「保憲 あやつは愛ゆいか?」
内裏の南庭で執り行われる祓の前日の夕暮れ・・・
保憲は忠行から突然問いかけられた。
誰・・・っと名前も告げぬ。
だが保憲は躊躇しなかった。
「何より愛ゆぅございます。」 間髪入れない応えに忠行の頬が緩む。
「ならば・・保憲。あやつを護れ。決して向う側へ往かせてはならぬ。」
忠行にじっと見詰められて保憲は無言で頷く。 ごくり・・・咽の奥が鳴った。

「そこにいる萱鼠・・・主に伝えよ。 明日は何人も結界の中に入れてはならぬとな。」
チュッ
一声高い鳴声が聞こえ さわさわ・・・・と小動物が草の陰を走って行くのが見えた。
・・・・・ 道満か ・・・・・

「皆あやつが愛ゆいのよな。 都の為ではあるまいて。」 忠行は苦笑を浮かべて独り言ちた。


とす とす ・・・・・
渡廊を踏んで保憲は晴明の元へと歩を進めていた。 手には白の浄衣。
御簾の前に立ちほぅっと息を吐くと何でもない事のように声を掛けた。
「晴明。」 言いながら早くも御簾を潜れば跪く晴明がそこいる。
床に手を着いて礼をとる晴明を見下ろして保憲はそっと肩に手を置いた。
「父様が傍らにいるのだ。何も恐れる事はない。それに・・・・その・・・」
何時になく歯切れの悪い保憲の言葉に訝しげに小首を傾げながら晴明が見上げてきた。
「あまり頼りにはならぬかも知れぬがこの俺もいるから・・・・。」
視線を外して言葉を継ぐ保憲の耳にふっ・・・と笑う声が聞こえた。
「保憲様。何よりも頼もしゅうございまするよ。ありがたい事でございます。」
晴明の応えに何も知らない自分が情けなく眉間に皺が寄るのを禁じえない保憲はぶっきらぼうに頷くと御簾の向こうへと出た。
「保憲様。」 晴明の声に保憲は振り返ると花が綻ぶような笑みを浮かべた晴明と視線が絡む。
暫く目を離す事ができないまま見詰めていた保憲であったが応える事はなく足早にその場を去った。
・・・・ 何と言うお顔をなさいます。保憲様。まるであの日と同じお顔でございましたなぁ ・・・・
一人室に残る晴明はあの日牛車でこの屋敷を後にした日のことを思い出していた。


         ★     ★     ★     ★     ★

ギシリッ   ギシリッ
車の軋む音が耳障りであった。 これから我が身に何が起きるのか。 晴明には解らなかった。
・・・・ まぁ どちらにしてもあまり良い事にはならないのであろうな ・・・・
揺れに身を任してそっと目を伏せている晴明の耳にあの家令の声が届いた。
「晴明殿。」
「はい。何か?」 我に返って応える。
「何の先触れもなく驚きましたでしょう?」
「いえ。私如きに先触れなど・・・お気を使われますな。」 
「この私も主がどういうお考えであなたを召されたのか解らないのです。」
「は?」 思わず晴明は顔を上げて家令を見詰めた。
「実のところ私は主から申し付けられるまであなたの事は存じておりませなんだ。
賀茂に美しい童が養い子になっているらしいと言う噂は以前からありました。 しかしそれがあなたとは・・・」
家令は言いながら苦笑を刻んだ。
「私は未だ未熟者故 公祓には出ておりませぬ。」 晴明はつ・・・・っと窓の外に視線を移した。
ゴトリ 車が一揺れして止まった。
「着いたようですね。」 家令は穏やかに言う。
豪奢な門を潜り階の下に歩を進めて跪こうとする晴明に家令が廂へ上がるように促した。
「これも主の命でありますれば・・・。」
躊躇する晴明の腕を取って階の上へと誘導する。

冬の終わりとは言えまだ風は冷たい。
御簾の向こうには幾重にも几帳が置かれて風を遮っている気配が感じられる。
「晴明殿か。」 置くから声がする。しわがれたその声は病に臥せっている者特有な響きがあった。
「はい。 晴明にございます。」 床に手をつき礼をとったまま応える晴明に満足したのか奥の声は家令に向けられた。
「允惟。 暫し席を外せ。 晴明と二人だけで話がしたい。」
       允惟と呼ばれた家令は躊躇していたが音もなくその場を去って行きやがて姿は見えなくなった。

