「この私を謀るおつもりか!」
静かな空間に怒りを含んだ声が響き渡った。

昼の御坐の前には重たげな装束を身に着けた男が左右に座して袂で口を覆っていた。
帝の姿が御簾を挟んでうっすらと影を浮かばせているが僅かに肩の辺りが揺れただけで声を発することも無い。
怒りに身を震わせている男の荒い呼吸の音だけが聞こえているだけである。

「不敬であろう。」 帝から見て左側にいる男が口元を覆ったままで言った。
「左様 左様。比叡の高僧でさえ主上の前では平伏を致すもの。たかが修行僧の身でその振る舞い・・」
反対側に座していた男も眉を顰めて同調する。

非難された男は僧形であった。
確かに高僧と言う趣は無く荒行を幾度も経た逞しさが際立っていた。
「その・・・その主上と呼ばれるお方が約定を違えると・・・」
怒りの為か僧形の者は言葉が上手く出てこないことに苛立っているようであった。
「そもそも・・・」
呆れたように左側の男が言う。 左府と呼ばれる身分の者らしい。
「下賎の者と主上が約定を交わすことなどありえると考える事自体が世間を知らぬと解らぬか。」
口元にうっすらと刻まれた笑みには蔑みの色が濃かった。

僧形の男はふらつきながらも立ち上がり厳しい目つきで二人の男と御簾の向こうをねめつけた。
「そういうお考えであられたか。ならば吾も覚悟がございます。後で後悔なさいません様に。」
言い置くと僧衣の裾を翻すと足音も高く立ち去っていった。

「何をしようと言うのであろうか。」
右府と呼ばれる男が呟いた。
「ふん!ただの捨て台詞であろう。」
「しかし・・・。」
「案ずるほどもあるまいて。寺にも属さぬ名ばかりの僧に何が出来るわけもなかろうて。」


          ☆         ☆         ☆         ☆           ☆


「晴明はおるか。」
強い陽射しが庭の木々をを炙っている。
廊を軽い足音を立てて保憲は装束も解かずにやって来た。
「これは・・・保憲様。いかがなさいました。」
強い陽射しを避けてか晴明と呼ばれた童姿の男は室の奥で巻物を広げていた。

「暑いな。」
保憲は言いながら付いてきていた家人に装束を解かせるとゴロッと室に横になり身体を伸ばした。
「暑うございますね。」
小さく笑みを含んだような声で晴明が応える。
家人はあきれたように保憲を見下ろしたが何も言わずに装束を抱えて去って行った。
「・・・・で?」
晴明は眼を閉じて気持ち良さそうに伸びをしている保憲に視線を向けた。
保憲は陰陽寮に出仕し始めて間もない。
新参者では有るが賀茂の嫡子と言うことは知らぬものは無い。
幼い頃から見鬼の才があり先見の能力は高く評価されている。
この保憲の傍らで嬉しそうな笑みを浮かべている晴明はまだ髪は上げていないが年が明ければそろそろ・・・と噂される。
能力よりも先に噂が立ったのは殿上の貴族達の奇しき恋の対象としてと言われるほどの美童であった。

「暑いな。」
保憲は言いながら晴明の指を玩んでる。
「雨が・・降りませぬな。」
晴明は擽ったそうにしながらも指を任せている。
「木々も草花も雨が来ないかと心待ちにしているのはございませぬのか。」
雨が降らぬ日が二月も続いている。草花は首を垂れて元気を失っている。
「それよ。」
保憲は片頬に笑みを刻んで眼を開いた。
「寮で何かございましたか?」
晴明が保憲の瞳を覗き込んだ。 
深い色だ・・・ 吸い込まれそうだなと保憲は思う。
「まぁ聞けよ。晴明。呆れるで無いぞ。」
「お聞きする前では解りませぬよ。」 晴明が笑った。
いい笑顔だ・・・保憲は思った。

「事の起こりはあの男の東宮の事だ。」
「東宮様はいらっしゃるのでは?」
「親王となったものはいる。しかし東宮はまだだ。」
「親王様を東宮になさるのではありませぬのか?」
「あぁ そうしておけば良いものを得体の知れぬ占いなどを信じるからややこしくなったのだ。」
保憲は心底嫌だという風に眉を顰めた。


その占いを下したのは巫女の血筋だという舎人であったと言う。
親王をそのまま東宮に処すれば国が乱れる。
この占いをまともに帝は信じてしまった。
他にも皇子はいる。親王もいる。
しかし帝は新しく皇子が生まれることを望んだのであった。
比叡の高僧や南都の僧もいるはずであるし神の社に詣でる手も有った筈なのにも関わらず帝は荒行をしていた一人の僧に祈祷を頼んだ。
僧の名前は隆光と言ったそうである。
この僧が皇子の誕生と引き換えに自分の寺を建てて欲しいと言ったのだった。
東宮に相応しい皇子を望んでいた帝は二つ返事で承諾したのだそうだ。

