・・・・・くぅっ抜かったものよ・・・
苦しげな声が羅城門に響く。
深い闇を割くように雪がほろほろと降りかかる。

朧げな形を成したそのモノの口にはキラッと光る牙が覗いていた。
肩と思しき辺りからどす黒く流れているのはこのモノの血なのであろうか。
少しふら付く足取りは羅城門の南へと向かいかけて・・ふっと止まる。
・・・これは・・
足元には横たわっている童の姿が確認できた。
単は肌蹴ており白い肌には擦り傷や切り傷が数え切れないほど有った・
ふっ・・・と唇を上げて笑みを浮かべたモノは・・・ざらり・・・固まりきっていない傷口から流れ出る僅かばかりの血を舐める。
「これは・・。」ニマァッと笑みが深くなった。
モノの舌は流れ出る血をもう一度嘗め回す。
「甘露。」
モノは意識のない童の手を掴んで宙に持ち上げた。
ツッ・・・・その弾みで首筋を血が流れる。
三度モノの舌が吸い付いた。

ジャリッと近づく足音・・「来たか。」モノは音のした方へ視線を投げた。

「酒呑童子!」音の主が声を放った。
京の都の闇を鎮め妖し・鬼などこの世の物ならぬ生き物と対峙する陰陽師である。
「忠行か。」
酒呑童子と呼ばれたモノは都に巣食うモノを統べる鬼であった。
「相手をする気は無いぞ。忠行。」
酒呑童子は片手で吊り上げていた童をぶら下げたまま羅城門の南側へと後ずさった。
「その童を置いていかぬのか。」忠行は冷静さを保つように気をつけながら声を掛けた。
「その気も無いな。」
酒呑童子はそっけなく答える。

「晴明を返せ!」忠行の横にいた若き陰陽師が叫ぶ。
「ほう?小童が何を言うかと思ったら・・・そうか。これが先ごろ忠行の所に来たという童であったか。」
酒呑童子の顔に笑みが浮かぶ。口元から見える牙がカチッと鳴った。
「お前は保憲だったかなぁ?物を頼むのにその言い方は随分と無礼であるとは思わぬのか。」
「なぁ酒呑童子。」忠行が一歩前に出て呼びかける。
「まだ年端も行かぬ童なのだ。ここは曲げて戻してくれぬか。」
ふん・・・酒呑童子は鼻でせせら笑った。
「戻さぬものでもないぞ。しかし・・今は戻せぬ。」
「いつなら戻してもらえるのだ?。」
「そうよなぁ・・・三日ほど後の事になるか。」酒呑童子は首をかしげながらゆったりと答えた。
「必ず 必ず戻してくれるのか。」忠行はさらに一歩前へ出た。
「鬼の言うことなぞ信用できるか!今すぐに晴明を返せ!」
保憲の高い声が辺りに響く。
「小童・・・良ぅく聞け。 鬼に横道は無きものよ。」
その声と共に酒呑童子の姿が朧になって行く。
意識の無い童はその両手に抱かれたまま深い闇の中へと消えていった。


「父様。酒呑童子は本当に晴明を戻してくれるのでしょうか。」
保憲は忠行に問うた。
「あぁ。」 忠行の返事は攣れない。

賀茂の屋敷で父子は対座していた。

「鬼の言うことを信用できると父様は仰いますか。」
「鬼に横道は無い。酒呑童子も言ったであろう。」
保憲の瞳が瞠目する様に見開かれた。
「鬼は喰らわぬと言いながら喰らう事はない。
心と違うことをするのは人だけよ。」
「なんと・・・」
「人が心持と違うことを口するなど良くある事だが鬼は口にした事と異なる事はせぬ物よ。」
忠行の言葉は理解できるようでもあるが認めたくないっと保憲は思った。
「そもそも・・・なぜ晴明は羅城門などにいたのでしょう。」
その言葉に忠行が口の端にふっと笑みを乗せた。
「そなたが目を離したからだろうが・・」
ばっさりと切り捨てられたような言葉に思わず保憲の声が荒がった。
「わずか一刻ばかりのことでございます。」
「その一刻の間に何があったか・・・見てみるか?」
忠行は保憲の前に何やら細いものを差し出した。少しばかりの風を受けてそれはフワッと揺れる。
「晴明の髪だ。羅城門の柱に留まっておった。」
保憲は髪を指先で受け取ってじっと意識を集めて行った。

