「仏は常にいませども、

現ならぬぞあわれなる、

人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう」


賀茂保憲・・・言わずと知れた陰陽寮の頭賀茂忠行の息子である。
この保憲 最近父の忠行の行動に少々疑念を抱いている。
かなり頻繁に何処とも無く出かけていくのだ。
家人に尋ねても誰も行き先を知らぬ。
・・・想い人でも出来たか・・・・
保憲は確かめるべく行動にでた。
この時代想い人の一人や二人いても不思議は無いのだが誰にも知られないように行動しているのが気になるではないか。
まぁ単なる好奇心から出た行動に過ぎなかったのだが・・・・


都の北の外れ 屋敷と言うよりは邸ほどの建物があった。
どうやらここが忠行の通っている場所らしい。
保憲は大胆にも庭へ足を踏み入れた。
「だれだ?」
突然邸の中から声がする。
ギクッと足を止めて声のしたほうへ目をやる。
濡縁の柱に手をかけこちらをじっと見つめているのは幼い面影の残る女人であった。
まだ女童と呼んでも良いかも知れない。

「案内も無しに庭に入る・・そなたは盗人か。」
凛とした表情が逆に愛らしさを感じさせる。
「いや ここに父が入ったような気がしたので・・・」
少々狼狽しながら保憲が答える。
「父?あぁ そうするとそなたは保憲か。」
事も無げに女人が言う。
「たしかに保憲だが・・・そなたはなんと言う名なのだ?」
「ふん 名乗る必要は無いと思うぞ。」
高飛車な物の言いようにムッとする保憲。
「私の名は知っておるではないか。そちらも名乗るのが礼儀であろうが。」
つい言い募ってしまった保憲を相手にするでもなく女人はプイッと面をそらす。
「あなたは名乗っていないではないか。私が知っていただけ・・」
女人はさっさと邸の中へ去ろうとする。
「待て!そなたは父の想い人なのか。それならこのまま退散するが・・。」
父にこのような趣味があったとは知らなかったなぁっと勝手に決め付ける保憲。
幼い女人は鼻で笑いながら振り返った。
「馬鹿な事を言うな。そのような訳がある筈が無いであろうが。」

「そうか 違うのか。」
保憲はなぜかほっと安堵した。
「ならば そなたは父の何なのだ。」
声を掛けながら歩み寄った保憲は何気なく女人の肩に手を掛けた。
その瞬間 肩に強烈な痛みが走る。
「触れるな!」女人の声がきつくなる。
「そなた 呪を使うのか。}
痛む肩を押さえながら保憲は問うた。
「呪?このような物を一々呪と呼ぶか?たいした事無いのだな。」
女人は唇の端に笑みを浮かべて保憲を見返す。
カッと頭に血が上った保憲は反射的に女人を押し倒し組み敷いていた。
「たいした事は無いだと!」女人を見下ろして保憲が言う。
「そうではないのか?」
すぐ傍に保憲の顔がある事にも臆せず女人の片頬には微笑が浮かんでいる。
「ならば・・このまま縛してやろうか。」
「ふん!縛してみるか?出来るものならな。」
嘲るように言われて保憲は後に引けない。
「縛して俺の者にしても良いのだぞ。
その身では俺の呪を返す事も出来まい。」
女人の両の手は保憲の手の中・・確かに返せそうに無い体制であった。
「ふん」
女人が馬鹿にしたように笑う。
「真に何も出来ないと思っているのか。やはりたいした事はないのだな。」
煽られて保憲は本気で縛したくなってきた。

・・・あとで後悔するなよ・・・・
保憲は女人を見つめた
それにしても気の強い女人である。

ふっと笑いを浮かべて桜色の美しい唇が開く。
思わず見とれた保憲の耳に女人の声がささやくように聞こえた。
「白虎」
恐ろしい咆哮と共にそこに現れたのは屋根にも届かんばかりの大きな白い虎・・・
「!!」
保憲は思わず立ち上がって後ずさりをした。
「どうだ?縛してみるか。」
女人が袖で顔を覆いながら笑っている。

保憲 完敗であった。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。