「まぁ何が東宮に相応しいのかと言うことなんだがな。」
ゴロッと身体の位置を変えながら保憲が言った。
陽射しの隙間から風が吹いてくるが涼しいというには程遠い。
「今の親王様ではいけないのでしょうか。私には解らぬことですが・・・」
ふっ・・・保憲が微笑んだ。
「そうよなぁ。誰が東宮でもあまり代わり映えはしないと思うのは俺達のような地下のものばかりと言う事なのかも知れぬ。」
保憲は言うと晴明に視線を向けた。
「それでな・・・」 


女御の一人が子を成した。 男子であったそうである。
帝の好みに適ったのか産まれて一月もしないうちに親王として認められる。
隆光の祈祷のおかげ・・・帝が考えたかどうかは定かではないが隆光はそう確信したのであった。
冠位も権力の無い一介の修行僧が帝の御坐の前に参じるなど通常は考えられないのであるが隆光は無理押しをした。
帝側も心当たりが無いでもない。
こうして隆光は昼の御坐で帝と相対する事となったのである。

「見事に皇子がお生まれになられた。ついては約定どおり吾に寺を建てていただきたい。」
隆光は当然のように要求を口にした。
「さて?何の話であろうか。」
恍けた様に応えたのは左府である。
「帝がお望みの皇子が産まれた時には吾に寺を建ててくださると・・・」
「ほう そなたが何を致したというのか。」
「皇子がお生まれになるよう二年の間祈祷を致しました。ですから健やかな皇子がお生まれになった。」
隆光の心に迷いは無い。己が祈祷をしたから皇子が生まれたのだ。
「そのようには聞いておらぬな。皇子がお生まれになったのは主上の徳であろうとまろは思っておるが・・いかがであろうかな。」
左府は大仰に首を振ると右府の方へと視線を投げる。
「この私を謀るおつもりか!」
静かな空間に怒りを含んだ声が響き渡った。


「それは・・なんとも・・・」
晴明が戸惑うような笑みを浮かべた。
「まぁ氏素性も定かで無い者に寺など簡単には建てられないわな。」
保憲は苦笑った。
「汗が・・」
晴明が手布で保憲の額をそっと拭った。
「暑いな。」 保憲の指先が晴明の首筋に纏わり付いている髪を梳きあげた。
「はい。」
晴明の貌も暑さのためかほんのりと染まっていた。
「話はこれで終わったわけではなかったのさ。その隆光と言う僧は・・・」
物問いたげに晴明が保憲を見返した。
「龍を集めて結界内に閉じ籠めおった。」
「全ての龍を?一匹残らず?」
「そのようだな。少なくとも本人はそう言っておるようだ。」
あぁ!
晴明は空を見上げた。陽の光がこれでもかと言うように庭に照り返してる。
「それでこの様に雨が降らぬと・・・」
「どうやらそのようだな。」

それで無くとも暑い季節である。
雨が降らねば作物の収穫量にも大きな影響が出る。
朝廷もさすがにこのままでは・・・と考えて巫女の血筋と言う舎人に責任を転嫁した。
舎人も意地になる。
結界を崩せば龍は解き放たれて雨も降るだろう。
舎人は装束を改めて隆光の元へと向かった。

「保憲様。それでも雨が降ってくるようには見えませぬが・・」
晴明は小首を傾げて空を見上げる。
「ふん! 怖気づいたのよ。何やらあったようだが詳しいことは知らぬ。
とにかく結界を崩すことも出来ずに逃げ帰ってきてしまったようだ。」
はぁ~
晴明が息を吐いた。
「面倒なことよ。」
「それで寮の方へお話が来た?」
「それも新参者の俺のところへな。」
面倒だ
保憲はもう一度呟くと両の手を真横へ広げてトンッと床へと落とした。