・・・・・・・・庭の隅に晴明がいる。何処からとも無く何人かの人影が寄ってきた。 保憲より年上の者のようである。
いきなり晴明を小突き始め中には蹴り上げる者もいた・・・・・・
「これは!」保憲は息を呑んだ。
・・・・・・・執拗に繰り返される謂れ無き暴力から逃れるように晴明は走り出す。
何度も袖を捉れその度に繰り返される打擲に晴明の足取りが不安定になり・・・羅城門の前でとうとう倒れこんだ・・・・
半ば意識を失いつつ有るようだが髪の記憶は繋がっていて追いかけてきた者たちの声を保憲に伝えてくる。
「このまま放置しておけば雑鬼にでも喰らわれて終わりよ。」
「跡形も無くなれば修行に耐え切れず逃げ出したと言う事になる。」
誰かの手が髪を掴んだ。・・・・そこで髪の記憶は途絶えて闇だけが残った・・・・・・

「もっ申し訳ありま・・。」保憲の声が震えた。
ぎゅっと握られた膝の上の拳にぽたっと一滴の涙。
「保憲。これは晴明の事とは限らん。」
忠行の声がする。
「はっ?」顔を上げた保憲に忠行は言葉を紡ぐ。
「そなたに賀茂家の嫡男と言う名が無ければ今見た光景はおまえの物よ。
才あるものは疎まれ妬される。
才ある者を排除したからとて己の才が上達する物でもないと言うのは皆解っておるのだ。
それでも妬いて排除したくなるのが人と言う物なのだ。」
「・・・・」

「さて 行くぞ。」忠行の声が頭上からする。
陽は西に落ちかけあたりに闇が広がり始めていた。


羅城門の南側にふっと一人の青年の姿が浮き上がった。
緋色の水干姿で何処から現れたのかと思うほど唐突であった。
「酒呑童子 」忠行が声をかける。
三日前の禍々しさは微塵も感じられない。その袖の中に包まれているのは紛れも無く晴明であった。
「晴明!」保憲は声を上げた。
「約束どおり戻しに来た。ここから先はこの者次第だ。」
酒呑童子が穏やかな声で告げる。
「晴明の・・・?」保憲は言葉の意味が理解できなかった。
「小童。解らぬか。」笑いを含んだ酒呑童子の声が響く。
「我はこの門からこの者を連れて行った。そして約束どおりこの門まで戻した。
ここから先この者が何処へ行こうともこの者の心のままであろうが。」

保憲は先ほど見た光景を思い出した。
あの様なことが日常であるならば晴明が賀茂の屋敷に戻りたいと願うであろうか。
それでも・・・戻ってきて欲しいと保憲は思った。
「晴明・・・俺はもう目を離さぬ。離さぬから戻って来い。」

酒呑童子の袖に包まれた晴明の唇に僅かばかりの笑みが浮かぶ。
「酒呑童子様。」
晴明が小さく呟きその掌を酒呑童子の頬に滑らせた。
「行くか?」酒呑童子は愛おしいものを見るように柔らかな眼差しで晴明を見下ろした。

「忠行。この者はそちらへ戻るそうだ。」酒呑童子の声が告げる。
「ただな・・・覚えておけよ。忠行。
この者の血は甘露・・・放って置けば都中の鬼が喰らいに来るぞ。
此度は我で良かったと心得ておけ。」

三日前になぜ晴明が羅城門にいたのかを酒呑童子は知っている・・・保憲は戦慄し兄弟子たちの行動を思い自分の軽はずみな行為を悔いた。

「それではな・・」酒呑童子は穏やかに晴明に声をかけ包んでいた袖を開いた。
「酒呑童子様。」
切れ長な眼から悩ましげな視線を酒呑童子に投げた後晴明が歩を進める。
折りしも降り始めた雪さえ欺くような晴明の白い肌に雪が一片 また一片・・・止まっては消える・・・


「恋しくば・・・」 酒呑童子が呟いた。
ピタッと晴明の足が止まった。
「はい。」
振り向かずに一言。

保憲の瞳の中に晴明が映る。
その姿が少しずつ大きく 近く・・・


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