「この大うつけがぁぁぁあ!!!」

賀茂の屋敷に怒号が轟いた。 辺りの空気が一瞬で凍りつく。
研鑽に励んでいた弟子達も動きを止めその身は固まったまま・・・
恐る恐る視線を声のした方へと向ける。
・・・いったい何が起きたのか・・・・ 
誰もがそう思った。

日頃は穏やかで声を荒げる所等滅多にお目にかかれない忠行の声であったからだ。
忠行の前に座しているのは少々不満げな顔をしてそっぽを向いている保憲である。
・・・・・親子喧嘩か・・・
弟子達は呆れ顔でそっと囁きあった。
ここは触らぬ事が一番とばかり皆 見ぬ振り聞かぬ振りで音も立てずに遠ざかる。


「おまえがこれ程に分別が無いとは思わなんだ。葛城あたりへ修行に出してやろうか。」 
忠行の声はおさまらず庭の弟子たちがいくら聞かない振りをしてもしっかりと届いてくる。
「何をやらかしたのだ。保憲様は・・・」  弟子達は小声で囁きあった。
「おい!!あれは・・・。」
一人の弟子が東の対を指差す。
ふらっと覚束ない足取りで進んでくるのは晴明であった。
何をする気か?・・・・と弟子たちが固唾を呑んで見守る中を晴明は忠行達のいる御簾の前に坐すと平伏した。



「父様がそのような大きな声をお出しになるから・・・ほれ。」
保憲は不服顔のまま顎で御簾の外を指し示した。
「師匠様・・」 御簾の外から晴明の幾分小さな声がする。
「此度の事・・全てこの晴明の未熟さ故の事にございます。」
「晴明・・いくら兄弟子だとは言え何でも庇えば良いというものでは無いぞ。」
忠行が苦々しげな声を発した。
「いえ・・悪いのはこの晴明にございます。どうか保憲様を他へ出されるような事を・・・」
晴明の身体がそのまま前へ崩れ落ちた。
緩く束ねられているだけの髪がふわっと舞って床に広がった。


「保憲・・・術は心して使うよう厳く申し付ける。 次は無いと思え。良いな。」
諦めたように肩を竦めると忠行は一つ溜息をついた。
保憲は返事をするでもなく不機嫌な顔をしたまま晴明を抱き上げると東の対へと足を進めた。
「保憲!」
忠行の怒号が再び響く。
「しっ!」 保憲は人差し指を唇にあてて忠行を遮った。
「そのように大きな声は晴明の身体に障ります。」
忠行は思わず言葉を呑んだ。 これではどちらが悪いのだか解らなくなる・・・



意識を飛ばしている晴明をそっと横たえると保憲はそのまま横に坐すとホゥッと息を吐き出した。
事の起こりは一昨日の事・・・・

一人で書を読んでいた晴明の背後から声を掛けたのが始まりであった。
「なぁ・・晴明。」 保憲の両手が晴明の肩にかかる。
「保憲様・・・如何いたしました?」 傍から見れば晴明が保憲を背負ったように見える。
「・・・蛇を封じに行かないか。」 保憲が楽しげに言う。
「蛇を封じにでございますか?」
「蛇と言っても小さな物では無いぞ。大蛇だ。 最近暴れ方が酷いようで付近の民が困惑している。」
「私などがお供をしなくても保憲様のお力を持ってすれば何の恐れも無いのではございませぬか。」
それに・・・と晴明は言葉を継いだ。
「私はまだそのような場所に出かけては成らぬと師匠様からきつく止められております。」
「それはこの俺だって知っているさ。しかしな晴明・・・おまえの術の力や才の豊かさは誰もが認めるところであろうが・・」
保憲は片頬に笑みを刻んで悪戯っぽい声で答えた。
「まだ・・・術を制御する事が出来ませぬ。 これを身につけねば・・・っと師匠様が・・」
「それよ!晴明。」 保憲はズイッと顔を近づけて言う。
「制御する方法を知るには書物で学ぶだけでは駄目だとは思わぬか?やはりここは経験が一番だと俺は思うのだがな。」
「経験・・・でございますか?」 確かに己はまだそうした場に臨んだことは無いな・・晴明の心が少しだけ揺れた。
「そうだ!経験だ。 鬼も妖しも同じ対応をする物は一つも無いではないか。事件は現場で起きているのだ。」
どこかで聞いたような台詞を保憲は言う。
それでも躊躇する晴明に「傍で見ておれば良いのだ。」と言い募る。
やっと初冠を終えた保憲は術を使うことが楽しくてならない。 それが効果的で有れば有るほどしてやったり・・・の頃であった。
一方 何の彼のと言ってもまだ世間を良く知らない年頃の晴明・・気がつけば保憲について出かける事と成ったのであった。

