京都の四条通から少しだけ北側に入った細い小路に煉瓦風の落ち着いた建物がある。
建てられたのはかなり古いのが見て取れるが京都では新参者と呼ばれるかも知れない。
年月を経た外壁はしっとりと落ち着きを見せ、四条通の喧騒を感じさせないくらい静かに風景に馴染んでいた。
この建物の中に探偵事務所と看板を掲げた一室はあるのだ。

長かった冬の寒さが去って京都にも穏かに春がやってきていた弥生三月。
事務所の中に何とも気だるそうなため息が溢れていた。

「それにしてもさぁ。」
声に出したのはこの事務所で秘書と言う事になっている節子さんだ。
「あぁ・・・もう言うなよって。」
探偵長がひらひらと右手を振った。
その横でなぜかペンギンが首を竦めていた。
「それにしても・・・。」
言うなっと言った本人が言葉を継いだ。
「あの本屋の親父・・・。」
探偵長は忌々しそうに呟いた。
再び事務所の中に気だるそうなため息が溢れた。


事の起こりは前年の12月の事であった。
事務所の有る建物の近くに小さな本屋がる。
ヨーロッパから洋書を取り寄せ・・・それも童話ばかりなのだが・・・普通に販売している書店であった。
それ程繁盛しているとも見えないが潰れないでいるところを見るとそこそこの利益は上げているようだ。
この店の主が12月の初旬に何の前触れも無く事務所へやってきたのであった。
彼は確かに依頼人ではあった。
しかしその依頼が事務所の利益になるとは探偵長だけではなくそこにいた誰もが感じたのであったが探偵長はとうとう断れなかった。
これが全ての原因だと節子さんは言う。
何を依頼されたのか・・それは階段を駆け上るというイヴェントに参加する事であった。
「参加したければ自分だけでやれば良い。」
探偵長はやんわりと断ったのだがこのイヴェントは4人一組なのだと言う。
「店に来る客にでも頼んだらどうか。」
探偵長も簡単には引き下がらなかったのだが本屋の主もこの事務所の3人がぴったりだと引き下がらなかった。
4人一組と言ったが誰でも良いと言うわけではない。
一人は45歳以上でもう一人は女性がいなくてはならないと本屋の主は言い募る。
主は今年48歳になったので条件には当てはまり、節子さんは確かに女性である事に疑いは無い。
他の二人は条件が無いので事務所の探偵長とペンギンが加わればチームが完成するのだ。
本屋の主はここを先途と熱く語った。
「それで・・・何処の階段を・・・。」
引き受ける気持は更々無かったのだがつい聞いたのが間違えであった。
本屋の主は承諾を得たと確信したらしく嬉しそうにこう言った。
「いやぁ!ありがたい!なに・・直ぐそこの階段ですよ。京都駅。」
事務所の三人が絶句したのは言うまでも無い。


建設された当時は景観を損ねるだとか京都の街に相応しくないとか悪評が高かった京都駅だが年を経ると共にいつの間にか街に馴染んでしまった。
この駅は色々と特徴があるのだがなんと言っても大階段が目に留まる。
通常はまるでベンチと化していて観光客や地元の若者達が腰をかけている姿を見受けるのだが毎年二月にこの階段を駆け上るイヴェントが開かれるのだ。
一直線に伸びたこの階段は全部で171段あり高低差は30メートルある。
ここをとにかく一気に駆け上ってタイムを競うのだが優勝すれば最上段に名前が刻まれるたプレートが設置されるという。
本屋の主はここに名前を刻まれたい・・・らしい。
バトンを渡すリレー形式ではなく4人が一斉に駆け上り全員がゴールしたタイムが記録となる。
ただただ駆け上るだけだと本屋の主は言うのだがそんなに簡単な事では有るまいと事務所の三人は考えているが本屋の主は気にも留めていないようで何とも明るい声でスケジュールなどを話していった。

