これは これは法師様。 
この様な山奥まで・・・山の修行へお出かけになられますか。
お疲れ様でございますなぁ。

えっ?山岳修行をされる法師様では無いのでございますか。
それは失礼を申し上げました。
陰陽師?
あの主上のお住まいになっているところにお勤めの・・・
はぁ そうではない?
市井の陰陽師だと仰る。 そういうお方もいらっしゃるのですか。
あぁ そちらのほうが数は多いと・・・
これはご無礼を致しました。
なにぶん山の中でこうして暮らしておりますので都の事はとんと耳に入りませぬ。
その陰陽師殿が何故に人も通わぬような山奥へお一人でいらっしゃいましたのでしょう?
いえいえ 都合の悪いことでしたらお答え下さらなくても構いませんのです。
何を聞いたとてこの私は一人暮らしでございますし都へ参る事もございますまい。
そうなればお聞きしたとて誰に話す相手もございませぬしあの世まで持って行ったとて足しにもならないでございましょう。
飯のように腹が膨れることも無く話したいという欲が出るわけでもございません。
寂しくないかっとお尋ねで?
生まれてから今日まで一人でございましたからその寂しいというのが良く判りませぬ。

それで・・・陰陽師殿は何処かへお出かけの途中であっただけと言うわけでございましょうか。
はぁ探し人でございますか。
貴きお方が神隠しにあったとか? はぁ そういう事では無いとおっしゃる。
この私は毎日ここに居りますから通り過ぎた人がいれば必ずや眼にしているはずでございます。
お姿の形をお話いただければお役に立てるかも・・・もっとも夜の闇を歩く方でございましたらその限りではありません。

いずれに致しましてもこの雨でございますよ
道も悪くなりますし辺りも暗くなってまいります。
雨が落ち着くまでここで足を休まれては如何でございますか
湧き出す美味しい水なりと差し上げましょう。
こちらの方へ・・・古くなって倒れた木の幹でございますが腰をかける場所もございます。


まずは喉を潤していただきましょうか
椀はこの様なものしかございませぬが・・
美味しゅうございましょう?
古くからこの辺りを鎮る水龍の水だと言われておりますよ。
はい?もう一杯でございますか?宜しゅうございます。
山を歩くは喉が渇きますからなぁ
こればっかりは陰陽師殿でも変わりはありますまい。


陰陽師殿
雨音ばかりでは手持ち無沙汰でございましょう
この爺の話でも聞いてくだされ
陰陽師殿の探し人のお話はお気が向きましたらお聞かせ下さるも良し・・・


あれは・・そうでございますね
三日ほど前の事でしたでしょうか
風がそろそろと冬の気配を運んでくるような冷たさを含んでおりました。
ここの湧き水は水龍の水でございますれば冬の只中でも止まったりは致しませぬがやはり木々になる実は幾らかでも蓄えておかねば難儀でございます。
私はこの先の谷に降りる森を歩いておりました。
その向こうに洞が有るのが見えますでしょうか。
まだ葉が残っておりますから見え難いかもしれません。
あの洞が昔から龍の住処と言われておりますのですがまだ私は見た事がありませんでした。
ですが・・・見たのです。
いいえ 見間違いなどではございません。
白金の鱗が薄くなった陽を受けて輝いておりました。
それは驚きましたですとも。
この歳になって初めて見たのでございますよ。 驚かなくてどう致します。
ですが私が見たのはそれだけではありません。
白金色の龍に包まれるようにそれはそれは美しい童が一人横たわっておりました。
意識は無いようでふっさりと伏せられた長い睫毛が瞳を覆っておりましたよ。
私は歳にも似合わず心に花が咲きましてな。
胸が熱くなりました。
あの童はきっと水龍に愛でられた者なのではないかと思いましてな。
それでも眼が離せず身動きも出来ずに見詰めておりました。
すると・・・どうなったと思います?
解らないと仰せで?
はぁ陰陽師殿でも解りませぬか。
なんと水龍が若い男の姿に変化したのでございますよ。
髪は輝く白金で瞳は翡翠のような深い蒼碧でございました。
驚きましたでしょう?
はぁ そういう事は良くあると仰いますか。
私は初めて目にしましたのに不思議と思いながらも妙に納得して怖いとは思いませんでした。

