庶民と言うものは本当に逞しい者であった。
あのような大きな事件が都で起きたにも拘らず何事も無かったように日々の生活を営んでいる。
あちこちに崩れたままの家屋がそのままの形で残っていようとも気にする素振りも見せない。
もっとも・・・最初の事件は自分達と関係の無い殿上人の諍いであると認識しているようだ。
二つ目の事件で略奪されたとする天叢剣が誰のものであろうとまったく庶民には関係の無いことであったろう。
殿上人の殆どがこの二つの事件の本当のところを知らない。
漸くおとずれた穏やかな日々に安穏としてその日をすごしている。原因を作った者たちを除いて・・・

「さて・・・如何したら良いものか・・・」「不安の芽は早いうちに摘むのが上々の策。」
どこの屋敷とも解らぬ奥の片隅で囁く声がする。
「あの漢は仮にも帝の血筋・・・おいそれとは手が出せぬ。もっとも唯の楽馬鹿・・・政にも興味が無いようだ。」
「それに・・・真に全てを知っているようでも無い。」
「ふむ・・全てを知っているのはあの地下の者 唯一人。」
「如何にも・・あとはこの世にはおらぬしな。」
ゆらゆらと揺れる灯の揺らめきが囁きあう者達の不安を現しているようであった。
「地下の者とは言え帝の寵愛を得ている・・・奉じられれば我らの首だとて危うい。」
「奉じ上げれば彼の楽馬鹿が後ろ盾と成ろう。」
「その逆もまた然り・・・。」
あの二人は比翼の鳥だ。
どちらか一人だけなら恐れる事も無いっと肯き合う者たち・・
「ならば・・・」一人が思いつめたように言葉を継いだ。
「あの漢の翼を切り取ってしまえば良いのだ。」
「それは妙案・・・所詮は地下の者。」「姿を消したとて誰が気に掛けるでもない筈。」
ジジッと灯芯が燃える音がした。

      ★  ★  ★  ★  ★

「雪になるか・・・」
濡縁に一人 座して酒を飲んでいるのはこの屋敷の主である安倍晴明。
ふと近づいて来る足音を耳が捉えた。
「居るか?晴明」 声の主はあの事件を通して親しくなった殿上人。
帝の血筋をひく従三位源博雅中将である。
「どうした?博雅。 酒でも飲んで落ち着いたらどうだ。」
座す事も無く立ったままの博雅に晴明が声をかける。
「見せたい物があるのだ。今から俺と一緒に出かけよう。」
博雅は言うと同時に晴明の細い腕を掴んで外へと歩を進めようとする。
「博雅 一体どこへ行くというのだ。」
晴明の眼が一瞬細くなって博雅を見上げた。
「とにかく急がねば成らぬのだ。」
博雅は晴明を見る事も無く腕を引く・・・
ふっと苦笑を浮かべて晴明が立ち上がった。

「おい・・・ 博雅。」
晴明は先を行く博雅に声をかけた。
「雪になったぞ。」気が付けば天から一片 二片と雪が舞い降りてくる。
「もう少しだ。」
博雅は振り返りもせずに答えた。
呆れたように晴明は溜め息をつき曳かれるままに黙ってまた歩を進める。
「足元に気をつけろよ。」
一点を見つめて突き進む博雅へ晴明がまた声をかけた。
雪の降り方がひどくなってきた。


突然目の前が開けた。
山の中腹を薙ぎ払ったように拓けた空間が広がっている。
博雅の足が止まった。
晴明を掴んでいた掌の力がさらに増したように感じる。

「お待ち致しておりましたよ。中将殿。」

一本の老木の陰から一人の男が姿を現した。
口調は穏やかであったが目は剣呑な光を浮かべている。

「此度のご尽力を感謝いたしまする。貴方でなければこの者をを誘い出す事は不可能であったろう。」
いつもは礼儀正しい博雅は何も言わず俯いているだけだ。

嘲りと憐憫を含んだような笑みを片頬に浮かべ男が右手を挙げた。
それが合図であったのだろう周りの木の間からバラバラッと武装した男たちが進み出た。
手には弓を構えて居りその先は揺らぐ事無く過たずにこちらを向いている。
標的は博雅がしっかりと掴んでいる腕の持ち主・・