訪れたのは桂に流れる川の上流。水底は深く流れも早い。
川の流れをじっと見つめる保憲から少し離れて晴明も流れに浮かぶ波を見ていた。
・・・ここに大蛇が現れるのか・・・

川の中央に何の前触れも無く渦が巻き始めた。
「来るぞ。」 保憲の緊張した声に晴明も身体を強張らせる。
二人が見つめる渦が大きくなりやがて波を砕いて大蛇の尾が見えた。
保憲が呪を唱える体勢に入る。

ザザザッと川の水を巻き上げながら大蛇が顔を出して二人を見下ろす・・その瞳は金色に輝いていた。
・・・・・小賢しい。邪魔をする気か・・・
大蛇の声が直接意識の中に入ってくる。
保憲は構わず呪を唱え符を撃ち出す。
キンッと鋭い音と共に符が弾かれた。
・・・邪魔をするのならこのままでは済まさぬぞ・・・・
大蛇はぐねり・・とその身を曲折させながら長い尾で川を叩いた。
・・・・・この時を逃す訳には行かぬのだ・・・邪魔をするでない・・・
大蛇は山の陰に隠れようとする陽に向かって宙に舞った。
「逃すか!」
その身に向かって保憲が剣呪を放つ。
・・・・・エェイ!!邪魔だと言っている・・・
大蛇から強力な風が渦巻いて保憲に襲い掛かってきた。
堪えきれずに保憲の身体が跳ね飛んだ。
「保憲様!」 晴明が駆け寄ってその身体を支えた。
大蛇は宙に舞ったまま輝きに包まれて変化を始めて行く。

ここで退けば良かったのだが保憲としても晴明を連れて来た手前 面子が立たない。
変化を続ける大蛇に向かって「破」の攻撃をかけたのである。
「保憲様!あれは蛇ではありません。」  
晴明が叫んだときには既に遅く保憲の攻撃は蛇体の身体に跳ね返されていた。
・・・・どうしても邪魔をするか・・・
輝く蛇体は怒りを露にして向かってくる。大きく開かれた口からチロチロと赤い舌が覗いているのが見えた。

その後・・・何が起きたのかは保憲にも記憶が無い。
我に返った時には陽は落ちた後で大蛇の姿も無かった。
保憲に覆いかぶさるように倒れていた晴明の口が僅かに動いたのを不思議な物のように感じた。
「保憲様・・・あれは・・・蛟になる所だったので^ございます。」
「蛟・・・にか。」

蛇は龍に変化すると言う。 蛟は蛇が龍になる前の姿である。
この変化まで長い年月を必要とする。
全ての蛇が長い寿命を持っている訳でもなく寿命を経たから龍になれる訳でもない。
やっと掴んだこの日をあの大蛇は逃したくは無かったのであろう。
蛟から龍になるまで無事だという保証も無いのだから・・・

「保憲様・・」 晴明の声に我に返る。
「やはり・・・私は修行が足らないようでございます。」 晴明の声が小さくなった。
「すまん。無理をさせてしまったのか?」 
保憲に記憶が無いのだから何が起きてどう言う結末になったのかは理解が出来ない。
衣のあちこちが切り裂かれているのと全身に広がる体の痛みに保憲は思わず眉を顰めた。
それでも・・意識を手放してしまった晴明を抱きかかえて賀茂の屋敷へと戻ってきたのは夜更けと言うよりは朝方に近かった。


・・・・おまえ・・加減が出来ないままに蛟となった大蛇を退けたのであろうな・・・
すまんな・・・このような負担をかけてしまった・・・

保憲はそっと晴明の頤に手を添えてすっと滑らせた。

・・・力技だけでは滅する事も封じる事も出来ぬ・・・
「やはり・・制御の方法は学ばないといけないようだな。
・・・俺もまだまだ未熟と言う事なのだな。」」
保憲は今更ながらに呟くと苦笑いを浮かべた。

「毎回このような事になるのであれば身が持たぬ・・なぁ晴明。」


その後 保憲が忠行に謝ったかどうかは定かでは無い。
しかし無闇と術を使う事は減ったのは確かであった。
もちろん葛城へ修行に出されることも無かった。

 






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