さて若者になった水龍の指先がそっと童の唇に触れたのでございます。
もう一つの手は髪を梳くようにいたしておりました。
童の長い睫毛がふるふると震えたように見えたのですがゆっくりと上がって瞳が見えるようになりました。
こちらはまるで夜の空のようで引き込まれるようでございました。
二人と言って良いかどうかは解りませんがとにかく四つの瞳が絡み合ったように感じました。
すると・・・童が何とも懐かしそうな表情を浮かべて笑みを浮かべたのでございますよ。
蒼碧の瞳も慈しむような光が湛えられておりました。
水龍の若者の指先が童の首筋をなぞりながら胸乳にそっと指を置きましたのです。
固い蕾のような淡く色付いたそれはくりっとしていて・・・それはもう爺の私でも・・はい。
童は河岸に打ち上げられた若鮎のように跳ねました。
ぐっと反らされた首から腰にかけての形が何とも艶を含んで水龍の若者が満足そうに微笑む表情もはっきりと見ることが出来ました。
童は細い両の手で白銀色の髪に触れたあと首筋に巻きつけて若者の頭を胸に引き寄せました。
童が甘えるように小さく声を上げた時に皓歯がはっきり見えました。

はぁ?
そんなに細かいところまで見えるものかと仰いますか?
確かに歳を考えれば見えるはずもございません。
妄想なのではないかと仰る?
いえいえ そのような事はございません。
陰陽師殿
あなたも仰ったではありませんか
龍が人に変化する事も良くあると・・・

あぁ なぜ三日ほど前のことをこのように懐かしそうに話すのかとお考えでございますか。
それはですな 陰陽師殿。
同じような光景を七年 いや八年前 もしかしたらもっと昔のことであったか。
ここで見たのでございますよ。
水龍が童を連れていた訳ではございません。
変化したわけでもございません。
ただ髪は白銀色でございました。
この白銀色の若者が幼童を抱きかかえて洞に入っていくところをこの爺は見ましたのです。
洞の中にそっと幼童を下ろしました。
乱暴に扱えば壊れてしまうのではないかと案じているようでもありました。
まだ若草も萌えない幼い身体を若者は慈しむように包み込むように愛でて飽きる事が無いようでした。
えっ?
三日前の童と同じだとは思わぬかとお尋ねでございますか?
さぁ?それはどうなのでございましょうね。
難しいことは爺のおつむでは解りませぬよ。
ですが・・・陰陽師殿
その時はこの爺も若かったのでございますから胸がかなり高鳴りました。
何とか上手い事言い包めて若者の手から幼童を奪ってしまおうかとも考えました。
ところがです
若者のすぐ傍らに一人の男が現れたのです。
音もしませんでしたし気配も無かったはずなのに鬼のように足を踏ん張って若者を睨みつけた両の眼は恐ろしいほどに力に溢れておりました。
その男が若者に有無を言う暇も与えずに幼童を己の腕の中に抱え込むと消えて行きました。
一際強く風が吹いたように感じましたが足音も致しませなんだ。

はぁ?その男ならご存知でいらっしゃる?
陰陽師殿
その男はそのように名の有る方なのでございますか?
忠行・・・忠行と仰る。
はぁ 賀茂の家の方でございますか。
その方も陰陽師であると・・・主上にお仕えする陰陽師だと
さようでございますか。
それでは爺は良からぬ事をしなくて助かったという訳でございますな。

