先触れも無くその男は賀茂の屋敷を訪れた。
長かった冬の寒さも終わりを告げようとしている頃の事であった。

当主である忠行は東国の勢いを抑えるための祈祷に参内していて留守である。
対応は自然 嫡男である保憲がする事となった。
「此度の急な訪いは何とした事でしょうか。」 
保憲は相手の表情の奥にあるものを読み取ろうとしてゆっくりと尋ねた。
相手の男は動じるでもなく片頬に笑みさえ刻んで用向きを伝えてくる。
「なんと!!そのような事を当主である忠行が留守の間に決める事はできませぬ。出直していただきたい。」
保憲は一歩相手に近寄り言葉を返す。無意識に言葉を荒げていた。
ふふ・・・・ 男は声を上げて笑い 
「きっとそのように仰ると我が主が申しておりました。」と事も無げに応える。
主が・・・・と言うからにはこの男はどこかの家令か何かであろうっと保憲は考えた。
「ならばお引取り願いましょうか。」 保憲は視線を男から外さずに言葉を継いだ。
「いえいえ 保憲殿。主が言いますには・・・」 男はそこで言葉を止めてすっと保憲の耳元に口を近づける。
「賀茂に謀反の疑あり・・っと検非違使に申し立てても構わないのですよ。」 囁くように男が言った。
「莫迦な・・・何を持って謀反など。」 保憲は思わず仰け反った。
「そうでございましょうとも。主も本気でそのように思っているわけではございませぬ。」
揶揄するように男が口元を隠した。

「保憲様。」 
廊を渡る足音が近くなり耳に馴染んだ声で呼びかけられ保憲が振り返れば僅かに眉を顰めた晴明が自分を見上げて立っていた。
「おまえは向こうへ行っていなさい。」保憲は晴明の肩に手を置くと諭すように言う。
「いいえ保憲様。 これは私が行かねばならぬ事なのでございましょう?」
「これはこれは・・・噂に違わず見目の良いお方だ。その上にご判断も早い。聡いお方なのでございますな。」
訪れていた男は感嘆するように声を上げた。
「・・・・ 晴 ・・・ 明 ・・・・・」 保憲は先を言葉に出来ずに息を呑んだ。
「賀茂に謀反など有ろうはずもございませぬ。私が行けばそれで済む事・・・
そうでございましょう?」
 晴明が微笑み唇の奥の皓歯が眩しいくらいに白く映えた。

「おぉ!その通りです。 それでは私が主の所へお連れ申し上げるのでご同道を願いたい。」
男に促され晴明が門を潜り外へ出ると牛車が待っていた。 牛が長閑に一声鳴いた。
「私は下人でございます。車に乗るなどと・・・・」 晴明は戸惑って牛車に乗る事を拒んだ。
「これも主の命でありますれば。」 男は晴明を促して視線を保憲へと向ける。
「それでは・・・保憲殿。」 「保憲様。」
男と晴明が呆然と見送る保憲に声をかけたのを合図のようにゆっくりと牛車は進み始めた。



「良いのか?」
突然声をかけられて見えなくなった牛車の方向を見つめたまま立ち尽くす保憲は我に返って声の主を見る。
「道満殿か。 良くはないが・・・・」 歯噛みをするように保憲は声を絞り出した。
「あれは巨勢の車よ。 大丈夫かのぅ。」 
「巨勢?」
「あぁ 今は隠居しておるが中納言だった男よ。とうにこの世から消えていると思っていたがまだ生きておったかよ。」
道満はゆるゆると首を振りながら保憲に応えた。
「それが何故に晴明と関わるのだ。」
「知らぬのか?」 道満は不思議そうに保憲を見詰めた。
「父は何も教えてくれぬ。」
「そうか・・・忠行は言わぬか。 あれはのう・・・・・」 道満は遠くを見るように目を細めた。
「あの中納言は北の蝦夷を鎮圧する時にな。善き働きを為したとして殿上に上がったのよ。」
「蝦夷での働き・・・いつの頃の話ぞ。」 保憲は眉を顰めた。
「そうさなぁ・・・・・。」 道満は視線を空へと向けていつとは知れぬ遠くを思い出すように呟いた。
「赤子が一人・・・流行病で命を失った頃であったよ。 保憲。」
何やら意味ありげな物の言様に保憲は己の記憶の中を探ってみる。

