「比叡を焼き討ちになさると仰るのか!」
「仮にも京の鎮護の比叡を・・焼くと言うのか。」
家臣たちの声に非難の色が含まれていた。

「浅井と浅倉を打つ為でございますか。」
惟任は信長の前に座して平伏した後に問いかけた。
ふん!
信長は鼻先で笑うと惟任を見下ろすと肩を竦めた。
「何故と問うか。そのような事も解らぬで良ぅこの俺の家臣だと大きな顔をしておられるな。」

近江の地から京の都へ入る為には逢坂の峠を越える。
細く続くこの峠は隊が長く進軍する事となり馬上の者の命を狙うには格好の場所でもあった。
ここを睨んで常に見張っていたのが比叡の者達である。
よって比叡を手中に収めておかねばこの峠を越える毎に余計な心配をせねばならない。
浅井・浅倉の一件はきっかけの一つでしかない。

「ですが・・・」 惟任は尚も言葉を継いだ。
「焼き討ちはいかんと言うか。」
「御意。」
「比叡が三井寺を焼くのは良いのか?」
比叡の延暦寺と三井寺は戒壇を巡って不仲である。
片方が襲撃をかければもう片方が仕返しとばかりに襲い返した。
そうした中で三井寺は比叡の者達の手で焼き討ちを掛けられたのである。
信長の言葉に惟任は深く平伏した。

「俺は仏の道・神の道を否定しようとは思わぬ。しかし・・それを伝えると言う人間共の行いは信用に足るものかどうか。」
信長の言葉に惟任は頷くしかなかった。

当時の比叡と言えば都の鬼門を護ると言う役目を嵩にきて横暴な振る舞いが目に余った。
僧達は坂本へ降りて女を買い酒に溺れ山は荒廃の一途を辿っていた。
それでも名声と言うのは恐ろしいもので数多くの人間が比叡山には起居している。

「あのような者達が仏や神を伝えられると言うのならどちらもたいした事は無かろうよ。」

かくて比叡山は紅蓮の炎に包まれたのである。
その炎は大炎熱地獄もかくやと思わせるほどであった。



淡海に波が煌いていた。
京とは船を用いて直ぐの場所にありながらこの地の風土は大きく異なる。
その淡海を眼下に捉えて信長は城を構築した。
あの時以来姿を見ることの無いカゲロウが言い残した言葉が信長の頭の中から去らなかったからだ。
・・・・・・ 宜しゅうございますか。京は魔物にございます。決して長く起居なさいませんように・・・

「魔物か。」 信長は唇を歪めて苦笑した。
武力も持たない帝とか言う生き物は剣を一振りすればその命さえ危ういと言うのにまるで軟体動物のように姿を変え形を変えて信長の呼吸を苦しくさせる。
将軍と言う生き物もその名だけで数多の武将が馳せ参じた。
こちらとて首を切るなど造作も無いことであった。
形を定めぬ圧迫を信長は感じ取っていたが京へまったく行かぬと言う事も出来ない。
だからこそカゲロウの言い置いた言葉に導かれるようにこの地に城を建てたのであった。

「お館様。」 声がかかって信長はふと我に返った。
「勝家か。」
「民の者達が待ちわびております。どうぞお出ましを・・」
勝家と呼ばれた男は深く頭を垂れて信長を促した。
「おぉ!そうであった。」
信長は大きく笑みを浮かべて歩き出す。
その後を勝家が数歩下がって進んだ。

後に安土城と呼ばれるこの城は今までには無かった創意工夫がなされ城下に集まった人々に見学をさせると言う斬新な催しを信長は試みた。
最初は半信半疑で恐れるようにやって来た人々もその煌びやかな城の内部に驚嘆し穏やかな空気に笑いも出るようになる。
陽が落ちれば灯を入れて真昼のように明るくなり人々は手を打って喜び踊りだす者たちも居る。
信長はこっそりとこうした輪の中に入り舞ったと伝えられる。

「どうだ?面白いであろう?」
信長は側近の者達に声をかける。
「はっ?はぁ 真に美しく壮大な城でございます。」
問われた者は慌てて応えた。
「面白くはないのか?」 信長は片眉を顰めた。
「たっ楽しゅうございます。民もあのように笑うて過ごしております。」
「そうか。面白くは無いのか。」 信長は大きく息を吐いた。
「いえ 面白うございます。」
側近の武士は狼狽えながら不思議そうに応えた。

「面白くは無いのだな。」 信長は念を押すように尋ねる。
「楽しゅうございますが・・・面白いとは・・解りませぬ。」
「そうであるか。」
信長はもう一度大きく息を吐いた。
・・・・ 難しいものよな。・・・・・
信長の声は側近の武士には届かなかった。


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