「寮の方も行かれるのでございましょう?」
晴明が当然と言うように訊ねた。
「誰も行かぬよ。俺だけだ。」
「危のうございましょ?」
「あぁ。それは解らぬ。この事を早くに寮へ持って来ていたならば他の者達も行く気になったかも知れぬ。
それが二番手三番手のような扱いを受ければ行きたいとは思わぬは自明の理だとは思わぬか。晴明。」
「人とはそういうものでございますね。」
「であろう?そこで俺に行って来いと言う事に成ったのさ。進まぬ事は新参者にと言うのは不思議でもないさ。」
保憲は横になったまま晴明を見上げて笑った。
それに・・・保憲は続ける。
「万が一の時には俺一人の失態と言い逃れよう・・・とな。」
晴明は何も言わぬが切れ長の眦が見開かれていた。
「賀茂には弟もいるしな。後釜の心配は無いというくらいなものであろう。」
「保憲様。弟君は陰陽の道を好いてはおられませぬよ。」
「知っておるさ。」
それに・・・屈託の無い言いようの保憲に晴明が言葉を挟んだ。
「賀茂は残りましょうが保憲様は一人にございます。」
あまり意見を言わない晴明には珍しいことであった。

「嬉しい事を言ってくれるな。晴明。ならば共に行ってくれるか?」
弾かれたように晴明が保憲の顔を見下ろした。
「いやか?」
「嫌ではございません。ですが・・・私では足手纏いになりませぬか。まだ髪上げもしておりませぬ。」
「中途半端な術者よりお前のほうがよほど頼りに成るわ。」
「保憲様。」
嬉しそうに晴明が笑った。
「二人で道行と洒落れるか・・な。」
ペシッ!
保憲の腕を晴明が叩いた。
「まったく・・・軽口の一つも言えぬなぁ。」
保憲はこれ見よがしに腕を擦りながら苦笑を浮かべた。



縦横にきちんと整備された大路・小路・・・
彼の大国にも負けぬほどの雅と華やかな空気が溢れている。
しかしこの整備された道を少し外れれば辺りは一気に鄙びた風景が広がっていた。
鄙びていても都は近く人々は日々生活を営んでいるのは論を待たない。
ただ道筋は獣道のように折れ曲がり名も知れぬ草々が主役のように伸びている。
その草も周りの木もはっきりと解るほど生気を失っていた。
道筋の土も赤茶けた色に変わり靄のように土埃が僅かばかりの風に舞い上がっており呼吸をする者の喉を責立てている。

「ひどい事になっているな。」
歩を進めながら傍らにいる晴明に声をかけたのは保憲である。
大内裏に出仕している身の保憲は烏帽子をつけているが晴明は髪を垂らしている。
髪を上げていない晴明はまだ大人とは認められていない。
首の後ろに緩く束ねられている豊かな黒髪が陽の光を受けて煌きながら揺れている様は何とも美しいと保憲は思った。
「痛っ!」
晴明が声を上げて保憲を見上げた。
「保憲様。悪戯はおやめください。」
「すまん。つい・・・。」
保憲の指が晴明の髪を摘み上げて引っ張っていた。
「まるで宝玉のように輝くのでな。間近で見たらどれ程美しいかと思うてな。」
保憲は悪びれる風も無く手の中の髪を風に放った。
「保憲様は恐ろしくは無いのでございますか?」
ん?
晴明の問いに保憲が不思議そうな顔で晴明に視線を向ける。
「怖いさ。これが黄泉への旅路かと思うほどにな。」
「ならば・・」晴明が見上げて保憲を見詰めた。
「いや晴明。お前と共に有るからそれもまた楽しかろうとも思うのさ。」
「一人では逝かせませぬよ。」
「可愛らしい事を言ってくれる。だが・・後追いはするなよ。」
何やら話が暗い方向へと進み始めた頃に二人は岩の洞にたどり着いた。
あの逃げ帰って来たと噂の舎人から聞いた場所である。
聞いたとおりに洞自体は自然に出来た物のようであるが奥の方は人の手が入っているのが見て取れた。


足元の岩を避けながら奥へと進めば陽も薄くなる。
手庇をして奥を見れば道が二つに分かれていた。
「晴明。おまえは右へ行け。俺はこのまま進む。」
保憲が指示を与えると晴明は保憲を見上げてこくりと頷いた。
「結界を見つけたらまずは崩せ。お前なら造作も無いと思うぞ。」
保憲の言葉に小首を傾げて納得の行かないように視線を向けてくる晴明の頭をくしゃりと撫でると行けっという様に顎で道を示した。
「保憲様は?」
「俺は隆光を見つけ出す。さぞ護摩などを焚いて大仰な祈祷でもしているのだろうて。」
「祓うのでございますか?」
「それは解らん。まだ人のままでいるかも知れぬしな。」
唇の端をあげて保憲は苦笑う。
「手に余るようなら俺を呼べ。」
「はい。」
こうして二人は分かれて進む事と成った。



大小の岩が道の脇に不規則に落ちて広がっている道を晴明は一人歩んだ。
灯りなど無いはず何にほんのりと先が見えるのは不思議な気もするが特に禍々しい気配も無い。
やがて・・・開けた場所へ辿り着くと粗く削られたような天井岩までもが橙色に眼に映る。
「これは。」 晴明の唇が弧を描いた。


