東の空が濃藍から茜色に変わる頃である。
やがて陽が都を燦然と照らす時刻が来るまではまだ間があった。
内裏の南庭には忠行の指図によって壇が誂えてある。
壇の中央は火が焚かれる時を待って霊木が積まれていた。
四隅の結界は通常であれば御幣と榊等の常緑樹で固められるのだが今回は全く違う様相を呈している。
四方を押える四隅には背の丈より高い霊木が聳え その傍らには火を焚く為の籠・・・
これも燃え上がる時を待って今はまだ静かであった。

しかし 祓いの場に参じた保憲を驚ろかせたのはその異様な形ではなかった。
祓いの準備には保憲も参じている。通常とは異なるという事は事前に解っていた事なのである。
保憲が驚いたのは忠行に伴われて結界内に進む晴明の装束であった。
白い浄衣は確かに保憲が晴明に渡したものであったが・・・・
髪を覆うものはなく項の後で緩く纏められた髪が赤や青の珠で飾られている。
・・・・・ あれは紅玉や翡翠であろうか ・・・・・ 保憲がじっと見詰める先で陽が昇り始めたか晴明の髪に艶が増す。
陽光を受けて飾りの珠がキラキラと眩いさんざめきに保憲は思わず目を閉じた。


「始まるぞ。」 耳元で囁かれた声に保憲は我に返った。
「道満殿か。」 保憲はゆるゆると首を振って南庭へと目を向ける。
壇の中央から揺ら揺らと炎が上がり朧げな霧が辺りに広がって行くのが感じられた。
「なぁ 道満殿。 東国への祓いで此度のような大掛かりな仕掛けが必要なのであろうか。」
保憲が訝しげに呟く傍らで道満がふっ・・・・と笑う。
「なかなかに聡いではないか。 
これは忠行の仕掛けた賭よ。祓いだけなら忠行の能力を持ってすれば難しいものではないぞ。」
・・・・ まぁ ゆるりと見ておこうぞ・・・ 道満は保憲の肩をほんっと叩いて視線を南庭へと向けた。

揺れる炎と絡み合うように立ち上る霧の中にうっすらと何かが浮かび上がり、やがてそれははっきりと形を成してきた。

どこまでも続く青い空 滴るような緑の木々に鳥の囀りが聞こえるようだ。
人々の朗らかな笑い声が溢れその中心にいるのは年老いた一人の男であった。
目尻に寄る笑皺も好ましくその手に抱かれているのは一人の赤子のようで見事な布に包まれている。
取り囲むように覗き込む人々の顔にも幸せそうな笑顔があった。
その傍らへよちよち・・・と危なげな足取りで近づくのは幼い女童である。
転ばぬようにと二十歳ばかりの女人がその小さな手をとり年老いた男の手にある赤子の顔を見せると綻ぶように女童が笑みを刻む。
つられる様に晴明の方頬にも僅かではあるが笑みが刻まれた。

・・・ なんと穏やかな ・・・・・しかし あれは何処なのか ・・・・ 保憲は瞬きさえ忘れて魅入った。
「ほぉう。」 道満が息を吐く。

忠行の右手が動き壇の炎がさらに高く上った。
傍らに座してじっと目を凝らしていた晴明が一つ瞬きをする。

「保憲。 晴明を見よ。」 道満の声がした。応えてじっと見つめて保憲は瞠目した。
「目が・・・瞳が碧い!。 知っておったのか?道満。」 
保憲の問いに道満はふふんっと鼻で笑った。
「幼い頃から時折あぁ成っておったわ。 気がつなんだは保憲。注意力が足らない証よ。」
誰にでもなく唯自分に腹が立った。
 知らぬうちに舌を鳴らした保憲の耳に大地を駆ける音が怒涛のように近づいてくる。

「馬が駆けている。」 保憲はじっと耳を澄ませた。
辺りに姿が見えないが確かに幾頭もの馬が蹴る蹄の音が響く。
 踏み躙られて飛び散る草の匂いまで辺りに広がる。
ふわっ・・・・
晴明が立ち上がり四隅に立っている霊木に向かって掌を向けると傍らにあった籠から炎が立ち上がり見る間に柱を駆け上がって行く。
晴明の両腕が大きく開かれすっ・・・と天へと掌を向けた。
導かれるように炎は天に舞い上がりやがて形を成して鳳となった。
「朱雀だ!」 保憲が空を見上げる。
「ほぅ・・・火を操るのか。 なかなかに面白い事になってきた。」
 道満はじっと腕を組んで独り言ちた。
空一面を覆うような火の鳥は晴明の指の動きに呼応するように舞い飛び ばさりっ・・・
大きな羽を広げると壇の火の中へと飛び込んで消える。
途端・・・ ひんやりと身を冷やしていた風が一瞬にして南風に変わった。
威勢良く駆けていた馬の足音が乱れる。
バリバリバリッ・・・・・
赤々と炎を上げていた四隅の霊木が音を立てて崩れ始めた。
飛び散る炎は青空の中に稲妻のように輝き渡る。
晴明が髪に置く珠飾りを外し両の手で引き絞れば弓となり黄金に輝く矢が舞い散っている炎の中から現れた。
グイッと弓に番えられ引かれた矢の先に馬上の武者がいた。
その凛々しさは護るべく者を持つ強さが感じられる。
・・・・あれが 平将門 ・・・・・ 道満は思わず目を見開いた。