「お退きください。中将殿。危のうござりまする。」凛と男の声が響く。
俯いたまま掴んでいた腕を離すと博雅は数歩その場から離れた。
離れた手を引き止められる事は無かった。


「射よ!」

感情の無い声と共に幾本もの矢が惑う事無く唯一つの標的を貫いた。
叫び声も無く・・・聞こえてくる筈の風の音さえ降る量を増やした雪に吸い込まれいる・・・辺りはただ静寂。
思わず目を上げた博雅はその時初めて晴明を見た。

博雅が愛した蒼みの強い瞳に微塵も責める色は浮かんでいなかった。
「晴明。」
大好きだった桜色の唇にふっと笑みが刻まれたように博雅が感じたとき僅かな落下音と共に晴明の身体は大地に叩きつけられていた。
幾許か積もった雪が朱に染まっていく。

「博雅・・おまえの為なら俺はいつだって死ねたのに。」
博雅の愛した長い睫が僅かに揺れて静かに両の目が閉じられた。

一言も発する事無く博雅は武装した男たちに護られて遠ざかっていく。
ほろっっと博雅の身から何か離れ地面に落ちた事を誰も気がつかなかった。
去って行く者達の足跡も降り続く雪によって間もなく掻き消されて行くのだ。


      ★  ★  ★  ★  ★

「さて・・・冥府の使いは未だなのか・・・」
深い闇の中で晴明は一人呟いた。
その問いに答えるように近づいてくる足音がする。
「これは!。」横たわる晴明を見下ろす者を見て晴明は言葉を呑んだ。
「あなた様が冥府の遣いとは・・・冥府の神も粋な事をされるものだ。」
「ふん おぬしの生き様を見届けてやると申したではないか。」
見下ろす者「道尊」は楽しそうに笑った。
「これが・・・これがおぬしの生き様か。」一転して道尊の声が激しくなる。
「そのようでございますね。おかしいですか?」
「憎くは無いのか?」 「はい。」
「怨みはしないのか?」 「はい。」
「難儀な者よのう。」溜息混じりに道尊が言う。
「彼の漢が決めた事でございますから・・望のままに・・・と。」
「ふん!」道尊が突然晴明の身体に突き刺さっている矢を掴んで力を込めた。
「ツッ・・・」晴明が息を呑む。
「痛いか?」 「・・・・い・・些か・・・」
眉を顰めて晴明が答えた。
「残念だったな。」と道尊。
「はっ?」
「晴明。おぬしは残念ながらまだ死んではおらぬようだ。」
「そうなのでございますか?」
「あぁ あの楽馬鹿の望を叶えてはおらぬようだぞ。さて・・どうする?」
道尊の声は何時までも楽しそうだ。
「ならば・・・もう少しお待ちくださいませ。それ程時間はかからないかと思います故に。」
「確かにな・・だいぶ冷え込んで来ておるようだ・・・如何なおぬしでも持つまいて。」
「道尊様・・・その時こそお連れいただきたいものです。」
「冥府で酒でも呑むか。」 「それも楽しゅうございますね。」 二人の視線が絡み合う。
「冥府では都の守り人ではおられぬと思うが・・」からかうように道尊が言った。
「二つ揃わねば役目は勤まりませぬ。一つはすでに落ちました。」晴明が視線だけで指し示す先には博雅の身から落ちた小さな珠。
「間もなくもう一つも落ちましょう・・・」
「都がどうなろうと構わないのであろうが。」
「はい。 もう何の興味もございませぬ。」
晴明の瞳が閉じられた。
「辛いのか。」道尊が訊ねる。
「もう・・暫くのご猶予を・・・」唇だけで晴明が答えた。

