とすとす とすとす・・・
軽やかな足音が南庭に向く廊に響かせながら近づく。

摂津は阿倍野郷 安倍益材が構える屋敷である。
益材は平の都の内裏に仕える官人であった。
何かと忙しない役目の為に摂津の屋敷に訪れる事は稀であったが、屋敷を守る家人や女房達から文が届けられ、何とも不可思議な内容に、己の目で確かめるべく今日の帰宅となった。
歩を進めた益材の目が南庭を捉えたとき、足が止まった。
穏かな陽射しの中 階の下の庭に幼童が じ・・・・っと空を見上げていたのである。
春も終わりを告げようとしている時期のこと。
いささか眩しさを増した陽射しに庭に植えられた木々の緑も煌いていた。
ふいっと童の手が動き、宙を掴むように指が袖の下から現れ、ひらひらと振られている。
とん!
軽やかに足が地を蹴り両の腕を広げて童自身が宙に舞った。
穏かな風に袂が翻り、くるりと童の体が捩られた。
パンッ!
音を立てて開かれていた両の手が合わせられる。
やっと満足したのか幼童の口元に僅かな笑みが浮かんだ。

「葛・・・」
益材は知らずに口にした言葉を、口に押し戻すかのように手にしていた扇で隠した。
「父様。」
気配を感じたのか幼童は声を上げ階を駆け上って益材の眼の前に掌を見せる。
小さな掌の中には田奈の綿毛が収まっていた。
「これを追っていたのか。」 益材は目を伏したまま呟いた。
「はい。」
幼童は応えると益材の眼の前に綿毛がぬけてしまった田奈の花の残骸を差し出して微笑む。
「童子丸。」 
益材の声に童は真っ直ぐに視線を向けた。
黒曜石のような瞳の奥が陽を受けて翡翠のような深緑が混じる。
引き込まれるような眼差しに益材は思わず後ずさって距離を置いた。
訝しげに小首を傾げた童の在り様に益材の手が無意識に伸びて細い首にかけられ、力が込められた。
「ち・・・父様。」
苦しげな童の声を聞きつけたか慌しい足音が廊を伝って近づいてきた。
「殿! 益材殿!!」
姿を見せた女房の声に益材は夢から覚めたように素早く手を引き繁々と掌を見詰める。
女房は童を袖の中に匿うように抱きしめると益材の言葉を待った。
「すまぬ。童子丸を奥へ連れて行ってくれぬか。」
益材は力なく指示を出すとその場に腰を下ろした。
「畏まりました。 さぁ若君 奥の室で唐菓子など召し上がりませ。」
女房はそっと童の肩を押し出すように身を翻した。

遠ざかる二人を見つめながら益材は誰に言うのでも無く一人呟いた。
「やはり・・・やはり・・・あやつは傍らには置いておけぬ。」




「七つまでは神の内と申しますよ。益材殿。」
実の年齢よりも落ち着いた言いようで益材を諭す男を益材は納得の行かない面持ちで見返した。
益材と同じく内裏に仕えるその男は、陰陽寮に多くの陰陽師を入れている賀茂家の当主・・賀茂忠行である。
「されど忠行殿。家人が怯えております。このままあの童を我が屋敷においておく事と言うのは・・・今に大きな障りになるかもしれませぬ。」
途惑うように言葉を選びながら益材は言葉を紡ぐ。
「その幼い童を当方に預けたいと言うのは妖しげなその力の為だけでございますか?」
「・・・・・それだけ・・・・」
言葉を呑んだ益材を穏かな眼差しで見返していた忠行がふっと表情を正した。
「益材殿。お預かりするからには、しかと話して頂かなければこちらも納得が行きませぬ。」
「実は・・・」
何度も言葉を探し、自分を追い立てるように顔を上げ・・また握った己の指先を見つめてようやく心を定めたか益材は話し始めた。

幼童「童子丸」の母親は都の外れでは飯縄と呼ばれる歩き巫女であった。
阿倍野郷の稲荷の祭に舞を舞ったのが益材と出会うきっかけとなり、その美貌に益材が心惹かれて屋敷に入れたのであった。
歩き巫女の名は葛葉と言い、同行していた他の巫女たちと別れ屋敷に落ち着くように見えた。
やがて二人の間に子が生まれた。それが童子丸である。
益材は乳母をつけようとしたが葛葉はそれを拒み自らの乳で子を育てた。
このまま妾として益材の元で暮らすかに見えた葛葉であったが童子丸が乳離れをして四つを数える齢になった春に以前の歩き巫女たちが阿倍野郷を訪れたのだと言う。
葛葉は昔の仲間とともに屋敷を去った。
童子丸一人が益材の屋敷に残されたのである。
益材の心の内に葛葉への思いと理不尽さがない交ぜになって渦巻いたが、ここに存在する残された童を如何にするかが当面の問題となった。
益材は目の前の問題を解決する為に、身の回りの世話をする女人を童子丸に付けて育てる事とした。
「しかし・・・」
益材が言葉を止めた。
合わせるように忠行は白湯の入った椀を手に取り一口含み、じっと益材の言葉を待った。
幾度か言葉を選ぶ素振りを見せていたが益材は言葉を継いだ。