・・・・ 何と見事な馬ぞ ・・・・・ 保憲の気持ちは馬に行ったようである。
  ・・・・ あれは東国で育てられたものよ。 都の馬とは全く違うであろう ・・・・ 
道満が苦笑いをしながら応える。

急激に変わった南風に驚いたのか武者の乗る馬は後立ちになっていた。
馬を宥め手綱を掴む武者の瞳が晴明を認めたのかじっと目を凝らすのが離れている保憲にも感じられた。
晴明は一言も発しない。 武者も無言のまま馬上にいる。
にぃっ・・・・晴明の碧い瞳を捉えて突然に武者が笑う。 応えるように晴明が睫毛を伏すだけの礼をとった。
「なんだ・・・・。」 保憲が訝しく思ったとき矢が晴明の手を離れて一気に武者の額を襲い武者は声もなく崩れ落ち・・・ 
嘶く馬の声も乱れた足音も兵士たちの怒号も・・・・・ 辺りの音が一瞬で消えた。
ひんやりとした冬の風が保憲の頬を擽るように通り抜けて行く。

「終わったのか?」 保憲は溜めていた息を吐き出し誰に尋ねるでもなく声にした。
「公祓はあれで仕舞いだな。 将門は討ち取られた。やがて首が都へ運ばれてくるだろうよ。」 
道満が如何にも詰まらなそうに応えた。
「公祓の為の今日であろう? 他に何があると言うのだ。」 
「おい!儂が言うた事を忘れたか。 今日は忠行の賭日ぞ。 
武者一人討ち取るためにこのような派手な事は必要ないわ。」
「道満殿。 父様は何を賭けると言うのだ。 それを何故あなたが知っているのだ。」
何度も結界の中へと視線を送りながら保憲は問うた。
「忠行の奥はこの儂とて解らぬわ。 ただな。 此度の造りを見るとなんとのう感じるのよ。」
道満の答えを聞きながら・・・ 解らぬ ・・・首を傾げながら保憲は結界の中の二人を見やる。
「儂が思うに・・・忠行は晴明と賀茂との融合を試みようとしているのではないか。」
「そのような事をこの場でやっても良いのか?。」
「案ずる事はない。遠巻きにしている殿上人には鎮めの舞にしか見えぬわ。」
道満に言われて保憲は改めて結界の中へと視線を送ると壇の炎に向けて晴明が手を差し伸べたところであった。
掌を上に向けて招くように指を動かす。
辺りの風が一瞬にして暖かさを取り戻し先ほど消えて行った筈の火の鳥が姿を現し空を舞い始めた。
スッ・・・・と忠行が立ち上がる。
二人の視線が絡み合うのが保憲にも感じられた。
「いかん!!」 
保憲は思わず結界に向かって走り出そうとした。
途端 がっしりと肩を押さえつけられ手の持ち主を睨みつける。
「二人が争うのであろう?俺は止めに行く。 放せ道満。」
声を荒げる保憲に道満は手の力を強めて言う。
「駄目だな。」 「何故だ。」
「忠行から言われておるからよ。何人たりとも結界の中には入れてはならぬ・・・とな。」
「ならば・・・俺も忠行から言われておる。 晴明を往かせてはならぬ・・・とな。」
保憲は道満の腕から逃れようと身を捩る。
「まぁ待て。 誰が争うと言うた。」
「争わぬのか?」 保憲はいぶかしげに小首を傾げた。
「勝の目の無い賭を忠行がする筈もあるまい? もっとも・・・晴明が受け入れるかどうかは解らぬが・・・」
「何を持って勝を得るというのだ。」
「この地を知り尽くしている忠行だからこそかも知れぬなぁ。」
二人が言い合っている間にも結界内では事が進んでいた。

大地を割り裂いて龍が立ち昇り 
ぐるぐるぐる ・・・・・・・ 晴明を絡め捕らえながら天に向かって昇り行く。
晴明の身を護ろうとするのか火の鳥が鋭い嘴で龍の瞳を狙って滑空する。
しゅうしゅうっ・・・ 火の爆ぜる音。 消し去られて水蒸気となって辺りを白く覆う熱い湿気・・・