「さて・・・晴明殿。」 
允惟が立ち去った方向をじっと見詰めていたのであろう。
気配が消えた事を確認した後ゆっくりと声は晴明に向けられた。
「藤は・・・な。」 声が聞こえる。
「蔓で絡めて花を咲かすのよの。儂はその蔓を捉えたかった。絡むに値する物になりたかった。」
コホッコホッっと咳き込む声がする。
「ご無理はいけませぬ。どうぞお休みくださいますように。」 
晴明は御簾越しに声をかけたが声の主は落ち着くのを待って話を継いだ。
「儂はもう長くはない。この春を迎える事ができるかどうかも危ういと薬師に言われた。」 声の主は皮肉っぽく笑う。
「まだ生きて居ったかよ・・・と思う者も多いのだ。確かに長く生きすぎたかも知れん。」 声が続いた。
「今になれば若かったとも思うがその頃は善も悪もどうでも良かった。ただ値になって都で認められたかった。
都が北の国の豊かさを手中に収めたいと望んだときに誰よりも早く儂は働いた。
都はそれなりに豊であったに・・・なぁ。」
声の主は呼吸を整えるべく息をゆっくりと吸うのが感じられる。
「幼かったそなたを都へ連れてきたのはこの儂よ。藤は手を打って喜んだぞ。これで北の国の豊な実りは全て我が手に入るとな。」
「年端の行かぬ者にそれ程の値があるものなのでしょうか?」 晴明は真直ぐに視線を御簾の奥へと投げた。
「惚けなくと良いぞ。そなたが北の国でどれ程大切にされていたか知らなかったとは言わせぬぞ。」 
声の主は腹を立てた訳ではないようで苦笑に紛らわせて言う。
「表立って騒ぐ事はなかったが蝦夷は都に落ちたのだと・・な。 殺さず生かしておけば何よりの牽制になる。
万が一の場合は見せしめの為に蝦夷の目の前で無残に処刑も出来る。 なぁ上手いものを手に入れたとは思わぬか?」
暫しの静寂が辺りを覆った。
「怨むか?この儂を。都とは比べ物に成らぬほどの広い大地と豊な実りを理もなく襲ったこの都を 儂を怨むか?晴明。」
「いいえ。」 小さな含み笑いと共に晴明が応えた。
・・・・・・ 北の国は次の世代に移ったのだ。何を今更 ・・・・ 晴明はついっと空を見上げた。

「そうか。怨まぬのか。」
声の主は身体を労るように身動ぎをして体勢を整えるのが感じられた。
「不思議なものよの。都が平和だった頃 儂は戦に身を投じていた。 都が危機に晒されている今 我が一族はのんびりと絵を描いて居るよ。」
声の主がゆるりと首を振った。
「儂がこの世を去ればそなたの事を知っているのは賀茂忠行唯独りだけになる。都に残るも北へ戻るもそなた次第だと儂は考える。
そなたの事を知るものが無くなればそなたは唯の若者よ。」 声の主は荒げるでもなく言葉を継いだ。
「この私の思うとおりにせよと仰る?」
「あぁ その通りだ。値を知らぬ者達ではそなたを扱えないではないか。」 御簾の奥の声が笑った。
「しかしな・・・この儂がこの世にあるうちに東国の謀反を祓ってはくれまいか。 儂にとっては都は大事。そなたの自由と引き換えに一つくらいは脅しても良かろう?
もちろん そなたが嫌だと申すのならばそれはそれで良い。」 何処まで本気なの解らない声音であった。
「お引き受けせずとも良いのでございますか?」 呆気にとられて晴明は思わず御簾の奥へと視線を向けた。
「あぁ構わぬ。 どちらにしても儂は直ぐにあちら側へと旅立つでな。」 声の主はハハッと初めて声を上げて笑った。
「では・・・お尋ねいたします。何故この期に及んでこのように召しましたのでございましょう。」
晴明の問いに声は楽しそうに笑う。
「せっかく遠い道を連れて来たのだ。使わぬままに放免するなど勿体無いかと思ってな。」
「それだけの事で賀茂に謀反の疑あり・・・ではあまりにご無体。」
「毒を制するには毒が一番よ。 それくらいはこの儂でも学んだわ。」


       ★     ★     ★     ★     ★

保憲が去った後の室は静かだ。
ほぅ・・・晴明は留めていた息を吐き出した。
知らぬ間に身体が強張っていた事に気がついて思わず苦笑を浮かべた。
・・・ほんに 師匠様は ・・・・
陽が昇れば忠行と晴明が二人で祓いを執り行なう。
これはどういう事なのか・・・・忠行は何も語らない。
東国の乱を起こした男を滅する為に南庭へ着座して祓いに備えねばならぬ。
これがどのような結果を生むことになるのか。

保憲の心は不安に揺れ 晴明は遠くの空を思った。
賀茂の屋敷の濡れ縁の下を忙しなく走り回る萱鼠が一匹・・・・
時が止まる事は・・・無い











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