夏の気配が少しずつ薄くなってきた秋の初め
都を渡る風の中にも爽やかさが感じられるようになってきた。
それでも夜の闇の中を歩く者などいない。
遠くから野犬の鳴き声が微かに聞こえてくる羅城門の南側。
緋色の水干姿の男が柱に凭れて立っていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・「横道なきもの」 おまけ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジャリッと道を踏む音をたてて羅城門の北側に一人の男がやって来た。
「忠行か。」 南側にいる男が声をかけた。

「今夜は来ぬよ。 酒呑童子。」
忠行と呼ばれた男が応える。
二人は柱を挟んで背を向け合って留まった。

「そうか・・来ぬか・・」 酒呑童子が見えぬ空を見上げて言った。
「なぁ・・酒呑童子よ。 少し控えてはもらえない物か・・」
何の事か?と言う様に酒呑童子は振り返って忠行を見る。
「あれも・・・間もなく初冠の儀を終える。 やがては都を護るべき陰陽師となろう。」
「あの童のことか? 」
「そなたも解っておろう・・・この都の綻びを。」
「確かに・・・些か面倒な輩が現れるようにはなったな。」
灯もない夜の闇の中で静かに二人の声だけが聞こえる。

「都の結界が崩れればそなたとて無事ではおれまい?」 忠行が酒呑童子に視線を向けた。
酒呑童子は都の鬼を統べる。 強大な力を持った鬼でもある。
「ほれ・・そのように 今も傷ついておるではないか。」 忠行が顎で指し示す先には赤黒い血が流れ出していた。
「それでも・・・来ぬとそなたは言うのだな。」
苛立たしげに酒呑童子が忠行に視線を投げる。

「あれは・・優れた才を持っておる。今は制御する術が無い為に使い方が解っていないだけだ。
その術を習得すればこの都の綻びも閉じる事ができるであろう。・・・だから・・・」 忠行が酒呑童子に言った。
「この俺が邪魔か。」 
「都を護る者が鬼と馴染と言うのは拙いとは思わぬか?」
「それは人の都合よな。」
素っ気無く言った酒呑童子の顔がふっと緩んだ。

小走りに走ってくる足音が聞こえる。
「酒呑童子様。」 夜目にもハッキリと解るほどの白い貌が羅城門を越えた。

「晴明・・おまえ 封印を解いたか・・」 忠行が複雑な表情で声を掛ける。

「酒呑童子様 酒呑童子様。」
晴明の声を心地よく聞きながらその細い身体を抱き上げた。
幾年かの間に背も伸びてすらっとした足がしなやかさを感じさせる。
「忠行。 この童は真に恐ろしいほどの才の持ち主よの。」
満足げに酒呑童子が言う。
「忠行・・・そなたの言った事・・・考えておこう。 都の綻びは俺にも関わってくるからな。」

酒呑童子の言葉に晴明が小首を傾げた。
「この私が師匠様から学ぶ事が酒呑童子様の為になるのでしょうか?」
「あぁ・・そのようだな。 人の寿命など鬼から見れば瞬き一つよ。」
「では・・その一瞬の為に学ぶ事にいたしましょう。」
疑う事など知らぬようなその応えに忠行も酒呑童子も意味の解らない不安を覚えた。

酒呑童子の袖の中からするりと抜け出した晴明が忠行に言う。
「師匠様。 明日からまたしっかりと修行をしたく思います。」
「酒呑童子様・・・狭い都のことでございます。 いつでもお目にかかれるかと・・・」

スィッと晴明の視線が在らぬ方向へ流れた。

・・・・・一番短い呪は「名」でございますよ。 酒呑童子様・・・・
晴明の声が聞こえたような気がした。
「この俺は目の前にいる童ごときに囚われておるのか。」 酒呑童子は瞠目した。
・・・あなた様は私に囚われておりますとも・・酒呑童子様・・・・
晴明の悩ましげな視線が絡み付いてくる。
・・・・そう言えば・・・俺はこの童の名を呼んだ事があっただろうか・・・
酒呑童子は記憶を掘り起こして考える。
ふっと晴明の頬に笑みが刻まれた。

・・・唯の一度もございませんよ。酒呑童子様・・・・・・この私は自由でございます・・

晴明と酒呑童子の遣り取りを肌で感じていた忠行は背筋に冷や汗が流れるのを覚えた。
・・・都を統べる鬼を幼い晴明は呪にかけていたのであろうか・・・
・・・それはちゃんと理解して行っていた事なのだろうか・・・
忠行の心が乱れる。

・・・・あなた様の棲み処も私のいる場所も同じ都でございます。酒呑童子様・・・・
晴明の意識が途切れる事無く飛び込んでくるのを酒呑童子は止める事が出来なかった。
・・・・なぜ 俺はこの童の名を呼ばなかったのだろうか。 なぜに ・・・・・

「酒呑童子様。」
晴明が今度はハッキリと声を出して呼んだ。

「私は一度たりともあなた様を思い出した事などはありませぬ。」
「嘘だ!そのような見え透いた嘘を・・」 忠行と酒呑童子は童子に叫んだ。
あまりに頻繁にこの二人が逢うので忠行が苦言を呈したのだ。
酒呑童子としても晴明と逢う頻度は月を追うごとに増えていた自覚はある・・・

切れ長の眼をすっと細めて晴明が言う。
「あのときから忘れた事が無いのですから・・・思い出すことはありませぬ。」
晴明の口の端に深い笑みが刻まれた。

ゆっくりと頭を下げて礼をして晴明の足音が遠ざかっていく。

・・・真 あの童が力をつけたらこの都の綻びは修復できるであろな・・・おまえに囚われるのも心地よいものだ・・・
酒呑童子はそっと苦笑いを浮かべた。



  

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