軽やかな足運びで保憲はまっすぐに道を進む。
細いが確かに奥へと続く道の両側は人の手が加えられたところも有りまた自然のままとも思えるように荒々しい。
やがて保憲はぴたりと足を止めた。
視線の先には護摩を炊き上げ一心不乱に何やら唱えている僧の姿がある。
炊き上げられた護摩の炎は迷うことなう上へ上り煙も龍のように縺れて昇っていく。
遥か上に外へと続く穴が開いているようであった。

「おい その辺りでやめぬか。」 無造作に保憲は声をかけた。
途端
火のついた護摩木が保憲に飛んで来たが苦も無く叩き落とすと保憲は隆光に一歩近づいた。
「そのように執着をして良いのかと尋ねておる。人は本来無物であろうが。」
隆光の声が止んで保憲に視線が向けられた。
「主上と呼ばれるほどのお方が約定を破られた。これを許せと仰るか。」
「ならば 民草ならばどうだ?許せるのか。」
「許せます。」
隆光は毅然と言った。
保憲はうっすらと笑いながら隆光を見返す。
「その違いは何ぞ。仏は人はみな同じと申しているのではなかったか。許すと言うたその口で民を苦しめる祈祷をしている。おかしいとは思わぬのか。」
保憲の言葉に隆光の方が震えた。
「おまえは寺と言う場所が欲しかっただけではないのか。固執するを煩悩と呼ぶのではなかったか?それを捨て去る為に僧になったのではないのか。」
ギリッ・・・
隆光の食いしばった歯が音を立てた。
「あぁ ついでに言っておくがな。お前の軟弱な祈祷では龍など集められぬよ。」
「そのような事はありませぬ。」
隆光は思わず立ち上がると保憲を睨みつけた。
「ただの思い込みよ。」
保憲が笑いが大きくなったとき辺りに地響きがしてぐらりと足元が揺れた。

晴明・・・崩したか 

保憲が遠くに視線を向けたと同時にガラガラと音を立てて頭上から大小の岩が落ちてきた。
隆光は悲鳴を上げながら頭を両手で押さえ護摩壇の陰へと座り込む。

あいつ・・・まだ加減が出来ぬ年頃よな

「解るか隆光殿。お前の結んだ結界は今崩された。たった十二歳ほどの童にな。」
保憲の声に隆光は瞠目して辺りを見回した。
「これで解ったであろう。お前の祈祷などその程度の力しかないのだ。」
言うと保憲は頭上を見上げると呼びかけた。
「晴明!遊ぶでない。俺はまだ死にたくは無いぞ。」
声と共にぴたりと揺れは収まったがまだ岩は落ちたそうに震えている。


「これは。」
晴明の唇が弧を描いて辺りを見回した。
緑樹が四方に置かれ結界の体を成してはいるが呪力は殆ど感じられなかった。
しかしその先には確かに水龍たちが楽しそうに寛いでいる。
一匹の水龍が楽しそうに視線を向けてきた。
「美しい童子よ。何をそのように怒っている。」
豊かな響きの声であった。
「あなた達は・・・何故にこの様なところにおられるのか。」
晴明は見下ろしてくる龍の視線を真正面から受けて応えた。
「なんと言う事も無い。呼ばれたような気がしたのでな。来てみたら他の者達も同じようなことを言うておる。
せっかくのお招きならばと少し休んでおった。それだけの事だ。」
長い髭をふわりと動かしながら水龍は楽しげに言うと身体を緩やかに震わす。
「暑いのです。」 小さく呟いてみた。
「何か言ったか?童子。」 水龍が揶揄するように晴明を見る。
「暑いのです。もう二月も雨が降りませぬ。だから・・・暑いのです。」
腹が立ってきた。 晴明は右手で額の汗を拭った。
「そうか。では童子。その邪魔なものを崩してくれ。出来るか?」
「出来まする。」
間髪いれずに応えると晴明は呪符も使わずに結界を崩した。
ガラガラ・・・
大きな音と共に岩も崩れ落ちてくる。
「ほう。見事な手並みよ。」 全身を黒い鱗で包んだ龍が目を細めた。
「美しい童子よ。我のところへ来ぬか。水に苦労は無いぞ。」
「行きませぬ。」 不機嫌な声で晴明が応える。
「では我のところに来ぬか?甘い果実もあるぞ。」濃青の鱗の龍が笑う。
「行きませぬ。」 
「美童と言うのは拗ねても美しいものよの。」
あはは・・・
ふふ・・・
水龍たちの笑い声が広がり感嘆の声が当たりに響いた。
「まぁ 気が向いたら参られよ。」
煌く鱗を見せながら其々の方向へと飛び立っていくのが見えた。
・・・ まったく ・・・・・
呆れたように見送った晴明はまだ怒りが収まらない。
足元の小石を思い切り蹴った。
カツーン
蹴られた小石は天井部の岩にあたり乾いた音を立てる。