母の姿を見なくなっても童子丸は泣いて探す素振りを見せない。
周りのものも最初のうちは幼いのに健気だと慈しんでいたのだがどうも様子がおかしいと言い出したのは身の回りをしている女人であった。
何かがいる・・・女人は肌で感じると益材に伝えてきたのである。
最初は気のせいでは無いかと相手にしなかった益材であったのだが他の家人達も同じような事を益材に言い募るようになると捨てては置かれないと益材は阿倍野の屋敷へ足を運び暫らく滞在したのである。
「月の光が殊更青い夜のことでした。」
益材は目を伏せたまま言葉を改める。
「なにやら不思議な気配を感じて童子丸の寝ている室へ足を向けました。」

そこで益材は見たと言う。
朧な姿の白狐が何匹も童子丸の周りに寄り添っていた。
寝ているはずの童子丸はパッチリと目を開き嬉しそうに白狐と戯れている。
闇の中にぼんやりと姿が見えるのは月が明るい為だけとが思えぬ。
童子丸と白狐を包むぼんやりとした明るさが益材は何とも気味が悪く思えた。

「それで・・・妖しの類と共にいる童は気味が悪いから屋敷には置けぬと?」
忠行は益材へ視線を向けると穏かに尋ねた。
「そうではありません。」
益材はふるふると首を左右に振って否定した。
「このままでは・・・」
益材はごくりと口の中に溜まった物を飲み込むように喉を鳴らすと言葉を継ぐ。
「このままでは・・・私は童子丸を殺めてしまうかも知れませぬ。」
ほう・・・・
忠行が息を吐くと話を促すように益材の口元へ視線を向けた。
「先日の事でした。」 益材は定めたように話し始める。

阿倍野の屋敷に置いている家人や女人から相次いで都に住まう益材の屋敷へ文が届けられた。
どれも妖しの気配に慄く内容であった為、主としての努めと益材は阿倍野へ向かい田奈の綿毛と戯れる童子丸を見た。
「その・・・その仕草が葛葉を映したようで・・・」
忠行は何も言わない。 益材は大きく息を吐いた後に言葉を進めた。
「駆け寄ってきた童子丸が私の目の前に田奈の・・・花が終わった田奈を差し出して微笑んだのですが。」
忠行が小首を傾げた。 益材は伏せていた面を上げて忠行を見返して一気に話を進める。
「葛葉に生き写しの表情で・・・その瞬間にずっと心に蟠っていた理不尽がこみ上げてきて、我に返った時には童子丸の首に手を掛けておりました。」
「このままでは私はいつか童子丸を殺めてしまいます。手元において育てるわけには参りませぬ。」
一気に語り終えると益材はがっくりと肩を落とした。
暫しの静寂が訪れ、初夏の風が庭先を渡って行く。

「益材殿。賀茂の家は帝に仕える家ではありますが身分は低い。」
忠行の声はどこまでも穏かである。
「陰陽師など何時 命を失うかも知れぬ危うき職種です。にも係わらず何故に我が家に預けようと思われるのか。」
忠行の問いに益財は僅かに笑みを刻んだ。
「何処にあろうとも人はいつか死ぬるものでございます。それに・・・童子丸が必ずその職種を修めるかどうかは未知数でございましょう。」
「たしかに・・まだその童を私は目にしておりませぬゆえ。しかし、ならばこそ地下の者として終わるやも知れませぬぞ。」
忠行は真っ直ぐに益材を見返して応える。心の奥を射抜くような響であった。
「忠行殿は・・。」
益財は何故か声を潜めて言った。
「忠行殿には文時殿の後ろ盾がございますれば・・。」
「それが頼みか。」
忠行は苦笑いを浮かべて大きくため息をついた。
菅原文時は菅原道真の孫に当たり文章博士を経て数々の実績を上げた後に従三位まで駆け上る人物である。
まだ陰陽師の位置が不安定で神祇官よりずっと卑賤の者と思われていたこの頃、忠行が確固たる位置を築いていく上で大きな後ろ盾になっていたのがこの文時であった。
「どちらにしても頑是無い幼童が理不尽に命を奪われる可能性は減らした方が良いのであろうな。」
忠行は独り言ちると益材に視線を落とした。
「こちらでお預かりして後にどのような道を歩む事になろうとも拘りをお持ちにならぬと言えますかな。」
忠行の声に益財ははっと面を上げて言葉の真意を確かめるように視線を落とし
「お任せいたしたのでございますから、如何様な事になろうとも決して・・・。」
益財は肩の力が一気に抜けたように振るわせた。


こうして童子丸と呼ばれる幼童は賀茂の家に移り住む事と成ったのである。








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