「稀名様・・・神子様はご無事なのでしょうか。」

北の国は大きな不安に包まれていた。
先の戦いで王も后もこの世を去った。
唯一の跡継ぎである神子は西の国へと連れ去られた。
今や国を纏めているのは王の側近であった稀名と神の声を聞くという巫女であった。

「巫女様のお話では・・・神子様はご無事であるとの事であった。
何とかお戻り頂ける方法は無い物かと思案をしている。」 稀名は言った。

神子が連れ去られるときに稀名は肩に矢傷を負ったのだがその傷も癒えて久しい・・・
あれから随分と時が過ぎたと稀名は思う。
東国では西の役人との小競り合いが増えて来ているようで人々の間にも不穏な空気が流れている。
北の国では兵を挙げると言う事には到っていないが心中穏かならざる思いがあることは確かであった。

西に放っている者たちから逐一情報は届くが神子の存在は今一つ解っていない。
遠い昔に理不尽にも処刑された勇者のことが誰の記憶の中にもしっかりと残っている。
巫女は無事で生きていると言うが明日の事は解らない。
とにかく神子の存在を確かめ無事でいる事を知りたいと北の国の民は強く望んだ。


毎年西の都へ献上する為に何人もの民が向かう。
その為に都の中に北の国は屋敷を構えていた。
この屋敷の中に献上品を保管するしたり滞在中はここに留まる為である。
今年も間もなくその時期がやって来る。
海の向こうから届く毛皮や山から取れる砂金・・・西の都ではたいそう珍しいらしく毎回この品々は欠かせない。

・・・あれから何年が経ったのだろうか・・・・神子は大きくなられた事であろう・・・ 稀名は考える。

西の都へ出かける直前に巫女の寿命が尽きた。
最後の言葉は「神子は無事である。」 だった。
この言葉を頼りに西の都へ出かける一行は滞在中に西へ放ってある者たちと連絡を取り合い秘かに探索をしようと言う事になった。



・・・・・・・・・・・・・・・ ☆    ☆    ☆    ☆    ☆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



忠行はふっと苦笑を浮かべて渡廊の向こうに視線を投げただけで御簾を潜った。
下ろした御簾に符を貼り付けて几帳の奥に坐す童と対峙した。

「あれから・・・五年よな。」 忠行が穏かに声をかける。
「はい。」 童は長い睫を伏せたままに応える。
「今の名には慣れたか?」
「毎日そのように呼ばれますので・・・」
童らしからぬ言い方に忠行の目が細くなる。

今までずっと神子と呼ばれており他に名は無いと目の前の童から告げられたのは五年前の事
それから暫くは「童子」と呼んでいた。
その童子に忠行が「晴明」と名を贈ったのは二年前の事であった。

・・・真 この名を贈って良かったものか・・・・・ 忠行は三年前の事を思い返す。

忠行には妹がいた。 摂津の国から修行に来ていた弟子に妻として迎えられ二人は摂津の国で穏かな暮らしに入っていた。
その二人に子が生まれたのが三年前。
夫婦はこの赤子が生まれる前から男であったら「晴明」と名づける心算だ・・・と嬉しそうに語っていた。
やがては賀茂の家に預けて陰陽の術を学ばせるのだと・・・・
しかしその赤子は生まれて間もなくこの世を去った。 妹も産後の肥立ちが悪く赤子の後を追うように儚くなった。

忠行は妹が不憫でならなかった。
なんとか・・・と心を痛めていたときに名が無く童子と呼び慣らしていた童が思わぬ才を持っている事を知ったのである。
・・・沙汰があるまで殺めてはならない・・・と押し付けられた童・・・
この才を持ってすればきっと都で比べる者のない術者になる・・と忠行は考えた。
いつ沙汰があるかは解らぬ事。 もしかしたら一生無いかも知れぬ。
忠行は一年迷った。 そして迷いながらも童に「晴明」の名を与えたのであった。


「その名は好きか?」 
思いを断ち切って忠行は言った。
「この私に選ぶ事など出来ましょうや・・」
童は相変わらず俯いたまま応えた。

「保憲とは上手くやっているのか?」
忠行の問いに童は小首を傾げた。
「保憲様は物足りぬようでございます。」

保憲は目の前にいる童とは対照的に活動的で身体を動かすことが好きであった。
毎日 活発に走り回る。 嫡男と言う立場から学ぶべき事はしっかりとしている。
しかし・・・この目の前にいる童のように放って置けば一日中でもじっと坐して書を読むような事は苦手であった。

五年前にこの童が賀茂の屋敷に来た頃は忠行の命も有り童を遊びに誘ったりしていたがいつの間にかそれも間遠になり今では殆ど共に遊ぶと言う事はなくなっていた。
童が一人ポツンと濡縁や廂に坐して庭を眺める姿が見掛けられる事が増えていた。
そんな童に興味を持って相手になっていたのが忠行と共に修行をしたと噂の市井の陰陽法師「蘆屋道満」であった。






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