三日前の方はどうしたと仰る?
そうそう そうでございましたな。

しゅるり
そんな音が聞こえたように思いました。
若者が童の石帯を解いた時の衣擦れの音だったのかもしれません。
はらり・・
襟が寛げられて透けるような白い肌が露になりました。
その首元に若者が所有の証である印をつけたのです。
白い肌に刻まれた印は唐桃の花のように赤く留まりました。
童は痛みを感じたのか形の良い眉を顰めて僅かに口を開きました。
広がり散った衣を掴む指が震えているのが何とも初々しく好ましい風景でございました。
若者の唇が鎖骨から更に下へと滑って行こうとした時にそれは現れたのですよ。
何が?って陰陽師殿
黒い大きな動物でございました。
小山のようにも見えたものです。
それは・・・猫でございました。
それにしてもあのように大きな猫などこの世にあるものなのでしょうか。

はっ?猫又と言うのでございますか。
猫の妖しでございますか。
さすがに陰陽師殿は何でも良くご存知でいらっしゃる。

その黒い大きな猫・・猫又でございますか
その猫又の背に一人の若者が乗っておりました。
童より五つ・六つほど歳高のようでございました。
音も立てずに水龍の若者の傍らに降り立つと右の手を上げて二本の指をそろえ水龍に向けたとたんの事でございました。
辺りが真っ白に輝やいたかのように明るくなり火花が飛び散りました。
弾かれたように水龍の若者は童から離れて歳嵩の若者を睨みつけたのですがその若者は物も言わずに水龍の頬を二・三度打ち据えたのですよ。
水龍の若者が怯んだ隙を付いて童を抱きかかえて大きな・・・猫又ですか・・それに乗せてしまったのです。
年嵩の若者は水龍をもう一睨みいたしました。
そう致しまして自らも猫又に跨り童を支えて消えて行きました。
猫又は宙を走るのでございますね。

あれは特別?
さようでございますか。
陰陽師殿はその猫またもご存知であると?
名前もある?はぁ沙門と言うのでございますか。
妖怪なのにそのような名を付けられているのでございますか。
は?名づけた方が変わり者だと?
保憲と言う方でございますか。
こちらも賀茂の方で・・・はぁ忠行と言う方のご嫡男でございますか。
それに致しまして陰陽師は何でもご存知でございますなぁ

それではお聞きしたいのでございますが・・・
あの水龍にあそこまで愛でられた童の名はご存知でございますか?
知ってどうするとお尋ねで・・
それは陰陽師殿
あなた様と同じ心持でございますよ。
先の世への土産に一度くらいあの花のような唇を奪ってみたいと思ったとて罪にもなりませぬよな。
おや?
陰陽師殿はそのようには思わぬと・・
して・・童の名はなんと?

なんと!知らなくて良いと仰るか。
命が惜しければ近寄るなと仰る。
はぁ あの保憲と言うお方はそれほどに悋気が強いと・・・

ふっふっふ

陰陽師殿
あなた様も悋気が強いとお見かけしますが違いますかな
この様な山奥まで人を探しにと仰っていましたが探しているお方は何処の方でありましょうや。
おっと!!
そのように荒らげますな。
この爺はここから動けない身でございますからな。

おや?雨も止んだようでございます
龍が渡って行きますな。
あれは雄龍でございましょうか。女龍でございますかな。

龍の後を追って虹を渡って都へ戻られますか?
そうなさいませ
今なら明るいうちに戻ることも出来ましょう
この爺はここで朽ちるまで童の姿を恋焦がれて過ごしますゆえに・・

はい
この爺は都が出来た頃からここにいる蔦でございますよ。
この世での命が尽きるとも良い思いを抱えて先の世に行けそうでございます。

どうぞ陰陽師殿
足元にお気をつけてお戻り下さい。
久しぶりの人の訪い
楽しゅうございました。
最後にあなた様のお名前は・・・お聞かせ願えない。
そうでございましょう
私のも名はございませぬ。
それでは・・


                           完









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