こうしてとうとう駆け上るその日がやってきた。
2月の半ばを過ぎた週末のその日は曇り空で、これでは最上段の広場からの眺めもあまり期待できないと事務所の三人はテンションが上がらない。
意気揚々としているのは本屋の主だけで彼は運動に支障がないスタイルをキッチリと決め込み手足を動かしながら準備万端であった。
「おい。」探偵長がボソッと囁きながらペンギンの脇腹を突いた。
「どう見ても俺達が勝てるわけ無いと思わないか。」
探偵長は首を左右に振りながら小さくぼやく。
「勝つ気だったんですか?」
ペンギンは驚いたように探偵長を見返した。
他のチームを見渡せば確かに勝てそうなチームも有るが自衛隊からやってきたらしい筋骨逞しいチームや競輪選手なのか立派な太腿のメンバーの姿もちらほらしている。
日頃から運動を日常としているらしい学生のチームもいるのだから寄せ集めのメンバーである自分達が勝てるわけは無いと言うのは自明の理だとペンギンは思ったが口に出すのは憚られた。
節子さんは何処で購入したのか妙に艶やかなファッションで固めている。
長い髪は一つに束ねられてこちらもそこそこ意欲はあるようだ。
チームの合計タイムで決めるのだが個人記録を狙うという手もあるようなのでチームは仲間であると共にライバルでも有る。

いよいよイヴェントが始まり最初のチームが会談に取り付いて駆け上っていく。
走法や衣装に決まりはないので二段おきに駆け上る者や何やらコスプレのような衣装を見につけた者・・・
各チームを見ている分には充分に楽しい。
やがて事務所の面々の順番がやって来て階段の下へと進み合図と共に階段に足をかけた。
本屋の主は言い出しただけは有ってスタートダッシュは見ものであった。
ただ・・・掛け声が何とも親父っぽい。
エッサ!ホイサッ!
駕籠屋じゃぁ無かろうに・・・ペンギンは思ったがその傍らを探偵長がすり抜けて駆け上っていく。
節子さんは一段ずつを左右の足を忙しなく動かして上がっていく。
あちこちみながらのペンギンはジャンプするように階段を上がって行ったのだが気がつけば本屋の主が息切れを起こしてスピードが急激に衰えていてペンギンがあっという間に追い抜いた。
それを目の端に捕らえたのか本屋の主は
よっしゃぁ!
声を張り上げると両手を大きく振って駆け上がる速度を上げようと試みた。
目の前には階段しか見えない。
辺りの風景は全く見る余裕も無くひたすら駆け上る。
どうやら探偵長がゴールしたようだ。
ペンギンの直ぐ前を節子さんが駆け上っている。
ふいっと節子さんはペンギンを見た。
「あらぁ!!駄目よぉ!。」
節子さんが叫んだ。
ペンギンは両手を一段上にかけると懸垂の要領で駆け上がり節子さんを追い抜いた。
節子さんは急激に負けん気を刺激されたようで跳ねるようにゴールへ飛び込んだ。
その足元に転がるようにペンギンがゴールに達した。
さて・・・本屋の主は何処だ?
三人は辺りを見回すが姿が見えない。
まさか
ゴールから見下ろせばゴールまで20段ほど残したところで座り込んでいた。
肩が大きく上下しているのを見れば完全に息が上がってしまっているのは明らかだ。
「ほらぁ!言いだしっぺ!がんばれぇ。」
節子さんが大声を上げた。
這いずるように階段を上がってきてゴールした途端に本屋の主は大の字に寝転がる。
探偵長がやれやれと言う風に肩を竦めた。

優勝どころではなく入賞も出来ずすごすごと戻ってきたメンバーは事務所のある建物の前で別れた。
本屋の主はぺこりと頭を下げたがその落ち込み様は半端ではなかったので探偵長を始めとした三人は慰める言葉も出なかった。


「だから最初から無理だと思ったのよねぇ。」
「もう言うなって。」
実りの無い会話が思い出したように続く。

あれから半月ほど経ったが事務所の中はまだ春の気配は無かった。







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