とにかく雨が降らない。
都の大路は土埃が舞い上がり辺りは朧にしか見えない日が幾日も続いている。
作物は水が足りずに皆 首を垂れ枯れる物も少なくない。
帝はついに雨乞いを命じた。

都を護るために建てられた西寺の守敏が神泉苑において雨乞いの祈祷をした。
僅かばかりの雨が天から落ちてきたのだが乾ききった地を潤すには程遠く都は干ばつに悩ませ続けられた。
帝は民の苦しみを憂いて都を護るために建てられたもう一つの寺・・東寺の空海に雨乞いを命じたのであった。
今度こそ民を苦しみから救うため帝の憂いを祓うため・・・空海は決死の覚悟で神泉苑に臨んだ。

雨を降らすには竜神の力を借りねばならぬ。
しかし・・・空海がいくら探しても竜神の姿を見つける事はできなかった。
守敏がその法力をもって竜神を封じ込めていたのである。
空海は探した。
封じ込めに係らなかった竜神を求めて探した。
全ては民のため 都のため・・・

そうして空海がやっとの思いで見つけたのは「善女竜王」であった。

金色の瞳を持った輝く黄金の鱗に覆われた善女竜王は優しい眼差しで空海を見つめている。

「竜王様。どうか民のため 都のため 雨をお降らせください。」
空海は竜王の前で臥して願った。
「空海・・。」
善女竜王の声が響く。
「そなたの願いは解らぬでは無い。しかし 今は動けないのですよ。」
「何故でございます?」
「この者が寝ておる・・・」
竜王の声に空海が見たのは竜王の首元で穏やかに眠る童の姿・・・。
「この者が目覚めるまで今暫く待ってはくれぬか。」
愛おしそうに竜王の視線が童に向けられている。
「ですが・・竜王様。民は苦しんでおります。」
「解っておる。解っておるが・・・。」
竜王の視線が愛おしそうに童を包み込んでいる。
「空海・・・この者はやがて我から離れる時が来るのだ。
離れた後は人となりて人の世に存在する事となる。
それまでは我の元で慈しんでやりたいと思うておるのだ。」
「人となられるのでございますか?」
「・・・あと百年も無いのだよ。」竜王の瞳に哀しげな色が浮かんだのを空海は感じた。

「百年でございますか。この私はもうこの世にはおりませんな。」
「そうよな。人の世はどのように成っている事やら・・・」
「この世を去ってからの事はこの私には解りませぬ。私とっては今の世の民の苦しみを除く事が第一にございます。」
「人の都合よな。」
善女竜王は空海から顔を背けた。
「竜王様 なんとしても・・・この空海は都に雨を頂きとうございます。
代わりには成らないとは思いますがこの命が終いえるまで学び修めた全てを竜王様にお預けいたします。
その神子が人の世に降りられる時お渡しいただければ・・・。」
ふっと竜王の視線が空海に投げられた。
「どうか・・どうか民のため。」

冷たい風が巻き起こり竜王が飛び立つのを空海は意識した。
その首元でキラッと輝く一枚の鱗・・・
「あれは・・・善女竜王の逆鱗であったか・・・」
空を舞う竜王の姿を見上げる空海の身にポツンッと滴が一つ・・・


都の大地が降り注ぐ滴に覆われて潤って行く。
首を垂れていた作物も季節の花々も艶めいて空に向かう。
それから三日三晩雨は降り続いた。

その後数々の奇跡と伝説を残して空海はこの世での生を終わる事となる。
空海がこの世を去ったその年から八十余年・・・・
善女竜王の逆鱗がハラッとその身を離れて行った。
竜王が空海に伝えたように真 人の世に落ちたのか・・・
人の世に生まれ出た善女竜王の逆鱗がどのようになったのかはどの書物にも書かれていない。



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