カツーン

乾いた音が保憲の耳に届いた。
・・あいつ怒っておるな。存外に気が短いからな。・・・・
保憲は腹の中で呟きながら隆光に視線を向けた。
「さて・・如何致すかな。」
声に応えたか洞の中がグラリと揺れた。
「まだ力にそぐわぬ祈祷をして無駄に時を過ごすお積りかな。」
保憲の声に呼応するように小石が頭の上から落ち始める。
・・・・・ あいつ ・・・・

「おいっ!」
保憲は隆光の腕をとった。
「欲の念を持ったままこの地で果てるか?いやなら俺について来い。」
言うと保憲は出口に向かって走り出した。
暫しその後姿を見ていた隆光はゆるりと頭を左右に振り両の手を地面につけて立ち上がり保憲の後を追う。

カツーン カツーン
 
落ちて岩にぶつかる音の間隔がだんだんと短くなり音も大きくなってくる。
天井部にあった岩までもが落ちてきているようであった。
「や・・保憲殿。待ってくだされ。」
隆光が情けない声を上げた。
「命が惜しければ走れ。」
保憲は振り向きもせずに応えた。
洞を抜けて転がるように外へ飛び出した二人の背後で岩が落ち洞が崩れた。
「あいつ!」保憲の口から言葉が突いて出た。

ゼィゼィと息を荒げている隆光に視線を向けて保憲は哀れむように言う。
「己の命だけは惜しいか。」
肩を上下させて呼吸をしながら隆光は保憲を見上げた。
「たしかに・・・確かに吾はまだ修行が足りませなんだ。」
ふん!
鼻を鳴らして保憲は苦笑った。
「寺など無くとも修行とやらはできるであろうが。」
隆光の答えは無い。
「必要となれば自ずと手に入る物だと俺は思うがな。」
隆光は無言ではあるが僅かに頷いた。
「まぁ 権力に媚びて何やら華美なものを貰う輩も多いがな。」保憲は肩を竦めた。
「しかし俺は思うのだよ。そのようにしても力はつかぬと・・・な。」

隆光は無言のまま立ち上がり保憲に背を向けて歩き出す。
ふいっと振り向くと保憲を見詰めて頭を下げた。
・・・修行を積んで何時か相応しい堂宇を・・・
隆光の唇がそのように動くのを見て保憲は一人笑った。

・・・・ しょうもない男よ ・・・
ひらひらと掌を振りながら独り言ちた。
「まぁ欲と言うのはなかなか離れてはくれぬものよな。」

「保憲様。」
声をかけられてすっかり失念していたことを思い出した。
そうだ!晴明! おまえ!
傍らで見上げてくる晴明を見て言葉を呑んだ。
「機嫌は直ったのか?」
「はい?」
「おまえ 俺を殺める気か。」
言いながら保憲は晴明の頭をポンッと叩いた。
「そんな容易な事で保憲様が亡くなる訳はございませぬ。」
しゃらりと応える晴明に何を言っても無駄だと保憲は悟る。
しかし・・・ これはどうにかならぬものか。

二人の眼の前には煙ったように雨が降り注いでいる。
乾ききっていた土の道は降り落ちる雨の勢いで川の流れのようだ。
「ここを帰るのか?」
保憲が嫌そうに言う。
「暑くはなくなりました。」と晴明。
確かに気温は下がり雨を運ぶ風も冷たく感じる。
「保憲様のあの猫又は来て下さいませぬのか。」 晴明が言う。
保憲が応える前に

にゃぁ~だ

何処かで鳴き声が聞こえたような気がする。

まったく・・・どいつもこいつも ・・・・・
保憲はバシャバシャと水音を立てながら走り出した。

「あっ!保憲様。やすのりさまぁ。」
後から晴明が追いつこうと走ってくる。

知るか! 風病にならないように走れ


保憲の腹の内を見たか雲の中から龍達の賑やかな笑い声があたりに響いていた。

水の恵みを与えられ草木も顔を上げて走り去る二人を見守るように涼しげに揺れている。

   恵みと思えば雨は神

     祟りと思えば雨は鬼

屋敷に戻った二人は濡れそぼった姿を忠行に見つかりきつく小言を言われたそうな。












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