桜の老木に咲競う薄紅色の花弁が春の風に誘われるように舞って行く。

さわさわ・・・・

心地良い風の中 靄のかかったような空を鳥が数羽飛んでいた。
穏やかな陽射しを受けて漢は廂の柱に身体を預けほろほろと酒を飲んでいる。
烏帽子もつけず風に揺れる総髪は白銀の様でもあり人の踏み入る事の無い新雪のようで折からの陽射しに煌き漢の相貌に有る瞳の輝きは若かりし頃のままであった。

さわさわ

さわ・・・・ 風が吹く。

「晴明。」 風に乗って何処からとも無く呼ぶ声にふっと漢は面を上げた。
「酒呑童子様ですか? 良ぅ おこし・・・」 
晴明と呼ばれた漢は穏やかな笑みを浮かべて桜の老木の辺りへ視線を向けるとその相貌に笑皺が深く刻まれた。

「今年も春が過ぎていくな。」 酒呑童子の声が返ってくる。

「こうして一人で何度桜を眺めました事か・・・そろそろ解らなくなりそうでございますよ。」
「こうして我が来て折るではないか。」  酒呑童子の声にも笑いが含まれている。

「然様でございますね。 ありがたいことでございます。」
晴明は杯に酒を注ぐと老木の方へと掲げて 「一献いかがでしょうか。」 と笑った。
「おぅ!! 花見酒と洒落るか。」  朧な影がすっと晴明に近づいて杯を受ける。

晴明は柱に身体を凭れさせて空を見上げた。

・・・・保憲様も逝ってしまわれた。 道満殿はもっと早く逝ってしまわれましたな。・・・・・
晴明は瞼を閉じて一人言ちた。
「あぁ 人の世とは儚いものよ。」 酒呑童子が杯を置きながら応えた。
「そう言えば・・・・」 っと晴明が瞼を上げる。
「あなた様と笛を交換したという殿上人・・・源博雅様でしたかなぁ。 あのお方も逝ってしまわれた。」
晴明の問いかけに「 その様なことも有ったな。」っと酒呑童子は笑みを含む。
「お寂しくはございませぬか?」 
晴明の声に酒呑童子の視線がハッキリと晴明に絡みついた。
「おまえがそれを言うか。 ならばおまえが我の世界に来るか。」
「残念ながら私は人でございますよ。」  ふふっ・・・晴明が笑う。
「おまえが望めば連れて行こうほどに・・・」
「このような老爺にそのような戯れ事を仰いますな。」 笑みを刻んだ口元をそぅ・・・と袂で隠す。
「おまえは童のころと少しも変わらぬよ。」 

酒呑童子の言葉に笑みを収めた晴明が口を開いた。

「私は・・・あの雲のように生きたかったのでございますよ。」
相変わらず細い指が花弁が舞う空に浮かぶ雲を指し示した。
「何にも囚われず自由に 風に誘われるままに姿形にも拘らず・・・あのように生きたいと思っておりました。」
晴明のは酒呑童子の視線を強く感じる。
「人としてこの世を終えるか。晴明・・・」
「はい。命数が尽きればお別れでございます。酒呑童子様。」
「さぞかし つまらぬ世になろうなぁ。」
酒呑童子が情けなそうに応えた。

ふふ・・・っと晴明は笑った。
「この世はいったいどのように変わって行くのでございましょう。 それを見る事が出来るのはあなた様だけでございますね。」 
じっと見詰める晴明の視線を遮るように酒呑童子は朧に首を振った。
「晴明。 それは違うぞ。この我とていつかは消える。」
「そうなのでございますか?」 ほぅっと息を吐いて晴明が問う。
「そうよ。 人の意識の中から忘れ去られれば我は消える。 そのような世が来るやも知れぬ。」
ならば・・・っと晴明が言葉を継いだ。
「その時には陰陽師も消えましょうな。」
「かも知れん。」 「そうでございましょう。」
二人は声を上げて笑った。

さわさわ・・
春の風が行く。
桜の花弁が宙を舞う。

晴明は目を細めて空を見上げた。

・・・・ あの空を雲のように浮かんで居たかったのだよ ・・・・
   
       姿を変えずと思えばそのままに ・・・ ふと目を離せば元の姿は何処ぞと思うほどに形を変える 

  そんな雲でありたいと俺はいつも思っていたのだよ ・・・・・


さわさわ   さわ  さわさわ

   春の風が桜を散らす

ひゅぅ・・・・・鳥が一声鳴いて空を横切っていく




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