「さて・・・ 結界内に封じられたのは誰であろうかな。」 誰に言うとも無く道満が呟き視線を保憲に向けて一言。
「この賭 忠行の勝ぞ。」 道満が素っ気無く言い放つ。
「何故だ?」 熱い湿気に顔を焼かれまいと袂で顔を覆っていた保憲が問うた。
「この都の地の下は水が溢れている。 縦横に水は溢れておる。 
それを使う事を決めた忠行に晴明が勝てる理は無いのさ。保憲。」
道満は保憲に視線を向けると言葉を継いだ。
「火を操るために朱雀を呼び出した時点で晴明は負けていたのさ。」 道満は事も無げに言う。
「なぜ・・・・朱雀では・・・いけないのだ。」 保憲は呆然として座り込んだ。
「保憲。この都の朱雀とは何ぞ?」
「この都の四神の朱雀は・・・・巨椋池・・・巨椋池だ。」
「そうだ保憲。その巨椋池は都の下を流れる水の集まりよ。その主たる物の一つが・・・」
言いながら道満はすっと指差した先にいるのは龍の姿。
「・・・・ 東の ・・・・ 青龍 ・・・・」 保憲は空に舞い絡み合う龍を見詰めた。
「そう言う事だ。 
賀茂が永きに渡って都を護るため幾重にも仕掛けた結界の中で己の足の下で溢れている水・・
それさえ賀茂の術の一つであろう。
それを使って晴明に勝ち目は無かろうて。 ん?保憲 そうは思わぬか。」
一つ一つ・・・・確かな事は晴明が受け入れるかどうかにかかっている。
保憲は意識を集中しようとゆるゆる首を振った。

その間にも事はさらに進み気がつけば忠行が跪き 身体一つ後ろに晴明が平伏をしていた。
「・・・・・・・・・・ 平将門の首は藤原秀郷殿の手により刎ねられました。
よって都への謀反は断たれました事をここに奏上致します。」
忠行の声が保憲の耳に届く。
「ふん 老狸はほんに喰えん。 体面だけはきちんとつけやる。」
道満が不満そうに鼻を鳴らした。

ザリッザリッ・・・・小石を踏む音が保憲の耳に響く。
顔を上げれば視線の先に結界から出てくる忠行と晴明の姿が認められた。
「ほれっ 保憲。 ここからがうぬの役目ぞ。」
道満がほんっと保憲の肩を押した。
「良いか?決して晴明を往かせてはならぬ。と儂も重ねて言う事にしよう。」
道満はふいっと視線を逸らすと保憲の傍らから立ち去って行った。
保憲は呆けたように見送っていたが瞬間に意識を忠行と晴明に向けて歩き出す。

晴明の瞳は碧くは無かった。 深い漆黒の色を湛えて真直ぐに前を見ていたが・・・
その瞳には燃え落ちた木柱も壇も忠行も 目の前に立つ保憲さえも映ってはいなかった。

「晴明! 晴明! 」
名を呼びながら保憲は晴明の肩を掴み何度も揺すった。
「保憲・・・屋敷へ連れ戻り休ませよ。 放すなよ。」 忠行の声がした。
一つ頷き保憲は晴明を抱きかかえるように賀茂の牛車に乗せると賀茂邸へと急がせる。
・・・往かせるものか ・・・・・ 保憲はじっと晴明の細い指を掴み己の唇を噛締めていた。


     ★     ★     ★     ★     ★


「眠ったのか?」 
晴明の細い指先を掴んでじっと寝顔を見詰める保憲の傍らにチョロチョロッと萱鼠があらわれてひそと囁く。
「道満殿か? 戻り来てから一言も発せぬよ。」
保憲は晴明から視線を逸らして応える。
「迷うておるのよな。賀茂の気が身に馴染むかどうかは晴明しだいよ。」
チュッ 萱鼠が鳴いた。
「抱いてやれよ。」 萱鼠の道満が言う。
「バッ・・莫迦な戯言を言うではない。」 保憲は傍らの萱鼠を叩こうと手を上げた。
「ふん!何を考えておる。 兄が弟を思うように抱いてやれと言うて居るだけだぞ。まったく・・・・」
萱鼠が嘲るように笑った。笑う鼠と言うのはあまり気持ちの良いものではない。

「冗談で言うておるのではない。儂も忠行もこやつの親のような気持ちよ。しかしな。お前は違うであろう?保憲。」
「俺は・・・俺は晴明を実の弟よりも愛ゆいと思うている。」
「そうであろう?ならば保憲。何としても引き止めよ。都も捨てたものではないと晴明に伝えよ。」
チュチュッ・・・・
萱鼠は言い置くと小さな足音を残して消えて行った。

・・・・・・・ 晴明・・・・・ここに留まれ。俺がいるだけでは駄目か?晴明。・・・・・・

保憲は晴明の肩を両の手で抱き寄せ何時までも何時までも囁き続けた。
・・・この息はおまえの息 ・・・この息は俺の息 ・・・・共に有ろうぞ ・・・・

ゆっくりと何度も息を吹き込む。
・・・・ この息は俺の息 ・・・・・この息はおまえの息 ・・・・・

陽の出と共に始まった保憲の長い一日は月が山の端にかかる頃になっても終わらない。

  









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