。」
保憲の言葉に忠行の面に笑みが広がって行った。



はらはら はらり
 さわさわ さわさわ

色付いた気の葉が穏かな風に誘われて枝を離れて宙に舞い静かに庭の端へと身を横たえていく。
「保憲様。」
深く響きの有る声に呼ばれて保憲は視線を庭から廂の中へと向けた。
「杯が乾いておりまする。」
衣擦れの音と共に近寄って保憲の杯に酒を満たしているのは都で名高い陰陽師、安倍晴明である。
「移ろうて行きますね。」
晴明の言葉に曖昧な応えを返し満たされた杯を口に運ぶ。
「なにか?」 晴明が小首を傾げた。
ふっと息を吐いて保憲が応える。
「そんな事もあった・・・とな。」
保憲の言葉に晴明の眉が僅かに上がった。
「何のお話でございますか。」
晴明の声に保憲は身体を回して晴明に向かい合う。
「あの頃は好もしい童であったと思うておった。」
「遠い昔の話でございますな。」
晴明の応えに保憲はわざとらしく驚いた体を示した。
「さすがだな。俺の話が見えるか。」
「今更でございますよ。」
「それもそうか。」
二人は声を上げて笑いあった。

忠行がこの世を去り保憲が賀茂家を継ぎ、晴明は陰陽寮の得業生と成った。
随分と遅いとも言われた物だが名前だけは早くから知れ渡りその深い知識は帝の寵愛と信頼は強かった。
その事によって多くの雲上人に好ましく受け止められて行ったのは当然の理である。
保憲が陰陽寮の職を離れた後を晴明は踏襲した。
今やその名は都だけではなく近隣にまで名を馳せるようになって久しい。

「蕾の硬い花は咲くのに時がかかると言われるが・・。」
保憲は誰に言うでも無く呟いた。
「やっと咲いたのだなぁ。」
言うと保憲は晴明を見詰めた。
「もう初老を過ぎた者に何を仰る事やら。」
晴明が苦笑って杯を満たす。
「時のかかる花は美しいと聞くぞ。」
保憲の言葉を聞こえなかったと言う風情で晴明は視線を庭に向けた。

はらはら はらり
 さわさわ さわさわ

色付いた葉は風に舞っている。
二人は暫らく言葉を交わす事無く手にした杯の中の酒を飲み交わしていた。

・・・おまえは都に咲いた大輪の花よ・・・
保憲が腹の中で呟いたことを晴明はしらぬ。

厳しい冬の季節を迎える前の穏かな秋の夕暮れでの事であった。





                      完






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