「その病 全て一身に受けましょう。」
「ほう・・」 
その神は目を細めて若者を見下ろした。

神の姿は高く大きく・・・禍々しい光に覆われている。
都に流行り病を蔓延させるべく出現した疫神であった。
その神が今まさに言の葉を発する直前に二人の陰陽師は迂闊にも出会ってしまったのである。


霧のように細い雨が降り続き天と地との境もよく解らない夕暮れ時のこと。
晴明は兄弟子である賀茂保憲を支えるように都大路へと戻って来ていた。
桂の河に妖物が出ては河を荒らして人々を吞み込んでいるとの訴えがあった時には気にもかけなかった殿上人達であったがこと貴族の家が被害に遭ったとなれば話は別である。
早々に妖物を調伏せよとの勅が陰陽寮に下った。
妖物は話に聞いていたよりも遙かに手強く調伏するまでに消耗していた保憲は妖物が藻屑となって消え去る瞬間に放った瘴気をまともに喰らいその場に倒れ臥してしまったのである。
「直ぐに式を呼んで屋敷までお運びいたします。」
晴明の声に保憲はうっすらと笑みを浮かべて首を横に振った。
「滅多に無い事だ。難儀ではあろうが肩を貸してくれ。歩いて戻る。」
「保憲様。・・・」
「嫌か?」
「そのような事はありませぬが御身が辛いのではございませんか?」
「おまえに言われとうは無いわ。」 保憲は笑いを含んだ声で応えた。
こうして保憲を肩にかけて大路まで晴明は戻って来たのだが最初の頃に交わされていた言葉の応酬はいつの間にか間遠になりやがて保憲の口から言葉が発せられなくなってきた。

細い雨は晴明の体温を奪い気力は弱まって行く。
己より年上で体格も良い保憲を護るように戻って来た晴明は大路を確認してホッと吐息を漏らした。
「ここまで来ればあと僅かで賀茂の家だ。」
濡れそぼった髪を搔き揚げる様にしてふっと上げた視線の先に疫神が立っていた。
ここで言の葉を発せられれば逃れる術は無い。
思わず晴明は神に向かって声を飛ばした。

「その病 全て一身に受けましょう。」

ほぅ・・・
稀有なものを見たような表情で神は視線を晴明へ向けた。
「ただし・・・」
晴明は神から視線を外さないままにゆっくりと保憲を背に隠した。
「今はなりませぬ。」 
晴明の言葉に神は少し笑ったようであった。
「この方を屋敷へお届けするまでお待ち願いたい。」

・・・竦んではならぬ。弱みを見せてはならぬ。・・・・
心の中で晴明は己に言い聞かせながらじっと神を見続けた。

「承知。」 神が一言呟いてすっと姿を消した。


「この戯者が!早々に戻れば良いものを・・・」
賀茂の屋敷に戻った二人に忠行が諌めの言葉を吐いた。
濡れた衣を脱がせると家人に新しい衣を用意させ着替えさせると手早く保憲の瘴気を取り除く。
「師匠様。 保憲様をお守り出来ませんでした。」
傍らでじっと頭を垂れる晴明に視線を移した忠行は穏やかな笑みを浮かべながら軽く頷いた。
「案ずるな。これくらいの事では保憲はどうともならぬ。すぐにまた悪さを企むほど元気になるさ。それより・・・」
忠行は軽く言いながらふっと眉を顰めた。
「晴明。おまえまだ着替えもしておらぬでは無いか。濡れた衣のままではお前こそ病に落ちる。早ぅ着替えてきやれ。」
忠行の言葉にもう一度深く頭を垂れてから晴明は立ち上がり己の室へと足を向けた。
ほぅ ・・・
庭を見詰めて晴明は長く息を吐いた。
衣を脱ぐと手早く新しい単衣に手を通す。
途端に体中が焼け付くように熱くなった。
強く歯を噛締めて衾に横たわると熱さは一段と強くなったようで濡れていた髪さえも一瞬で乾いていくような感触を覚えた。
「さすがに早いな。」 呟いて晴明は瞳を開いて辺りを見回す。
蔀戸の向こう側 庭先が赤い炎を上げているように揺らめいていた。
ふっと苦笑を片頬に浮かばせると独言ちてみる。
「まぁ 戻るまでの約束は守ってくれたという事か。」

庭の赤い揺らめきの中に朧な光を認めたのを最後に晴明の記憶は途絶えた。



・・・・・やれやれ またお前か。二度目ぞ。まったく ・・・・
闇の中に赤々と燃え上がる炎の中それは呆れたように声をあげた。

射すくめるように大きく焼き尽くすような赤い炎を湛えた両の瞳がグッと見下ろしている。
「好きで何度も来ている訳ではありませぬ。」
恐れる風も無く晴明はその瞳を見上げた。
睨みを利かしているのは彼の閻魔大王である。

「確か以前の時には言葉も交わす間もなく伯道の翁が連れ戻しおったな。」
閻魔大王は頬に手を当てたまま肩肘をついた。
「はい。この私もあなた様とお話した記憶がございませぬ。」
しれっと晴明が応えると閻魔大王はギョロッと瞳を動かして晴明を睨んだ。
「ならばじゃ。 此度こそどちらかへ逝って貰おうか。まったく・・・彼の河を何度も渡る者などいてもらってはこちらが困る。」
「お望みのままになさいませ。」 晴明が、ちら・・と視線を流したときであった。