「我の与えた命をまた捨てるか・・。」 一人の男が近づいてくる。
「幻角殿。 申し訳ないことをいたします。これも彼の漢の望なれば・・・」
「過ぎてしまえば全てが幻・・・」
幻角が誰に言うでもなく呟いた。
「滅びる時には滅びるのです。」晴明が詠うように言葉を継いだ。
「なれど・・・晴明殿 あなた様はまだ生きておられる。」
幻角は道尊へ視線を向けた。
「あなた様は晴明殿を愛おしいと思うておるのでございましょう。その心持は真に羨ましいと思います。」
問いかけに返事をするでもなく道尊は晴明の口元へ掌を当てる。
浅く小さな息の流れが感じられた。
「このまま冥府へとお連れする気でございましょうか。」
幻角は道尊に訊ねる。
返事は無い。

「生きてくださいませ。晴明殿。」
幻角が声をかける。
「今一度・・・あなた様に出雲の力を。」
「生きて・・・どこで生きろと仰るのか。」
晴明の声が答えた。
「あなた様の魂の里で・・・遠き世にあなた様を慈しんだ彼の地で自由に・・・。」 幻角が耳元で囁く。

「生きて・・・自由に・・・」晴明の視線が空を見上げた。
「行くのか?。」道尊が問う。
「あの雲のように・・・自由に。」晴明が呟く。
「ならば・・・その生き様 我もまた見届けようぞ。」
「道尊・・。」

穏やかな笑みを浮かべて幻角が静かに呪を唱え始めた。
・・・・・・ハヤサスラ・・アメクチアワス・・・
呪文に合わせるように道尊の手が晴明の身に刺さっている矢を抜いていく・・・
傷口は塞がれ溢れ出るはずの血は見えない。

・・・・ハヤサスラ・アメクチアワス・・・・ナニシエヤ・・・ハテ・・・
穏やかに辺りを包み込んで幻角の声が何時までも続く。


       ★  ★  ★  ★  ★


「参ります。」
明瞭に晴明の声が響いた。
「今度こそお達者で・・・。」幻角が微笑む。
「我もすぐに追いつく。共に行こうぞ。」
「はい 道尊様。お待ちいたします。」
幾百もの花が一斉に開くような笑みを浮かべて晴明が言う。
「世話をおかけしました。今度こそ何にも囚われず自由に・・・」
晴明は幻角に深々と頭を垂れた。
「参られよ。」
幻角が穏やかな声で出発を促す。
「それでは・・・」
声と共に晴明の姿は白い鳥に変化し空へと舞い上がっていった。

「行ったか。」 「白鷺でございますか。晴明殿らしい事だ。」
見上げる道尊と幻角は暫くして互いを見た。

「さて・・・。」
期せずして同じ言葉を吐いた。
お互いの顔に屈託の無い笑みが刻まれる。
「これは都人が望んだ事であるな。」
「確かに・・・守り人を自ら捨てたのですからな。」
「ならば・・・我らが思うた通りに・・・」
「構わぬであろうな。」
「構わぬと存じます。」
二人はまた声を出して笑った。

二人が見下ろす都の地。
その夜 何処からとも無く火の手が上がり内裏まで炎上して果てたと言う。
「構わぬであろうな。」「あぁ確かに構わぬと思います。」
「滅びる時には滅びる・・」「そう言うものよなぁ。」
語りながら声を出して二人は笑う。
その声を聞いた者は・・・いない。


昔々 一人の男あり
雲のように飄々と生きることを望み北の大地へと舞ったと伝えられる

形が変わらぬと思えば変わる事無く
 気が付けば全く違う姿に変えている・・・
そんな雲になりたかったのだ
 男はそう呟いて漂っている事だろう
雲のように 飄々と


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