「もしや・・・・益材殿のお子の事か?」
「ふふん 知って居ったか。葛女の赤子が幾日も生き永らえなかった事を・・・」
「いや・・」 保憲は道満の問いに半分だけ否とした。
「俺はまだ幼童であったから詳しい事は知らぬ。だがこの世に生まれたばかりの赤子の笑みを覚えているのさ。
まるで陽の光のような春の風のような笑みであった。
それが・・・すぐに姿が見えなくなり父様は黙して語らず・・・何とのう重苦しい空気が屋敷の中に流れておった。」
ぽつぽつ・・・保憲は幼い頃の記憶をたどるように語らう。
「その見えなくなった赤子がはるあきらで有ったのよ。 短い命数であった・・・」
いつもは掴み所の無い飄々としている道満が珍しく湿っぽい。
「まぁ その頃の出来事だという事さ。」 道満が気を転じたように話を終わらせた。

・・・・・ 益材と葛女との赤子がこの世を去って数年経った頃に晴明が賀茂の屋敷に来た・・・
病を患っているのかと思わせるほどに色白で・・・・
・・・・ いや最初から晴明と名乗ってはいなかった ・・・
あれは確か俺が ・・・・・・
思いの中に保憲が入り込んでしまったのを感じたのか道満は肩を一つぽんっと叩くと何処へともなく去って行った。
「戻ってきたら教えてくれ。無事だと良いな。」
それは保憲が聞いた事も無いほど自愛に満ちた声であった。



短い冬の陽が陰りを佩びた頃に忠行が戻ってきた。
すぐに事情を話そうと足音も高く走り出迎えた保憲は思わず目を剥いた。
忠行の傍らに晴明がいた。 どうやら共に戻ってきたようである。
「ち・・・父様。 晴明!」 
まずは忠行に礼をとった保憲であったが堪えきれずに立ち上がると晴明の肩を抱いた。


「東国調伏の祓を行う事になった。 二日後だ。」
忠行の声が保憲を現実へと引き戻した。
「父様。・・・・」
「壇を作る。 寮の者にも申し付けてある。保憲も参ぜよ。」
忠行の声には些かの揺れもない。
「祓には晴明が儂と共に執り行う。 浄衣を用意してやれ。」 
「父様。この私では無く晴明が臨むのでございますか。」
思いもよらぬ忠行の言葉に保憲は問い返した。
「何度も言わせるな。 疾く始めよ。」
忠行は言い捨てると晴明の肩を押すように引き連れて御簾を潜り己の室へと姿を消した。
「保憲様・・・」 晴明が一瞬だけ振り向き保憲へ視線を投げ忠行に続くように姿を消す。

ほおぅ・・・・・・
息を吐き出すと保憲は廊を歩く。 まずは晴明のために浄衣を取り揃えてやらねばならぬ。
ふと見ると濡れ縁に黒い影が浮かんでいる。
「・・道満殿か。・・・・・・」 保憲は影の主に声をかけた。
「おぅ。」短く応えて道満が保憲を見上げてそっと視線を庭へと戻す。
「寂しいか・・・」 誰に言うとも無く道満の口から言葉が漏れた。
「道満殿。」 何故今日の道満はこのように優しげな気を発しているのか・・・保憲は肩を震わせた。
「笑ぅてくれて良いぞ。暑くもないに目から汗が出る。」 保憲は掌で顔を覆う。
「そういう時もあるさ。」 道満はさして気にもしていないかのように保憲の袂を捉えて傍らに座らせた。
「愛ゆい晴明の事だ。 無事を祈るか・・なぁ。」
「あぁ・・・・祈るか。 道満殿。」

闇は何処までも深く地を照らす筈の月は群雲に隠れてみる事も叶わなかった。


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