ドスドスドス・・ドスドス
閻魔大王の台座も揺れるほどの音を立てて入ってきたものがあった。
「審議中だ。静かにせぬか。」 
大王は視線を音のするほうへと向けるとその先に立っていたのは不動明王である。
「閻魔の大王。この者を逝かせてはなりませぬ。」 明王はまっすぐに大王を見据えると天も割れんばかりの声で言い放った。
「何故だ?人の世で命数が尽きれば彼岸へ行かねばならぬ。これは全ての理ぞ。」
「この者の命数は尽きては居りませぬ。そもそも流行病で尽きるはずもないのです。」
「だが・・・ここにおるではないか。」
閻魔大王は面倒くさそうに言った。
「それは・・・この者が都中に蔓延するべき病を一人で請け負ったりしたからで・・・」
明王はゆるゆると首を振りながら晴明を見下ろした。
「あとが閊えて居るのだ。いい加減に切り上げて送ってしまいたいのだがな。」
大王は閻魔帳を捲りながら言葉を継いだ。
「この者は人々の安寧を願い陽の当たらぬ下々の庶民にまで気を配り魔を祓っております。この私の所へも毎日のように訪れては手を合わせております。
このまま逝かせては人の世も侭なりません。」
ふぅ・・・・閻魔大王が盛大に息を吐いた。
「病の神の立場もあろうが?」 大王は明王を見据えた。
「病には罹ったのですから疫神の役目はお済ではなかろうかと・・・疫神は命を奪う神ではありませぬ。」
ここを先途と明王が言う。
ふむ・・・閻魔大王は呆れたように目を見張り明王を見つめた後で晴明を見下ろした。
「さて・・また戻るか?」
晴明は黙って頭を垂れた。
「やれやれ・・・地獄の沙汰も頼りなくなったものよ。」

「ただな・・・一つ条件をつけようと思う。」
にっと笑った大王は晴明を見据えて言った。
「おまえは命を粗末にしたがるようだ。不動明王が言うように真に庶民の安寧を願うのであれば生きよ。」
頭を垂れていた晴明はふぃっと貌を上げて大王を見つめる。
「生きていなくば誰人も護る事はできぬ。生きて生きて生きぬけ晴明。」
大王はぐいっと顔を近づけると間で含めるように言葉を継いだ。
「そしてな・・・破滅の術は使わぬことだ。世の人々の為にのみその力を使え。これが我との約定だ。」
こくりと晴明は首を縦に振った。
「守れるのであれば今一度人の世に戻す。」
大王は筆をとると閻魔帳に書かれている晴明の名を塗りつぶして消した。
「閻魔大王との約定は決して忘れませぬ。」 晴明は立ち上がると踵を返して歩き始めた。
「待て。これを持って行け。おまえの力の助けになろうぞ。」
大王は白く輝く小さな珠を晴明に手渡した。
「人の世だけではない。全ての理に効力を発する。住みにくい世であろうが善く尽くせよ。」
言うと大王はひらひらっと手を振った。
珠を両手で受け取った晴明は深々と礼をとった後は振り向くことも無くその場を立ち去ったのであった。



「・・・めい」 「せ・・・めい。」  どこかで己を呼ぶ声がする。

「晴明!」今度ははっきりと呼ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと瞼を開くと目の前に保憲の顔がありひどく心配そうな顔つきで自分を見つめているのに気がついた。

「保憲様・・・いかがいたしました?」 晴明は声をかけた。
「「いかがも何もないだろう。おまえは心の臓が止まったのだぞ。」
保憲がペチッと晴明の頬を打った。
ふふ・・・晴明は微笑んだ。
「なんだ 何がおかしい。」
保憲は本当に訝しげに眉を顰めて晴明の顔を覗きこんでくる。
「いえ・・・幼いころに良く叱られました時にも同じようにペチッと頬を・・・」
「そうであったかな。」
保憲は急に照れ臭くなったのか視線を外した。

「雨はやんだのでございますね・」
晴明の声に保憲が慌てたように応えた。
「当たり前だ。お前は何日眠っていたと思っているのだ。」
ふふふ・・

考える風も無く晴明は庭に視線を向けてそっと呟いた。

・・・・あの世の一瞬はこの世の幾日になるのか。ねぇ大王様 ・・・・



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COMMENT

・・・・あの世の一瞬はこの世の幾日になるのか。ねぇ大王様 ・・・・
 (大王)「そうだなー」「この世の一瞬は、そちの世で申すと<霞>のようのモノかのー」.

 「最初の頃に交わされていた言葉の応酬はいつの間にか間遠になり」「細い雨は晴明の体温を奪い気力は弱まって行く」.
 保憲公の絶命をおもいましたが、「これくらいの事では保憲はどうともならぬ」で、つつがなく復活の様子.

 そこで、これからの展開を<ご思案中>かと拝察.
 晴明公の対応、神通力がそこはかとなく<強く意識>され、陰陽道の迫力を想定させてもらっています.

 地味ながら着々.次が待望されておりまする.お邪魔させていただだきましたー.
freehand2007 MAIL 2017/03/27(月) 05:32 EDIT DEL
いつもありがとうございます

晴明様の生き返る話は過去の書物にもあります。
それを自己流にアレンジしてみました(笑)
三度目は・・・もう還って来ません
4 ペン 2017/03/27(月) 08:32 EDIT DEL

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